君の名は。

君の名は。(2016年・日本)
公開日:2016年8月26日
配給:東宝
時間:107分

監督:新海 誠
原作:新海 誠
脚本:新海 誠
声:神木隆之介(立花 瀧)
  上白石萌音(宮水三葉)
  長澤まさみ(奥寺ミキ)
  市原悦子(宮水一葉)
  成田 凌(勅使河原克彦)
  悠木 碧(名取早耶香)
  島崎信長(藤井 司)
  石川界人(高木真太)
  谷 花音(宮水四葉)ほか
製作:市川 南、川口典孝、大田圭二
共同製作:井上伸一郎、弓矢政法、畠中達郎、善木準二、坂本健
企画:川村元気
プロデュース:川村元気
エグゼクティブプロデューサー:古澤佳寛
プロデューサー:武井克弘、伊藤耕一郎
制作プロデューサー:酒井雄一
音楽プロデューサー:成川沙世子
キャラクターデザイン:田中将賀
作画監督:安藤雅司
音響監督:山田 陽
音響効果:森川永子
音楽:RADWIMPS
制作:コミックス・ウェーブ・フィルム

鑑賞日:2016年8月30日
場所:TOHOシネマズ新宿 スクリーン9 G13


■ ストーリー
自然に囲まれた小さな田舎町で暮らす女子高生の宮水三葉(cv.上白石萌音)──彼女は、いつも都会に憧れている──ある朝、目を覚ますと、体に違和感を覚える。あるはずのない胸があり、あるべきはずの下の部分がない…。
その日の三葉の行動は、周りから見ても、全くの別人であり、まるで男子であるかのような振る舞いをする。
翌朝、三葉はいつも通りの三葉に戻っていた。周りも安心して、皆が昨日の異常な行動を指摘するが、三葉には全く身に覚えのないことだった。
一方、ビルが建ち並ぶ大都市に住む男子高校生の立花瀧(cv.神木隆之介)──ある朝、目を覚ますと、下半身の違和感に慌てて鏡を見る。そこには身に覚えのない男子の顔が…見知らぬ部屋…そこに見知らぬ親が起こされて、せかされるように見知らぬ学校へと向かう。そこには憧れ続けていた都会の風景が広がっていた。
瀧の中身が三葉になって、そして、三葉の中身は瀧になっていた。
瀧と三葉は入れかわっては戻り、戻っては入れかわることを繰り返す。入れかわりの原因もタイミングも分からないまま、互いにルールを決め、そして記録を常に残していくことで、入れかわっても違和感なく生活を送る術を確立していく。
だいぶ入れかわりに慣れた頃、三葉がテレビで千年ぶりの彗星が近づいているというニュースを目にし、肉眼でもその煌びやかな姿を目にするようになると、突然、入れかわりが起こらなくなってしまう。
目の前に広がる自然がどうしても頭から離れない瀧は、三葉として見ていた風景を記憶だけで描き出す。そしてそれを頼りに、三葉に会いに行こうと決意する。
かすかな手がかりだけだったが、瀧は徐々に三葉に近づいていく。そして、真実を知ったとき、彼女はそこにいなかった…
しかし瀧は諦めず、なおも三葉を追い続ける。失われた時を取り戻そうと、必死に──。


▶ 映画館環境
公開1週目、どの劇場どの時間帯、良い(と思われる)座席は埋まっている。しかも、TOHOシネマズ新宿などでは夕方以降はほぼ満席状態。平日の朝一、事前のネット予約で、なんとかほぼ個人的に望ましいと思われる座席をゲット。
TOHOシネマズ新宿スクリーン9TCX(TOHO CINEMAS EXTRA LARGE SCREEN)スクリーンサイズ8.0×19.2m、音響環境ドルビーアトモスという、よく分からないけれどもなんだかすごいんだろうと思われる環境下での上映。
若い人中心にたくさんの人が観賞していました。


