ヘイトフル・エイト

ヘイトフル・エイト(2015年・アメリカ)
原題:The Hateful Eight
公開日:(米)2015年12月25日 (日)2016年2月27日
配給:(米)ワインスタイン・カンパニー (日)ギャガ
時間:167分

監督:クエンティン・タランティーノ
脚本:クエンティン・タランティーノ
制作:リチャード・N・グラッドスタイン
   ステイシー・シェア
   シャノン・マッキントッシュ
製作総指揮:ボブ・ワインスタイン
      ハーベイ・ワインスタイン
      ジョージア・カカンデス
出演:サミュエル・L・ジャクソン(マーキス・ウォーレン)
   カート・ラッセル(ジョン・ルース)
   ジェニファー・ジェイソン・リー(デイジー・ドメルグ)
   ウォルトン・ゴギンズ(クリス・マニックス)
   デミアン・ビチル(ボブ)
   ティム・ロス(オズワルド・モブレー)
   マイケル・マドセン(ジョー・ゲージ)
   ブルース・ダーン(サンディ・スミザーズ)ほか
撮影:ロバート・リチャードソン
美術:種田陽平
衣装:コートニー・ホフマン
編集:フレッド・ラスキン
音楽:エンニオ・モリコーネ

鑑賞日:2016年2月27日
場所:ユナイテッド・シネマ豊洲 スクリーン10 E-19


■ ストーリー
南北戦争が終わって間もない頃、雪に覆われたワイオミング州の山中を一台の馬車がレッドロックの町へと急いでいた。馬車に乗っているのは賞金稼ぎのジョン・ルース(カート・ラッセル)と1万ドルもの賞金を掛けられた女のお尋ね者デイジー・ドメグル(ジェニファー・ジェイソン・リー)であった。
道中、これもまた賞金稼ぎのマーキス・ウォーレン(サミュエル・L・ジャクソン)と出会う。ウォーレンは3つの賞金首の亡骸を抱えながらも、移動手段である馬を失っていた。ルースに馬車への同乗を懇願する。ともにレッドロックを目指していたのだった。
さらにまた、そこに、自称レッドロックの新保安官だというクリス・マニックス(ウォルトン・ゴンギズ)が加わる。彼もまた馬を失っていたのだ。
こうして、4人は同じ馬車で、同じ場所を目指して進んでいく。
予想外に吹雪が激しさを増す。4人は、途中にあるミニーの店に避難する。そこならば様々な品物も揃っていて、天候が回復するまで逗留可能だ。
店に着くとすでに4人の先客がいた。しかも、店主ミニーを含め、おなじみの面々が店にはいない。この店をよく知るウォーレンは、その異常にすぐ気づく。
囚人ドメグルを鎖で繋いでいるルースも、異様な雰囲気に警戒する。自分が連れている賞金首ドメグルを狙っている輩が、その中に紛れていると確信していたのだ。
こうして集った8人は、何かしらの偽りを抱え、他の者を欺いている。この騙し合いの結末に待っているものとは、いったいどんなものなのか─

奇才クエンティン・タランティーノが監督、巨匠エンニオ・モリコーネが音楽、Ultra Panavision 70を使用、と何かと話題が多い作品


▶ 映画館環境
ユナイテッド・シネマ豊洲スクリーン10は定員415人、スクリーンサイズ22.6m×9.7m(シネマスコープ)と大きな劇場。
座席は前方と後方の2ブロックに配置、E列は2ブロック目の最前列。座ったE19席はちょうどスクリーンの真ん中。スクリーンの大きさに対して若干近すぎるかもしれないが、迫力は満点。前に手すりなどもなく、ゆったりと観賞。
日本公開初日、話題性が多い割に観客が少なめ。主要映画祭の作品賞などのノミネートや受賞がないためだろうか。それとも3時間近い上映時間が敬遠されたのだろうか。
70ミリで撮った作品なので、どうせなら大画面で見たかったので、都内で上映されている中で最も大きなスクリーンであるのはどこかと探ると、ここだった。
実際見ると、それほど特別な映像の美しさなど感じることができず、むしろ、雪のシーンなどでは縦に走るモアレのようなものを常に感じてしまって、70ミリで撮ったものはやはり70ミリ上映で見なければ意味がないということを実感するだけだった、そんなの見たこともないけれど…。


