オーバー・フェンス

オーバー・フェンス(2016年・日本)
公開日:2016年9月17日
配給:東京テアトル
時間:112分

監督:山下淳弘
原作:佐藤泰志
脚本:高田亮
出演:オダギリジョー(白岩義男)
   蒼井優(田村聡)
   松田翔太(代島和久)
   北村有起(哉原浩一郎)
   満島真之介(森由人)
   松澤匠(島田晃)
   鈴木常吉(勝間田憲一)
   優香(尾形洋子)
   塚本晋也(聡の父(声))
撮影:近藤龍人
製作:永田守
製作統括:小玉滋彦、余田光隆
エグゼクティブプロデューサー:麻生英輔
企画:菅原和博
プロデューサー:星野秀樹
アソシエイトプロデューサー:吉岡宏城、佐治幸宏、米窪信弥
キャスティングディレクター:元川益暢
ラインプロデューサー:野村邦彦
撮影:近藤龍人
照明:藤井勇
録音:吉田憲義
美術:井上心平
編集:今井大介
音楽:田中拓人

鑑賞日:2016年9月27日
場所:TOHOシネマズ流山おおたかの森 PREMIER C6


■ ストーリー
家庭をかえりみなかった男・白岩は、妻に見限られ、東京から故郷の函館に戻りつつも実家には顔を出さず、職業訓練校に通いながら失業保険で暮らしていた。
訓練校とアパートの往復、2本の缶ビールとコンビニ弁当の惰性の日々。なんの楽しみもなく、ただ働いて死ぬだけ、そう思っていた。
ある日、同じ職業訓練に通う仲間の代島とキャバクラに連れて行かれ、そこで鳥の動きを真似る風変わりな若いホステスと出会う─。名前は聡(さとし)。
「名前で苦労したけど親のことを悪くいわないで、頭悪いだけだから」そんな風に話す、どこか危うさを持つ美しい聡に、白岩は急速に強く惹かれていくが…。
自由と苦悶のはざまでもがく女の一途な魂にふれることで、男の鬱屈した心象は徐々に変化していくが、それまでもままならない時間をすごすしかない一組の男女。そして孤独と絶望しか知らなかった男たち。

▶ 映画館環境
TOHOシネマズ流山おおたかの森プレミアスクリーン
スクリーンサイズ3.5×8.3m、座席数58、小さな劇場
C6は前から3列目、通路側、スクリーン向かってほぼ真ん中
リクライニング付きの豪華な座席。荷物を置く場所も確保されているため、非常にゆったりと観賞できる劇場。かなり気に入った。 

▶ 作品レビュー
原作を読まずに観賞した。
ストーリーよりも出ている人や人間関係などに面白みを感じた。オダギリジョーや蒼井優、そして松田翔太など有名俳優にどうしても目がいってしまうわけだけれども、その熱い視線を決して裏切らない素晴らしいパフォーマンスを見せてくれて、それゆえに筋云々関係なく作品そのものを咀嚼できた。そしてまた、鈴木常吉など味のあるはまり役などにも魅せられて、非常に楽しい映画に見えた。
内容は、失業中の独り身の男が生まれ故郷に戻って失業手当をもらいながら一人暮らしをしているという、もしかしたら人生のどん底といえるような状態を描いているものだが、悲壮感などは全く感じない映画で、泣いても笑っても怒っても、なんだか淡々と展開していくような印象を持った。いわばフラットな映画であるが故に、見る者によって抱く感情が大きく異なるように思われるが、自分の場合は何だか楽観的な印象を強く持ったわけで、怒りや悲しみは喜びを引き立てるためにあるようにも思えてしまった。
展開そのものも、どん底から這い上がっていくようなところがあるから、なおさら負の要素満載でも肯定的に捉えることができたのかもしれない。
函館が舞台となっている作品だが、なぜかその色味が薄いように感じた。函館というよりも、都会の郊外といった印象。作品自体が特別に場所が重要なテーマとなっていないわけだから、例えオダギリジョーや蒼井優や松田翔太が函館の人とは見えなくても、違和感なくいい映画だとなと感じることができたわけだ。あくまで個人的な感想でしかないけれど──。
これはぜひとも原作をと思い、故・佐藤泰志の短編小説「オーバー・フェンス」を遅ればせながら読んでみた。
基本設定や流れのようなものは同じとはいえ、映画は原作をかなり脚色していたことが分かった。正直な話、小説を読む限り、オダギリジョーも蒼井優も松田翔太もイメージができなかった。蒼井優演じた“さとし”にいたっては、背景や役割・設定がかなり違っていた。原作を脚色することはよくあることだと思うし、筋や展開をがらりと変えてしまう例も少なくないわけだから、この映画での原作の違いをあれこれ言うつもりはない。むしろ、核となるようなテーマを尊重しながら、見事に変化させているのではないかと感心してしまったほどだ。
嫌な言い方をしてしまうと、有名実力派の俳優陣を生かすために脚色された作品なのかなと思ってしまうわけだが、無理に原作に合わせようとせずに、むしろ俳優の為人を尊重したことでナチュラル感を生み出していとも言える。エキセントリックに仕立て上げられた“聡”でさえも、しっかりと映画の中で生きていた、決して蒼井優がそこにいるわけでなく、ちゃんと聡が躍動していた。
筋やテーマは変わらずとも、映画と小説ではまるで違った印象を持った。だからなおさら、原作を読んでこの映画の良さを一層知ったような気がする。

