淵に立つ(2016年/日本・フランス合作)
公開日:2016年10月8日
配給:エレファントハウス
時間:119分
監督:深田晃司
脚本:深田晃司
出演:浅野忠信(八坂草太郎)
筒井真理子(鈴岡章江)
古舘寛治(鈴岡利雄)
太賀(山上孝司)
篠川桃音(鈴岡蛍)
三浦貴大(設楽篤)
真広佳奈(鈴岡蛍/8年後)ほか
プロデューサー:新村裕、澤田正道
エグゼクティブプロデューサー:福嶋更一郎、大山義人
制作プロデューサー:戸山剛
企画プロデューサー:米満一正
ラインプロデューサー:南陽
撮影:根岸憲一
録音:吉方淳二
効果:吉方淳二
美術:鈴木健介
スタイリスト:村島恵子
サウンドデザイナー:オリビエ・ゴワナール
音楽:小野川浩幸
主題歌:HARUHI
鑑賞日:2016年10月11日
場所:TOHOシネマズ流山おおたかの森 プレミア D-6
■ Introduction(公式HPより)
第69回カンヌ映画祭「ある視点」部門審査員賞受賞
カンヌが20年ぶりに発見した!初ノミネートで初受賞の快挙!
世界を挑発する日本の新世代・深田晃司監督
現代日本の揺れ動く家族像を冷徹かつユーモラスに描き、恐るべき新人監督の登場に各国の映画祭が湧いた『歓待』(2011)。二階堂ふみ演じるヒロインの一夏の経験を瑞々しく綴り、ナント三大陸映画祭グランプリ他を受賞した『ほとりの朔子』(2014)。荒廃した近未来を舞台に、人間とアンドロイドの対話を通して生と死を見つめた『さようなら』(2015)。一作ごとに人間ドラマの新たな地平を切り拓き、30代の若さで世界の映画シーンにその名を刻み続ける深田晃司の最新作が、カンヌ国際映画祭に初参加でいきなり公式部門にノミネートされ、受賞を果たす快挙を成し遂げた!黒沢清、是枝裕和などカンヌ常連組に仲間入りし、河瀬直美監督『萌の朱雀』(97)が脚光を浴びて以来、久々に登場した日本の新たな才能に、世界中が熱烈な期待を寄せている。
崩壊した家族に、光は射すのか──
圧倒的な人間描写で“家族”を問い直す、2016年最大の衝撃!
怪しくも魅力的な佇まいで家族を翻弄する男を演じるのは、『私の男』『岸辺の旅』やマーティン・スコセッシ監督『沈黙』などに出演し、国際的に活躍する浅野忠信。夫婦役には、古舘寛治が寡黙さの内に覚悟を秘めた夫役で新境地を見せ、筒井真理子が妻の心身の変化を凄まじいまでの説得力で体現する。その他、太賀、三浦貴大などの若手実力派が主人公たちの関係性を左右する重要な役で登場する。
「孤独な肉体を抱えた個々の人間が、たまたま出会い、夫婦となり親となり子となって、当たり前のような顔をして共同生活を営んでいる。私にとって、家族とは不条理です」
そう語る深田晃司が、最高のキャスト・スタッフと組み、大胆にして緻密なストーリーテリングで観客一人ひとりの想像力と価値観に揺さぶりをかける衝撃のドラマ。観る人すべてをタイトル通りの境地へと誘う映画が誕生した。
■ Story(公式HPより)
郊外で小さな金属加工工場を営む鈴岡家は、夫・利雄(古舘寛治)、妻・章江(筒井真理子)、10歳の娘・蛍(篠川桃音)の三人家族。平穏な毎日を送るごく平凡な家族の前にある日、利雄の旧い知人で、最近まで服役していた八坂草太郎(浅野忠信)が現れる。利雄は章江に断りなくその場で八坂を雇い入れ、自宅の空き部屋を提供する。章江は突然の出来事に戸惑うが、礼儀正しく、蛍のオルガンの練習にも喜んで付き合う八坂に好意を抱くようになる。だが、ある時、八坂は一家に残酷な爪痕を残して姿を消す。8年後。八坂の行方は知れず、利雄は興信所に調べさせているが、一向に手がかりはつかめない。工場では古株の従業員・設楽篤(三浦貴大)が辞めることになり、代わりに山上孝司(太賀)が新人として入ってくる。母を亡くして独り身の孝司は屈託のない人柄でたちまち夫婦の信頼を得る。だが皮肉な巡り合わせにより、八坂の消息をつかめそうになった時、利雄と章江は再び己の心の闇と対峙することになる―。
▶ 映画館環境
TOHOシネマズ流山おおたかの森プレミアスクリーン
スクリーンサイズ3.5×8.3m、座席数58、小さな劇場
D6は前から4列目、通路側、スクリーン向かってほぼ真ん中
リクライニング付きの豪華な座席。荷物を置く場所も確保されているため、非常にゆったりと観賞できる劇場。かなり気に入った。
▶ 作品レビュー
静かに、細かな違和感をつくり出しながら、不思議な緊張感が漂うような感じがした。冒頭のオルガンとメトロノームの音、食卓の物音や会話、工場での音、そして人の声や生活音、静寂の中で(個人的に)不快な音が終始まとわりつく。日常風景を切り取ったようなその映像は、どことなく冷たく危険な香り──。そして、そこに寡黙で演技が硬い浅野忠信と古舘寛治…、正直、気持ち悪い世界だなと思ってしまった。最後まで興味を失わずに観賞したし、むしろ面白さを感じるけれど、生理的になかなか受けつけないところがあった。
おそらく、意図的につくり出している気持ち悪さや嫌悪感なのだろうけれど、そう感じるが故に単純に楽しむとか受け入れるということができない。
物語は基本的に秘められた過去というものがキーになっていて、それがミステリアスを生み、それが明かされることによって真の恐怖が生み出されていく。そしてそのミステリーや恐怖もまた、気持ちが悪く嫌な感じ…。
人はコメディーとかを見て楽しむことは勿論のこと、ホラーとかサスペンスを見て恐怖し、悲劇とかを見て悲しんだり、笑えない現象を映画という媒体を通して楽しんでいる。嫌悪感というものをまた他人事のように楽しめる・楽しめということなのだろうか…。
そういう自分はどうだったのか──確固たる嫌悪感、生理的な違和感、それらを果たして楽しんでいたかどうかはよく分からない。言えることは興味は尽きなかったということ。惹きつけられる要素が非常にたくさんあったということなのかもし、嫌悪感というものこそが正にそれだったと言えるのかもしれない。
エンディングのHARUHIの音楽を聴きながら、気持ち悪さを噛み締める。設定も、話も、登場人物も、そして音も、全てが気持ち悪かったなと思ってしまう。この気持ち悪さを楽しむこともまた、映画の楽しみ方なのかなと半ば強引に納得。
明らかに見えない恐怖をつくり出そうとしている映画であり、その意図は見事なまでに表現されていると思う。そういった意味では優れた作品であることは間違いない。ただ、好き嫌いはあると思う。嫌いという感情を持った作品であっても、あらゆる観点から楽しむことはできるのだろう。カンヌでは観客賞を受賞しているわけで、多くの人が受け入れた作品。見ればきっと何かを見いだせるに違いない。
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