シン・ゴジラ(2016年)
公開日:2016年7月29日
配給:東宝
時間:119分
スタッフ
総監督:庵野秀明
監督:樋口真嗣
准監督:尾上克郎
脚本:庵野秀明
特技監督:樋口真嗣
特技統括:尾上克郎
製作:市川南
エグゼクティブプロデューサー:山内章弘
プロデューサー:佐藤善宏、澁澤匡哉、和田倉和利
プロダクション統括:佐藤毅
ラインプロデューサー:森徹、森賢正
撮影:山田康介
照明:川邉隆之
美術:林田裕至、佐久嶋依里
美術デザイン:稲付正人
装飾:坂本朗、高橋俊秋
録音:中村淳
整音:山田陽
音響効果:野口透
編集:佐藤敦紀
音楽:鷺巣詩郎、伊福部昭
VFXスーパーバイザー:佐藤敦紀
VFXプロデューサー:大屋哲男
装飾統括:柘植伊佐夫
スタイリスト:前田勇弥
ヘアメイク:須田理恵
ゴジライメージデザイン:前田真宏
ゴジラキャラクターデザイン:竹谷隆之
ゴジラアニメーションスーパーバイザー:佐藤篤司
特殊造形プロデューサー:西村喜廣
カラーグレーダー:齋藤精二
音楽プロデューサー:北原京子
スクリプター:田口良子、河島順子
キャスティングプロデューサー:杉野剛、南明日香
総監督助手:轟木一騎
助監督:足立公良
自衛隊担当:岩谷浩
製作担当:片平大輔
(B班)撮影:鈴木啓造、桜井景一
(B班)照明:小笠原篤志
(B班)美術:三池敏夫
(B班)操演:関山和昭
(B班)スクリプター:増子さおり
(B班)助監督:中山権正
(C班)監督:石田雄介
(C班)助監督:市原直
(D班)撮影:摩砂雪、轟木一騎、庵野秀明
(D班)録音:摩砂雪、轟木一騎、庵野秀明
(D班)監督:摩砂雪、轟木一騎
キャスト
長谷川博己:矢口蘭堂(内閣官房副長官・政務担当)
竹野内豊:赤坂秀樹(内閣総理大臣補佐官・国家安全保障担当)
石原さとみ:カヨコ・アン・パタースン(米国大統領特使)
高良健吾:志村祐介(内閣官房副長官秘書官[防衛省])
大杉漣:大河内清次(内閣総理大臣)
柄本明:東竜太(内閣官房長官)
余貴美子:花森麗子(防衛大臣)
市川実日子:尾頭ヒロミ(環境省自然環境局野生生物課長補佐)
國村隼:財前正夫(統合幕僚長)
平泉成:里見祐介(農林水産大臣)
松尾諭:泉修一(保守第一党政調副会長)
渡辺哲:郡山(内閣危機管理監)
中村育二:金井(内閣府特命担当大臣[防災担当])
矢島健一:柳原(国土交通大臣)
津田寛治:森(厚労省医政局研究開発振興課長)
塚本晋也:間(国立城北大学大学院生物圏科学研究所准教授)
高橋一生:安田(文科省研究振興局基礎研究振興課長)
光石研:小塚(東京都知事)
古田新太沢口(警察庁長官官房長)
松尾スズキ:早船(フリージャーナリスト)
鶴見辰吾:矢島(統合幕僚副長)
ピエール瀧:西郷(タバ戦闘団長)
片桐はいり:ベテラン官邸職員の小母さん
小出恵介:消防隊隊長
斎藤工:池田(第1戦車中隊長)
前田敦子:カップルの女
浜田晃:河野(総務大臣)
手塚とおる:関口(文部科学大臣)
野間口徹:立川(資源エネルギー庁電力・ガス事業部原子力政策課長)
黒田大輔:根岸(原子力規制庁監視情報課長)
吉田ウーロン:太町田(経産省製造産業局長)
橋本じゅん:東部方面総監幹部幕僚長
小林隆:山岡(統合部隊指揮官)
諏訪太朗:田原(東京都副知事)
藤木孝:川又(東京都副知事)
嶋田久作:片山(臨時外務大臣)
神尾佑:風越(新政務担当総理秘書官[外務省])
三浦貴大:新人記者
モロ師岡:警察庁刑事局長
犬童一心:古代生物学者
原一男:生物学者
緒方明:海洋生物学者
KREVA:第2戦車中隊長