エル・クラン

エル・クラン(2015年・アルゼンチン)
原題:El Clan
公開日:(アルゼンチン)2015年8月13日 (日本)2016年9月17日
配給:(アルゼンチン)20th Century Fox de Argentina (日本)シンカ、ブロードメディア・スタジオ
時間:110分

監督:パブロ・トラペロ
脚本:パブロ・トラペロ、ジュリアン・ロヨラ
出演:ギレルモ・フランチェラ(アルキメデス・プッチオ)
   ピーター・ランサーニ(アレハンドロ・プッチオ)
   ジゼル・モッタ(シルビア・プッチオ)
   フランコ・マシニ(ギジェルモ・プッチオ)
   リリー・ポポビッチ(エピファニア・プッチオ)
   ガストン・コッチャラーレ(マギラ・プッチオ)
   アントニア・ベンゴエチェア(アドリアナ・プッチオ)
   ステファニア・コエッセル(モニカ) ほか
製作:ウーゴ・シグマン
   マティアス・モステイリン
   アグスティン・アルモドバル
   ペドロ・アルモドバル
   エステル・ガルシア
   パブロ・トラペロ
撮影:フリアン・アペステギア
編集:アレハンドロ・カリーリョ、パブロ・トラペロ
音楽:セバスティアン・エスコフェット

鑑賞日:2016年9月27日
場所:TOHOシネマズ流山おおたかの森 スクリーン5 K13


■ INTRODUCTION(日本語公式HPより)
鬼才ペドロ・アルモドバル製作
ヴェネチア国際映画祭<銀獅子賞>受賞の話題作!

スペインの鬼才ペドロ・アルモドバルが製作し、2015年に開催された第72回ヴェネチア国際映画祭にて監督賞となる<銀獅子賞>を受賞。本賞では、北野武監督(『座頭市』)やキム・ギドク監督(『うつせみ』)、ポール・トーマス・アンダーソン監督(『ザ・マスター』)など各国を代表する監督たちが過去に受賞している。そして昨年、アルゼンチンの俊英パブロ・トラペロ監督は『エル・クラン』で受賞となり、名だたる監督に仲間入りを果たした。
ヴェネチアの銀獅子賞をはじめ、第10回アルゼンチンアカデミー賞では最多5部門(監督・新人男優・美術・衣装・録音)を受賞する快挙を遂げ、本国では大ヒット映画『人生スイッチ』をオープニング動員記録で抜き、300万人という驚異的な動員数で社会現象化。その勢いは止まず、第30回ゴヤ賞のイペロ・アメリカ映画賞、第40回トロント国際映画祭Platform Prize特別賞、第32回マイアミ国際映画祭観客賞を受賞し各国の映画祭で賛辞をうけた。さらには米・辛口批評家サイトRotten Tomatoesでも90%の満足度となった超話題作!
裕福で、周囲からも慕われる父、母、息子3人、娘2人の素敵な家族“プッチオ家”。幸せな暮らしをしている彼らのまわりで、ある日を境に、金持ちの家を狙った高額の身代金事件が多発。近所では不安が募る一方、変わらない生活を送るプッチオ家。彼らの裏には一体、何があるのか? 1983年にアルゼンチンで実際に起き、ちょっと裕福な普通の“家族”が全世界を震撼させた事件を完全映画化!! この映画のとんでもない結末にあなたの開いた口がふさがらない!!