▶ 作品レビュー
絵の拘り、音や音楽への拘り、そういう触れ込みがあったかどうか分からないけれど、新海誠監督作品はそうなのだろうとの思い込みで、なるべく大きな画面で良い音での観賞を求め、ベストな劇場・座席を選択した(つもり)。
音・音楽と絵に対する率直な感想を言ってしまうと、期待し過ぎた感がある。優れた設備に作品が追いついていないといった印象。光りの表現に対する拘り、音楽と映像をリンクさせる拘りなどは非常に良く理解できたし、そういった細部における拘った表現は優れていたとは思う。しかし、予想以上に大画面で映し出される映像は、明らかに明瞭さに欠けるところがあった。それは制作環境のせいなのか、絵作りそのものがまずかったのか、一観賞者による一瞥では測りかねるところがあるけれども、絵だけで魅了される作品ではなかったように思う。
音・音楽自体においても、それほど魅了されず──音そのものに拘りを感じることができなかったし、ミュージックビデオのごとく展開する映像音楽にも、特段斬新さを感じることはなかった。悪くいってしまえばよくあるもの──ただ、音楽も絵の展開も、よくできていたので、RADWIMPSのサウンドに好意を抱く者が見れば感動できるのかもしれない。
仮に、RADWIMPSのライブを見に行って、生でその音楽を聴きながら、ステージ上に設置された大画面でこの映画の一場面を見るという状況であったのであれば、門外漢の自分などでも大きな感動を覚えたかもしれない。まあ、それは映画観賞という趣旨を外れてしまうのだけれども──。

いきなり批判めいた書き出しになってしまったが、映画として非常に楽しく観賞できたし、優れたアニメーションだと断言できる。
徹底したリアリティーの追求が背景の隅々まで行き届いていて、画面の中にはひとつの世界が構築されていた。
そこには我々が普段目にする世界が広がっていて、同時に、それが現実以上に煌びやかであり、それはまさに桃源郷というにふさわしいもの─それでいて、あくまでリアリティーを損なわないその世界にすんなりと入り込んでいくことができるわけで、しかも穢れのないその世界に気持ち良く浸ることすらできる。自分たちの世の中を美しく再構成することも、ゼロから全てを創り上げるアニメーションの醍醐味だということを知らしめられた思い。

現実世界に溢れる美しいもの、面白いもの、興味深いもの等々、それら全てを掛けあわせて出来上がっている作品だという印象が強い。悪くいってしまえば、革新的な事柄は皆無であり、オリジナリティーという面においては弱々しいものを感じてしまうものの、全てをコラージュし再構成することで、理想的な創造物を構築しようという意志を感じる。
あらゆる拘り、細部にわたる拘りなどは、あくまで理想とするもの、面白い作品、面白い世界を創り出そうとするための手段であって、そのためにはどんなことでも厭わないといった気概を感じる。
新しさということよりも、面白さ・美しさというものを創り上げたかったのだと容易に想像がつく。

とはいえ、キャラクターも物語の設定もどこかで見たと思ってしまうわけで、何かの焼き写しのように感じてしまう人も少なくないはず。何か新しいものを求めて、映画やアニメーションを見る人にとっては、全く評価できない作品なのかもしれない。そして、もしかしたら、その見解は正しいのかもしれない。あらゆるものを借りて出来上がった作品に過ぎないのかもしれない。
しかし、結果的に生み出されたものは、どこにも存在しない新海誠作品だと断言できる。面白くて、美しいアニメーションが確実に生み出されている。まだまだこれから新海作品は進化し続ける予感すらする。いわゆる、伸びしろっていうものを感じずにはいられない。
とかく地味で、いきなり注目を浴びるような作品はつくらないけれども、美しくて楽しい世界の構築に拘り続けて、淡々と自分自身を信じた作品を発表し続けて、ついには非常にたくさんの人が見るように至っている──そう新海誠というアーティストを評してよいのかどうか分からないが、この作品は発展途上であって、まだまだ理想には程遠いようにも思ってしまう。それが、面白くても絶賛できないわだかまりなのだろうか…。
新海誠というアーティストが本当に理想とするものを創り上げたとき、そこに新海誠のオリジナリティーというものを感じることができるだろうと勝手に期待してしまうのだが、まあ、オリジナリティーが出たからといって、とてつもなく面白くなるとは限らないと一抹の不安も覚えている。
とにかくも、これからもぶれることなく、美しくて楽しいリアルな世界を構築していってほしいものである。



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