火の山のマリア(2015年/グアテマラ・フランス合作)
原題:Ixcanul
公開日:(仏)2015年11月27日 (日)2016年2月13日
配給:(仏)ARP Sélection (日)エスパース・サロウ
時間:93分
監督:ハイロ・ブスタマンテ
脚本:ハイロ・ブスタマンテ
制作:イネス・ノフエンテス、マリーナ・ペラルタ、ピラール・ペレード、エドガルド・テネンバウム
出演:マリア・メルセデス・コロイ(マリア)、マリア・テロン(フアナ)ほか
編集:ルイス・アルマンド・アルテアガ
音楽:パスクアル・レジェス
鑑賞日:2016年2月16日
場所:岩波ホール C-6(※全席自由席)
■ ストーリー
舞台は、太古の昔マヤ文明が繁栄したグアテマラの高地。火山付近で暮らす先住民は、肥沃な土地で農業を営み、常に土地の神へ感謝と畏怖の念を抱いている。
先住民マリアは父と母の3人暮らし。借地でコーヒー農園を営み生計を立てている。農園は毒ヘビの発生に悩まされていて、思うように収穫を確保できず、生活は困窮していた。
そんな中、マリアの両親は地主とマリアとの婚約を決めてしまう。マリアには恋心を抱く若者がいたが、そんな気持ちなど全く無視。
マリアは結婚前に恋する若者に処女を捧げる。そしてその若者と共にアメリカに夢を求めて逃走しようと心に決める。しかし、若者には置いていかれて、それを追いかけたマリアは婚約者に発見され、結局家へと送り返されてしまう。
しばらくして、マリアの妊娠が発覚する。農薬を飲んだり、あらゆる神事を用いたものの、子供を堕胎することができない。ついに、マリアはすべてを公にし、子供を産むことを決意する。それを知った婚約者の態度は一変した。一家の農地をとりあげ、追い出そうとする。
先住民はカクチケル語を話し、グアテマラの公用語はスペイン語であったため、役所の手続きや病院などの対応には通訳が必要であった。一家の通訳は農園の地主一人がすべて行っている。一家がスペイン語を理解できないことをいいことに、地主の都合のいいようにでたらめの通訳も頻繁に行われていた。
そんな中、マリアが毒ヘビにかまれて病院に担ぎ込まれる。そこでも、地主の通訳でやりとりが行われ、それが悲劇へとつながっていく─
グアテマラ出身のハイロ・ブスタマンテ監督の初長編映画。2015年ベルリン国際映画祭で銀熊賞受賞。グアテマラの社会問題を浮き彫りにした作品。
▶ 映画館環境
岩波ホールは座席数220のいわゆるミニシアターと呼ばれるもの。座席とスクリーンの間が離れているので、なるべく前方の席を取った方がいい。最前列も悪くはないが、やはり見上げが甚だしい。今回は前から3列目のC-6を選択。通路側で、スクリーン向かってかなり左寄り。座席間があまり広くないので、個人的には真ん中の席は取りたくない。位置は3列目がベスト。多少見上げだが、4列目以降は画面が小さい印象を受ける。
平日の午前の上映、かなりの客数、しかもほぼ高齢者。
ミニシアターとして有名な場所だから、何度か足を運んでいるが、昔からこの劇場は好きではない。チケット売場も変な位置にあり、空いてないときもあるし、劇場がオフィスビルの10階なのでエレベーターの待ち時間が長い。スクリーンは小さいし、座席スペースも狭いし、自販機の値段も割高だし、トイレに小階段があったりと、本当に客のことを考えているのかどうか疑問だ。
見たい映画がなければ決して行きたくない。でも、たまにここでしかやってない、見たい映画があるんだなーこれが…。
▶ 作品レビュー
見ていて結構つらい映画だった。退屈とか駄作とかそういった意味ではなく、内容が直視できないところがあった。
呪術とかしきたりに縛られる先住民の生活に嫌悪感を覚えるし、先住民が先住民を搾取する現実とか、家畜をバラすシーンとか(バラしているものを我々も食べているわけだから目をそらしてはいけないと凝視したけれど─)、毒ヘビとか、男尊女卑とか子供は親の道具でしかないとか、描かれている内容は醜悪なものが多い。
映像そのものはなかなか素晴らしい。それらは、大自然や先住民のエスニック要素によるものが大で、政府が助成金を出してまで保護しようとする意義も理解できる。
そもそも、保護といいながら果たしてしっかりと保護されているのかどうか大いに疑問。結局、生活を変えないでくれと言われる先住民が不利益を被るだけではないのかと思わざるを得ない。
今の世の中、さらにその先、電気や水道などの現代的インフラが全く整備されていない環境など考えられない。過去の文化や風俗を残していくこと、それは記録とか形式とかでしか成り立たないのではないだろうか。
マリアは悲惨な犠牲者だ。先住民という弱者が被っている現状、そして、女であるがゆえの卑下、それらすべてを彼女が代弁している。電気も水道もない貧しい環境での暮らし、十分な助成金も行き届かず、教育も十分でない様子もうかがえる。そして、家の中では、単なる労働力であり、結婚も勝手に決められてしまい、そして女性は家事の一切をこなす…、若者が夢を求めてアメリカなどに向かう現状にも頷ける。
マリアの身に起こる出来事が、あまりにも悲惨で馬鹿げたものであり、常に嫌な思いで見続けた。それでも、最後まで見るだけのストーリー展開の面白さはあったし、何よりも見続けなければならない責任も感じた。
近代的な生活をすることこそが幸せに繋がるわけではないとは思うが、呪術を重んじたり、赤ん坊を簡単に流産させるといった悲劇をつくってはならない。それら害がなくならないというのであれば、その古い文化・風俗など残す意味は全くない。
雄大な自然、牧歌的な風俗、それら映像に魅せられつつ、その内情は悲惨極まりないという現状を突きつけられると、非常に複雑な感情になってしまう。奇麗に着飾るマリアの姿を良しとするか否か、その判断が難しい。
文化を残すにしても変えるにしても、本当に当事者のことを思っての対応をしなければならないと、いまさらながら、気づかされたといったところ。社会的意識をかき立てられる映画であった。
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