■ STORY(日本語公式HPより)
二つの顔を持つ裕福な家族。彼らの稼ぎは、身代金だった──
1980年代アルゼンチン。史上最悪な独裁政治から7年以上が経ち、徐々に民主政治を取り戻していた時代。裕福で、近所からも慕われるプッチオ家は、父アルキメデス(ギレルモ・フランセーヤ)を筆頭に妻、息子3人、娘2人で幸せに暮らしていた。そんななか、マルピナス戦争(フォークランド紛争)の結果、政府が転覆。政府の情報管理官として働いていたアルキメデスは無職になってしまう。
ある日、長男アレハンドロ(ピーター・ラサーニ)は、同じラグビーチームの友人に車で家まで送ってもらっていた。そこへ突然、見知らぬ車が割り込んでくる。その車から出てきた銃を持った男たちは二人の頭に布を被せ、さらっていった。友人は車のトランクへ、アレハンドロは助手席へと放り込まれた。なぜか運転席の男は、乱暴されたアレハンドロを気遣う。そこで覆面を取ったのは、父アルキメデスだった─
翌日、アレハンドロが練習場へ到着すると、チームメイトが誘拐されたことが既に広まっていたが、誰一人アレハンドロを疑っている様子はない。皆、姿を消した友人を心配しており、複雑な心境になる。犯人が捕まらず街に不安な空気が流れるなか、プッチオ家はいつもと変わらない生活をしていた。夕飯の時間になると、アルキメデスは妻エピファニア(リリー・ポポヴィッチ)の作った料理を、キッチンではなく、2階の奥にある鍵のかかった部屋へと運んでいく。なんとその部屋は、プッチオ家に特設された<監禁部屋>だったのだ。
アルキメデスは人質に対し、身代金を用意させるため、家族あてに手紙を書くよう指示をする。その後、多額の身代金受け取りに成功したアルキメデスは、人質を監禁部屋から車のトランクへ運び、アレハンドロが見守るなかプッチオ家をあとにする。しかし翌日、アレハンドロはチームメイトから衝撃の事実を告げられる。なんと、人質になった友人は殺害されていたのだ。その夜アルキメデスに理由を聞くと、人質から逆に脅され、家族を守るため仕方なく殺害したことを打ち明けられた。さらに、「私を信じてほしい」と次の“仕事”に向け、協力を仰ぐのだった。
数日後。アレハンドロが経営するサーフショップの開店祝いで、町の人々やチームメイトに祝福されるプッチオ家。その姿は以前と変わることなく仲睦まじく、誰もが羨む光景だった。家族の秘密を知るものは、いまだ誰一人いなかったのだ。
ある日、アレハンドロが店番をしているときに若い女モニカ(ステファニア・コエッセル)がやってきた。モニカとアレハンドロは互いに惹かれあい、自然と恋人関係になった。店の経営も恋人との関係も順調なアレハンドロは普通の生活を望むようになり、次の“仕事”
から抜けることを父アルキメデスに伝えた。そこから徐々に、プッチオ家の歯車が狂い始める─

▶ 映画館環境
TOHOシネマズ流山おおたかの森スクリーン5
スクリーンサイズ3.6×8.5m、座席数127、やや小さな劇場。
K13は最後列、スクリーン向かって右寄り、上り階段正面の席。
真ん中より後方の席であれば、どこでも見やすい想像する。
平日、夕方の上映、空いてはいたが、それなりの観客がいた。
客層は、おっさん中心。

▶ 作品レビュー
1980年代のアルゼンチンで起こった実話をもとにした映画なので、70年代と80年代におけるアルゼンチンの社会状況を事前に予習して臨めば、より深く作品を鑑賞することが可能だとは思うが、それを知らずとも十分に内容は把握できるはず。
実際、自分もアルゼンチンが80年代まで軍事政権だったという事実は知らなかった。だからこそ終始大きな衝撃でもって観賞し得たともいえる。
結果的に軍政が招いた悲劇といえるのだろうか─、あるいは軍政の膿とでもいうのだろうか─、受け入れがたい実話が目の前で展開する。生きるための手段として誘拐を選択してしまう感覚は、どんな時代であれ尋常ではない。しかもそれが家族ぐるみとなると、このように映画のネタにもなってしまうのだろう。
確かに醜悪であり、そして滑稽だ。滑稽だが決して笑えない。そして嫌悪する。誘拐をして奪った金で平和な家庭を営んでいる姿に恐怖する。誘拐した者を家の地下に監禁し、その上で一家団欒が繰り広げられている状況に身震いする。
奇妙な実話を丁寧に描写しているだけのように思う。実話自体が衝撃的であるわけだから、それだけで十分に力強さがある。ただ、それをすべて受け入れられるかどうかは別の話。丁寧に語られるその映像を見ていけばいくほどに、彼らの行為に目を覆いたくなる。といいつつも、しっかりと凝視して最後まで見てしまったわけだが…。
食うための誘拐に大義名分など全くなく、ただ欲望のためでしかないということがよく描かれている。醜悪なものを醜悪として描写していて、映画だからといって決して美化することなく─いや美化しているのかもしれないけれど、それが逆に愚行を強調しているように見えてくると言った方が正確か─。意図的なのかどうかは分からないけれども、史上最悪な独裁政治が史上最悪の犯罪者を生み出したという思いが映画の中ににじみ出ている。それだから、正直、この映画は好きになれない。好きになれなくても、最後まで凝視し、衝撃を受け、作品に対して強い嫌悪感を持つ、それだけでこの作品の価値があるということなのかもしれない。
個人的には、猟奇的な事件事故や悲惨な大事件を描いた物語より、平穏で平凡な日常を描いた物語の方が何倍も好むところではあるけれど、実際に見て楽しんでいるのは悲しいかな前者なのかもしれない、この作品のように─。


ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK The Touring Years

ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK The Touring Years(2016年・イギリス)
原題:The Beatles: Eight Days a Week - The Touring Years
公開日:(英)2016年9月15日 (日)2016年9月22日
配給:(英)StudioCanal (日)Kadokawa
時間:140分

監督:ロン・ハワード
脚本:マーク・モンロー
出演:ジョン・レノン
   ポール・マッカートニー
   ジョージ・ハリスン
   リンゴ・スター
   シガニー・ウィーバー
   ウーピー・ゴールドバーグ
   エルビス・コステロ
   浅井慎平
製作:ナイジェル・シンクレア
   スコット・パスクッチ
   ブライアン・グレイザー
   ロン・ハワード
製作総指揮:ジェフ・ジョーンズ
      ジョナサン・クライド
      マイケル・ローゼンバーグ
      ガイ・イースト
      ニコラス・フェラル
      マーク・モンロー
      ポール・クラウダー
編集:ポール・クラウダー

