キャロル

キャロル(2015年・アメリカ)
原題:Carol
公開日:(米)2015年11月20日 (日)2016年2月11日
配給:(米)ワインスタイン・カンパニー (日)ファントム・フィルム
時間:118分

監督:トッド・ヘインズ
制作:エリザベス・カールセン
   スティーブン・ウーリー
   クリスティーン・ベイコン
製作総指揮:テッサ・ロス
      ドロシー・バーウィン
      トーステン・シュマッカー
      ボブ・ワインスタイン
      ハーベイ・ワインスタイン
      ダニー・パーキンス
      ケイト・ブランシェット
      アンドリュー・アプトン
      ロバート・ジョリフ
原作:パトリシア・ハイスミス
脚本:フィリス・ナジー
出演:ケイト・ブランシェット(キャロル・エアード)
   ルーニー・マーラ(テレーズ・ベリベット)
   サラ・ポールソン(アビー・ゲーハード)ほか
撮影:エド・ラックマン
美術:ジュディ・ベッカー
衣装:サンディ・パウエル
編集:アフォンソ・ゴンサウベス
音楽:カーター・バーウェル

鑑賞日:2016年2月13日
場所:TOHOシネマズ六本木 スクリーン9 D-15


■ ストーリー
1952年、ニューヨーク。
カメラマンを目指しながら高級百貨店でアルバイトをするテレーズ(ルーニー・マーラ)は、クリスマスで賑わう玩具売場でひとりの女性と目と目が合う。
彼女の名はキャロル(ケート・ブランシェット)、娘のためのプレゼントを選んでいた。キャロルはテレーズに何がいいのか相談して、テレーズ自身が気に入っているという限定の鉄道模型セットを購入してその場を去る。その時、キャロルが革の手袋を忘れてしまう。それに気づいたテレーズだったが、もうキャロルの姿はない。
テレーズは、玩具を購入したキャロルから届け先として住所を聞いていたので、置き忘れていった手袋を郵送でキャロルのもとへと届けた。
キャロルは、心遣いの感謝としてテレーズをランチに誘う。
テレーズは、恋人や男性からの誘いに今一歩踏み出せないでいた。一方、キャロルも夫と離婚する段階にあり、娘の親権をめぐって争っていくことになる。男女の関係に違和感を持つふたりは、互いに惹かれ合っていく。
二人は旅に出て、そしてついに関係を持つことになる。しかし、その情事をキャロルの夫が密かに送り込んでいた探偵によって録音されてしまう。それは、親権を争う上でキャロルに不利になってしまう証拠であった。
娘を選ぶかテレーズを選ぶか─、キャロルが選択したのは、テレーズを自分の手の内から解放するという道だった。互いに心が打ち砕かれものの、キャロルは娘に会うことができて、テレーズは念願だった大手雑誌のカメラマンとして契約することができた。
願いは叶った。しかし、自らの気持ちを抑え込んでいる。その気持ちを公言することが恥であり、間違ったこととして偽ろうとする。
揺れ動く心、すれ違う思い、キャロルとテレーズはいったいどんな道を歩むのか…

自らレズビアンだった作家パトリシア・ハイスミスが1952年に刊行した「ザ・プライス・オブ・ソルト」をトッド・ヘインズ監督で映画化。1952年当時の時代背景を見事に再現している。

第68回カンヌ国際映画祭コンペティション部門でノミネート。ルーニー・マーラが女優賞を受賞するなど、非常に評価が高い作品。

▶ 映画館環境
TOHOシネマズ六本木のスクリーン9は収容人数258でスクリーンサイズ5.3×12.7mと比較的大きな劇場。前方3列、後方9列といった座席構成。後方5列目のH列がプレミア席。自分が座ったD列15番は、後方の最前列、画面向かって左寄りの席。画面が大きいため、迫力があって良い席だが、できたらD列ならばど真ん中を選びたい。前の手すりがあまりにも邪魔なので、プレミア席前のEFG列も悪くないだろう。
夜遅い時間帯の上映。半分席が埋まっているかどうかの客入り。評価が高いとはいえ、万人受けするような作品ではないと思うので、まずまずの集客状況といえるだろう。

▶ 作品レビュー
作品の根本テーマなどを考えるよりも、まずはこの映画そのものの美しさこそを感じて欲しい。1950年代のアメリカを丁寧に構築した絵づくりにただただ感銘するばかり。
登場する二人の女優があまりに美しく、あまりに馴染んでいるために、ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラという名前が完全に消え去り、そこにはキャロルとテレーズが存在するのみ。
個人的には「ブルー・ジャスミン」においてケイト・ブランシェットの凄さを感じたものだが、今回のキャロルで似て非なる人物像を完全につくりあげているその姿に、改めてこの人の実力を見たように思う。玲瓏な容姿の中に潜む強さや優しさ、テレーズから見たら完璧な対象を演じきっている。
でも見ているこちらが恋してしまうのは、テレーズの方なのだ。何となくピュアな印象を受け、普通とはどことなく変わっていて、都会と周りに溶け込もうと無理をする感じ─、何とも絶妙であり魅せられてしまう。
当初からこの映画は、賞レースという観点から女優対決という触れ込みがあったと記憶する。確かに甲乙つけがたい互いの演技ではあるが、繊細さを醸し出している面で、ルーニー・マーラがやや上かな、いや単なる好みでマーラが上かな、と思ったりする。
それにしても、実力ある俳優というのは恐ろしいものである。プライベートではLGBTでなくとも、LGBTの演技を求められ、なおかつ本当にそういう人なのではと思わせてしまう。いまさら言うべき事ではないけれど、女性同士の恋心に心を揺さぶられたら改めてそう思わずにはいられなかった。
女優2人の存在感がすべてだといえるこの映画だが、それを最大限に引き立てているのは、やはり画面の質感であろう。どことなく古臭く仕立て上げられているその絵が、幻想的な世界観を創り出しており、過去の時代がまるでお伽話のように展開していく。その中に、完全にこちら側も巻き込んでしまうわけで、そうなると、あくまで人間としての思いがこちらに伝わってくる。どういった人に恋をしようが、その感情は、全人類、それほど大差ないのかなと思ってしまう。もしかしたら恋心というものこそが、人間の感情において、普遍的なものなのかもしれない。
感情の昂ぶりをもってこの映画は終了する。こちらが興奮させられた瞬間にうまく終演させられると、強く印象に残ってしまう。最近でいえば「黄金のアデーレ」などもそうだった。過去のもので思い出してみると「父の祈りを」とか、ジャッキーのカンフー映画とかがその最たるもの、あくまでも個人的な意見ではあるけれど─。
キャロルとテレーズはこの後どうなるだろうと思ってしまう、それはすなわちこの映画の大勝利ということを意味している。映画が閉じてもさらに思考や想いが続いていく。そして、その物語に続く物語を夢想してしまう。そういう目論見で作られた映画は多々あるとは思うが、これほどまで見事にそれを成し得ている映画は希少であろう。黒で遮断されたはずが、決して切られてしまったという印象すら持つことができない。次に続く物語はそれぞれの胸の内に育まれ、どういったかたちであれ、いつの日かそれが花開くこともあるのだろう。




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