ヴィクトリア

ヴィクトリア(2015年・ドイツ)
原題:Victoria
公開日:(独)2015年6月11日 (日)2016年5月7日
配給:(独)Senator Film (日)ブロードメディア・スタジオ
時間:140分

監督:セバスチャン・シッパー
脚本:セバスチャン・シッパー
   オリビア・ネールガード=ホルム
   アイケ・フレデリーケ・シュルツ
制作:セバスチャン・シッパー
出演:ライア・コスタ(ビクトリア)
   フレデリック・ラウ(ゾンネ) ほか
撮影:シュトゥールラ・ブラント・グレーブレン
音楽:ニルス・フラーム

鑑賞日:2016年5月9日
場所:イメージ・フォーラム シアター1 自由席


■ イントロダクション(日本語公式HPより)
ベルリンの街を疾走する
全編140分ワンカットの衝撃

 2015年のドイツ映画界において最大のセンセーションを巻き起こした『ヴィクトリア』は、クライム・サスペンスというジャンルの形式を突き破り、あらゆる観客に未知なるレベルのスリルと臨場感を体感させる衝撃作である。ドイツのベルリンを舞台に、夜明け前のストリートでめぐり合ったスペイン人の女の子ヴィクトリアと地元の若者4人組が、予測不可能な極限状況へと突き進んでいく2時間余りの出来事を、全編ワンカットという驚異的な手法で描出。視覚効果などによる“見せかけ”のトリックに一切頼ることなく、スタッフ&キャストがベルリンの街を駆けずり回り、完全リアルタイムの撮影を成し遂げた映像世界は、まさに奇跡と言うほかはない。

 ベルリン国際映画祭では撮影監督ストゥルラ・ブラント・グロヴレンの仕事を讃える銀熊賞(最優秀芸術貢献賞)など3賞を受賞し、ドイツ映画賞では作品賞、監督賞、主演女優賞、主演男優賞、撮影賞、作曲賞の6部門を独占。東京国際映画祭ワールド・フォーカス部門での上映時にも大反響を呼んだ“破格”の話題作の公開がついに決定した。

 世界中のどこでも起こりうる若者たちの偶然の出会いから始まる青春映画のような物語は、後戻りできない“事件”が勃発する中盤以降、映画のムードやリズムを一変させ、怒濤の急展開を見せていく。登場人物が自転車や盗難車、エレベーター、階段、タクシーなどを利用しながらベルリン各地を慌ただしく移動する姿を、カメラはそっと寄り添うように、時に猛然と食らいつくようにして生々しく捉え続ける。

  5分、10分とカットせずにカメラを回し続ける長回し撮影は、時間的な持続性を保ちながら、その場に生じる緊張感や空間的な広がりを強調するうえで絶大な効果を発揮する。とりわけこの技法を大胆に導入したアルフレッド・ヒッチコックの『ロープ』やオーソン・ウェルズの『黒い罠』は有名で、アレハンドロ・G・イニャリトゥの『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』における擬似的な全編ワンカット手法が脚光を浴びたことも記憶に新しい。

孤独な女の子のささやかな冒険が悪夢に変わるとき

 しかしアクロバティックな演出をあえて排除した『ヴィクトリア』には、ワンカットの撮影テクニックをひけらかす意図はない。異国の地で思いもよらない犯罪に巻き込まれたヴィクトリアが経験する冒険と過ち、歓喜と不安、愛と喪失。大混乱の逃避行のさなかにわき起こる切迫した感情を、ダイナミックかつ繊細に刻み込んだ映像は、観る者の心を激しく揺さぶってやまない。登場人物の愚かさも愛おしさも分け隔てなく見すえたワンカット演出の成果は、クライマックスにあふれ出す並外れたエモーションに結実している。

ドイツ人監督とスペインの新進女優の驚くべき挑戦

 この無謀とも思える企画に挑戦し、画期的な成功を収めた作り手は、長らく俳優としても活躍しているゼバスチャン・シッパー監督である。いわゆる完成台本は存在せず、シーンとロケーション、登場人物たちの大まかな動きを記したわずか12ページの覚え書きをベースに、140分ぶっ通しのベルリン・ロケを実施。ドイツ語とブロークン・イングリッシュが混在するセリフは俳優たちが即興的に発したもので、撮影中に起こった想定外のハプニングもカメラに収めていったという。また、全編出ずっぱりで主演を務めたライア・コスタは、1985年生まれのスペインの新進女優。親しみやすいチャーミングなルックスに加え、ヴィクトリアの壮絶な運命をノンストップで体現した渾身のパフォーマンスは、それが演技であることすら忘れさせ、あらゆる観客の目を釘付けにするに違いない。