鑑賞日:2016年9月27日
場所:TOHOシネマズ流山おおたかの森 スクリーン2 D8


■ INTRODUCTION(日本語公式HPより)
イギリス・リバプールのキャバーン・クラブで活動を始めたビートルズは、1961年から62年にかけてイギリスの音楽シーンに華々しく登場し、63年の終わりにはヨーロッパ・ツアーを開始、翌64年2月9日、アメリカの人気テレビ番組「エド・サリヴァン・ショー」に出演したことで全世界的に人気を爆発させた。同年6月には初のワールドツアーをスタート。世界中が熱狂した“ビートルマニア”と呼ばれる社会現象はかつてないもので、文化のクローバル化が始まるきっかけとなった。人種、階級、宗派や国籍で分けられることなく、ビートルズへの憧れという同じ思いで世界中の人々が結束したのだった──

バンドのリバプール時代から、63年に始まった15か国90都市166公演におよぶツアーの様子、そして4人が最後に観客の前で演奏した66年8月29日のサンフランシスコ・キャンドルスティック・パーク公演まで、まさにバンドの全盛期を多数のライブ映像で描く。ツアーで世界中を旅した彼らの数年間に、いったいなにが起こっていたのか。ツアー中の生活、グループの内部構造まで深く掘り下げ、どのように決断が下され、音楽が作られ、ビートルズが偉大なキャリアを積み上げていったのかをひも解いていく。
監督は、『アポロ13』『ダ・ヴィンチ・コード』『天使と悪魔』などの人気作を手掛け、『ビューティフル・マインド』でアカデミー賞最優秀監督賞を受賞したロン・ハワード。

■ STORY(日本語公式HPより)
1964年2月9日、リバプール出身の若者4人がエド・サリヴァン・ショーに登場した。それは我々の文化を永久に変えた瞬間だった。その晩、放送された映像を73000万人が見た。このたった一度のパフォーマンスで、ザ・ビートルズはアメリカ中に知れ渡ったが、数年前には既にヨーロッパを席巻していた。バンドの次の狙いは、世界に進出し、音楽界を永久的に一変させ、ポップカルチャーの一部として自らの存在をしっかりと植えつけることだった。

そして、彼らはツアーへと旅立った。

1962年6月からツアー活動を止めた1966年8月まで、世界15か国の90都市で815回公演した。「ビートルマニア」と呼ばれる文化現象まで巻き起こり、現在にいたるまで、世界がこれまで経験したことがないような現象が起きた。ザ・ビートルズへの同じ憧れの気持ちや姿勢で世界の大半が結束し、初めて世界が統合されたような気持ちにさせられた。
本作は、アカデミー賞受賞のロン・ハワード監督によって、ツアーを駆け回った彼らの特別な数年が明らかとなる。バンドとしての存在、活動の領域、ファンについて、彼らに見えていた世界とはどんなものだったのか─メンバーから見た光景を通じ、全ての通過点が冒険だった彼らのツアーも再現される。ヨーロッパ全土から極東とオーストラリア、そして日本、どこへ行っても何十万人もの熱狂なファンに迎えられた。本編ではツアー生活にいたるまで、またグループの内部構造にまで深く掘り下げている。どうやって決断が下され、音楽が作られ、団結してキャリアを積み上げていったのか、またその数年の間に彼らの個人的、そして音楽的革命にどのように影響を与えたのかについて探求している。

世界中から集めた100時間以上の貴重な未公開映像、メンバーのプライベートコレクションも加わり、これまでのどのビートルズ映画にもなく、どのドキュメンタリー映画でも実現できなかった映画体験ができる。ポール・マッカートニーとリンゴ・スターの最新インタビューや、当時の関係者インタビューも収録、ウーピー・ゴールドバーグ、エルヴィス・コステロ、ラリー・ケインらのインタビュー映像のほか、多数のコンサートシーンも登場、高解像度でリマスターし、5.1サウンドによって、最も当時に近い形で公演を体験できるようになっている。

1000日間のツアー期の間、ザ・ビートルズのスタジオ作業は『プリーズ・プリーズ・ミー』から『リボルバー』の製作まで、豊かさや確信面で飛躍的に成長が見られた。
スタジオでのなにげない会話やアウトテイクシーンも取り入れ、伝説のアビー・ロード・スタジオで、バンドが親密に制作している全景を見ることもできる。

これは世界のトップに登りつめた、ザ・ビートルズの旅の物語である。
アーティストとして進化し、生き抜くために、完全な自己改革への道を選んだザ・ビートルズの活動は、音楽の歴史を作り、音楽をこれまでにない芸術のスタイルへと変貌させた。
この映画は壮大な旅の始まりを描き、なぜ壮大な旅になったのかを教えてくれる。

