マッドマックス 怒りのデス・ロード

マッドマックス 怒りのデス・ロード(2015年・アメリカ)
原題:Mad Max: Fury Road
公開日:(米)2015年5月15日 (日)2015年6月20日
配給:ワーナー・ブラザース
時間:120分

監督:ジョージ・ミラー
制作:ダグ・ミッチェル、ジョージ・ミラー、P・J・ボーテン
製作総指揮:イアイン・スミス、クリス・デファリア、コートニー・バレンティ、グレアム・バーク、ブルース・バーマン、スティーブン・ムニューチン
脚本:ジョージ・ミラー、ブレンダン・マッカーシー、ニコ・ラザウリス
出演:トム・ハーディ(マックス)、シャーリーズ・セロン(フュリオサ大隊長)、ニコラス・ホルト(ニュークス)、ヒュー・キース=バーン(イモータン・ジョー)、ゾーイ・クラビッツ(トースト)ほか
撮影:ジョン・シール
美術:コリン・ギブソン
衣装:ジェニー・ビーバン
編集:マーガレット・シクセル
音楽:じゃんきー・XL
視覚効果監修:アンドリュー・ジャクソン

鑑賞:2015年6月23日 TOHOシネマズ新宿IMAX3D F-10席、2016年2月2日 TOHOシネマズ新宿MX4D A-9席


■ ストーリー
核戦争後の未来、資源や水が枯渇し、文明も退化してしまったにおいて─
失った家族の幻影に悩まされながら彷徨い続けるマックス(トム・ハーディ)─
ある日マックスは、砂漠を支配するイモータン・ジョー(ヒュー・キース=バーン)の軍団に捕らわれてしまう。イモータン・ジョーは潤沢な地下水がある場所に砦を築き、水を独占することで砂漠を支配していた。その砦に連れて行かれたマックスは、戦闘集団ウォーボーイズのために血液を与える“血液袋”として拘束される。
そんな中、ジョーの部隊を指揮するフュリオサ大隊長(シャーリーズ・セロン)が石油の取引でトレーラーを運転しながら部隊を指揮することになった。それはフュリオサが待ち望んでいた逃亡計画の好機でもあった。
通常の運行ルートを変更したフュリオサの裏切り行為にイモータン・ジョーが気づく。しかも、彼が囲う5人の妻も姿を消していた。その中には貴重な妊婦もいる。怒り狂うジョーは、自ら主力のほぼすべてを率いてフュリオサの追跡に向かう。マックスも“血液袋”として、車のフロントに縛りつけられて参加することになる。
壮絶なカーチェイスや大規模な砂嵐など、幾多の困難を乗りこえ、フュリオサは何とか逃亡に成功する。そこに、九死に一生を得たマックスと一人のウォーボーイが現れる。フュリオサと共に逃亡した囲われ妻たちは、豊富な水などを持っており、マックスはトレーラーごと水なども奪おうとする。“血液袋”マックスは、血液を提供していたウォーボーイをなんとか振り切り、ひとりトレーラーで逃亡をはかる。しかし、トレーラーには細工があり、結局、フュリオサと逃げ出した妻らのと奇妙な協力関係を築きながら、しつこく追ってくるジョーの軍団から逃げていくことになる。そこに振り切ったはずのウォーボーイも潜んでいて、事態は複雑に絡み合いながら展開していく。
マックスとフュリオサは生き残るため完全な協力関係を結び、多方面から武力協力を得ながら進んでくるジョーの大部隊をなんとか退ける。そして、ついにフュリオサが目指していた生まれ故郷にたどり着く。しかし、そこはかつての場所とは一変していた…
目的の地を失ったフュリオサは、マックスと共にイモータン・ジョーに立ち向かうことを選択する。それは無謀にも近いことであった。
果たして、フュリオサやマックスに未来はあるのか─
マッドマックスシリーズの4作目、1985年「サンダードーム」以来の新作。過去3作同様、監督はジョージ・ミラー。国際批評家連盟賞ほか数々の映画賞を受賞、ゴールデングローブ賞やアカデミー賞の作品賞にもノミネートされ、その評価は極めて高い。

▶ 映画館環境
去年、TOHOシネマズ新宿スクリーン10IMAX3Dで干渉済みの作品。その時の席は、F-10席、正面向かってやや左より。それでもここのF列8〜26であればどこでもOK。その時の迫力と感動が強く印象に残っている。
今回は、TOHOシネマズ新宿スクリーン2MX4Dでの観賞。座席数110と劇場としては中規模なもの。スクリーンもそれほど巨大ではない。座席はA-9。最前列のど真ん中。かなりの見上げで、ミスチョイス。
朝9時からの上映でも結構な入り。確かに、評判はいいし、一度見るとMX4Dに最適なものではないだろうかと思ってしまう。
MX4Dは3度目の体験だが、個人的にはこれでMX4Dのメリットは全くないと実感できた。画面の迫力はIMAX3Dに及ばず、余計な動きとミストとフラッシュが邪魔で仕方がない。そして感動を覚えるのは映画そのものだということがよく分かった。
お高いMX4Dは、もやは、すすんで選択するようなことはないだろう。

