マダム・フローレンス 夢見るふたり(2016年・イギリス)
原題:Florence Foster Jenkins
公開日:(英)2016年5月6日 (日)2016年12月1日
配給:(英)20th Century Fox (日)ギャガ
時間:111分
監督:スティーブン・フリアーズ
脚本:ニコラス・マーティン
出演:メリル・ストリープ(フローレンス・フォスター・ジェンキンス)
ヒュー・グラント(シンクレア・ベイフィールド)
サイモン・ヘルバーク(コズメ・マクムーン)
レベッカ・ファーガソン(キャサリン)
ニナ・アリアンダ(アグネス・スターク) ほか
製作:マイケル・カーン、トレイシー・シーウォード
製作総指揮:キャメロン・マクラッケン、クリスティーン・ランガン、マルコム・リッチー
撮影:ダニー・コーエン
美術:アラン・マクドナルド
衣装:コンソラータ・ボイル
編集:バレリオ・ボネッリ
音楽:アレクサンドル・デプラ
鑑賞日:2016年10月25日
場所:TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン9 D-19
■ ABOUT THE MOVIE(日本語公式HPより)
音楽を純粋に愛するマダムと
彼女に惹きこまれた男たち。
絶世のオンチがなぜ、カーネギーホールを満員にし、
現代もなお人々を魅了し続けるのか──。
感動の実話が幕を開ける!!
1944年10月25日、世界的音楽の殿堂、ニューヨークのカーネギホールで今もアーカイブの一番人気となっている公演が開催された。出演者はフローレンス・フォスター・ジェンキンス、彼女は類希なる音痴だったにも関わらずチケットは即完売、ホールの外には入りきれない群衆たちが押し寄せたという。そんなフローレンスを演じるのが、アカデミー賞19度ノミネート、3度受賞のメリル・ストリープ。なぜか心を打たれる不思議な歌声を見事に再現、ピュアで一途な異色の歌姫を演じきった。フローレンスの夫のシンクレアにはロマコメの帝王ヒュー・グラントが新境地を開拓!監督は『クィーン』『あなたを抱きしめる日まで』でヘレン・ミレンやジュディ・デンチという名女優たちを輝かせてきたスティーヴン・フリアーズ。笑っているうちに、人生へ繰り出す勇気をもらえる感動の実話の映画化!
フローレンスの絶対不可能な夢はやがて人々の希望に─。
ニューヨークの社交界のトップ、マダム・フローレンスの尽きない愛と財産は、夫のシンクレアと音楽に捧げられていた。祖父らの歌手になる夢を追い続けるフローレンスだが、自分の歌唱力に致命的な欠陥があることに気づいていない。愛する妻に夢を見続けさせるため、シンクレアはおひとよしなピアノストのコズメという伴奏者を見つけ、マスコミを買収し、信奉者だけを集めた小さなリサイタルを開催するなど献身的に立ち回っていた。しかしある日、フローレンスは世界的権威あるカーネギーホールで歌うと言い出して─。持病を抱えながらも音楽に生きる彼女の命がけの挑戦に、シンクレアもいっしょに夢をみることを決める。さあ、笑いと涙で包まれた奇跡の公演の幕が上がる!
▶ 映画館環境
第29回東京国際映画祭オープニング作品
TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン9
スクリーンサイズ5.3×12.7m、座席数258
D-19は前から4列目、スクリーン向かってやや右寄り、スクリーンが大きいためやや近すぎるかもしれない。迫力は十分だが少々疲れる。
オープニング作品、上映前メリル・ストリープの挨拶、ということで満席。女性客の方が多かった気がする。
▶ 作品レビュー
フローレンス・フォスター・ジェンキンスと検索すれば、すぐにカーネギーホールでナンバーワンというアーカイブ音源を聴くことができる。めちゃくちゃ面白い、癖になるし、これが一番人気だという一端が垣間見える。
ふと、昔ラジオで聴いたボヘミアン・ラプソディを思い出した。バッド・ニュースというバンドがコピーしたもので、当時テープに録音したものを何度も聴いて何度も爆笑した。それは素人が勝手に面白半分で録音したものではなく、ブライアン・メイがプロデュースして商業販売もされ、しっかりとしたプロモーションビデオまである。現在ではその映像もYoutubeなどで見ることができるし、改めてみるとやはり笑いが止まらない。
いきなり話が逸れてしまったが、映画を見る前に、できることならフローレンス・フォスター・ジェンキンスの音楽を聴いてほしいという思いから敢えて添えさせてもらった。それを聴いて思いっきり笑って、そしてその上で映画を見て、そして見終わった後、もう一度それを聴いて思いっきり笑ってほしい。
音楽というものは何なのか、考えなくてもいいことなのかもしれないけれど、映画を見ると色々と考えさせられるところがあった。
上映前、笑顔いっぱいのメリル・ストリープが会場を笑いで包み込み、その甲斐あって、映画が始まるとたくさんの笑い声が響き渡る。そうこれはコメディー、紛れもないエンターテインメント映画であって、笑いで多くの人を幸せにしてくれる、まさにフローレンス・フォスター・ジェンキンスの歌声のように──。
しかし、少し引いた目線で見ると、結局は金持ちの道楽のようなニュアンスを感じてしまう。フローレンスの音楽を支えていたのは金に群がる欲望でしかないく、そう考えると全く笑えないわけで、まさに音楽への冒涜のようなもの…。確かに、それは紛れもない事実であり、その様子も余すことなく描かれている、というかその金の亡者どもが話の核を成しているといっていい。そして、その様が笑えて、面白可笑しく物語も展開していくわけだが、一般的にオペラ歌手が歌う音楽を想像してみた場合、映画の中の出来事を笑うことができても素直に音楽として受け入れがたいというのが正直なところ…。
しかし、音楽というものは決して高尚な何かというものではなく、誰もが歌ったり奏でたりする音楽や鼻歌などその全てが音楽であり、みんなで踊って騒ぎ立てるのも音楽。人を楽しませ幸せにして癒やしてくれるもの、それが音楽。フローレンス・フォスター・ジェンキンスの残した音楽を楽しめないというのであれば、それこそもう一度音楽の捉え方を見直し方がいいのかもしれない。
これは決してフローレンスの妄想などではない。当初、自分も、これは偉大なる勘違いが生んだ奇跡の産物として捉えていたわけだが、その見識は明らかに間違っていた。
フローレンスにとって音楽というものは、喜びや楽しみ、あるいは愛を表現するものだったのかもしれない。自分の音楽も、他者から受け取る音楽でさえも、単なるメロディーとか響きというものを超越した表現として捉えていたのかもしれない。フローレンス自身が音楽から感じる喜びを周りにも与えたいと思っていたに違いない。
そしてまた、ヒュー・グラント演じるシンクレアが守り続けたものは、フローレンスが音痴だという事実ではなく、フローレンスの音楽そのものだった。シンクレアの献身的な愛が今日まで人を楽しませるに至っている音楽を創り上げたといえるのかもしれない。
いろいろ余計なことを考えてしまったが、そんな面倒な考え方など関係なく楽しめるコメディーであることは間違いない。それでいて、単に笑って済ますだけの映画ではない、深みのあるエンターテインメント映画でもあるように思えた。
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