公開日:2016年4月29日
配給:東宝
時間:103分
監督:小泉徳宏
原作:末次由紀
脚本:小泉徳宏
出演:広瀬すず(綾瀬千早)
野村周(平真島太一)
真剣佑(綿谷新)
上白石萌音(大江奏)
矢本悠馬(西田優征)
森永悠希(駒野勉)
清水尋也(須藤暁人)
坂口涼太郎(木梨浩)
松岡茉優(若宮詩暢)
松田美由紀(宮内妙子)
國村隼(原田秀雄)ほか
製作:中山良夫
市川南
鈴木伸育
加太孝明
薮下維也
石川豊
弓矢政法
髙橋誠
宮本直人
ゼネラルプロデューサー:奥田誠治
エグゼクティブプロデューサー:門屋大輔、安藤親広
企画:北島直明
プロデュース:北島直明
プロデューサー:巣立恭平
撮影:柳田裕男
照明:宮尾康史
美術:五辻圭
録音:小松崎永行
編集穗:垣順之助
音楽:横山克
主題歌:Perfume
鑑賞日:2016年04月29日
場所:TOHOシネマズ日本橋 スクリーン1 C11
■ ストーリー(公式HPイントロダクションより)
感動の二部作、ついに完結─
千早・太一・新は幼なじみ。いつも一緒にかるたで遊んでいたが、家の事情で新が引っ越し、はなればなれになってしまう。高校生になった千早は、新にもう一度会いたい一心で、再会した太一とともに瑞沢高校“競技かるた部”を作る。
創部一年ながら、エース千早の活躍と抜群のチームワークを発揮し、なんとか強豪北央学園に勝利。
東京都大会優勝をなしとげた。
舞台はいよいよ全国大会へ―。
新に東京都大会優勝を報告する千早に、思わぬ新の告白「かるたはもうやらん…」。
ショックを受ける千早だが、全国大会へ向けて仲間たちと懸命に練習に励む。そんな中、千早は、同級生ながら最強のクイーンと呼ばれる若宮詩暢の存在を知る。全国大会の個人戦で詩暢と対決する可能性がある。
新に「強くなったな」って言われたい、詩暢に勝てばもう一度新とかるたを取れるかもしれない…
クイーンに勝ちたい!新に会いたい!
千早の気持ちは次第に詩暢にとらわれ、“競技かるた部”の仲間たちから離れていってしまう。
そして、そんな千早の目を覚まさせようとする太一。千早、太一、新の気持ちが少しずつすれ違っていく…。
今、泣きたくなるほど熱いクライマックスの、幕が上がるー!!!
▶ 映画館環境
TOHOシネマズ日本橋スクリーン1は座席数130で、スクリーンサイズが10.1×4.2mとやや大きめの劇場。前方2列、後方7列の構成。後方最前列には手すりなどの柵がなく、スペースでいうと魅力的だが、若干前過ぎるのとスクリーンも大きめなので、見上げの苦しさを伴ってしまう。今回のC-11。C列は3列目で近すぎるのは分かっているけれども、座席の構成を見ると、どうしてもその列を取りたくなる。実際近いのだが、悪くはない、でも多少疲れる。
公開初日、週末、夕方からの上映、以上の要因からほぼ満員状態。客層も雑多。左隣は、ひとりで来ていた若い女性、右隣には母親と子供、後には年配の夫婦…といった具合。
▶ 作品レビュー
この映画を見終わった翌日、日本映画について批判的な記事を目にする。
日本映画をつまらなくしている3つの元凶 (DAIAMOND ONLINE)別に日本映画を否定するつもりもないし、むしろそれを否定するところを目の当たりにすると腹立たしく思ったりする。現に、某地方局で最近の日本映画はつまらないというテーマでのトーク番組を見たりして、実際に映画を見ていない(と思われる)コメンテーター(と呼ばれるような人)たちが、表層的な分析だけでここ数年の日本映画を否定するのを見てしまうと、こいつらが日本映画を駄目にしているのでは、と思ってしまう。
この場で日本映画に関して議論を展開したいわけでもないし、日本映画を批判したいわけでも擁護したいわけでもない。ただ、この「ちはやふる 下の句」を見終わった後に、とてつもなく悲観的な気持ちになってしまい、それ故に、あらゆる邦画否定の見識へと心が引き寄せられていっただけ。
邦画を批判する人は、こういう映画を見てだめ出しをしているのだろうと想像する。この映画だけで日本映画を否定することには賛同できないけれど、この映画自体を否定するということならば意見を同じくする。
ストーリーは多少面白いとは思う。広瀬すずと松岡茉優には萌える。それ以外、まったく共感できるところがなかった。
多くの人を楽しませることができれば立派なエンターテインメントだといえるだろうし、実際にこの映画も多くの人を楽しませていることだろう。つまり、楽しめなかった自分のような外野が難癖をつけるのは筋違いなのかもしれない。
にしても、映画にする意味というか、大義名分ぐらいはあるはずで、その意義というか志があまりにも希薄なように感じてしまう。絵作りがあまりにも軽々しく、テレビドラマで済ますことができるだろうと─決してテレビドラマを卑下するわけではなく、映画にする最大の目的はやはり画質であると思うし大画面に耐えうる映像を求められるわけで、それができないというのであれば、テレビドラマにおさめて、画質以外のところで質を高めてほしいと思ってしまうわけだ。魅力を感じない絵の中で、質の悪い演出が展開しているこの映画に、全く価値を見出せない。
特に気に入らなかったのは、過剰なソフトフォーカスの多用。明らかにボカシでごまかそうとしていた。スタッフの力量不足を強く感じる。監督が悪いのか、撮影が悪いのか、編集が悪いのか、照明が悪いのか、それ以外なのかそれら全てなのか分からないけれども、ぼかす前にまずは構図やカット割りをしっかりと組み上げてほしい。それからぼかすだけぼかせばいいと思う。粗編段階からぼかしているような印象を持ってしまう。
テレビの資本でこのような酷い映画を作られると、当然、あらゆる批判が出ることは目に見える。そしてそれが日本映画の質の低下(というレッテル)に繋がっていく。
でも、映画のレビューとかを確認すると結構高評価であるわけだから、映画はこうでなければイカ〜ン!という頭の固い自分などが駄目出しをすることで日本映画のレベルを低く見積もらせているだけなのかもしれない。映画館の中で歌ったり、画面に向かって台詞を返したりするインタラクティブな時代になっていることに、古い人間は目を向けたがらないものなのだ。
ただ、この映画は海外で決して受け入れられることはないだろう。それは確信できる。百人一首だから日本で完結しても別に問題ないし、そうした趣旨で描いているとも思える、日本でナンバーワンは世界でナンバーワン的な─。しかし、この映画が映画的に優れていれば、百人一首という日本文化が世界に浸透していくと思うのだが、果たして、制作側にはそういう意識というものは全くなかったのだろうか…。「東京物語」や「用心棒」「七人の侍」がなぜ広く受け入れられているのかということを今一度、想像してほしい(とはいえ、この例えも古くさいし、それこそ時代遅れだという誹りを受けかねないが…)。
冒頭で言及したように海外の映画関係者が日本映画のレベルを嘆くということは、それだけ日本の映画というものが注目されているということの裏返し。分かりやすく誰にでも受け入れられるような映画を目指すというのであれば、もっともっと視野を広げてほしいものである。
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