▶ 作品レビュー
正直、今さらマッドマックスなって…と思いました。そして、いざ見ようというときになっても、トンデモ映画として笑い飛ばしてやろうという思いで臨みました。その見方は決して間違ったものではなかったのですが、予想外の面白さで、逆に感動してしまうほど。
おバカなキャラや設定などを大切にしながら、主役はしっかりカッコイイし、カーチェイスなどの激しいアクションは派手でリアル、娯楽以外に意味を成さないと思ってしまうけれども、映画はそれ以外に何の意味があるのか!と言わんばかりの姿勢で創っている意志がよく伝わってくるし、それ故、見ているこちらは迷いなく楽しめる作品。
冒頭から終始、文字データやナレーションなどの説明は一切ありません。突然話は始まり、唐突な展開でどんどん進んでいきます。何でマックスは一人放浪しているのか、そもそもこの男の名前が劇中で明示されるのは最後の最後の方だし、支配者イモータン・ジョーは何者だ!?そしてその部下フュリオサ大隊長というのは女?男?すごいの?湧き上がる疑問は尽きないが、そんなの関係ないくらいに分かりやすく話が推移していく。
とにかく悪い奴がいて、それから逃れようとする者がいる。逃げて、追って、戦い続ける。その構造が明確にあるだけで、あとは個人個人で中に潜む味付けを感じとっていけばいいわけだ。
そもそも、この映画はシリーズ4作目だから説明抜きでも分かりやすいのは当たり前。過去の作品を知っていれば、男の名はマックスで、この世界は核戦争後の未来なのだと言うことは周知のこと。そもそもこの世界観こそがマッドマックス最大の遺産。この世界観があれば、マックスがメル・ギブソンであろうがトム・ハーディであろうが、マッドマックスは成立するわけだ。
新作には、メル・ギブソンは出ていないけれども、1作目で暴走族のリーダー・トーカッター役だったヒュー・キース=バーンが今回はイモータン・ジョー役として出演しているという事実が笑える。といっても、トーカッターなんて記憶にないし、そもそも1作目がどんな話だったかも記憶にない。核戦争後という設定は2作目からだったという事実を確認するにあたり、我ながら記憶の曖昧さを痛感したりする。
マックス=メル・ギブソンという公式を納得できる自分だからこそ、すんなりと「怒りのデス・ロード」を楽しめたかも知れなけれど、ケンシロウしか知らないヤング、ケンシロウすら知らないキッズなどは、素直に楽しめるのか徐々に疑問になる。
あるレビューで“ケンシロウが出てくるような映画”というコメントを発見したとき、やっぱ世界観はしっかりと理解できるよね、何せ分かりやすいし─、でもマックスがいなかったらケンシロウもいないからねーと言いたくもなったし、逆に“知らない役者ばかりでつまらん”というコメントもあり、やっぱマックス=メル・ギブソンという思いが強いんだろうなあと、いろいろ思いが交錯してしまいました。

様々な感想があるだろうけれど、自分としては2度見て2度ともに感動してしまったわけで、とにかくも、その要因たるものを述べていきたいと思います。

まずはフュリオサ。格好良すぎる。あの義手があるからこそ一層強そうに見えるし、ウォーボーイズらのリーダーとしてトレーラーを運転していくその勇姿、億を稼ぐアカデミー賞俳優はやっぱ格が違うと思わざるを得ません。その力強さから一転、砂漠の中で泣き崩れる姿、佇まい、実に儚く美しい…、そこにはシャーリーズ・セロンの姿は皆無であり、まさしく強く逞しい悲しきヒロイン・フュオリサだけが存在している。
そして、自分が最も気に入っているキャラクターはドーフ・ウォーリアー。だれ?映画を見ていたとしても、そういう反応を示す人は多いことでしょう。そういう自分もそんな固有名詞を出されても???な感じになります。何せ、そんな固有名詞などはいま調べてようやく知り得たものですから…。分かりやすく言えば、火炎放射器付きのダブルネックギターをかき鳴らしていた赤い奴です。監督の趣味丸出しといった感じで、ハードロック好きの自分の心をくすぐります。何せ1作目2作目の音楽担当はブライアン・メイですからね。結局、ジョージ・ミラーはロック好きなんだと思うし、だから共感してしまう。
使い捨ての戦闘員、ウォーボーイズも良かったなぁ。死ぬために生き、名誉の死を臨む、人権なんてない、まさに生ける兵器、それがウォーボーイズ。そんな脇キャラに、命短し恋せよ男子と言わんばかりに、あるウォーボーイの運命の変遷を描いているところが、アクションばかりではない人間ドラマもあるのだぞという懐の深さを見せてくれる。といっても限りなく薄っぺらではありますが…それでも、死にたい死にたいと思っている時になかなか死ねなくて、もっと生きていたいと思い始めた途端、名誉の死を迎えるという心憎い演出には素直に感動してしまう。
結末はあっけないどんでん返しではあるのだけれど、あくまで正義は勝つ的な勧善懲悪の話なんだし、自分的には大団円バンザイです。あまりにもご都合主義的な展開だという意見にも納得ですが、フュリオサまで舞台から消え去っていたのであれば、この映画のエンターテインメントとしての評価は地に落ちていたことでしょう。

最初、IMAX3Dでこの映画を見た自分は、この感動は迫力ある大画面と3Dに適した視覚効果が功を奏したものと思っていた。しかし、MX4Dで再び観賞してみると、確かに迫力ある映像そのものに満足していたのもあるけれど、内容やストーリーそのものにも心を動かされていたという事実を確認できました。
改めて、この映画がゴールデングローブ賞やアカデミー賞にノミネートされる理由がよく分かる。それでも、アカデミー賞最優秀作品賞なんて無理だと思ってしまうのが正直なところ。この予想を覆してくれる結果を待ち望むところではあるけれども、果たして2016年閏年の結果やいかに。この映画が最優秀作品賞を取れば、ハリウッドの株も一層上がるように思うのは、自分だけでしょうか?逆に賞を取ってしまうと、この映画の魅力が削がれてしまうかもしれませんねー。





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