BFG ビッグ・フレンドリー・ジャイアント(2016年・アメリカ)
原題:The BFG
公開日:(米)2016年7月1日 (日)2016年9月17日
配給:ウォルト・ディズニー・スタジオ・モーション・ピクチャーズ
時間:118分
監督:スティーブン・スピルバーグ
原作:ロアルド・ダールの『オ・ヤサシ巨人BFG』
脚本:メリッサ・マシスン
出演:マーク・ライランス(BFG)
ルビー・バーンヒル(ソフィー)
ペネロープ・ウィルトン(女王)
レベッカ・ホール(メアリー)
レイフ・スポール(ティブス) ほか
製作:スティーブン・スピルバーグ、フランク・マーシャル、サム・マーサー
製作総指揮:キャスリーン・ケネディ、ジョン・マッデン、クリスティ・マコスコ・クリーガー、マイケル・シーゲル
共同製作:アダム・ソムナー
撮影:ヤヌス・カミンスキー
美術:リック・カーター、ロバート・ストロンバーグ
衣装:ジョアンナ・ジョンストン
編集:マイケル・カーン
音楽:ジョン・ウィリアムズ
シニア視覚効果監修:ジョー・レッテリ
視覚効果監修:ガイ・ウィリアムズ
鑑賞日:2016年9月21日
場所:TOHOシネマズららぽーと船橋 スクリーン10 J14
■ ストーリー(公式HPより)
ロンドンに暮らす、好奇心旺盛な10歳の少女ソフィー。ある真夜中、彼女は窓から侵入した “巨大な手”によってベッドから毛布ごと持ち上げられて、“巨人の国”に連れ去られてしまう。ソフィーを連れて行ったのは、夜ごと子供たちに“夢”を送り届ける、やさしい巨人BFG(=ビッグ・フレンドリー・ジャイアント)だった。
ひとりぼっちだったソフィーは、巨人にしては優しすぎる孤独なBFGと心を通わせ、いつしかふたりの間には身長差6メートルの“奇妙な絆”が生まれてゆく。しかし、BFGとは正反対の凶暴な巨人たちによる恐るべき計画が…。このままではイギリスの子供たちが危ない──。この危機を救う唯一の鍵は、何事も恐れない小さな少女ソフィーの勇気だった…。
▶ 映画館環境
TOHOシネマズららぽーと船橋スクリーン10は座席数130、スクリーンサイズ4.1×9.8mと比較的小規模な劇場。選択した席はI-15、最後列やや向かってやや右寄り位置。座席に対してスクリーンサイズは大きく感じるので、スクリーンに近い場所を避けるべきかもしれない。最後列でも、その迫力は失われることはなかった。
▶ 作品レビュー
原作は読んではいない。
児童文学の映像化ということで、子供向けであることを覚悟して臨む。半分予想通りで、半分違ったという印象。そもそも、児童文学だからといって、幼稚とか劣っているとか卑下すること自体が間違いで、理解する上で分かりやすくなっているだけで、その内容は深いものも少なくなく、場合によっては残酷であったり辛辣であったりする。
──ここからは思いっきりネタバレになってしまうけれど…
この作品の内容も、人間が巨人に食べられてしまうとか、巨人退治に軍隊が動員されたり、捕らえられた巨人は海に捨てられてしまうとか、明確な悪を描きあげるための表現は容赦ない。
核となるストーリーは世界を救った少女とBFGのハッピーエンド。か弱き孤児と優しきBFGをぞんざいに扱う悪しき巨人は、見知らぬ海に捨てられて当然であり、退治されて気分爽快、ああスッキリ、という落ちなのだが、個人的にはそんな単純明快な気持ちにはなれなかった。
英国王室のパロディーとか、野蛮な巨人らの振る舞いとか、おならとか、お化けキュウリとか、素直に笑わせてくれる小ネタがたくさんちりばめられており、大いに笑う。見ている者を楽しませてくれるクリエーターの志には、ただただ感服するのみ。
しかし何といっても、ドリーム・ツリーの表現が素晴らしかった。水辺の表現や、暗がりの中に無数にきらめく夢の表現などを、実写とCGを駆使し、さらにカメラワーク等々あらゆるものを見事に融合させた至極の映像。今更ながらに夢の大切さを一目で教えられた思いで、このシーンだけで自分にとってこの作品の重要度は増した。
ストーリーとかジョン・ウィリアムスの音楽とかは、もはや自分にとってどうでもいいものになり、終始スピルバーグの映像美に魅せられていた。光と影の映像美は、どんなにCGを駆使した映像であれ、スピルバーグの力は失われることはない。
あえて日本語吹き替え版を見たこともよかった。文字で映像がつぶされることもなかったし、目で文字を追う煩わしさもなかったわけで、常に映像に集中できた。
日本語吹き替えで少し不満を感じたのは、ソフィーの声。本田望結による声。年齢的にはばっちりな人選だと思うけれど、その声がちょっと大人っぽくてソフィーの容姿に合っていない印象を受けてしまった。吹き替えもので子供の声を成人がするという意義を大いに感じた、まぁ取りに足りないことかもしれないけれど。
吹き替えで良かったと思ったことがもう一つあって、それはBFGが言葉を言い間違える設定が存分に発揮されるところで、そこから生まれる笑いを素直に堪能できた。
これが、英語を聞いて字幕で「言いまつがい」と表示されてやっと理解できたとしても、鼻で笑う程度かなと勝手な想像をしてしまう。だから、吹き替え結果良し。
映画の評価は、残念ながら、スピルバーグ映画としてはかなり低い。しかし、低評価の理由も何となくわからないでもない。子供向けにしても下品で野蛮で辛辣、大人向けにしても分かりやす過ぎる勧善懲悪、いかに素晴らしい映像であろうとも満足感はかなり薄いものなのかもしれない。下品で野蛮で辛辣な演出など、自分は可笑しくてたまらなかったし、勧善懲悪ながら実はそうでもないと思うと、なんだか言い知れない深みを感じてしまった。それらは皮肉れた見方でしかないのかもしれないけれど、スピルバーグの映画は何気に一筋縄ではいかない、と勝手に思っているからこそ、いろいろと楽しめたのかもしれない。
私的映画鑑賞記録 Private movie recording 私人电影录音 Enregistrement d'un film privé 私人电影录音 La grabación de películas privada 사적 영화 감상 기록 Отдельный записи видео تسجيل الفيلم الخاص
怒り
怒り(2016年・日本)
公開日:2016年9月17日
配給:東宝
時間:142分
監督:李相日
原作:吉田修一
脚本:李相日
出演:渡辺謙(槙洋平)
森山未來(田中信吾)
松山ケンイチ(田代哲也)
綾野剛(大西直人)
広瀬すず(小宮山泉)
ピエール瀧(南条邦久)
三浦貴大(北見壮介)
佐久本宝(知念辰哉)
高畑充(希薫)
原日出子(藤田貴子)
池脇千鶴(明日香)
宮崎あおい(槙愛子)
妻夫木聡(藤田優馬) ほか
製作:市川南
共同製作:中村理一郎
弓矢政法
川村龍夫
高橋誠
松田陽三
吉村治
吉川英作
水野道訓
荒波修
井戸義郎
エグゼクティブプロデューサー:山内章弘
企画:川村元気
プロデュース:川村元気
プロデューサー:臼井真之介
ラインプロデューサー:鈴木嘉弘
プロダクション統括:佐藤毅
撮影:笠松則通
照明:中村裕樹
録音:白取貢
美術:都築雄二、坂原文子
衣装デザイン:小川久美子
ヘアメイク:豊川京子
編集:今井剛
音楽:坂本龍一
主題歌:坂本龍一 feat. 2CELLOS
サウンドエフェクト:北田雅也
スクリプター:杉本友美
キャスティング:田端利江
助監督:竹田正明
音楽プロデューサー:杉田寿宏
鑑賞日:2016年9月21日
場所:TOHOシネマズららぽーと船橋 スクリーン7 C14
■ 物語 STORY (公式HPより)
ある夏暑い日に八王子で夫婦殺人事件が起こった。
窓は閉め切られ、蒸し風呂状態の現場には、『怒』の血文字が残されていた。
犯人は顔を整形し、全国に逃亡を続ける。その行方はいまだ知れず。
事件から一年後。千葉と東京と沖縄に、素性の知れない3人の男が現れた。
千葉───
3か月前に突然家出をした愛子(宮崎あおい)が東京で見つかった。
彼女は歌舞伎町の風俗店で働いていた。
愛子を連れて帰った父・洋平(渡辺謙)は、千葉の漁港で働く。
8年前に妻を亡くしてから、男手一つで娘を育ててきた。
愛子は、2か月前から漁港で働きはじめた田代(松山ケンイチ)に出会った。
東京───
大手通信会社に勤める優馬(妻夫木聡)は、
日中は仕事に忙殺され、夜はクラブで出会う男と一夜限りの関係を続けていた。
彼には末期がんを患う余命わずかな母がいた。
ある日、優馬は新宿で直人(綾野剛)に出会った。
沖縄───
また男と問題を起こした母と、
夜逃げ同然でこの離党に移り住んできた高校生の泉(広瀬すず)。
ある日、無人島でバックパッカーの田中(森山未來)に遭遇した。
殺人犯を追う警察は、新たな手配写真を公開した。
その顔は、出会った男に似ていた。
いつしか交際を始めた愛子と田代。
二人の幸せを願う洋平であったが、
前歴不詳の田代の過去を信用できず苦悩する。
同居を始め、互いの関係が深くなっていく優馬と直人。
しかし直人の日中の不審な行動に優馬は疑いを抱く。
ある事件をきっかけに心を閉ざした泉と
彼女を救えなかったことに苦悶する同級生の辰哉。
親身に支える田中であったが、無人島で暮らす彼の素性を誰も知らない。
愛した人は、殺人犯だったのか?