■ ストーリー(日本語公式HPより)
眩い光がフラッシュする地下のクラブで、ひとりの若い女性が激しいダンスに身を委ねていた。3ヵ月前に母国スペインのマドリードを後にして、単身ベルリンでの生活を始めたヴィクトリア(ライア・コスタ)である。踊り疲れて帰路につこうとしたヴィクトリアは、夜明け前の路上で地元の若者4人組に声をかけられる。スキンヘッドのボクサー、ひげ面のブリンカー、童顔のフース、そしておしゃべり好きなリーダー格のゾンネ(フレデリック・ラウ)は、一見するとチンピラ風だが悪人ではないようだ。ヴィクトリアがドイツ語をしゃべれないため、ぎこちなく英語で会話を交わして意気投合した彼女たちは、コンビニでビールを調達してビルの屋上へ。そこでの他愛なくも愉快なひとときは、異国の都会で孤独を感じていたヴィクトリアにとって、久しぶりの温もりに満ちた時間だった。

 やがてヴィクトリアはアルバイト先のカフェで仮眠をとるため、ゾンネに店まで送ってもらうことにする。ゾンネにせがまれ、店内に置かれたピアノでリストの「メフィスト・ワルツ」を弾き始めるヴィクトリア。ゾンネはその見事な演奏に感嘆するが、つらい記憶が脳裏をよぎったヴィクトリアは浮かない顔だ。16年以上も毎日厳しいレッスンに明け暮れたのに、壁にぶち当たってピアニストになる夢を捨てたことを告白するヴィクトリアを、優しく励ますゾンネ。いつしかふたりの間には親密な感情が流れ出していた。

 カフェにやってきた仲間たちと合流したゾンネは、ヴィクトリアと再会を約束して車で立ち去る。しかし彼らは、まもなくカフェへ戻ってきた。何か重大なトラブルが発生したらしく、ゾンネとボクサーは気が高ぶり、フースは足取りがおぼつかなくなっている。ゾンネの説明によれば、ボクサーが刑務所に入っていたときに世話になった人物に借りを返すため、これからある“仕事”をしなくてはならないという。酔いつぶれたフースの代わりの運転手役を頼まれたヴィクトリアは「仕事が終わったら、ここに送り届ける」というゾンネの言葉を信用し、その依頼を受け入れるのだが、行く手にはヴィクトリアらの人生を一変させる悪夢のような事態が待ち受けていた……。


▶ 映画館環境
イメージフォーラムのシアター1は座席数64の小劇場。全席自由席。
平日の午後の上映、にもかかわらず激混み。初めて前から2列目での観賞。それほど悪くない。むしろ最前列の真ん中でもいいかもしれないと思った。小劇場が故の強み。スクリーンがやや見上げになっているところが難点。しかも、近すぎるとスクリーンの粗が見えるような気がした。


▶ 全編ワンカットという技法
全編ワンカットの映画といえば、個人的な認識としてアレクサンドル・ソクーロフの「エルミタージュ幻想」以外にない。つい最近オスカーを受賞した、ルベツキ撮影の「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」などもワンカットのように仕立て上げられているが、あれはあくまでも切れ目がないように見せかけているだけのもの。古くはヒッチコックの「ロープ」もワンカットのようにうまく編集されているに過ぎず、実際に撮影しっぱなしの映画となると「エルミタージュ幻想」が最初という認識だ。
そもそも、何時間もフィルムを回し続けられるのかという素朴な疑問が生まれてくるわけで、実際の35ミリフィルム撮影においては10分が連続撮影の限界というから、デジタル技術が登場してくるまでの映画の長回しというのは、どんなに長くても10分以内に収まっていたわけだ。
通常の映画とは異なるが、アンディ・ウォーホルが残した実験映画「エンパイア」は、作品の通常上映時間は8時間を超えるもので、エンパイアステートビルをひたすら定点撮影した作品においても、フィルムは16ミリを使用、400フィートのリール(通常であれば12分程度の撮影時間)をスローで回し、3本のリールを使っているわけで、つまり、切れ目のない長い作品を創り出そうとする場合、相当の努力と工夫を要していたということである。
フィルム撮影での映画というものに馴染んできた人間にとって、1時間2時間以上の長尺映画をワンカットで作り上げるなど考えられないわけで、そういった意味で「エルミタージュ幻想」の衝撃は相当なものだった。とはいえ、厳密に言うと「エルミタージュ幻想」はハイビジョン撮影であり、これを映画としてよいのかどうか微妙なところではあるが、デジタルカメラの性能が向上し、いまやデジタル撮影が主流となっているという現状を考えると、ハイビジョン撮影もギリギリ映画の水準として捉えきれるのかなと思ったりする。
デジタル撮影による恩恵は計り知れない。その最たるものは制作側のコストにあるだろう。フィルムを使用しない分、非常に安価に映画を作ることができる。そして、CGなどコンピューターとの相性もいいわけだから、表現の上でも創意と工夫さえあればより一層のブラッシュアップを望める。
一方で、デジタル用の上映システムを組む上では、フィルム時代よりもコストがかさむようで、大規模なシネコンが増えてきている一方で、小さな劇場や地方の映画館がどんどん減ってきているようだ。自分の田舎にもかつて3つの映画館が存在したが、もはやひとつの映画館も存在しない。もっともそれはデジタル時代とは別の問題を孕んでいるわけだが─。
制作側にもデメリットはある。それは、誰でも容易に制作できるということにより、その質が著しく低下していくということ。現に、全編ワンカットという手法は、トライであると同時にコスト削減であったりする。2時間なら2時間で撮影が済んでしまえば、それだけ制作費を抑えられる。
そもそも、完璧なワンカット映画を作ろうとすれば、途中で気に入らないところがあればそこで中断してまた一から撮影し直すということが何度かあるべきだ。しかし、それらは妥協され、うまく流されていくはずであり、止めずにうまくやり過ごすことだけに満足し、気がつかないうちに酷い駄作を作り上げているということもありえよう。見ている側は、細かいカットだろうがワンカットだろうが、心や脳を刺激される作品を求めるだけ。それを前提に、デジタル技術を駆使してほしいものである。
ちなみに、もはやワンカット映画というのは珍しくないようで、少し調べると結構あることが分かった。参考までに記載しておく─