▶ 映画館環境
TOHOシネマズ流山おおたかの森スクリーン2
スクリーンサイズ5.5×13.1m、座席数234
比較的大きな劇場
D8席は前から4列目、スクリーン向かって左寄り、通路側の席、見上げ
FG列の真ん中がベストかもしれない
平日昼間の上映で非常に空いていた。年齢層は極めて高、しかし若い観客もいた。


▶ 作品レビュー
正直、期待はしていなかった。いまさらビートルズのドキュメンタリーをといっても、目新しいものや特別感など全く感じなかったからだ。
内容も予想したとおりというか、予想を全く超えることがないくらいの正統派ドキュメンタリーであり、多くの人が知っているビートルズ前期の栄光の歴史が時系列で綴られているだけのもの。語られる内容に対して、驚きや目新しさといったものは皆無。
しかし、絵と音は想像を超えるものであり、現代にビートルズが蘇ったような感情にすらなった。そのクオリティーは決してノスタルジーだけを呼び起こすだけのものでなく、生でビートルズを体験できなかった自分たちのような者にとっても意義深い。そして、ますますあの時代に熱狂した人々に嫉妬を覚えてしまうのだが、まあ戻らないものを求めても仕方ないわけで、こうして質の高い映像と音楽で以て再構築してくれると、優れたものは時代を越えてどこまでも残っていくものだと不思議な喜びで満たされる。
古いはずの白黒ライブ映像やインタビュー映像にいたるまで、ブラッシュアップされているような質感で、全く古くさく感じないし、むしろそこに映し出されるビートルズを一挙手一投足をよく観察できるし、そのことで一層彼らの実力がを見せつけられた。
どんな状況下でも見事な歌と見事な演奏を繰り広げ、ユーモアをまじえたメディア対応も見事なもの。彼らが何かを発するたびに見入ってしまう所以がよく分かるし、その蓄積こそがあの異常な熱狂につながっていったのだろうということもよく理解できた。
そして何といっても音源、そのクリアな音に涙が出そうになるくらいの感動を覚える。きっとスタジオに大切に保管されているマスター音源を使用しているんだろう(と勝手に想像している)、メンバーの声すらクリアに聞こえて、決してスタジオ内での動画が展開するわけではないけれども、すぐそこにザ・ビートルズがスタジオ録音しているかのような幻惑に襲われた。
エイト・デイズ・ザ・ウィークの未テイクなのかシングルトラックなのか分からないけれども─アコギとボイスに感動し、トゥモロー・ネバー・ノウズのこれもまたシングルトラックの音だろうか─それにも感動、ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズのそれにも感動、(すべてを記憶していない自分が情けないけれども)他にも数多くの音源に震えた。
伝記的なドキュメンタリーにおいて、とかく他者が語るインタビューというものは過剰に褒め称えるものが多くて、その信憑性に疑問を持ってしまうことが少なくない。この作品でも、エルヴィス・コステロやウーピー・ゴールドバーグがビートルズを称えているわけだけれども、決して美辞麗句を並び立てているわけではなく、あくまで彼・彼女らが経験した良き思い出を語っているもの。そしてその数少ないエピソードを聞いただけで、なぜかビートルズの偉大さを感じてしまうのである。
本編終了後、1965年にシェイ・スタジアムで行われたライブを31分にまとめられた映像が流される。それは単に編集を加えただけではなく、4Kリマスターという加工が施されたもの。その威力は絶大で、大画面で見る価値はドキュメンタリー本編に勝るとも劣らずといったところ。極論、これを見るだけでも価値はあると感じた。
全体としては、ビートルズ入門といったところではあるが、本当に楽しむことができるのはビートルズをよく知っている者なのかもしれない。なぜなら、熱狂していた時代の雰囲気は非常によく出ている作品ではあるけれども、それでは何故にそれだけ熱狂するにいたったのかという謎解きがなされていないからだ。もっとも、ビートルズファンに言わせると音楽を聴けば分かるだろうということになるだろうが、この映画からビートルズを始めようとすることが果たして正解かどうかは分からない。まあ悪くはないだろうが、それだとなんだかもったいない気がしてしまう。ビートルズ未経験だというのなら、理想は、この映画を見て、音楽を聴きまくって、影響を受けて、そしてまたこの映画を見る、といったところか─非現実的か…。
結局は懐古主義ではないか、と言われてしまうとなかなか否定できないものがある。しかし、純粋にドキュメンタリー映画としてみた場合でも非常に優れた作品だと思うし、ビートルズが築き上げた一時代が見事に納められた作品だといえる。つまりは、ビートルズファンではなくても必ず価値は見いだせるはず。素晴らしい音楽ということは言わずもがな、素晴らしい映画であることは間違いない。





亜人 劇場版最終章『衝戟』

亜人 劇場版最終章『衝戟』(2016年・日本)
公開日:2016年9月23日
配給:東宝映像事業部
時間:119分

総監督:瀬下寛之
監督:安藤裕章
原作:桜井画門
声:宮野真守(永井圭)
  細谷佳正(海斗)
  福山潤(中野攻)
  大塚芳忠(佐藤)
  平川大輔(田中功次)
  櫻井孝宏(戸崎優)
  小松未可子(下村泉)
  木下浩之(オグラ・イクヤ)
  鈴村健一(曽我部)
  森川智之(アルメイダ)
  坂本真綾(マイヤーズ)
  洲崎綾(永井慧理子)