それでも、あなたを信じたい。
そう願う私に信じたくない結末が突きつけられる──。
▶ 映画館環境
TOHOシネマズららぽーと船橋スクリーン7
座席数250、スクリーンサイズ6.4×15.2m、大きな劇場
前方2列、後方9列と2ブロックに別れている。C14は後方の最前列、真ん中の席。横に広い劇場であるため、なるべく中寄りの席がよい。個人的には前方に障害がないC列が好みだが、ややスクリーンに近すぎるかもしれない。
▶ 作品レビュー
豪華俳優陣の見事な演技を見ていると、誰だったか─どこでだったか─覚えていないが、映画公開前に非常につらかったと語っていた記憶がぼんやりと頭に浮かんできた。広瀬すずだったかなぁ──確かに、劇中の彼女を凝視できなかった部分もあったし、捉え方も非常に難しいものだった。彼女が被る悲劇をどう捉えるか個人個人違うだろうし、ひどい場合は悦楽すら感じた者もいただろう。とはいえ多くは嫌悪感を持ったと想像する。その感情がタイトル通りに“怒り”だったとしても、その怒りが向かうところもまた、多岐にわたっていたはずだ。そもそもこの作品自体が複数の話が入り乱れて進行していくわけで、この映画について一言で表現することなど自分にはできない。
殺人事件から始まり、風俗、同性愛、暴行など一般的ではないけれども、間違いなくこの世の中に存在する事柄を題材に展開する。どこかで見た風景やニュース映像がコラージュのように紡ぎ合わされ、現代社会というものを再構築することにより、今生きている日本という国がどんなものなのかを見せられた気がする。映像だけ重視して見ると、そういった思いになるわけだが、作品の意図するところは別のところにあるわけで、それを読み解くことで、絡み合う話を一つにすることも可能になるわけだ。
読み解くといっても、まさに“怒り”というものがこの作品のキーであることは明白なこと。その怒りの拠り所を丁寧に拾い出していけば、作品の深みを感じることが可能となる。
殺人事件の現場から始まる故に、半ば犯人捜しや事件解決へと向かった作品として仕立て上げられているけれども、それはあくまで“怒り”を表現するための分かりやすい手段であり、どのような形であれ、何よりもまず“怒り”の感情を明確につかみ取ることができれば、この作品を作り上げた全ての者の本懐だといえるのではなかろうか。
とまぁ、自分こそがまさに様々に飛び交う“怒り”を感じる取ることができたわけで、それ故思うことも様々あった。
ニュース映像のパロディーなどもあり、思わず噴き出してしまったところもある。それらも鑑みて作品全体を眺めてみると、李監督が現代社会に多大なる怒りを感じているのではと思い、またしても出演者が辛かった、監督が怖かった、と語っていた場面がぼんやりと思い起こされる、そしてそれは多分、広瀬すずだったはず、誰でもいいんだけれど…。
もしかしたら監督のその恐怖は、怒りを生み出すための演出だったかもしれないけれども、結果として表現したかったことは間違いなく現代社会への憤りだと感じる。
名実ともに実績がある素晴らしい俳優陣の素晴らしいパフォーマンスにより、作品の趣旨である“怒り”を素直に捉えることもできるし、しかも展開される人間ドラマにも魅了され、純粋にエンターテインメントとして楽しめる。
こんな素晴らしい出演陣なのだから面白くて当たり前、とおんぶに抱っこすることなく、映像作品をしっかりと構築していこうとする意志を感じるわけで、そのしっかりとした絵づくりがあったからこそ大いなる“怒り”を捉えることが可能なのだと思う。
紡ぎ出される物語はマイノリティーの話。確かにそうなのかもしれないけれど、そんな自分はどうなのかと─、街中でみかける多くの人たちはどうなのかと─、あらためてそういう視点を与えられ、そして世の中すべての人々は個々の集合体なのだということを今さらながら思っている。ニュースで流れる事件や日常の小さな出来事は、間違いなく自分たちが生きている現実世界で起こっていることなのだということを想起させてくれる映画だった──“怒り”という感情とは無関係ではあるけれども。
李監督は、世の中には怒りが溢れていると言いたいのか、もっと怒りを感じろと言いたいのか、両方なのか、いずれかでもないのか…。
とにかく、楽しみ方がいろいろとある映画であった。
公開日:2016年9月17日
配給:東宝
時間:142分
監督:李相日
原作:吉田修一
脚本:李相日
出演:渡辺謙(槙洋平)
森山未來(田中信吾)
松山ケンイチ(田代哲也)
綾野剛(大西直人)
広瀬すず(小宮山泉)
ピエール瀧(南条邦久)
三浦貴大(北見壮介)
佐久本宝(知念辰哉)
高畑充(希薫)
原日出子(藤田貴子)
池脇千鶴(明日香)
宮崎あおい(槙愛子)
妻夫木聡(藤田優馬) ほか
製作:市川南
共同製作:中村理一郎
弓矢政法
川村龍夫
高橋誠
松田陽三
吉村治
吉川英作
水野道訓
荒波修
井戸義郎
エグゼクティブプロデューサー:山内章弘
企画:川村元気
プロデュース:川村元気
プロデューサー:臼井真之介
ラインプロデューサー:鈴木嘉弘
プロダクション統括:佐藤毅
撮影:笠松則通
照明:中村裕樹
録音:白取貢
美術:都築雄二、坂原文子
衣装デザイン:小川久美子
ヘアメイク:豊川京子
編集:今井剛
音楽:坂本龍一
主題歌:坂本龍一 feat. 2CELLOS
サウンドエフェクト:北田雅也
スクリプター:杉本友美
キャスティング:田端利江
助監督:竹田正明
音楽プロデューサー:杉田寿宏
鑑賞日:2016年9月21日
場所:TOHOシネマズららぽーと船橋 スクリーン7 C14
■ 物語 STORY (公式HPより)
ある夏暑い日に八王子で夫婦殺人事件が起こった。
窓は閉め切られ、蒸し風呂状態の現場には、『怒』の血文字が残されていた。
犯人は顔を整形し、全国に逃亡を続ける。その行方はいまだ知れず。
事件から一年後。千葉と東京と沖縄に、素性の知れない3人の男が現れた。
千葉───
3か月前に突然家出をした愛子(宮崎あおい)が東京で見つかった。
彼女は歌舞伎町の風俗店で働いていた。
愛子を連れて帰った父・洋平(渡辺謙)は、千葉の漁港で働く。
8年前に妻を亡くしてから、男手一つで娘を育ててきた。
愛子は、2か月前から漁港で働きはじめた田代(松山ケンイチ)に出会った。
東京───
大手通信会社に勤める優馬(妻夫木聡)は、
日中は仕事に忙殺され、夜はクラブで出会う男と一夜限りの関係を続けていた。
彼には末期がんを患う余命わずかな母がいた。
ある日、優馬は新宿で直人(綾野剛)に出会った。
沖縄───
また男と問題を起こした母と、
夜逃げ同然でこの離党に移り住んできた高校生の泉(広瀬すず)。
ある日、無人島でバックパッカーの田中(森山未來)に遭遇した。
殺人犯を追う警察は、新たな手配写真を公開した。
その顔は、出会った男に似ていた。
いつしか交際を始めた愛子と田代。
二人の幸せを願う洋平であったが、
前歴不詳の田代の過去を信用できず苦悩する。
同居を始め、互いの関係が深くなっていく優馬と直人。
しかし直人の日中の不審な行動に優馬は疑いを抱く。
ある事件をきっかけに心を閉ざした泉と
彼女を救えなかったことに苦悶する同級生の辰哉。
親身に支える田中であったが、無人島で暮らす彼の素性を誰も知らない。
愛した人は、殺人犯だったのか?
