みかんの丘(2013年/エストニア・ジョージア合作)
原題:Mandariinid
公開日:(ジョージア)2013年10月17日 (日本)2016年9月17日
配給:(日)ハーク
時間:87分
監督:ザザ・ウルシャゼ
脚本:ザザ・ウルシャゼ
出演:レンビット・ウルフサック(イヴォ)
エルモ・ヌガネン(マルゴス)
ギオルギ・ナカシゼ(アハメド)
ミヘイル・メスヒ(ニカ)
ライボ・トラス(ユハン) ほか
製作:イボ・フェルト、ザザ・ウルシャゼ
脚本:ザザ・ウルシャゼ
撮影:レイン・コトブ
美術:ティー・テリア
音楽:ニアズ・ディアサミゼ
鑑賞日:2016年10月4日
場所:岩波ホール
■ INTRODUCTION(日本語公式HPより)
ジョージア(グルジア)のアブハジア自治共和国でみかん栽培をするエストニア人の集落。ジョージアとアブハジア間に紛争が勃発し、多くの人は帰国したが、イヴォとマルガスは残っている。マルガスはみかんの収穫が気になるからだが、みかんの木箱作りのイヴォは本当の理由を語らない。ある日、彼らは戦闘で傷ついた二人の兵士を自宅で介抱することになる。ひとりはアブハジアを支援するチェチェン兵アハメド、もうひとりはジョージア兵ニカで敵同士だった。彼らは互いに同じ家に敵兵がいることを知って、殺意に燃えるが、イヴォが家の中では戦わせないというと、家主が力を持つコーカサス人のしきたりに則り、兵士たちは約束する。数日後、アブハジアを事実上支援するロシアの小隊がやってきて‥。戦争の不条理と人間性の尊さを描く感動作。世界の映画祭で数多くの賞を受賞、アカデミー賞外国語映画賞ノミネートを果たした。
本作はグルジアとエストニアの初の共同製作である。エストニアのタリン映画祭でジョージア映画の特集上映が行われた際、エストニア映画人からの共同製作の提案にジョージアのザザ・ウルシャゼ監督が応え、構想を深めた。19世紀後半のロシア帝政時代に多くのエストニア人がアブハジアに移住し、開墾、集落を築いた。みかんはアブハジアの名産であり、日本の温州産に似ている。ソ連邦時代に、日本人の学者が中心になって、西グルジアの黒海沿岸の地方に多くの苗を植え、拡がっていったともいわれている。
全編ロケによる撮影だが、いまだに緊張状態が続くアブハジアではなく、同じ黒海沿岸であるグリア地方の広大な荒地に集落や道を作り、樹木を植えて撮影された。
ニカが大切にしていたラストシーンで流れるカセットテープの曲は、グルジアを代表する詩人、作家、音楽家であるイラクリ・チャルクヴィアニ(1961-2006)が歌った「紙の船」という歌で、アブハジア戦争中にジョージアで大ヒットした曲。戦場に赴く若者の恋人への心情を語った内容だが、ジョージア人のアブハジアへの思いが重ねられている。
ウルシャゼ監督は1966年生まれ。本作では、さまざまな文化、宗教の衝突を描いているが、世界が危機的な状況のなかで、人間らしさを保つことの大切さを描きたかったと述べている。
■ STORY(日本語公式HPより)
ジョージア(グルジア)のアブハジア自治共和国でみかん栽培をするエストニア人の集落。ジョージアとアブハジア間に紛争が勃発し、多くの人は帰国したが、イヴォとマルゴスは残っている。マルゴスはみかんの収穫が気になるからだが、みかんの木箱作りのイヴォは理由を語らない。ある日、彼らは戦闘で傷ついた二人の兵士を自宅で介抱することになる。ひとりはアブハジアを支援するチェチェン兵アハメド、もうひとりはジョージア兵ニカで敵同士だった。彼らは互いに同じ家に敵兵がいることを知り、殺意に燃えるが、イヴォが家の中では戦わせないというと、家主が力を持つコーカサスのしきたりに則り、兵士たちは約束する。数日後、アブハジアの小隊がやってきて‥・。
▶ 映画館環境
岩波ホールは座席数220のいわゆる老舗ミニシアター。全席自由席
▶ 作品レビュー
結論からいうと戦争の愚かしさを痛切に感じる作品。 敵味方関係なく 傷つけ合い殺し合う、一方で敵味方関係なく助け合う、そしてそこに美化された ものが生まれるのだが、所詮は殺し合いあってのもの。瞬間的に慈愛、博愛という感情が生み出されるけれども、最終的に残るのは虚しさだけ──。
