ディーパンの闘い

ディーパンの闘い(2015年・フランス)
原題:Dheepan
公開日:(仏)2015年8月26日 (日)2016年2月12日
配給:(日)ロングライド
時間:115分

監督:ジャック・オーディアール
脚本:ノエ・ドゥブレ、トーマス・ビデガン、ジャック・オーディアール
出演:アントニーターサン・ジェスターサン(ディーパン)
   カレアスワリ・スリニバサン(ヤリニ)
   カラウタヤニ・ビナシタンビ(イラヤル)
   バンサン・ロティエ(ブラヒム)ほか
音楽:ニコラス・ジャー

鑑賞日:2016年2月12日
場所:TOHOシネマズシャンテ スクリーン1 E-9


■ ストーリー
スリランカの内戦で多くを失った元武装組織の兵士ディーパン。政府との武装闘争に破れて、半ば敗走する形で祖国を脱出しようとする。
彼は偽の家族をつくって他国へ難民として逃れる。ヤリニが偽の妻となり、イラヤルが偽の娘として、偽装3人家族はフランスに入国し、新たな生活が始まる。
当然偏見がある。その一方で人との温かい交流もある。すべてが自分たちとは違った世界、自分たちも他人同士、孤立していたディーパンの世界が徐々に広がり出す。
平和に過ぎてゆく生活のなかに、亡霊のごとく過去の武装組織の影がちらつき始める。同時に、まわりの犯罪者グループのいざこざにも巻き込まれてゆく。
ディーパンにとって、それが思い込みとか錯覚と言われようとも、もはや偽りの家族はかけがえのない存在となっており、何があろうとも守るべき存在となっていた。故に、そこに銃口を向けられたとき、彼の兵士としての闘争心が燃えたぎる─

ディーパン役のアントニーターサン・ジェスターサンは実際にタミル・イラーム解放のトラに従軍しており、その後逃亡、タイに逃れ4年間を過ごし、フランスに亡命。作家として活動。映画出演は今回が初。

フランスの名匠ジャック・オーディアールが監督し、第68回カンヌ映画祭で最高賞となるパルムドールを受賞。

▶ 映画館環境
TOHOシネマズシャンテのスクリーン1は収容人数225でスクリーンサイズが3.5×8.2m、中規模の劇場。座席配置の傾斜がかなり大きいため、列の前後で見た目の差が激しい。また、それ故に、どの列に座ってもスクリーンをしっかりと見ることができる。
最前列はかなり見上げ。最後方もかなり画面が小さく感じる。
今回の座席E-9は前から5列目の中央部。中央に通路があるため、ちょうど通路側の席となった。なかなか良い位置。ほんの少し見上げ、F列がベストだと感じた。G列だと多少画面が離れてしまう感覚になるはず。いずれにしてもEFG列の中央通路側が最高の位置。
週末の夜の上映であったので客入りもまあまあ。それにしても、カンヌパルムドール作品の割に空席が目立ったというのが正直な感想。カンヌ、ベルリン、ベネチアの受賞作品というのは意外と興収に結びつかないような気がする。面白さにバラツキがあるような気もするし、個人的な意見としてではあるけれども─。

▶ 作品レビュー
国際情勢を取り扱った印象があるこの映画、確かにそれは間違った見方ではないけれども、それは決して正確なレッテルではなく、むしろカッコイイ娯楽映画と見るべきなのかもしれない。
情報が氾濫している今の世の中にあっては、特別に知識を持っていなくても、単純なストーリーテリングを楽しむばかりでなく、多面的にこの作品を堪能することは可能だろう。むしろ情報過多の状況を利用してやろうという作り手側の意図を強く感じた。なかなか狡猾な作品である。
冒頭の映像がオシャレに演出されていて、この作品は時事ネタ映画ではないと主張している印象を受ける。それでも次に展開される映像は明らかにどこぞの紛争後を思わせるもの。やはりこれは時事ネタではとの思いが蘇る。個人的に、国際情勢を扱った映画で全く問題ないし、この映画を見に来ている人の多くは、同様の思いであるはず。でもこの映画は、頑なにそういった見方を否定しようとする。
主人公のディーパンが、うっすらと浮き上がるタイトルバックと共に、光る猫耳の玩具をつけながら表れた瞬間、正直、戸惑いを隠せない。これは、笑うべきところなのか否か─。今にして思うと、笑っていいかどうか迷う場面がこれ以外にも多々あったように思う。それは、自分自身が勝手にこの映画を社会派と決めつけていた故の戸惑いであり、娯楽だと思っていれば、何のことない、素直にほくそ笑んでしまうところが数多くあったということだ。
融通の利かない堅物として描かれているディーパンだが、その主人公ばかりに心を寄せていると、せっかくのユーモアを見過ごしてしまう。まぁ、それも狙いなんだろうけれど。
見ていると、いま沸き起こっているヨーロッパでの難民問題などをどうしても想起してしまうのだが、単なる偶然に過ぎないし、つくりもその問題をどうこうしようという意図が薄い。だから、あまりに国際情勢とこの映画をリンクさせようとすると、何か物足りない、薄っぺらな印象を受ける恐れがある。しかし、それは正当な評価ではないだろう。なぜなら、この映画はあくまで娯楽作品なのだから。
ディーパン役のアントニーターサン・ジェスターサンは、実際にタミル・イラーム解放のトラの戦闘員であったわけだし、映画初出演とはいえ、かなりリアリティーをもった演技をしている。果たしてこれは実際にあったことを映画化しているのでは?という妄想をしてしまう。あくまでフィクション、実際には有り得ないような話、しかしそれが社会問題を取り扱うかのような映画に見えてしまうことこそが、この映画が絶賛される所以なのだろう。
戦闘シーンはかなりリアルで、とてつもない恐怖を感じてしまった。実際の殺戮というのはこのように行われるのでは、と思えるほど。カメラワークや音、さらには特殊効果まで用いて幻想的な仕立て上げられたその映像の質感は、非常に冷たい。まるで、本当の死というのはこんなにも冷たいものなんだぞ、と言わんばかり。まさに、あらゆる死地をくぐり抜けてきた生真面目ディーパンがあってこその映像だ。
この映画は様々な伏線が提示されて、それらが紡ぎ合わされてひとつの大きな結果となっていく。最終的な戦闘シーンは、それまで語られてきたあらゆる事柄がひとつにまとまって爆発している。そして大団円のエンディングへとそれがつながる。
エンディングを見ながらふと思う。果たして、この幻想はどこから始まっていたのだろうか。そして、それは劇中においてどこまでが現実でどこまでが夢想なのか。それは捉え方次第ということなのだろうが、個人的には、いくらエンターテインメント映画だからとはいえ、現実はあんな夢のような世界で終わっているとは思えない。しかし、それは多くのタミル人が夢見る世界なのだろうと勝手に夢想し、勝手に哀を感じ、そして勝手に涙した。
それぞれが自由に捉えて、好き勝手に泣き笑いすればいいのだろう。何せこれは娯楽映画なのだから…

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