それでも、あなたを信じたい。
そう願う私に信じたくない結末が突きつけられる──。
▶ 映画館環境
TOHOシネマズららぽーと船橋スクリーン7
座席数250、スクリーンサイズ6.4×15.2m、大きな劇場
前方2列、後方9列と2ブロックに別れている。C14は後方の最前列、真ん中の席。横に広い劇場であるため、なるべく中寄りの席がよい。個人的には前方に障害がないC列が好みだが、ややスクリーンに近すぎるかもしれない。
▶ 作品レビュー
豪華俳優陣の見事な演技を見ていると、誰だったか─どこでだったか─覚えていないが、映画公開前に非常につらかったと語っていた記憶がぼんやりと頭に浮かんできた。広瀬すずだったかなぁ──確かに、劇中の彼女を凝視できなかった部分もあったし、捉え方も非常に難しいものだった。彼女が被る悲劇をどう捉えるか個人個人違うだろうし、ひどい場合は悦楽すら感じた者もいただろう。とはいえ多くは嫌悪感を持ったと想像する。その感情がタイトル通りに“怒り”だったとしても、その怒りが向かうところもまた、多岐にわたっていたはずだ。そもそもこの作品自体が複数の話が入り乱れて進行していくわけで、この映画について一言で表現することなど自分にはできない。
殺人事件から始まり、風俗、同性愛、暴行など一般的ではないけれども、間違いなくこの世の中に存在する事柄を題材に展開する。どこかで見た風景やニュース映像がコラージュのように紡ぎ合わされ、現代社会というものを再構築することにより、今生きている日本という国がどんなものなのかを見せられた気がする。映像だけ重視して見ると、そういった思いになるわけだが、作品の意図するところは別のところにあるわけで、それを読み解くことで、絡み合う話を一つにすることも可能になるわけだ。
読み解くといっても、まさに“怒り”というものがこの作品のキーであることは明白なこと。その怒りの拠り所を丁寧に拾い出していけば、作品の深みを感じることが可能となる。
殺人事件の現場から始まる故に、半ば犯人捜しや事件解決へと向かった作品として仕立て上げられているけれども、それはあくまで“怒り”を表現するための分かりやすい手段であり、どのような形であれ、何よりもまず“怒り”の感情を明確につかみ取ることができれば、この作品を作り上げた全ての者の本懐だといえるのではなかろうか。
とまぁ、自分こそがまさに様々に飛び交う“怒り”を感じる取ることができたわけで、それ故思うことも様々あった。
ニュース映像のパロディーなどもあり、思わず噴き出してしまったところもある。それらも鑑みて作品全体を眺めてみると、李監督が現代社会に多大なる怒りを感じているのではと思い、またしても出演者が辛かった、監督が怖かった、と語っていた場面がぼんやりと思い起こされる、そしてそれは多分、広瀬すずだったはず、誰でもいいんだけれど…。
もしかしたら監督のその恐怖は、怒りを生み出すための演出だったかもしれないけれども、結果として表現したかったことは間違いなく現代社会への憤りだと感じる。
名実ともに実績がある素晴らしい俳優陣の素晴らしいパフォーマンスにより、作品の趣旨である“怒り”を素直に捉えることもできるし、しかも展開される人間ドラマにも魅了され、純粋にエンターテインメントとして楽しめる。
こんな素晴らしい出演陣なのだから面白くて当たり前、とおんぶに抱っこすることなく、映像作品をしっかりと構築していこうとする意志を感じるわけで、そのしっかりとした絵づくりがあったからこそ大いなる“怒り”を捉えることが可能なのだと思う。
紡ぎ出される物語はマイノリティーの話。確かにそうなのかもしれないけれど、そんな自分はどうなのかと─、街中でみかける多くの人たちはどうなのかと─、あらためてそういう視点を与えられ、そして世の中すべての人々は個々の集合体なのだということを今さらながら思っている。ニュースで流れる事件や日常の小さな出来事は、間違いなく自分たちが生きている現実世界で起こっていることなのだということを想起させてくれる映画だった──“怒り”という感情とは無関係ではあるけれども。
李監督は、世の中には怒りが溢れていると言いたいのか、もっと怒りを感じろと言いたいのか、両方なのか、いずれかでもないのか…。
とにかく、楽しみ方がいろいろとある映画であった。
映画 聲の形
映画 聲の形(2016年・日本)
公開日:2016年9月17日
配給:松竹
時間:129分
監督:山田尚子
原作:大今良時
脚本:吉田玲子
出演:入野自由(石田将也)
早見沙織(西宮硝子)
悠木碧(西宮結弦)
小野賢章(永束友宏)
金子有希(植野直花)
石川由依(佐原みよこ)
潘めぐみ(川井みき)
豊永利行(真柴智)
松岡茉優(小学生の石田将也)ほか
キャラクターデザイン:西屋太志
美術監督:篠原睦雄
色彩設計:石田奈央
美設:定秋竹斉一
撮影監督:高尾一也
音響監督:鶴岡陽太
音楽:牛尾憲輔
主題歌:aiko
アニメーション制作:京都アニメーション
鑑賞日:2016年9月19日
場所:TOHOシネマズららぽーと船橋 スクリーン5 D16
■ イントロダクション(公式HPより)
“退屈すること”を何よりも嫌う少年、石田将也。
ガキ大将だった小学生の彼は、転校生の少女、西宮硝子への無邪気な好奇心を持つ。
彼女が来たことを期に、少年は退屈から解放された日々を手に入れた。
しかし、硝子とのある出来事がきっかけで将也は周囲から孤立してしまう。
やがて五年の時を経て、別々の場所を高校生へと成長したふたり。
“ある出来事”以来、固く心を閉ざしていた将也は硝子の元を訪れる。
これはひとりの少年が、少女を、周りの人たちを、そして自分を受け入れようとする物語──。
▶ 映画館環境
TOHOシネマズららぽーと船橋スクリーン5
座席数315席、スクリーンサイズ7.5×17.7m
前方3列、後方8列、2ブロックに別れた大きな劇場
D列は後方ブロックの最前列でD16は真ん中付近の座席。この劇場はD列が狙い目。横に広がった劇場なので、なるべく中ほどの席がベスト。
レイトショーのため通常料金1300円の割引で観賞。それが一つの要因なのか、ほぼ満席状態。周りは若者中心、カップルが目立った。
▶ 作品レビュー
予想以上に感動してしまった。描画や構図、流れゆく映像の構成、あるいはカメラワークなどにも細かな気配りがなされていて、その絵づくりにまずは感心させられ、そして何よりもストーリーそのものに心を動かされた。
自殺、障害者、いじめ等々、社会的な問題を数多く盛り込んだ作品。それでいて決してそれら社会的問題がメインテーマになることなく、描かれている内容はあくまで青春のなかでもがき苦しむ若者の姿だと感じるだけに、余計にこみ上げるものがあった。
一つ一つの要素はまさに道徳的、しかし、それらが大集合したこの作品は、教育的なアニメーションなどではなく、むしろこの映画を教育の現場で流したとしてもよい結果は生み出さないと思う。むしろ、いじめや偏見というものを助長してしまう危険性すら感じる。あくまでも教育の場として扱ったならばの話。でも、これを個人個人の娯楽として見たならば、それぞれに抱える病んだ気持ちを少なからず和らげ、それによって社会においてもよい影響を与えるような気がする。あくまでも、そんな気がするということでしかないのだが…。
個人的には2時間超の映画はどうしても長く感じてしまうのだが、この映画に関しては長さなど微塵も感じなかった。内容が濃密であったからだろう。しかしそれよりも、展開のテンポの良さと、徐々に感情を高めていくような映像展開が大きな要因だったような気がする。終幕すると、感情が幅広く揺さぶられたためか、かなりの疲労感を感じた。
重々しい内容であり、映画という形式上、最初から終わりまで有無を言わさずにノンストップであるわけで、漫画などのように自由に途中で休憩というわけにはいかない。苦痛や忍耐といったものを与えないための工夫、所々で挿入されるイメージ映像、それらは決して無意味とか無関係なものではなく、あくまで関係するイメージでありながら一つの息抜きとして気を緩めることができるわけで、そのタイミングも絶妙であったように思う。それ故に飽きることなく最後まで見続けることができたのだろう。
息抜きとはいえ、重々しい事柄に関連するものであるわけだから、集中力を余計に持っていかれる分、疲労感も激しいという結果になるのだが──。
至極普通の話。障害者という特別な存在になりそうなキャラクターもあくまで一つのコマに過ぎない。劇的な出来事が起こるわけでもなく、それでも最後まで惹きつけられてしまったというその最たる要因は、繰り返しになってしまうけれども、やはり丁寧に仕上げられた絵づくりにあると思う。
原作は高く評価されているコミックであり、アニメにするにはうってつけ。しかし、その原作に頼り切ることなく、あくまで映像表現の追求というものを感じた。そういった意味では原作とは別の作品が生まれているといえるのかもしれない。
原作を愛する者にとっては、もしかしたら「けしからん!」ということになるのかもしれないが、映画にするというのであれば一つの確立した作品を仕上げてほしいと、個人的には思っている。アニメーションにおける演出というものを強く感じさせる映画であった。映画として素晴らしい作品だと思う。
公開日:2016年9月17日
配給:松竹
時間:129分
監督:山田尚子
原作:大今良時
脚本:吉田玲子
出演:入野自由(石田将也)
早見沙織(西宮硝子)
悠木碧(西宮結弦)
小野賢章(永束友宏)
金子有希(植野直花)
石川由依(佐原みよこ)
潘めぐみ(川井みき)
豊永利行(真柴智)
松岡茉優(小学生の石田将也)ほか
キャラクターデザイン:西屋太志
美術監督:篠原睦雄
色彩設計:石田奈央
美設:定秋竹斉一
撮影監督:高尾一也
音響監督:鶴岡陽太
音楽:牛尾憲輔
主題歌:aiko
アニメーション制作:京都アニメーション
鑑賞日:2016年9月19日
場所:TOHOシネマズららぽーと船橋 スクリーン5 D16
■ イントロダクション(公式HPより)
“退屈すること”を何よりも嫌う少年、石田将也。
ガキ大将だった小学生の彼は、転校生の少女、西宮硝子への無邪気な好奇心を持つ。
彼女が来たことを期に、少年は退屈から解放された日々を手に入れた。
しかし、硝子とのある出来事がきっかけで将也は周囲から孤立してしまう。
やがて五年の時を経て、別々の場所を高校生へと成長したふたり。
“ある出来事”以来、固く心を閉ざしていた将也は硝子の元を訪れる。
これはひとりの少年が、少女を、周りの人たちを、そして自分を受け入れようとする物語──。
▶ 映画館環境
TOHOシネマズららぽーと船橋スクリーン5
座席数315席、スクリーンサイズ7.5×17.7m
前方3列、後方8列、2ブロックに別れた大きな劇場
D列は後方ブロックの最前列でD16は真ん中付近の座席。この劇場はD列が狙い目。横に広がった劇場なので、なるべく中ほどの席がベスト。
レイトショーのため通常料金1300円の割引で観賞。それが一つの要因なのか、ほぼ満席状態。周りは若者中心、カップルが目立った。
▶ 作品レビュー
予想以上に感動してしまった。描画や構図、流れゆく映像の構成、あるいはカメラワークなどにも細かな気配りがなされていて、その絵づくりにまずは感心させられ、そして何よりもストーリーそのものに心を動かされた。
自殺、障害者、いじめ等々、社会的な問題を数多く盛り込んだ作品。それでいて決してそれら社会的問題がメインテーマになることなく、描かれている内容はあくまで青春のなかでもがき苦しむ若者の姿だと感じるだけに、余計にこみ上げるものがあった。