石垣佑磨:芦田(第2飛行隊第1小隊長)
森廉:避難民
野村萬斎:ゴジラ
鑑賞日:2016年8月1日
■ ストーリー
東京湾に巨大生物が現れ、街を破壊していく。対応に追われた政府だったが、責任をなすりつけ合うだけで何も解決策を見いだせないでいた。幸いにもその謎の生物は間もなく東京湾へと戻っていく。しかし、政府の対応のまずさもあって多大な犠牲を出してしまう。
破壊された街は放射能で汚染されていた。政府は対策本部を設置し、調査を開始。どうやら謎の生物は放射性元素を有し、人類の数倍のゲノムサイズがあることが判明する。
無力の日本政府に当然のごとくアメリカ政府が介入してくる。日米交渉の中で、ある科学者がその生物の出現を予見し研究していたことが判明する。そして、その研究資料から謎の生物はゴジラと呼ばれることになる。
政府対策本部はある液体をゴジラに注入し、血液を凝固させることでゴジラの活動を止める作戦を立案する。
ほどなく、さらに巨大化したゴジラが再び東京へと上陸し、都心のど真ん中へと進んでいく。凄まじい攻撃力でビルをなぎ倒し、自衛隊と米軍の攻撃を受けとめ、そして攻撃してくる全てのものを破壊尽くす。その最中、ヘリコプターで避難中だった内閣総理大臣含め政府要人多数が犠牲となってしまう。
あまりのエネルギーを放出してしまったゴジラは、一時活動を停止する。これを機に国連安保理が東京への熱核兵器使用を採択し、2週間の避難猶予を与え、その後、核攻撃を加えると通告してくる。
ゴジラの研究資料から無力化する方法を見いだした臨時代理政府は、市民の疎開を進める一方で、最後の一撃をゴジラに加える作戦を立案し、実行する。
自衛隊及び消防、各種鉄道の協力のもと、日本の命運をかけた最後の戦いが始まる─▶ 映画館環境
TOHOシネマズ新宿スクリーン10 IMAXデジタルシアター
スクリーンサイズは不明だが、極めて大、個人的に現在最も気に入っている劇場。座席数313、F列の中心付近がベストポジション。端の方でも問題なし。
F15は真ん中付近の席、だから場所は最高、あくまで座った場所の話。
▶ 作品レビュー
ゴジラよりも政府機関をパロディー化した部分が目立った映画。
確かにゴジラの容姿や攻撃力にはインパクはあったものの、政府のゴタゴタを嘲笑うかのごとく表現されたところが今までにはないゴジラ映画であり、それ故にそれが余計に特徴的に思えたのかもしれない。
まさにあの大震災時における混乱ぶりを、形を変えて見せられた思い。そもそもゴジラは核というものから生まれてきた存在であり、原発事故というものに関連付けることが容易だったのだろうと想像がつく。ただ、あまりに安直とも思えてしまう。
そこにあるのはあくまでパロディー、批判とか社会性という要素は皆無であり、あるのは単なる嘲笑のみ、まぁ“あの時そうだったろう”と言われれば賛同するだけなのだが、非常に後味が悪い思いで終幕を迎えた。そんな思いで怪獣映画やエンターテインメントを見に来ているんじゃないんだぞ、と私的に思ってしまった。
大惨事をパロディー化したことで、役者の演技や演出も非常に雑に見えたのは気のせいだろうか?(勝手な思い込みに過ぎないけれど)どうせ駄目な政府のパロディー化だろうという演技が画面から滲み出ていて、感情移入など全くできず、しかも笑えない…。もはや怒り─その怒りは憎きゴジラへと向けられることもなく、むしろゴジラが奴らを抹殺してくれることだけを望むようになり、終いには、動きを止められてしまったゴジラに哀愁すら感じてしまった。哀愁を感じさせることは、作品の意図として読み取れるし、その点に関しては大きな成功だといえる。
