スポットライト 世紀のスクープ(2015年・アメリカ)
原題:Spotlight
公開日:(米)2015年11月6日 (日)2016年4月15日
配給:(米)オープン・ロード・フィルムズ (日)ロングライド
時間:128分
監督:トム・マッカーシー
脚本:ジョシュ・シンガー
トム・マッカーシー
出演:マーク・ラファロ(マイク・レゼンデス)
マイケル・キートン(ウォルター・“ロビー”・ロビンソン)
レイチェル・マクアダムス(サーシャ・ファイファー)
リーブ・シュレイバー(マーティ・バロン)
ジョン・スラッテリー(ベン・ブラッドリー・Jr.)
ブライアン・ダーシー・ジェームズ(マット・キャロル)ほか
製作:マイケル・シュガー
スティーブ・ゴリン
ニコール・ロックリン
ブライ・パゴン・ファウスト
製作総指揮:ジェフ・スコール
ジョナサン・キング
ピエール・オミダイア
マイケル・ベダーマン
バード・ドロス
トム・オーテンバーグ
ピーター・ローソン
ザビエル・マーチャンド
撮影:マサノブ・タカヤナギ
美術:スティーブン・H・カーター
編集:トム・マカードル
音楽:ハワード・ショア
鑑賞日:2016年4月16日
場所:TOHOシネマズ新宿 スクリーン7 H−13
■ Introduction(日本語公式HPより)
ボストン・グローブ紙の記者たちが、
巨大権力の“大罪”を描いた衝撃の実話!
2002年1月、アメリカ東部の新聞「ボストン・グローブ」の一面に全米を震撼させる記事が掲載された。地元ボストンの数十人もの神父による児童への性的虐待を、カトリック教会が組織ぐるみで隠蔽してきた衝撃のスキャンダル。1,000人以上が被害を受けたとされるその許されざる罪は、なぜ長年にわたって黙殺されてきたのか。この世界中を驚かせた"世紀のスクープ"の内幕を取材に当たった新聞記者の目線で克明に描き、アカデミー賞6部門(作品賞/監督賞/助演男優賞/助演女優賞/脚本賞/編集賞)にノミネートされるなど、名実ともに全米で絶賛を博す社会派ドラマ、それが『スポットライト 世紀のスクープ』である。
本作は、このジャンルの金字塔というべき名作『大統領の陰謀』を彷彿とさせる生粋の“ジャーナリスト映画”でもある。虐待被害者の生々しい証言に心揺さぶられたチームの皆が、元少年たちの悲痛な叫びを世に知らしめようと、寸暇を惜しんで奔走する様を力強く描出。"間違っていることは間違っている"と報じたい、"正しいことは正しい"と表明できる社会でありたい、ただその一心で、立ちはだかる権力と対峙しながらも記者魂を貫く彼らの姿は爽快ですらあり、閉塞した現代を生きる観客の共感を誘うことだろう。《スポットライト》が報じたこの調査報道は、2003年に栄えあるピューリッツァー賞(公益部門)を受賞している。
■ Story(日本語公式HPより)
2001年の夏、ボストン・グローブ紙に新しい編集局長のマーティ・バロンが着任する。マイアミからやってきたアウトサイダーのバロンは、地元出身の誰もがタブー視するカトリック教会の権威にひるまず、ある神父による性的虐待事件を詳しく掘り下げる方針を打ち出す。その担当を命じられたのは、独自の極秘調査に基づく特集記事欄《スポットライト》を手がける4人の記者たち。デスクのウォルター"ロビー"ロビンソンをリーダーとするチームは、事件の被害者や弁護士らへの地道な取材を積み重ね、大勢の神父が同様の罪を犯しているおぞましい実態と、その背後に教会の隠蔽システムが存在する疑惑を探り当てる。やがて9.11同時多発テロ発生による一時中断を余儀なくされながらも、チームは一丸となって教会の罪を暴くために闘い続けるのだった・・・。
▶ 映画館環境
TOHOシネマズ新宿スクリーン7は座席数409、スクリーンサイズ7.3×17.7mと大きめの劇場。全体的に座席のスペースが広め。H列は特に足元が広い。H-13はスクリーンほぼ真ん中。ポジション的に文句なし。
深夜の上映。観客極めて少なし。アカデミー賞作品賞とはいえ、やはりこの手の外国映画は人気がない。内容も多少知力を要するものだったし─。