一つ一つの要素はまさに道徳的、しかし、それらが大集合したこの作品は、教育的なアニメーションなどではなく、むしろこの映画を教育の現場で流したとしてもよい結果は生み出さないと思う。むしろ、いじめや偏見というものを助長してしまう危険性すら感じる。あくまでも教育の場として扱ったならばの話。でも、これを個人個人の娯楽として見たならば、それぞれに抱える病んだ気持ちを少なからず和らげ、それによって社会においてもよい影響を与えるような気がする。あくまでも、そんな気がするということでしかないのだが…。
個人的には2時間超の映画はどうしても長く感じてしまうのだが、この映画に関しては長さなど微塵も感じなかった。内容が濃密であったからだろう。しかしそれよりも、展開のテンポの良さと、徐々に感情を高めていくような映像展開が大きな要因だったような気がする。終幕すると、感情が幅広く揺さぶられたためか、かなりの疲労感を感じた。
重々しい内容であり、映画という形式上、最初から終わりまで有無を言わさずにノンストップであるわけで、漫画などのように自由に途中で休憩というわけにはいかない。苦痛や忍耐といったものを与えないための工夫、所々で挿入されるイメージ映像、それらは決して無意味とか無関係なものではなく、あくまで関係するイメージでありながら一つの息抜きとして気を緩めることができるわけで、そのタイミングも絶妙であったように思う。それ故に飽きることなく最後まで見続けることができたのだろう。
息抜きとはいえ、重々しい事柄に関連するものであるわけだから、集中力を余計に持っていかれる分、疲労感も激しいという結果になるのだが──。
至極普通の話。障害者という特別な存在になりそうなキャラクターもあくまで一つのコマに過ぎない。劇的な出来事が起こるわけでもなく、それでも最後まで惹きつけられてしまったというその最たる要因は、繰り返しになってしまうけれども、やはり丁寧に仕上げられた絵づくりにあると思う。
原作は高く評価されているコミックであり、アニメにするにはうってつけ。しかし、その原作に頼り切ることなく、あくまで映像表現の追求というものを感じた。そういった意味では原作とは別の作品が生まれているといえるのかもしれない。
原作を愛する者にとっては、もしかしたら「けしからん!」ということになるのかもしれないが、映画にするというのであれば一つの確立した作品を仕上げてほしいと、個人的には思っている。アニメーションにおける演出というものを強く感じさせる映画であった。映画として素晴らしい作品だと思う。
スーサイド・スクワッド
スーサイド・スクワッド(2016年・アメリカ)
原題:Suicide Squad
公開日:(米)2016年8月5日 (日)2016年9月10日
配給:ワーナー・ブラザース映画
時間:123分
監督:デビッド・エアー
脚本:デビッド・エアー
出演:ウィル・スミス(フロイド・ロートン/デッドショット)
ジャレッド・レト(ジョーカー)
マーゴット・ロビー(ハーリーン・クインゼル/ハーレイ・クイン)
ジョエル・キナマン(リック・フラッグ)
ビオラ・デイビス(アマンダ・ウォーラー)
ジェイ・コートニー(ディガー・ハークネス/キャプテン・ブーメラン)
ジェイ・ヘルナンデス(チャト・サンタナ/エル・ディアブロ)
アドウェール・アキノエ=アグバエ(ウェイロン・ジョーンズ/キラークロック)
アイク・バリンホル(ツグリッグス)
スコット・イーストウッド(GQ・エドワーズ)
カーラ・デルビーニュ(ジューン・ムーン/エンチャントレス)
アダム・ビーチ(クリストファー・ワイス/スリップノット)
福原かれん(タツ・ヤマシロ/カタナ) ほか
製作:チャールズ・ローベン、リチャード・サックル
製作総指揮:ザック・スナイダー、デボラ・スナイダー、コリン・ウィルソン、ジェフ・ジョンズ
撮影:ロマン・バシャノフ
美術:オリバー・スコール
衣装:ケイト・ホーリー
編集:ジョン・ギルロイ
音楽:スティーブン・プライス
音楽監修:シーズン・ケント、ゲイブ・ヒルファー
視覚効果監修ジェローム・チェン
鑑賞日:2016年9月13日
場所:TOHOシネマズ新宿 スクリーン10(IMAX3D) F-17
■ ストーリー
スーパーマンの命を絶たれ、世界は新たに悪と戦うヒーローを求めていた。アメリカ政府は急ぎ新たな特殊チームを編成する。通称スーサイド・スクワッド(自殺部隊)──それは凶悪犯罪の受刑者たちから成る、悪党集団だった。
ほどなく、世界の危機につながりかねない現象が発生し、スーサイド・スクワッドの出動命令が発せられる。それは、凶悪犯を獄中から外へ放つことを意味する。しかし彼らは容易に逃亡することができない。なぜならば、彼らの首に取り付けられた超小型爆弾が常に彼らを束縛していたからだ。逃げ出せば爆破され、体から頭が消え去ってしまう。
世界の危機を救うためには、凶悪犯個々の能力が必要だった。彼らをコントロールし悪を取り除く、まさに悪をもって悪を制す──。
果たして、政府の思惑通り、スーサイド・スクワッドは人類を救ってくれるのか!?
「バッドマン」や「スーパーマン」のヒーローと対峙した悪役たちが活躍する。
▶ 映画館環境
TOHOシネマズ新宿のスクリーン10は座席数311のIMAXシアター。個人的に今最も好きな劇場。特にF列は足元が広くて手すりなど障害物もないので、必ずその列の席を取ることにしている。今回もF−17をゲット。ほぼ真ん中の席。F列の8〜26であればどこでも満足いく迫力を堪能できる。
朝イチの上映とあってか、予想よりも観客少なめ。とはいえ6、7割の席は埋まっていたと記憶する。(フォースの覚醒のときは同劇場で午前2時3時の上映にもかかわらず、満員だったことを考えると、少ないか─)
▶ 作品レビュー
オープニングとエンディングの3Dアニメーションが、最もIMAX3Dの恩恵を受ける部分で、それ以外の本編に至っては、巨大スクリーンの3Dで見る価値を見いだせず。そうなると、素直に映画の中にも入ってくことができず、結果あまり面白いとも思えず。
期待値が強かった──と言っても、果たして自分は何を期待していたのか…。DCコミックにも精通しているわけでもなく、特段3Dに対して特別な思い入れもなく…。ただ、3D上映でしかもIMAXシアターでの上映となると、いつも以上に観賞への期待値が上がってしまうわけで、その気持ちを満たしてくれるか否かは、結局は内容に満足するかであるような気がする。というわけで、作品の内容に満足できなかったというのが率直な感想。
この映画に惹かれた最たる要因は、ファッション性──ポスターのビジュアルとか、予告などでのハーレイ・クインの立ち居振る舞いに一目惚れしたようなもの。出だしのオープニングや劇中で流れるポピュラー音楽などを聴くに至り、その期待は決して裏切らないもので、むしろ自分の中で“してやったり!”という気持ちにも一瞬なったもののそれは時期尚早であったわけで、デッドショット(ウィル・スミス)やハーレイ・クイン(マーゴット・ロビー)と主要なキャラクターが登場してくるにしたがい、自分の中の期待値というか満足感というものがどんどん下がっていき、最終的にはただ画面を眺めていたといった感じ。
何故それほど失望してしまったかというと、カラフルであるはずのキャラクターの個性が完全に画面のなかに静かに収まってしまっているという印象を持ってしまったから。色味も姿形も、動きも、すべてにおいてあまりにも均一化されすぎている印象。
ド派手なタイトルバックや、新旧入り乱れて流れるロックやヒップポップの音楽のように、キャラクターもギラギラしてほしかったところなのだが、完全に正義の味方にしか見えなかったところがこの作品の価値を半減させているように思う。
チームということへの拘りなのか、作品の世界観への拘りなのか、あるいはその両方ともなのか、勝手に想像するしかないのだが、個人的にはビジュアルだけで攻めてほしかったと思ってしまう。
個人的には、1980年代のオリジナルサウンドトラックとリンクさせてプロモーションしていた映画のようなものを感じ、とにかく表面的なもので見ているものを魅了してほしいと思っていたわけだが、派手なCGが際立つだけで、勧善懲悪ではないのにまるで勧善懲悪のごとく話が展開していくのみで、行儀よく作品が収まってしまったなあという感想。
乱暴にいってしまうと、Spirit in the skyのようなサイケデリックで危険な世界観を思い描いていたところが、あくまで最近よく目にするアメコミ映画のひとつでしかないといった印象で、恐らくこれから先、雑多な作品群の中にかすんでいくのだろうと予想するのみ。
最後になっても勝手な見解を言ってしまうのだが、本編の彩度をギラつかせるだけでも全く違った作品になったと思うし、むしろそうあってほしかった、せめてそうあってほしかった、と思うところなのだが、それは大きな冒険ということになるのだろう。巨大な資金力からなる映画作品においては、なかなか極端な演出というのは難しいのかもしれない。
とまぁ、なんだか批判的な事柄しか述べてこなかったけれど、音楽含めこの映画を楽しめたことは確かなこと。単に作品に対する期待が大きかっただけのこと。残念ながら、その期待を満たすことはなかったけれど、決して裏切るものでもなかった。
世界的な興収においても成功しているようだし、多くの観客を惹きつけるという大作エンターテインメントの使命は果たしていると言える。
自分のような、偏った、ねじ曲がった願望など無視されて当然なわけで、悪党が逆にヒーローになるといった少し変わった映画ではあるものの、結果的には王道を行く作品でありその役割を十分に果たしていた。映画という娯楽をこれからも盛り上がる上で、必要不可欠な作品だろう。
原題:Suicide Squad
公開日:(米)2016年8月5日 (日)2016年9月10日
配給:ワーナー・ブラザース映画
時間:123分
監督:デビッド・エアー
脚本:デビッド・エアー
出演:ウィル・スミス(フロイド・ロートン/デッドショット)
ジャレッド・レト(ジョーカー)
マーゴット・ロビー(ハーリーン・クインゼル/ハーレイ・クイン)
ジョエル・キナマン(リック・フラッグ)
ビオラ・デイビス(アマンダ・ウォーラー)
ジェイ・コートニー(ディガー・ハークネス/キャプテン・ブーメラン)
ジェイ・ヘルナンデス(チャト・サンタナ/エル・ディアブロ)
アドウェール・アキノエ=アグバエ(ウェイロン・ジョーンズ/キラークロック)
アイク・バリンホル(ツグリッグス)
スコット・イーストウッド(GQ・エドワーズ)
カーラ・デルビーニュ(ジューン・ムーン/エンチャントレス)
アダム・ビーチ(クリストファー・ワイス/スリップノット)
福原かれん(タツ・ヤマシロ/カタナ) ほか
製作:チャールズ・ローベン、リチャード・サックル
製作総指揮:ザック・スナイダー、デボラ・スナイダー、コリン・ウィルソン、ジェフ・ジョンズ
撮影:ロマン・バシャノフ
美術:オリバー・スコール
衣装:ケイト・ホーリー
編集:ジョン・ギルロイ
音楽:スティーブン・プライス
音楽監修:シーズン・ケント、ゲイブ・ヒルファー
視覚効果監修ジェローム・チェン
鑑賞日:2016年9月13日
場所:TOHOシネマズ新宿 スクリーン10(IMAX3D) F-17
■ ストーリー
スーパーマンの命を絶たれ、世界は新たに悪と戦うヒーローを求めていた。アメリカ政府は急ぎ新たな特殊チームを編成する。通称スーサイド・スクワッド(自殺部隊)──それは凶悪犯罪の受刑者たちから成る、悪党集団だった。
ほどなく、世界の危機につながりかねない現象が発生し、スーサイド・スクワッドの出動命令が発せられる。それは、凶悪犯を獄中から外へ放つことを意味する。しかし彼らは容易に逃亡することができない。なぜならば、彼らの首に取り付けられた超小型爆弾が常に彼らを束縛していたからだ。逃げ出せば爆破され、体から頭が消え去ってしまう。
世界の危機を救うためには、凶悪犯個々の能力が必要だった。彼らをコントロールし悪を取り除く、まさに悪をもって悪を制す──。
果たして、政府の思惑通り、スーサイド・スクワッドは人類を救ってくれるのか!?