「PVC-1 余命85分」(2007年・コロンビア/スピロス・スタソロプロス監督)
「SHOT/ショット」(2010年・ウルグアイ/グスタボ・エルナンデス監督)
「サイレント・ハウス」(2011年・アメリカ/クリス・ケンティス監督)※上のリメイク
「ホテル・ワルツ」(2007年・イタリア/サルヴァトーレ・マイラ監督)
「ある優しき殺人者の記録」(2014年・日韓/白石晃士監督)
「BANK」(2013年・日本/村橋明郎監督)
「マジシャンズ」(2005年・韓国/ソン・イルゴン監督)

「SHOT/ショット」とそのリメイク「サイレント・ハウス」に関しては完全にワンカットではないようだが、参考として記載しておく。また、これはごく一部でしかない、はず…。


▶ 作品レビュー
 ようやく、映画の感想。140分というのは長い。よくもまぁ、これだけ回し続けたなぁと思う。夜中から朝にかけての撮影だし、しかも室内・屋外入り乱れた構成になっているし、簡単に仕上げたものではないとは感じる。内容も長さに負けないくらいの濃密な展開が詰め込まれているし、はっきりいって疲れる。テレビドラマのワンクール分を一気に見せられた思い。
長回しにありがちな退屈感もなく、最後まで集中できた。まるで長回しではないような印象を持ったし、激しいカットで構成されているアクション映画と遜色のないくらいに、目で楽しめる映画であった。
もしかしたら、長回しというところに意識を向けさせないことがこの作品のひとつの狙いなのかもしれないと感じた。それが、これまで存在した数々の長回し映像とは違った部分で、非常に特徴的に映った。カメラの動き、被写体の動き、それがカット割りが生み出す効果をも補っていたと認識できた。
確かにこれまでにない、新鮮な映像体験をしたような自覚はある。しかしながら、最大の売りであるはずのワンカットが半ば前面に打ち出されないというのであれば、もっと激しくカットを多用する部分もあってもいいような気がするわけであり、そう思ってしまうと、この長ったらしい140分という尺は適切なのかどうか疑問に思ってしまう。不要な部分をまさしくカットして、もっとコンパクトにまとめた方がストーリー的には面白かったのかもしれないと勝手に想像する。ただ、その場合、映画的特長を失ってしまうという代償を払うことにもなりかねないが…。
カットもできないし時間軸も変えることができないという不利な条件があるためか、展開に多少強引さも感じたし、画角や構図などにも満足できなかった。そういったマイナス要素を引き合いに出して映画の長回しというものを改めて考えると、それら要素がこれからの映画に悪影響を及ぼさないようにと願うばかりである。
残念ながら、この映画に過去の名作と呼ばれる映画と同様の感動を覚えることはできなかった。例えば、溝口健二の「山椒大夫」、あるいは「エルミタージュ幻想」や「バードマン」─、そういった映画に感動したのは、決して技術的な観点からではない。
技術的な見本市を見るために映画館に足を運んでいるわけではないわけだから、そういう人たちに何かを与えてくれるように、技術を駆使してほしいものである。


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