今回のゴジラの容姿は、(シッポ意外)かなり気に入っている。野村萬斎によるゴジラの動作も、途轍もない違和感を感じつつも非常に好感を持てたし、体中から放たれる無作為極まりないレーザーにも、変な話、羨望の眼差しをもって眺めていた。まさに新宿のビルの谷間から現れたとしか思えないゴジラに感動すら覚えたのだが、いかんせん出番が竹野内豊やより少ないことには全く納得がいかない─おそらく、少ないはず…何せキャストが多すぎるわけで、あんなに必要だったのかどうかも疑問だし、誰が出ていたのかすら全く記憶にないし、後で確認すると原一男の名前もあり「目視できなかった〜」と残念な感情が募るばかりで、ただただゴジラを憂うばかり…なんのための野村萬斎だったのか、東京という舞台で思う存分踊らせてあげてよ〜、というのは今とってつけて思った感情─
とまぁ個人的には納得しかねる部分が多かった作品ではあるけれど、見終わった観賞者等の感想を眺めてみると非常に評価が高いし、興行成績も好調なようで、そういった意味では素晴らしいエンターテイメント怪獣映画だと言えるのだろう。自分のような凝り固まったイメージだけでしかゴジラを見ることができない一個人の批判は、大衆娯楽として大成功を収めている現実には凌駕されてしまうだけ─
かく言う自分は、特段ゴジラに思い入れがあるわけでもなし、ゴジラはこうでなければならないという主義というか思想というか─、要するにオールドファンでも何でもない。
前作となるギャレス・エドワーズ監督の下で制作されたハリウッド版ゴジラは非常に面白いと思ったわけで、日本映画であろうが洋画であろうが、面白ければ文句はない。(このハリウッド版はそれほど評価は高くないというのが現実。確かに容姿がオリジナルとかけ離れ、そこに批判が集中しているが、正義の味方のように扱っている演出や表現にゴジラへのリスペクトが感じられ、非常に好感を持って観賞したものなのだが…)
みんなが面白いと言っている「シン・ゴジラ」を面白いと思えなかったのは、決してあまのじゃくなどではなく、私個人として本当に面白いとは思えなかっただけ。政治の無力感などを表現したいのならゴジラを用いなくともと思うのだが、別に政治批判などを目的とした映画ではないし、単に震災・原発事故とゴジラの関係性に親和性があったからこの作品が生まれたんだろう。(とはいえ、見終わった後で震災とゴジラの相性の良さを言及できても、それを見いだしたり完全な娯楽にしてしまおうと考える作家はいなかったということも事実。それを考えるとこの作品における着眼点は見事というほかない。しかも、単に完全娯楽として処理するだけでなく、いまだ終わりを見せていない福島の思いも網羅できているとも感じたわけで、批判の矢面になるところをうまい具合にかわしている。)
自分がもっとも気に入らないところは、何度も言うが、ゴジラの出番が少ないところ。しかし、過去のゴジラ映画でも、真打ち登場ばりに出番が極小という作品も少なくないわけで、それでもゴジラの存在感は絶大であったはず。要するにゴジラが本当に主役だったわけだ。
この映画の主役はゴジラではない。強いて言えば、竹野内豊と石原さとみ? ゴジラは単に東京を破壊する悪者でしかなかった…。だったらエヴァにでもやっつけてもらえば良かったんじゃねぇ、ゴジラを使途ばりに呼んでさぁ、なんて下品なことは決して言わないまでも、世の中ホントそれを望んでいるかのような流れが怖すぎる。
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