「バッドマン」や「スーパーマン」のヒーローと対峙した悪役たちが活躍する。
▶ 映画館環境
TOHOシネマズ新宿のスクリーン10は座席数311のIMAXシアター。個人的に今最も好きな劇場。特にF列は足元が広くて手すりなど障害物もないので、必ずその列の席を取ることにしている。今回もF−17をゲット。ほぼ真ん中の席。F列の8〜26であればどこでも満足いく迫力を堪能できる。
朝イチの上映とあってか、予想よりも観客少なめ。とはいえ6、7割の席は埋まっていたと記憶する。(フォースの覚醒のときは同劇場で午前2時3時の上映にもかかわらず、満員だったことを考えると、少ないか─)
▶ 作品レビュー
オープニングとエンディングの3Dアニメーションが、最もIMAX3Dの恩恵を受ける部分で、それ以外の本編に至っては、巨大スクリーンの3Dで見る価値を見いだせず。そうなると、素直に映画の中にも入ってくことができず、結果あまり面白いとも思えず。
期待値が強かった──と言っても、果たして自分は何を期待していたのか…。DCコミックにも精通しているわけでもなく、特段3Dに対して特別な思い入れもなく…。ただ、3D上映でしかもIMAXシアターでの上映となると、いつも以上に観賞への期待値が上がってしまうわけで、その気持ちを満たしてくれるか否かは、結局は内容に満足するかであるような気がする。というわけで、作品の内容に満足できなかったというのが率直な感想。
この映画に惹かれた最たる要因は、ファッション性──ポスターのビジュアルとか、予告などでのハーレイ・クインの立ち居振る舞いに一目惚れしたようなもの。出だしのオープニングや劇中で流れるポピュラー音楽などを聴くに至り、その期待は決して裏切らないもので、むしろ自分の中で“してやったり!”という気持ちにも一瞬なったもののそれは時期尚早であったわけで、デッドショット(ウィル・スミス)やハーレイ・クイン(マーゴット・ロビー)と主要なキャラクターが登場してくるにしたがい、自分の中の期待値というか満足感というものがどんどん下がっていき、最終的にはただ画面を眺めていたといった感じ。
何故それほど失望してしまったかというと、カラフルであるはずのキャラクターの個性が完全に画面のなかに静かに収まってしまっているという印象を持ってしまったから。色味も姿形も、動きも、すべてにおいてあまりにも均一化されすぎている印象。
ド派手なタイトルバックや、新旧入り乱れて流れるロックやヒップポップの音楽のように、キャラクターもギラギラしてほしかったところなのだが、完全に正義の味方にしか見えなかったところがこの作品の価値を半減させているように思う。
チームということへの拘りなのか、作品の世界観への拘りなのか、あるいはその両方ともなのか、勝手に想像するしかないのだが、個人的にはビジュアルだけで攻めてほしかったと思ってしまう。
個人的には、1980年代のオリジナルサウンドトラックとリンクさせてプロモーションしていた映画のようなものを感じ、とにかく表面的なもので見ているものを魅了してほしいと思っていたわけだが、派手なCGが際立つだけで、勧善懲悪ではないのにまるで勧善懲悪のごとく話が展開していくのみで、行儀よく作品が収まってしまったなあという感想。
乱暴にいってしまうと、Spirit in the skyのようなサイケデリックで危険な世界観を思い描いていたところが、あくまで最近よく目にするアメコミ映画のひとつでしかないといった印象で、恐らくこれから先、雑多な作品群の中にかすんでいくのだろうと予想するのみ。
最後になっても勝手な見解を言ってしまうのだが、本編の彩度をギラつかせるだけでも全く違った作品になったと思うし、むしろそうあってほしかった、せめてそうあってほしかった、と思うところなのだが、それは大きな冒険ということになるのだろう。巨大な資金力からなる映画作品においては、なかなか極端な演出というのは難しいのかもしれない。
とまぁ、なんだか批判的な事柄しか述べてこなかったけれど、音楽含めこの映画を楽しめたことは確かなこと。単に作品に対する期待が大きかっただけのこと。残念ながら、その期待を満たすことはなかったけれど、決して裏切るものでもなかった。
世界的な興収においても成功しているようだし、多くの観客を惹きつけるという大作エンターテインメントの使命は果たしていると言える。
自分のような、偏った、ねじ曲がった願望など無視されて当然なわけで、悪党が逆にヒーローになるといった少し変わった映画ではあるものの、結果的には王道を行く作品でありその役割を十分に果たしていた。映画という娯楽をこれからも盛り上がる上で、必要不可欠な作品だろう。
ティエリー・トグルドーの憂鬱
ティエリー・トグルドーの憂鬱(2015年・フランス)
原題:La loi du marche
公開日:(仏)2015年5月19日 (日)2016年8月27日
配給:(仏)Diaphana Films (日)熱帯美術館
時間:93分
監督:ステファヌ・ブリゼ
出演:バンサン・ランドン(ティエリー・トグルドー)
イブ・オリィ(ハローワークカウンセラー)
カリーヌ・ドゥ・ミルベック(ティエリーの妻)
マチュー・シャレール(ティエリーの息子)
グザビエ・マシュー(組合の同僚)
ノエル・マイロ(ダンス教師)
カトリーヌ・サン=ボネ(銀行マネージャー) ほか
製作:クリストフ・ロシニョン、フィリップ・ボエファール
脚本:ステファヌ・ブリゼ、オリビエ・ゴルス
撮影:エリック・デュモン
美術:バレリー・サラジャン
衣装:アン・ダンスフォード、ディアーヌ・デュソー
鑑賞日:2016年9月7日
場所:ヒューマントラストシネマ渋谷 シアター1 I-11
■ ストーリー
ティエリー・トグルドー、51歳。失業中で、共に暮らす妻と障害のある息子を養うため、必死に職を探していた。
ハローワークにも理不尽な対応をされ、面接や履歴書のカウンセリングを受けても一方的に批判されるだけで、全てがうまくいかない。
ようやく、スーパーマーケットの監視員という職を得る。それは客の万引きを防止するとともに、従業員の不正も監視するものだった。
幾度となく万引きする客を捕まえ、そして筋の通らない言い訳をされた。それでも何とか仕事に慣れ、生活にも余裕が持てるようになる。
しばらくたつと、従業員の不正が発覚する。それをめぐり、またもや筋の通らない言い訳や、会社側の理不尽な対応というものに直面する。
そしてその時、ティエリー・トグルドーは──。
▶ 映画館環境
ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1は座席数200、スクリーンサイズはビスタサイズ 4.9×2.6m /シネスコ 6.3×2.6m と中規模な劇場。
I列は後ろから二列目。この劇場はI列がベスト。I−11席はスクリーン中央。傾斜が比較的少ない劇場だけに、やや前方の席が気になるところだが、中央付近であれば後方でも十分に迫力ある映像を堪能できる。
水曜日の男女ともにサービスデーという日であったためか、平日にもかかわらず、非常に観客が多かった。年配中心、まあ内容が内容なだけに納得の客層。
▶ 作品レビュー
まさに、ティエリー・トグルドーの憂鬱が淡々と続く。
クロースアップ中心に構成された映像は、奥行きを失い平面的。それ故の功罪を挙げると──“憂鬱”という感情が非常によく伝わってくるものの、観賞する上では非常に退屈なもの。相当な覚悟、あるいは志といったものが必要となる。かく言う自分も、激しい睡魔と闘い続けた。当たり前のことではあるけれど、憂鬱というものは見ていて楽しいものではない。
社会的な不安や理不尽さというものは、もはやワールドワイドだと実感する。バカ正直に生きていくことは、愚かなことでしかないのだろうか。誠実の象徴として描かれているティエリー・トグルドーの姿を見ていると、この世の中に全く希望を持つことができない。
そう感じざるを得ないところがこの作品の凄さなのだろう。非現実的なハッピーエンドすら皆無であり、最後の最後まで社会の告発を目論んだように感じた。
しかも、いわゆる映画音楽というものは皆無であり、それがさらに退屈観を募らせる。あくまでリアルな目線で、ティエリー・トグルドーという個人を通して巻き起こる小さな出来事が続くだけ。劇的な出来事など何も起こらない。それ故に尚更、見ているこちら側が能動的に映像が語る事柄を捉え、頭の中で必死に思考しながら鑑賞せねばならない映画かもしれない。
普段、我々がテレビや映画を楽しむ際、常に受け身の姿勢で映像を捉える癖がついてしまっている。見る者を離さないよう工夫された映像は魅力的であり、丁寧に作り込まれている映像であればあるほど見ている側の喜怒哀楽が出るというもの。称賛される映像作品は、自然と感情に訴えかけてくるものだ、と多くの人は言うことだろう。
この作品は、こちらが懸命に思考しなければ、映像に対する感情は何も生まれてこない。受動的にただ漫然と画面を眺めているだけでは、単に醜悪な映像が流されているものと判断されるのかもしれない。そうなってしまうと、この作品はつまらないもの、酷いもの、最悪な映画と見なされてしまうわけで、その危険性の方が大きいといえるだろう。
眠りに落ちればまだ幸い、眠ることができなければある種拷問…そんな酷い感情を持たないように、普段から映像に飼い慣らされないような努力をしておきたいところ。洗脳というものを避ける意味でも、賢明な訓練だと思うのだが──。
思考しながら鑑賞することで、この作品が訴えかける何かをつかめるかもしれない。ぜひつかんでほしいところ。かく言う自分も、なかなか的確にすべてをとらえ切れたとは言い難い。非常に難しい映画─。しかし、臆することなくこのような果敢に気むずかしいヨーロッパ映画に立ち向かっていこう、と改めて思っている。
原題:La loi du marche
公開日:(仏)2015年5月19日 (日)2016年8月27日
配給:(仏)Diaphana Films (日)熱帯美術館
時間:93分
