山河ノスタルジア

山河ノスタルジア(2015年/中国・日本・フランス合作)
原題:山河故人 Mountains May Depart
公開日:(中)2015年10月30日 (日)2016年4月23日
配給:(香)Edko Films (日)ビターズ・エンド、オフィス北野
時間:125分

監督:ジャ・ジャンクー
脚本:ジャ・ジャンクー
出演:チャオ・タオ(タオ)
   チャン・イー(ジンシェン)
   リャン・ジンドン(リャンズー)
   ドン・ズージェン(ダオラー)
   シルビア・チャン(ミア) ほか
アソシエイトプロデューサー:川城和実、定井勇二
              チェン・ジェンピン
              チャン・ドン
              ワン・ホン
              ジュリエット・シュラメク
製作総指揮:レン・チョンルン
      ジャ・ジャンクー
      リュウ・シーユー
      森昌行
      ナタリエル・カルミッツ
      エリシャ・カルミッツ
撮影:ユー・リクウァイ
美術:リュウ・チァン
メイク:橋本申二
音楽:半野喜弘

鑑賞日:2016年4月26日
場所:ル・シネマ ル・シネマ1 C-12


■ ストーリー
過去、現在、そして未来をまたにかける一大叙事詩─
1999年、中国・山西省汾陽(フェンヤン)で、小学校女性教師のタオと炭鉱で働く青年リャンズー、そして青年実業家のジンシェンの幼馴染み3人は25歳、何をするにも3人一緒。瑞々しい青春を謳歌する。しかし、ジンシェンのタオに対する強い恋心がその関係に亀裂を生じ、ひとつの時代の終止符を打つ。2人は結ばれ、そして1人町を出ていく。
2014年、故郷の汾陽を離れていたリャンズーも結婚し1児の父親となっていた。平穏な毎日を送っていたが、体調を壊してしまい、回復するためには多額の治療費が必要になる。それを工面するため再び故郷へ戻っていく。
タオとジンシェンは離婚していた。一人息子のダオラーはジンシェンが親権を持ち、上海にいる。
リャンズーは結果的にタオを頼り、彼女からお金を借りる。若かったあの頃とは、お互いに随分環境が違っている。煌びやかな日々はもはや過去のことだった。
その年タオは突然父親を亡くしてしまう。葬儀のため7歳のダオラーが帰郷した。久しぶりに会う息子は随分と様変わりをしている。そのダオラーから、近いうちに父親とオーストラリアへと移住することを聞かされる。自分からどんどん離れていってしまう息子に、タオは短時間の内に深い愛情を注ぎ、そして再び息子を別れた夫の元へと返した。
2025年、オーストラリアに移住したダオラーは19歳になっていた。中国語は話すことができず、会話は英語のみ。父親ジンシェンは英語を理解できず、お互いに話すときは翻訳機を用いている。金銭面で成功を収めたジンシェンではあったが、家庭はすでに崩壊しており、唯一の同居人である息子のダオラーとも喧嘩が絶えない。
心の拠り所を失っていたダオラーは、中国語を教わっている女性教師ミアに近づいていく。やげてダオラーは、無意識のうちに母親の面影を追いかけていたということに気づかされるのだった。
50歳になったタオは、ひとり汾陽で暮らしている─。


▶ 映画館環境
渋谷 ル・シネマ1 座席数152
スクリーンが小さいし、細長いし、座席間も狭いし、全席ウェブでの購入ができるわけでもないので、個人的には嫌いな劇場。おっさん臭いにおいも嫌い。火曜日のサービスデー以外は行かないようにしている。
シネマ1はCDEGI列の右端、DFHJ列の左端が妥当な席。ベストな場所はない。今回座ったのもC-12。3列目ではあるけれど、近すぎることはなかった。
サービスデーであるだけに客多め。年齢は極めて高い。劇場へは行く道として、小さなエレベーター2基と変なルートを行かなければならないエスカレーターしかないので、行き着きづらい。だから尚更嫌いな劇場。


▶ 作品レビュー
過去、現在、未来という構成に最も惹かれた。それがこの作品の売りだろうし、その描き方も見事だったと思う。アスペクト比が4:3と思われる映像で始まるその過去は、美しさを保ちながらしっかりと古めかしい情景を生み出しており、これから始まる物語の伏線と認識できるわけで、そういった意味で見ている側の意識も非常に研ぎ澄まされる、何かを予感して─。
比較的長く設定された序文的過去が終わり、画面がワイドに切り替わり時代は現代へ、そしてここで映画にタイトルが表示される、この流れ、ちょっとした身震いを覚えてしまった、名画の予感─。
しかしここから始まる物語は、過去の煌びやかさに比べて非常にどんよりと暗いもの。映像も、表面上は明瞭になっていても美しさにおいては過去を描いた部分には及ばない。それは狙いなのかもしれないが、現代と未来の物語をこの調子で語られたら非常につらいものがある。事実、暗さを強調した展開が続くわけで、気持ちが荒んでいく思い。この世界は絶望しかないのだろうか、そう思ってしまう、そうなのかもしれないが…。
まさに過去をノスタルジックに思う映画。過去に縛られたり囚われたりといったものではないけれども、決して明るい未来は想像できない。
その事に関して善し悪し好き嫌い人それぞれだと思うが、個人的にはあまり気持ちの良いものではなかった。
なぜか悲しい現実ばかりが提示されるこの映画に、多少の疑問を持ったりした。むしろ過去に縛られるような展開であっても良かったのでは?と思ってしまう。そう仕立てたのかもしれない。確かに、最初に提示された過去の映像を何度か思い返したし─。それでも、そのノスタルジックに仕向ける力があまりにも弱いように感じたわけで、それ故に何のための長くて煌びやかだった過去の物語だったのか、という疑問すら持ってしまった。
全体的に細かな話が絡み合いながら展開していくのだが、その細かな話一つ一つに全く結末めいたものがなく、最終的にどの話も完結することなく終幕している。必ずしもすべての話において完結する必要はないと思うが、あまりにもすべてを観客に丸投げしすぎているような印象を受ける。せめてある程度の道筋を示してくれてもよかったのではなかろうか。先が見えない不安─それを表現したかったのかどうか─と勝手に想像するのだが、ストーリーを完成させ切れない作家の怠慢もしくは力不足と認識されかねない。
ストーリーテリングという形式をなす映画においては、ひとつの物語を構築しきることが制作側の権限であり責任であると思う。たとえ話が途中で終わってしまうように思う映画でも、その前に何かしらの結論を迎えているはずだ。この映画では話を広げるだけ広げてすべて放置している状態。
もしかしたら、話に結論をつけるという考え方はもやは古いのかもしれない。インタラクティブという言葉が広まって久しいが、映画においても徐々にそれが浸透され始め、物語の結末も観客の思い思いで決するような時代になっているのだろう。まぁこれも身勝手な個人的見解に過ぎないけれども…。
最後は確かに過去への郷愁を感じさせられた。だから何なのかよく分からないという気持ちが正直なところ。見た目、悲哀も喜びも感じない。自分としてはただ単に苦笑するだけだった。多少の憐憫や滑稽さを感じただけで、それ故の苦笑。放置されたすべての物語がどうなるのか、どうなったのか、想像できないし、もはやそんなのどうでもいい。そうどうでもいい、そう主張したいがための♪GO WESTだったのだろうか─。

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