▶ 作品レビュー
クエンティン・タランティーノが好き勝手に作った映画でしょう、これは。下劣だし、卑猥だし、スプラッターだし、差別的だし、面白くなければクソ映画といえるだろう。だが、面白い、本当に面白い。
細かな描写だけを見ると、酷いんです、これが。血しぶきブシャー、ニガー!ニガー!の連呼、死体がゴロゴロ、死んだら完全に物扱い、全裸、黒いものをしゃぶらせる…絶対これは18禁だなと断定できる。あまりにも酷すぎて、笑っちゃいます。
ただ、これら過激な描写を批判すれば、不思議とその批判した当人こそが批判される側になりそうで、恐らくこれを批判的に見る者は単に眉にシワを寄せ目をそむけるだけ。声を上げるのは喝采する者だけのような気がする。黒人差別だ、女性蔑視だ、そう叫ぶと、そういうお前こそが差別しているんだぞと罵られること必至。
実際に南北戦争の頃は黒人差別など酷かっただろうし、女の顔に血しぶきが飛び散るのは銃社会なのだから当たり前。そもそも、西部劇自体が偏見の塊のようなものであり、タランティーノは単にありのままのことを正直に表現し、そしてそれをエンターテインメントとして提示しているだけ。これを笑える社会こそが健全だと思う。とはいえ、子供には見せたくないかな。
個人的にこの映画で一番興味を引かれたのは、ウルトラ・パナビジョン70という触れ込み。その実力とはいかい!? 正直、ウルトラ・パナビジョン70なるものが何なのか、あらゆる説明を読んでもよく分からない。分かったのは2.76:1というアスペクト比だけ。相当横長になるわけで、つまり広々とした空間表現が可能だということが分かる。
実際に荒野に広がる雪景色から始まるこの映画は、ウルトラ・パナビジョンの特性を存分に生かし切ろうという意図が感じられる。しかし、広々としたロングショットよりも、閉塞した室内の映像や人物のクロースショットの方が非常に迫力を感じた。それが、タランティーノというアーティストの力量なのだろう。美しい景色を撮ることよりも、複雑な人間関係を撮ることの方がこの監督には合っている。さらなる空間表現を求めたことは、ある意味チャレンジだったのだろう。それはあまり成功しているとは言い難いけれども、自分が得意とする表現にさらに磨きがかかり、そして、次なる野望にも繋がっているのかもしれない。一層の可能性を感ぜずにはいられない。
小難しいこと云々よりも、この映画は非常に面白い、それ以外ない、という感想が正直なところ。これまで築き上げられてきたハリウッド映画の記号を用いて、誰にも思いつくことができないであろう創造力を持ってして、思い通りに表現している至極のエンターテインメント、それ以外の何ものでもない。
黒人差別だの、銃社会だの、男女平等だの、命の尊さだの、ありもしない隠されたメッセージみたいなものを掘り起こしたくなる映画だ。例えそういった志がタランティーノにあったとして、実際にそれを映画の中に反映していたとしても、そういった問題意識を持ち出してこの映画を評価すること自体、無意味なような気がする。究極、面白ければそれでいい、それが映画だろ─間違いなくタランティーノはそういう意識でこの映画を作っているからだ。
「これは自分の最高傑作だ」と、タランティーノは自画自賛していた。それを見て、まさしくこれはタランティーノの最高傑作だ(全てのタランティーノ作品を見ているわけではないけれど)、自分はそう感じ、それ故に、何も語る必要がないと思ったわけだ。そうはいいながら、ぐだぐだ述べてしまったのだが…。
ただ、万人にはおすすめはしない。嫌悪する人や見てはいけない人は必ずいる。そういう人が、これを見て貶めるようなことはしてほしくない。
タランティーノ好きは勿論のこと、デビット・リンチ好き、寺山修司好き、ホドロフスキー好きの人はおすすめです。



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