監督:ステファヌ・ブリゼ
出演:バンサン・ランドン(ティエリー・トグルドー)
イブ・オリィ(ハローワークカウンセラー)
カリーヌ・ドゥ・ミルベック(ティエリーの妻)
マチュー・シャレール(ティエリーの息子)
グザビエ・マシュー(組合の同僚)
ノエル・マイロ(ダンス教師)
カトリーヌ・サン=ボネ(銀行マネージャー) ほか
製作:クリストフ・ロシニョン、フィリップ・ボエファール
脚本:ステファヌ・ブリゼ、オリビエ・ゴルス
撮影:エリック・デュモン
美術:バレリー・サラジャン
衣装:アン・ダンスフォード、ディアーヌ・デュソー
鑑賞日:2016年9月7日
場所:ヒューマントラストシネマ渋谷 シアター1 I-11
■ ストーリー
ティエリー・トグルドー、51歳。失業中で、共に暮らす妻と障害のある息子を養うため、必死に職を探していた。
ハローワークにも理不尽な対応をされ、面接や履歴書のカウンセリングを受けても一方的に批判されるだけで、全てがうまくいかない。
ようやく、スーパーマーケットの監視員という職を得る。それは客の万引きを防止するとともに、従業員の不正も監視するものだった。
幾度となく万引きする客を捕まえ、そして筋の通らない言い訳をされた。それでも何とか仕事に慣れ、生活にも余裕が持てるようになる。
しばらくたつと、従業員の不正が発覚する。それをめぐり、またもや筋の通らない言い訳や、会社側の理不尽な対応というものに直面する。
そしてその時、ティエリー・トグルドーは──。
▶ 映画館環境
ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1は座席数200、スクリーンサイズはビスタサイズ 4.9×2.6m /シネスコ 6.3×2.6m と中規模な劇場。
I列は後ろから二列目。この劇場はI列がベスト。I−11席はスクリーン中央。傾斜が比較的少ない劇場だけに、やや前方の席が気になるところだが、中央付近であれば後方でも十分に迫力ある映像を堪能できる。
水曜日の男女ともにサービスデーという日であったためか、平日にもかかわらず、非常に観客が多かった。年配中心、まあ内容が内容なだけに納得の客層。
▶ 作品レビュー
まさに、ティエリー・トグルドーの憂鬱が淡々と続く。
クロースアップ中心に構成された映像は、奥行きを失い平面的。それ故の功罪を挙げると──“憂鬱”という感情が非常によく伝わってくるものの、観賞する上では非常に退屈なもの。相当な覚悟、あるいは志といったものが必要となる。かく言う自分も、激しい睡魔と闘い続けた。当たり前のことではあるけれど、憂鬱というものは見ていて楽しいものではない。
社会的な不安や理不尽さというものは、もはやワールドワイドだと実感する。バカ正直に生きていくことは、愚かなことでしかないのだろうか。誠実の象徴として描かれているティエリー・トグルドーの姿を見ていると、この世の中に全く希望を持つことができない。
そう感じざるを得ないところがこの作品の凄さなのだろう。非現実的なハッピーエンドすら皆無であり、最後の最後まで社会の告発を目論んだように感じた。
しかも、いわゆる映画音楽というものは皆無であり、それがさらに退屈観を募らせる。あくまでリアルな目線で、ティエリー・トグルドーという個人を通して巻き起こる小さな出来事が続くだけ。劇的な出来事など何も起こらない。それ故に尚更、見ているこちら側が能動的に映像が語る事柄を捉え、頭の中で必死に思考しながら鑑賞せねばならない映画かもしれない。
普段、我々がテレビや映画を楽しむ際、常に受け身の姿勢で映像を捉える癖がついてしまっている。見る者を離さないよう工夫された映像は魅力的であり、丁寧に作り込まれている映像であればあるほど見ている側の喜怒哀楽が出るというもの。称賛される映像作品は、自然と感情に訴えかけてくるものだ、と多くの人は言うことだろう。
この作品は、こちらが懸命に思考しなければ、映像に対する感情は何も生まれてこない。受動的にただ漫然と画面を眺めているだけでは、単に醜悪な映像が流されているものと判断されるのかもしれない。そうなってしまうと、この作品はつまらないもの、酷いもの、最悪な映画と見なされてしまうわけで、その危険性の方が大きいといえるだろう。
眠りに落ちればまだ幸い、眠ることができなければある種拷問…そんな酷い感情を持たないように、普段から映像に飼い慣らされないような努力をしておきたいところ。洗脳というものを避ける意味でも、賢明な訓練だと思うのだが──。
思考しながら鑑賞することで、この作品が訴えかける何かをつかめるかもしれない。ぜひつかんでほしいところ。かく言う自分も、なかなか的確にすべてをとらえ切れたとは言い難い。非常に難しい映画─。しかし、臆することなくこのような果敢に気むずかしいヨーロッパ映画に立ち向かっていこう、と改めて思っている。
planetarian 〜星の人〜
planetarian 〜星の人〜(2016年)
公開日:2016年9月3日
配給:アスミック・エース
時間:117分
監督:津田尚克
原作:「planetarian ちいさなほしのゆめ」(Key)
脚本:ヤスカワショウゴ、津田尚克
出演:すずきけいこ(ほしのゆめみ)
小野大輔(星の人/青年時代)
櫛田泰道(三ヶ島五朗)
滝知史(館長)
佐藤利奈(倉橋里美)
篠塚勝
福沙奈恵(レビ)
日笠陽子(ヨブ)
津田美波(ルツ)
石上静香(イザヤ)
桑原由気(エレミヤ)
竹口安芸子(エズラ)
大木民夫(星の人) ほか
シリーズディレクター:中山勝一、町谷俊輔
原作協力:Key、ビジュアルアーツ
キャラクター原案:駒都えーじ
キャラクターデザイン:竹知仁美
メカニックデザイン:海老川兼武
プロップデザイン:内田シンヤ
美術設定:泉寛
色彩設計:佐藤裕子
美術監督:竹田悠介、杉山祐子、荒井和浩
3Dディレクター:長澤洋二
撮影監督:渡辺有正、関谷能弘
編集:廣瀬清志
音響監督:津田尚克
音響効果:小山恭正
音楽:折戸伸治、どんまる、竹下智博
主題歌:Lia
アニメーション制作:david production
鑑賞日:2016年9月7日
場所:TOHOシネマズ新宿 Screen6 H7
■ Introduction(公式HPより)
世界大戦後の降りやまない雨の世界。細菌兵器の影響で、人々に見捨てられた最も危険な街【封印都市】。
その、デパートのプラネタリウムに、ロボットの少女がいた。彼女の名前は“ほしのゆめみ”。
彼女はプラネタリウムの解説員で、1年間にたった7日間しか稼働することができない壊れかけのロボットだった。
そこで彼女は、30年間いつか誰かが訪れることを信じて、1人誰もいないこの世界で待ち続けた。
そして、30年目の目覚めたその日に、彼女の前に1人の男が現れた。
突如現れたロボットに警戒する男・“屑屋”。
貴重物資を回収することを生業とする彼は、【封印都市】に潜入中、
都市を徘徊する戦闘機械(メンシェン・イェーガー)の襲撃にあい、このプラネタリウムに迷い込んだのだった。
大戦の影響で、星すら見えなくなった滅びゆくこの世界で、彼はそこで何を見るのか。
1年で7日間しか稼働できないロボットの少女が、目覚めたまさにその日に訪れた偶然。
そこで起こった奇跡とは──。
■ Story(公式HPー星の人ーより)
始まりは、どこかの国が放った遺伝子細菌兵器であった。やがて、その報復として核弾頭が使われ終わりのない世界大戦がはじまった。地上では星すら見えなくなり、雨が降り続く世界へと変わっていった。滅びゆく世界の中、空から降り続ける雨は、気が付けば雪へと変わり人々の暮らしは地下へと移っていった。
かつて貴重物資を回収することを生業とし“屑屋”と名乗っていた男は、若いころあることがきっかけで、多くの人々に星の素晴らしさを伝えるようになり、訪れる集落で星の世界を語り継いでいった。いつしか人々は彼のことを“星の人”と呼び、敬うようになった。そんな彼は、ただ一つの“心残り”を持ちながら、世界を旅していたが、志半ばにして行き倒れてしまう。
一方、地下集落に住むレビ、ヨブ、ルツは外の世界に興味津々。大人たちに隠れて、地下の集落から抜け出て外の世界を探索していた。降り積もる雪の世界の中で興奮冷めやらぬ中、三人は埋もれていた一人の老人を発見する。
彼は、三人に助けられて、無事一命をとりとめた。そして、村の長エズラと話をしていく中で、彼が星の人と分かり歓迎されることになる。
無邪気に話しかけてくる、レビ、ヨブ、ルツ。三人と話していくうちに、若いころ自身が訪れた【封印都市】のことを思いだしていった。そこは、世界大戦初期の遺伝子細菌兵器の影響で、人々から放棄された街。彼は、まだ見ぬお宝を求めて、探索していた最中、追跡していく戦闘機械(メンシェン・イェーガー)から逃れて、デパートのプラネタリウムに迷い込んだのだった。
そんな彼の前に、一人のロボットの少女が現れた―
星すら見えなくなった滅びゆく世界で、彼は何を見たのか。
▶ 映画館環境
TOHOシネマズ新宿 SCREEN6 座席数119 スクリーンサイズ4.6×11.0m
H7は最後列、スクリーン向かってやや左側の席。個人的にはベストな席。
平日の昼上映、比較的空いていたが、予想以上に人がいた。ほぼ男子。若者中心。
▶ 作品レビュー
特筆すべきものを見いだせなかったアニメーション映画。普段から星にもプラネタリウムにも興味を持てないでいる自分のような者にとってしてみれば、内容に感情移入することも難しく、その興味はほぼ絵そのものに向かうわけだが、制作側の思い入れを感じるのはアンドロイドとして登場する、ほしのゆめみ、のみ。その一番際立ったキャラクターにもそれほど魅力を感じることができず、辛く長い時間を堪え忍んだ思い。