  斉藤壮馬(琴吹武)
シリーズ構成:瀬古浩司
プロダクションデザイナー:フェルディナンド・パトゥリ、田中直哉
キャラクターデザイナー:森山佑樹
造形監督:片塰満則
美術監督:松本吉勝、滝口比呂志
色彩設計:野地弘納
演出:井手恵介、岩田健志、米林拓、りょーちも、鹿住朗生
CGスーパーバイザー:岩田健志、上本雅之、菅井進、溝口結城
編集:肥田文
渡邊潤
音響監督:岩浪美和
音楽:菅野祐悟
主題歌:宮野真守
アニメーション制作:ポリゴン・ピクチュアズ

鑑賞日:2016年9月26日
場所:TOHOシネマズららぽーと船橋 スクリーン6 H5


■ ストーリー(公式HP劇場版最終章『衝戟』より)
「これが、カウントダウン開始の合図だ」
第2ウェーブ──“浄化”が始まった。
リストの順番通りに殺されていく要人たち。
だが、日本政府は断固としてテロリストには屈しない姿勢を貫く。
水面下で働く、警察、対亜特選群、自衛隊、米国国防総省、
そして、亜人管理委員会役人・戸崎と高校生亜人・永井圭。
「第2ウェーブの終了とともに、我々は次のウェーブへとコマを進める。
第3──それが、最終ウェーブだ」
圭は、亜人である佐藤を無力化するための策を練るが、
彼の気付かぬところで計画は綻びを見せ始めていた……。
ついに動き出した、亜人過激派集団。
市場最悪凶悪のテロリスト・佐藤の真の狙いとは──?
佐藤を止めるのは、誰だ

▶ 映画館環境
TOHOシネマズららぽーと船橋スクリーン6
スクリーンサイズ3.9×9.2m、座席数102
比較的小さな劇場。H5は最後列、スクリーム向かってやや左、階段上って正面の席。
最後列はやや見下げ、しかし画面の迫力などは失われず。

▶ 作品レビュー
本編冒頭、ラジオ番組のような小話があったけれど、全く楽しめず、内容も頭に全く入ってこず、何のために流されたのか意味不明(と個人的に思った)…。好きな声優が語っていれば、楽しめたのかどうか分からないけれど、本編には全く関係ないもので、なんだか邪魔だった。
さて──
モーションキャプチャでのアニメーションというのは特別珍しいものではないけれども、長編アニメにおけるそれは個人的に亜人が始めてだったはず。それ故に、それなりの新鮮味なども感じる。ただ、3部作を見終わって思うことは、完成度はまだまだ物足りないといったところ。ディズニーアニメやジブリなどのアニメと比べると、動きのぎこちなさは否めない。この手法はいまのところ、リアルさを追求するというよりも効率的にアニメーションを制作する上で有効だ、ということしか感じ得ない。実際に効率的だったどうかは勝手に想像するしかないのだが。
黒い物体の表現についてかなり魅せられた。それこそがこの作品でのオリジナリティーであり、これを表現するためにモーションキャプチャという手法を選択したのだろう(と勝手に想像する)。現実世界に存在しないものを表現する上でモーションキャプチャが有効だということなのだろう。普段目にしない現象がリアルに表現されることで、視覚的快楽が得られるということなだろう。
人間の動きには満足しなかったものの、全体的には動きに特化したアニメーションだった。人の動きのぎこちなさというものさえ、肯定的に捉えたならば、これからの可能性を秘めているといえる。
まさに亜人を見るための作品であり、亜人の表現だけで楽しめるといっても過言ではない、たぶん…、個人的に──。
話二の次で亜人の動きや表現に興奮するわけで、飛び飛びで公開されるその話は半ば飛んでしまっていても、黒い物体が登場するとそれだけで不思議と楽しめてしまう。
亜人、それは死んでも死んでも生き返る者、分身ともいえる黒い物体を出すことができて、一般人にはその黒い物体を目視することができず、その力は想像を超えるもの。
この亜人の定義さえしっかりと認識しておけば、どんな話や状況になろうとも楽しむことができる。それが良いのか悪いのか微妙なところであるけれども…。
ただ、動き重視の反動なのか、絵的な美しさなどはあまり感じられず。黒い物体の黒は物凄く黒を感じるのに、他の場面における黒は常に光でぼかされている印象で、映画アニメーションとして絵力が弱いように思ってしまった。それは、1部から感じていたことであり、最後までその印象は変わらなかった。とはいえ、それを相殺してくれるだけの動きや展開があり、知らないうちに絵に対する不満など薄らいでいったわけだが─。
そもそもアニメーションというものは、絵が動くことで楽しみを得られるわけであり、その本質たる動きを追求し、しかもそれが成功していれば無常のカタルシスを得られることは必至。そしてそれがこの「亜人」だったということである。
映画はこの最終章で完結したわけだが、ストーリー的には完全なる終幕ではない。もしかしたら次もあるかもしれない。もしあったら、もっと絵づくりにもこだわりを持ってほしいと贅沢な注文を勝手に述べて、終了。