戦争なんていうものに感動なんてあるはずもない。しかし、それを語るものから多分に肯定的な感情の高ぶりを覚えてしまうもの。そしてこの作品にも多少なりともそういった感情を持ってしまった。
そもそもアブハジアとはなんぞや─
ソビエト連邦時代グルジアに属し自治権を認められていたが、1980年代後半にソ連の崩壊とともに1991年にグルジアが独立を宣言し翌年に憲法の復活を宣言すると、アブハジア自治政府は自治権は失われたと判断し自らも分離独立を宣言する。
アブハジアは国際的な承認は得られず、そしてまたグルジアからの軍事攻撃を受け自治政府は敗北する。その後、北コーカサスの義勇軍とアブハジアの分離独立のグループが合流し再びグルジア軍と交戦する。それが激化しアブハジア紛争とかアブハジア戦争と呼ばれる大規模なものに発展する。
グルジア視点でいうと反乱軍によってアブハジアが攻撃され、その大部分を占拠されてしまう。1993年にはアブハジア軍は最大の都市スフミを管理していたグルジア軍を攻撃し、スフミはアブハジア軍の手に落ちる。
国連安保理はアブハジアの軍事行動を非難する。1994年にはグルジアとアブハジアの間で停戦合意が成され、国連平和維持軍による監視がいまだに続いている。同年に憲法も制定され、1996年には選挙も行われるが、アブハジア政府を承認する国は少ない。
観賞時、アブハジアの知識は全くなく、今ようやく明確に歴史をつかみ切れた自分ではあるが、作品がいわんとするところは理解できた。事実を伝えようとする趣旨の作品ではないので、歴史的背景など知らなくても十分堪能できると思うけれど、今更ながら、事前の予習があればより深く作品を咀嚼できたと少々の後悔─。
決して難しい作品だと思わない。仮に理論武装して見にいったところで最終的には戦争というものですべてが壊され虚しさが残るだけ…。だから頭を空っぽにして見ていいのかどうかというと──…まあ否かなー。
ビジュアルの前にまず知的な角度から作品を捉えていくと、自然と物語への感情移入も高まるというもの。
アブハジアについての基礎知識もそうだが、それに合わせて、劇中の中心人物イヴォの故郷エストニアの地理的位置関係などできる限り正確にイメージできれば…アブハジアから相当離れているわけで、故郷に帰るかその場に留まるかの選択肢で割れてしまうことも納得する。またアブハジア紛争の背景を知っていれば、北コーカサスに位置するチェチェンから兵士がアブハジアのために戦っていることも自然の成り行きとして捉えることもできるし、そうするとチェチェン兵アハメドとジョージア兵ニカの対立軸も明確になって、より一層複雑な感情を捉えることができるはず。
ソビエト連邦の崩壊にともなう独立や紛争、ソ連から独立したグルジア(そしてその呼び名をジョージアとするように要請された日本政府はそれを受け入れる)、ジョージアから独立をしようとしたアブハジアは一時はそれが失敗し最終的には独立を果たすが世界的には国として認められていない。一方、アブハジアの独立に貢献したともいえるチェチェンはというとロシアの武力制圧によって分離独立に失敗、しかもイスラム過激派との関係や各地で頻発するテロとの関連を指摘されるまでになっている。
喚起の象徴として何度も目にしたベルリンの壁崩壊の映像、それはまさに崩壊を意味していたわけで、そこから別のもの構築されるまでには様々な困難が伴っていた、そんな世界観をこの作品から見いだせる。
戦争は単に虚しさしか生まないと簡単に片づけてしまうことこそが、むなしい…。そう無知のままにこの作品の観賞に至った自分に多少の後悔をしつつつも、作品きっかけに多くも事柄を得ることもまた映画というものの良さかなとも思っている。
この作品には、ここに記した浅知恵なんかよりももっと深みのある要素が秘められているように思う。残念ながら今の自分にはそれを掘り起こすことはできなかった。
結局、どんな映画でもそれを生かすかどうかは自分次第ということなのかもしれない。
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