何よりも、ストーリーの構成の仕方にも不満を感じた。基本的に過去と現在を行き来しながら展開する話だが、その絡み合いが上手くない。現在、過去、現在、過去、現在、という具合に完全に分割された流れには、すべてにおいて怠惰なものを感じてしまう。過去と現在は完全に分断されており、確固とした関連性があるはずなのに、作品の世界観の中に時間軸の連なりを見いだすことが困難となっている。そう感じてしまうのは、絵そのもののまずさにも由来しているのではなかろうか。例えば、星の人の過去と現在が、どうしても同一人物と見なすことができない描写に、非常に憤りを感じてしまった。足のケガという記号だけで過去と現在をつなげようとしているのが見え見えで、それ故に見ているこちらが拒絶してしまう。この老いぼれはあの刺々しい若僧などではない、といった具合に…。そしてその延長で、金の卵たる子どもらの未来など、全く想像することもできない。未来への小さな希望ということが作品の大きなテーマになっているような気がするものの、その未来を想像させてくれる刺激がない。そして、プラネタリウムに思い入れのない自分にとっては、その子どもらが受け継いで行くものへの希望など全く感じることもできないわけで、文明が廃れた世界観のなかで救いようのないきれい事がただただ展開されているのみとしか映らなかった。
酷い言いぐさかもしれないけれど、あくまで個人的な見解。
映画の上映前に、ちいさなほしのゆめ、と題された小分けされたストーリーがネット配信されていたようだが、自分はそれを見ずに観賞した。もしかしたら、それを見てから劇場版を見たなら、より深くストーリーの背景など感じることができたかもしれないけれど、それにしても劇場版における構成の仕方にはもっと工夫が必要だと思う。結果でどうにかしよう、感動させようとしても、決して泣けない。押しつけがましい感動を与えられたような気がする。ちょうど、子どものころに昔話を聞かされて分かっていても素直に受け入れられない感情といったところだろうか──(分かりづらいかな…)。ただ、最後の最後に、ほしのゆめみをもう一度見たいとは思った。でも、ただそれだけのこと。
公開日:2016年9月3日
配給:アスミック・エース
時間:117分
監督:津田尚克
原作:「planetarian ちいさなほしのゆめ」(Key)
脚本:ヤスカワショウゴ、津田尚克
出演:すずきけいこ(ほしのゆめみ)
小野大輔(星の人/青年時代)
櫛田泰道(三ヶ島五朗)
滝知史(館長)
佐藤利奈(倉橋里美)
篠塚勝
福沙奈恵(レビ)
日笠陽子(ヨブ)
津田美波(ルツ)
石上静香(イザヤ)
桑原由気(エレミヤ)
竹口安芸子(エズラ)
大木民夫(星の人) ほか
シリーズディレクター:中山勝一、町谷俊輔
原作協力:Key、ビジュアルアーツ
キャラクター原案:駒都えーじ
キャラクターデザイン:竹知仁美
メカニックデザイン:海老川兼武
プロップデザイン:内田シンヤ
美術設定:泉寛
色彩設計:佐藤裕子
美術監督:竹田悠介、杉山祐子、荒井和浩
3Dディレクター:長澤洋二
撮影監督:渡辺有正、関谷能弘
編集:廣瀬清志
音響監督:津田尚克
音響効果:小山恭正
音楽:折戸伸治、どんまる、竹下智博
主題歌:Lia
アニメーション制作:david production
鑑賞日:2016年9月7日
場所:TOHOシネマズ新宿 Screen6 H7
■ Introduction(公式HPより)
封印都市の忘れられたプラネタリウム。
そこに迷い込んだ男が出会ったロボットの少女、星に導かれた奇跡の物語
その、デパートのプラネタリウムに、ロボットの少女がいた。彼女の名前は“ほしのゆめみ”。
彼女はプラネタリウムの解説員で、1年間にたった7日間しか稼働することができない壊れかけのロボットだった。
そこで彼女は、30年間いつか誰かが訪れることを信じて、1人誰もいないこの世界で待ち続けた。
そして、30年目の目覚めたその日に、彼女の前に1人の男が現れた。
「おめでとうございますっ!あなたはちょうど、250万人目のお客様です!」
突如現れたロボットに警戒する男・“屑屋”。
貴重物資を回収することを生業とする彼は、【封印都市】に潜入中、
都市を徘徊する戦闘機械(メンシェン・イェーガー)の襲撃にあい、このプラネタリウムに迷い込んだのだった。
「プラネタリウムはいかがでしょう。
どんな時も決して消えることのない、美しい無窮のきらめき……。
満天の星々がみなさまをお待ちしています」
1年で7日間しか稼働できないロボットの少女が、目覚めたまさにその日に訪れた偶然。
そこで起こった奇跡とは──。
■ Story(公式HPー星の人ーより)
男は世界中を旅していた。一つの探し物を求めて──
かつて貴重物資を回収することを生業とし“屑屋”と名乗っていた男は、若いころあることがきっかけで、多くの人々に星の素晴らしさを伝えるようになり、訪れる集落で星の世界を語り継いでいった。いつしか人々は彼のことを“星の人”と呼び、敬うようになった。そんな彼は、ただ一つの“心残り”を持ちながら、世界を旅していたが、志半ばにして行き倒れてしまう。
一方、地下集落に住むレビ、ヨブ、ルツは外の世界に興味津々。大人たちに隠れて、地下の集落から抜け出て外の世界を探索していた。降り積もる雪の世界の中で興奮冷めやらぬ中、三人は埋もれていた一人の老人を発見する。
彼は、三人に助けられて、無事一命をとりとめた。そして、村の長エズラと話をしていく中で、彼が星の人と分かり歓迎されることになる。
「あなたを歓迎します、星の人」
そんな彼の前に、一人のロボットの少女が現れた―
「プラネタリウムはいかがでしょう。
どんな時も決して消えることのない、美しい無窮のきらめき……。
満天の星々がみなさまをお待ちしています」
1人の男が生涯を賭して旅する中で、出会ったものとは──。
▶ 映画館環境
TOHOシネマズ新宿 SCREEN6 座席数119 スクリーンサイズ4.6×11.0m
H7は最後列、スクリーン向かってやや左側の席。個人的にはベストな席。
平日の昼上映、比較的空いていたが、予想以上に人がいた。ほぼ男子。若者中心。
▶ 作品レビュー
特筆すべきものを見いだせなかったアニメーション映画。普段から星にもプラネタリウムにも興味を持てないでいる自分のような者にとってしてみれば、内容に感情移入することも難しく、その興味はほぼ絵そのものに向かうわけだが、制作側の思い入れを感じるのはアンドロイドとして登場する、ほしのゆめみ、のみ。その一番際立ったキャラクターにもそれほど魅力を感じることができず、辛く長い時間を堪え忍んだ思い。
何よりも、ストーリーの構成の仕方にも不満を感じた。基本的に過去と現在を行き来しながら展開する話だが、その絡み合いが上手くない。現在、過去、現在、過去、現在、という具合に完全に分割された流れには、すべてにおいて怠惰なものを感じてしまう。過去と現在は完全に分断されており、確固とした関連性があるはずなのに、作品の世界観の中に時間軸の連なりを見いだすことが困難となっている。そう感じてしまうのは、絵そのもののまずさにも由来しているのではなかろうか。例えば、星の人の過去と現在が、どうしても同一人物と見なすことができない描写に、非常に憤りを感じてしまった。足のケガという記号だけで過去と現在をつなげようとしているのが見え見えで、それ故に見ているこちらが拒絶してしまう。この老いぼれはあの刺々しい若僧などではない、といった具合に…。そしてその延長で、金の卵たる子どもらの未来など、全く想像することもできない。未来への小さな希望ということが作品の大きなテーマになっているような気がするものの、その未来を想像させてくれる刺激がない。そして、プラネタリウムに思い入れのない自分にとっては、その子どもらが受け継いで行くものへの希望など全く感じることもできないわけで、文明が廃れた世界観のなかで救いようのないきれい事がただただ展開されているのみとしか映らなかった。
酷い言いぐさかもしれないけれど、あくまで個人的な見解。
映画の上映前に、ちいさなほしのゆめ、と題された小分けされたストーリーがネット配信されていたようだが、自分はそれを見ずに観賞した。もしかしたら、それを見てから劇場版を見たなら、より深くストーリーの背景など感じることができたかもしれないけれど、それにしても劇場版における構成の仕方にはもっと工夫が必要だと思う。結果でどうにかしよう、感動させようとしても、決して泣けない。押しつけがましい感動を与えられたような気がする。ちょうど、子どものころに昔話を聞かされて分かっていても素直に受け入れられない感情といったところだろうか──(分かりづらいかな…)。ただ、最後の最後に、ほしのゆめみをもう一度見たいとは思った。でも、ただそれだけのこと。
ルドルフとイッパイアッテナ
ルドルフとイッパイアッテナ(2016年)
公開日:2016年8月6日
配給:東宝
時間:89分
監督:湯山邦彦、榊原幹典
原作:(作)斉藤洋原作(絵)杉浦範茂
脚本:加藤陽一
出演:井上真央(ルドルフ)
鈴木亮平(イッパイアッテナ)
水樹奈々(ミーシャ)
八嶋智人(ブッチー)
古田新太(デビル)
大塚明夫
寺崎裕香
佐々木りお
毒蝮三太夫(ダンプトラックの運転手)ほか
製作:中山良夫、市川南、鈴木伸育、峠義孝、沢桂一、薮下維也、中村美香
ゼネラルプロデューサー:奥田誠治
エグゼクティブプロデューサー:門屋大輔
企画:岩佐直樹
プロデュース:岩佐直樹
プロデューサー:坂美佐子、伊藤卓哉、星野恵
アニメーションプロデューサー:小林雅士
プロダクションマネージャー:富永賢太郎
CGスーパーバイザー:森泉仁智
アートディレクター:丸山竜郎
キャラクターデザイン:阿波パトリック徹
音響監督:三間雅文
主題歌:back number
制作プロダクション:Sprite Animation Studios、OLM、OLM Digital
鑑賞日:2016年9月7日
場所:TOHOシネマズ新宿 スクリーン12 I10
■ ストーリー
黒猫のルドルフは、日々、家でのお留守番ばかり。いつの日か飼い主と共に外出したいと願っていた。そんなある日、窓のすき間から外へ出ることに成功したルドルフは、必死に外出した飼い主を追う。しかし、運悪く見知らぬトラックの荷台に乗り込んでしまい、しかも気を失ってしまう。気が付くと、目の前には知らない大きな街が広がっていた。ルドルフは一地方から東京へと迷い込んでしまった。