レッドタートル ある島の物語

レッドタートル ある島の物語(2016年/フランス・日本合作)
原題:La tortue rouge
公開日:(仏)2016年6月29日 (日)2016年9月17日
配給:(仏)ワイルドバンチ (日)東宝
時間:81分

監督:マイケル・デュドク・ドゥ・ビット
原作:マイケル・デュドク・ドゥ・ビット
脚本:マイケル・デュドク・ドゥ・ビット、パスカル・フェラン
プロデューサー:鈴木敏夫、バンサン・マラバル
アーティスティックプロデューサー:高畑勲
音楽:ローラン・ペレズ・デル・マール
製作:スタジオジブリ、ワイルドバンチ

鑑賞日:2016年9月21日
場所:TOHOシネマズららぽーと船橋 スクリーン3 F9


■ ストーリー(公式HPより)
どこから来たか どこへ行くのか いのちは?
嵐の中、荒れ狂う海に放り出された男が九死に一生を得て、ある無人島にたどり着いた。必死に島からの脱出を試みるが、見えない力によって何度も島に引き戻される。絶望的な状況に置かれた男の前に、ある日、一人の女が現れた──。

2000年アカデミー短編アニメーション映画賞を受賞したマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督の「岸辺のふたり」がきっかけで、スタジオジブリが長編アニメの新作を同監督にオファーし、8年の歳月をかけて完成に至る。

第69回カンヌ国際映画祭ある視点部門特別賞受賞。


▶ 映画館環境
TOHOシネマズ ららぽーと船橋 スクリーン2は座席数128、スクリーンサイズ3.8×9.0mというやや小さい劇場。F9はちょうど劇場の真ん中付近。平日の劇場内は空いていて、作品に集中できた。ただ、個人的には、もっと多くの人が見てほしいなーと思ったり…


▶ 作品レビュー
セリフなしの長編アニメーション。内容もお伽噺のようであり、質も高く、普遍的な要素を強く感じる作品。つまりは、そのまんま全世界で公開することが可能なわけであり、どんなにか多くの人が観賞することだろう、と勝手に妄想していたところ予想外の劇場貸し切り状態で、作品の内容と相俟ってなんだか非常に悲しかった。
話は淡々としていて、無人島が舞台であるが故になおさら退屈に感じるかもしれない。実際自分も暗い劇場で眠りそうになった。
絵は全体的に薄暗く、色味は渋い。しかし、海や竹薮、空や太陽といった自然の表現は素晴らしく、大きなレッドタートルの出現で作品が一気に色彩を増したような気がした。
そしてそこから話も大きく変化を見せるのだが、かなり唐突な展開になる。それをどう捉えるかで、以降の作品の見方もかなり違ってくる。
個人的には、そこで明らかに昔話の世界に突入した観を持ったし、それゆえに以降は目の前に広がる幻想的な世界に気持ち良く身を委ねるだけだった。
数年前に「岸辺のふたり」というDVDを見た。水彩画と水墨画を掛けあわせたような絵が特徴的で、色味はモノトーンに近く、全体的にノスタルジックというか人生の無常観を強く感じる作品であり、見終わった後の心の寂しさが長く後を引く─。
モノトーンの中の不思議なマチエールがこの「レッドタートル」にも存分に生かされていて、自然などの動きにおける表現もしっかりと受け継がれており、むしろ確実にそれは進化している。
ヨーロッパのアニメを見て強く思うこと、それは絵画が動いているという印象。それゆえ高尚さを大いに感じると同時に、それを生み出す労力も否応なく感じてしまう。だからこそ必然的に感情移入も大きくなる。
この作品を見た率直な感想は素晴らしいの一言。ほぼ一人で作り上げたであろうと思うし、8年の歳月をかけたということも納得する。
だが、アニメ観賞において高尚やら労力やら感じる必要が全くないわけで、面白いか否かはそういった要素は必要ないだろう。
「ズートピア」の方が分かりやすくて断然面白い。それとこれとを比べること自体が無駄で無意味なことだと重々承知ではあるけれども、劇場内のあまりにも違う状況に、ただただとしてしまうわけで、それこそ無常観を感じざる得ない、だからなおさら多くの人に見てほしいと思うわけで、毛色が全く違う大ヒット作を持ち出して強引な比較などしてみる。
寂しい、実に寂しい気持ちで作品を後にした。美しい映像と音楽の他に、この作品は何を残してくれたのか、考えてみる、でも何も思いつかない。もしかしたら、何も残してくれなかったかもしれない。だから寂しさを感じたのかもしれない。
強いて言うなら、何ものかへの尊さというものを残してくれただろうか─、それともどこまでも続いていく永遠の世界というものだろうか─。しかし、寓話的な要素はそれほど感じない。
ふと昔聞いた昔話のことを思い出す。読み聞かせてくれる大人は寓話として読むけれど、聞いている子供にとっては単なる物語、その後で付け加えられる説法などにより、昔話が寓話と化してしまうわけだ。
だから敢えて言う、この作品は何も残してくれないと。ここであれこれ付け加えて、陳腐な寓話のようなものに貶めることを避けるために。
ただ見て、ただ感じる。だたそれだけ。そして自分が感じたものは寂しさだったけれど、それは見る者にとって大きく違ってくるはずだ。それが普遍的作品というものであり、この作品もその一つであると確信する。