▶ 作品レビュー
キリスト教徒もしくはカトリック教徒でなくとも、ショッキングな内容ではあるけれども、カトリック教徒であるならばその衝撃度は計り知れないことであろう。そもそも、ボストン・グローブのスクープは15年も前のことではあるのだが、特段信仰というものを持たない自分などは、そういうことがあったことすら記憶にない、というか意識に無いと言った方が適切だろうか。大人が子供に性的虐待をすることなどもってのほかであり、どんな社会であってもその醜悪さは知り得るわけで、そういった意味で映画の内容は誰にとっても衝撃的だと思う。しかし、悪の権化が神父となると、漠然ながら更なるその悪質性は理解できるけれども、神父を盲信して来た人々が受けた打撃というものは、映画でようやくその本質を理解できた自分のような青二才とは比べものにならないはずだ。
その衝撃的な内容を尊重しながら淡々とジャーナリスティックに描かれているわけで、派手な演出や出来事はほとんど起こらない。強いて挙げるならば、スクープをした後の反響ぐらいが大きな出来事であり、そういった面からも事実を尊重した内容だったといえよう。
日本語公式サイトに、「大統領の陰謀」という固有名詞を挙げてしまっていて、事実、その描かんとするところは似通ったものであった。しかし、いかんせんあの映画ではロバート・レッドフォードとダスティン・ホフマンという二つの個性が絡み合った面白さがあったわけで、それに比べるとこの「スポットライト」は失礼ながら非常に地味に見えてしまう。起こった出来事に関していえば、後者の方が衝撃的で悪質性も比べものにならないと思うのだが、悲しいかな記憶の面に関しても、カトリック教会の性的虐待事件よりも大統領辞任の方が圧倒的に浸透しているように思ってしまう。そういった現実も映画に反映されているわけで、それ故に、過去の名作を持ち出して告知しなければ、カトリック信者の少ない国では観客が望めないといったところか─。
起こった事実があまりにも酷いので、隠れた部分を再現できないという辛さはあるだろう。しかも再現できない上に、安易に想像させることもできないということも予想できるわけで、そういった面からも焦点をボストン・グローブの面々に当てざるを得なかったと勝手に想像する。マーク・ラファロやマイケル・キートンといった個性的な俳優陣でもって、必死にジャーナリズムの葛藤を描き出そうとしていた。それを、違和感なく、リアリティーをもってそれを受け止めることはできた。しかし、アカデミー賞作品賞だから…と思ってしまうと、やっぱり物足りない。描きたいことはあくまでカトリック教会の性的虐待事件であっただろうに、焦点をそのものに当てることもできず、ジャーナリズムという側面を利用せざるを得ないというジレンマというものを何となく感じてしまう。まぁそれが、神父の不正を曝いても信仰そのものをどうすることもできないというジレンマを見事に表しているともいえるのだが…。
2002年のボストン・グローブのスクープ以来、教会離れというものが深刻になっているとか。個人的にキリスト教への思い入れも憎しみも全くないけれども、教会の危機という事実を改めて知ってホッとしているというのが正直なところ。あんな酷い事実が告発されてなお旧態依然のものが続いてくというのであれば、何のための信仰なのか疑問に思ってしまうところだが、信者はしっかりと浄化させようという意志はあるのだと─偉そうだが、そう思ったわけだ。
派手なジャーナリズムの葛藤があるわけでもなく、嫌な事実が次々曝かれ、そして過去にあった事実を淡々と地味に述べられている映画である。だからこそ、真剣に見れば内容そのものに関心がいくこと間違いない。とかく宗教に疎い者には、今一度、宗教というものを考え直す良い機会になるかもしれない。
決して難しく考えなくても楽しめるとは思うけれども、色々深く考えながら見た方がいっそう楽しめる映画だと思う。
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