突然、野良猫となってしまったルドルフ。行く当てもなく彷徨い続けていると、体の大きな先輩野良猫イッパイアッテナと出会い、2匹は行動を共にするようになる。
ルドルフは何とかしてもとの場所に戻ろうとする。そしてイッパイアッテナはその手助けをするため、あらゆることをルドルフに教えていく。そのうちにイッパイアッテナの意外な過去も知る。徐々に2匹の絆は深まっていくのだった。
他にも仲間が増えていく。みんなルドルフが帰ることができるように、協力してくれた。そしてついに、ルドルフがどこから来たのか、そして、そこへ帰る方法を見つけ出す。それは仲間との別れ、イッパイアッテナとの別れを意味していた。
ルドルフは旅立つ。そしてその旅立ちをきっかけに、イッパイアッテナと仲間たちの運命も大きく変わっていくのだった。
1987年刊行の名作児童文学「ルドルフとイッパイアッテナ」をフル3DCGアニメーションで映画化したもの。
▶ 映画館環境
TOHOシネマズ新宿 SCREEN12 座席数75 スクリーンサイズ2.8×6.6m
比較的小さな劇場。前方の3列ぐらいを避ければ、どの席でも大丈夫だと思う。
I10は最後列、スクリーン向かってやや右寄り、上りの階段正面の席。足元の自由は確保できるが、人の行き交いが多少気になるところが難点。もっとも、朝イチで見たこの回では、観賞者が自分を含め2人しかいなかったので、最高の開放感で作品を堪能できた。
▶ 作品レビュー
思ったよりも、CGが素晴らしかった。正直、プロモーションなどでの静止画を見るかぎりにおいては(ハリウッドなどと比べると)拙いCGなのだろうと思っていたわけで、ある意味日本のCGの駄目さ加減を確認するために見にいったようなもの。それが見事に、いい意味で裏切られた感じ。
おそらく、(個人的には史上最高だと思っている)ズートピアなどのCGとじっくり比較すると確実にこの和製フル3Dアニメーションは負けているとは思うけれども、それを全く感じさせないのは、カメラワークと光りなどの演出につきると思う。
ローアングルで普段見慣れない映像のダイナミズムに魅せられて、光りの明暗でうまい具合に質感をつくり出し、暗がりの場面が多い作品でも明確な暗さを感じさせながら暗さの中の描写もしっかりとしていて、この作品の絵作りにおける勝利を感じた。
とはいっても、話は単純。そして、子供向け。それ故に、余計なことを考えずに、一生懸命に作り上げられた絵を堪能できるとも言える。
原作はあくまで児童文学であり、内容も道徳的。野良猫の習性とか、動物の活動におけるリアリティーというものは半ば二の次であり、嘘っぽいところは盛りだくさん。そこを善とするか否かは個人差はあるだろうが、内容の細かいところにリアリティーを求めてしまうと、原作における趣旨がねじ曲げられるような気がする(─原作は読んでいないけれども、何となく原作は尊重しているんだろうなぁとは感じる作品)。
悪く言ってしまえば、子供だましであり、表面的な作品。流血だの、猫に対する接し方だの、現実世界で切り離せないリアルな面がたくさん削ぎ落とされているとこは否めない。しかし、(繰り返しになるかもしれないけれど)童話をアニメ化したものであって、きれい事だけをうまい具合に綴っているわけで、決して社会における問題を伝えようとする作品などではないという前提で見なければ、物足りないんだろうなあ、とは思う。何も子供向けだからといって単純で分かりやすければいいというものでもないけれど、こういう清き正しき単純明快な素晴らしいアニメーションも存在してもいいはず。
個人的には、この映画の趣旨は、ストーリーを凝るのではなく、あくまでもリアルなCGの表現を追求したものだと理解する。そしてそれは見事に成功していると思うのだが、そうなるとやはり大人も含めた多くの人が見る作品になるわけで、必然的にちょっとした物足りなさというものを言われてしまっているような気がする。
やはり比較対象はハリウッド映画の3D映画になってしまうわけで、そうなると、どうしても内容的に見劣りする。そんな批判されるべき作品じゃないんだけど…
公開日:2016年8月6日
配給:東宝
時間:89分
監督:湯山邦彦、榊原幹典
原作:(作)斉藤洋原作(絵)杉浦範茂
脚本:加藤陽一
出演:井上真央(ルドルフ)
鈴木亮平(イッパイアッテナ)
水樹奈々(ミーシャ)
八嶋智人(ブッチー)
古田新太(デビル)
大塚明夫
寺崎裕香
佐々木りお
毒蝮三太夫(ダンプトラックの運転手)ほか
製作:中山良夫、市川南、鈴木伸育、峠義孝、沢桂一、薮下維也、中村美香
ゼネラルプロデューサー:奥田誠治
エグゼクティブプロデューサー:門屋大輔
企画:岩佐直樹
プロデュース:岩佐直樹
プロデューサー:坂美佐子、伊藤卓哉、星野恵
アニメーションプロデューサー:小林雅士
プロダクションマネージャー:富永賢太郎
CGスーパーバイザー:森泉仁智
アートディレクター:丸山竜郎
キャラクターデザイン:阿波パトリック徹
音響監督:三間雅文
主題歌:back number
制作プロダクション:Sprite Animation Studios、OLM、OLM Digital
鑑賞日:2016年9月7日
場所:TOHOシネマズ新宿 スクリーン12 I10
■ ストーリー
黒猫のルドルフは、日々、家でのお留守番ばかり。いつの日か飼い主と共に外出したいと願っていた。そんなある日、窓のすき間から外へ出ることに成功したルドルフは、必死に外出した飼い主を追う。しかし、運悪く見知らぬトラックの荷台に乗り込んでしまい、しかも気を失ってしまう。気が付くと、目の前には知らない大きな街が広がっていた。ルドルフは一地方から東京へと迷い込んでしまった。
突然、野良猫となってしまったルドルフ。行く当てもなく彷徨い続けていると、体の大きな先輩野良猫イッパイアッテナと出会い、2匹は行動を共にするようになる。
ルドルフは何とかしてもとの場所に戻ろうとする。そしてイッパイアッテナはその手助けをするため、あらゆることをルドルフに教えていく。そのうちにイッパイアッテナの意外な過去も知る。徐々に2匹の絆は深まっていくのだった。
他にも仲間が増えていく。みんなルドルフが帰ることができるように、協力してくれた。そしてついに、ルドルフがどこから来たのか、そして、そこへ帰る方法を見つけ出す。それは仲間との別れ、イッパイアッテナとの別れを意味していた。
ルドルフは旅立つ。そしてその旅立ちをきっかけに、イッパイアッテナと仲間たちの運命も大きく変わっていくのだった。
1987年刊行の名作児童文学「ルドルフとイッパイアッテナ」をフル3DCGアニメーションで映画化したもの。
▶ 映画館環境
TOHOシネマズ新宿 SCREEN12 座席数75 スクリーンサイズ2.8×6.6m
比較的小さな劇場。前方の3列ぐらいを避ければ、どの席でも大丈夫だと思う。
I10は最後列、スクリーン向かってやや右寄り、上りの階段正面の席。足元の自由は確保できるが、人の行き交いが多少気になるところが難点。もっとも、朝イチで見たこの回では、観賞者が自分を含め2人しかいなかったので、最高の開放感で作品を堪能できた。
▶ 作品レビュー
思ったよりも、CGが素晴らしかった。正直、プロモーションなどでの静止画を見るかぎりにおいては(ハリウッドなどと比べると)拙いCGなのだろうと思っていたわけで、ある意味日本のCGの駄目さ加減を確認するために見にいったようなもの。それが見事に、いい意味で裏切られた感じ。
おそらく、(個人的には史上最高だと思っている)ズートピアなどのCGとじっくり比較すると確実にこの和製フル3Dアニメーションは負けているとは思うけれども、それを全く感じさせないのは、カメラワークと光りなどの演出につきると思う。
ローアングルで普段見慣れない映像のダイナミズムに魅せられて、光りの明暗でうまい具合に質感をつくり出し、暗がりの場面が多い作品でも明確な暗さを感じさせながら暗さの中の描写もしっかりとしていて、この作品の絵作りにおける勝利を感じた。
とはいっても、話は単純。そして、子供向け。それ故に、余計なことを考えずに、一生懸命に作り上げられた絵を堪能できるとも言える。
原作はあくまで児童文学であり、内容も道徳的。野良猫の習性とか、動物の活動におけるリアリティーというものは半ば二の次であり、嘘っぽいところは盛りだくさん。そこを善とするか否かは個人差はあるだろうが、内容の細かいところにリアリティーを求めてしまうと、原作における趣旨がねじ曲げられるような気がする(─原作は読んでいないけれども、何となく原作は尊重しているんだろうなぁとは感じる作品)。
悪く言ってしまえば、子供だましであり、表面的な作品。流血だの、猫に対する接し方だの、現実世界で切り離せないリアルな面がたくさん削ぎ落とされているとこは否めない。しかし、(繰り返しになるかもしれないけれど)童話をアニメ化したものであって、きれい事だけをうまい具合に綴っているわけで、決して社会における問題を伝えようとする作品などではないという前提で見なければ、物足りないんだろうなあ、とは思う。何も子供向けだからといって単純で分かりやすければいいというものでもないけれど、こういう清き正しき単純明快な素晴らしいアニメーションも存在してもいいはず。
個人的には、この映画の趣旨は、ストーリーを凝るのではなく、あくまでもリアルなCGの表現を追求したものだと理解する。そしてそれは見事に成功していると思うのだが、そうなるとやはり大人も含めた多くの人が見る作品になるわけで、必然的にちょっとした物足りなさというものを言われてしまっているような気がする。
やはり比較対象はハリウッド映画の3D映画になってしまうわけで、そうなると、どうしても内容的に見劣りする。そんな批判されるべき作品じゃないんだけど…
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