BFG ビッグ・フレンドリー・ジャイアント

BFG ビッグ・フレンドリー・ジャイアント(2016年・アメリカ)
原題:The BFG
公開日:(米)2016年7月1日 (日)2016年9月17日
配給:ウォルト・ディズニー・スタジオ・モーション・ピクチャーズ
時間:118分

監督:スティーブン・スピルバーグ
原作:ロアルド・ダールの『オ・ヤサシ巨人BFG』
脚本:メリッサ・マシスン
出演:マーク・ライランス(BFG)
   ルビー・バーンヒル(ソフィー)
   ペネロープ・ウィルトン(女王)
   レベッカ・ホール(メアリー)
   レイフ・スポール(ティブス) ほか
製作:スティーブン・スピルバーグ、フランク・マーシャル、サム・マーサー
製作総指揮:キャスリーン・ケネディ、ジョン・マッデン、クリスティ・マコスコ・クリーガー、マイケル・シーゲル
共同製作:アダム・ソムナー
撮影:ヤヌス・カミンスキー
美術:リック・カーター、ロバート・ストロンバーグ

衣装:ジョアンナ・ジョンストン
編集:マイケル・カーン
音楽:ジョン・ウィリアムズ
シニア視覚効果監修:ジョー・レッテリ
視覚効果監修:ガイ・ウィリアムズ

鑑賞日:2016年9月21日
場所:TOHOシネマズららぽーと船橋 スクリーン10 J14


■ ストーリー(公式HPより)
ロンドンに暮らす、好奇心旺盛な10歳の少女ソフィー。ある真夜中、彼女は窓から侵入した “巨大な手”によってベッドから毛布ごと持ち上げられて、“巨人の国”に連れ去られてしまう。ソフィーを連れて行ったのは、夜ごと子供たちに“夢”を送り届ける、やさしい巨人BFG(=ビッグ・フレンドリー・ジャイアント)だった。

ひとりぼっちだったソフィーは、巨人にしては優しすぎる孤独なBFGと心を通わせ、いつしかふたりの間には身長差6メートルの“奇妙な絆”が生まれてゆく。しかし、BFGとは正反対の凶暴な巨人たちによる恐るべき計画が…。このままではイギリスの子供たちが危ない──。この危機を救う唯一の鍵は、何事も恐れない小さな少女ソフィーの勇気だった…。


▶ 映画館環境
TOHOシネマズららぽーと船橋スクリーン10は座席数130、スクリーンサイズ4.1×9.8mと比較的小規模な劇場。選択した席はI-15、最後列やや向かってやや右寄り位置。座席に対してスクリーンサイズは大きく感じるので、スクリーンに近い場所を避けるべきかもしれない。最後列でも、その迫力は失われることはなかった。


▶ 作品レビュー
原作は読んではいない。
児童文学の映像化ということで、子供向けであることを覚悟して臨む。半分予想通りで、半分違ったという印象。そもそも、児童文学だからといって、幼稚とか劣っているとか卑下すること自体が間違いで、理解する上で分かりやすくなっているだけで、その内容は深いものも少なくなく、場合によっては残酷であったり辛辣であったりする。
──ここからは思いっきりネタバレになってしまうけれど…
この作品の内容も、人間が巨人に食べられてしまうとか、巨人退治に軍隊が動員されたり、捕らえられた巨人は海に捨てられてしまうとか、明確な悪を描きあげるための表現は容赦ない。
核となるストーリーは世界を救った少女とBFGのハッピーエンド。か弱き孤児と優しきBFGをぞんざいに扱う悪しき巨人は、見知らぬ海に捨てられて当然であり、退治されて気分爽快、ああスッキリ、という落ちなのだが、個人的にはそんな単純明快な気持ちにはなれなかった。

英国王室のパロディーとか、野蛮な巨人らの振る舞いとか、おならとか、お化けキュウリとか、素直に笑わせてくれる小ネタがたくさんちりばめられており、大いに笑う。見ている者を楽しませてくれるクリエーターの志には、ただただ感服するのみ。
しかし何といっても、ドリーム・ツリーの表現が素晴らしかった。水辺の表現や、暗がりの中に無数にきらめく夢の表現などを、実写とCGを駆使し、さらにカメラワーク等々あらゆるものを見事に融合させた至極の映像。今更ながらに夢の大切さを一目で教えられた思いで、このシーンだけで自分にとってこの作品の重要度は増した。
ストーリーとかジョン・ウィリアムスの音楽とかは、もはや自分にとってどうでもいいものになり、終始スピルバーグの映像美に魅せられていた。光と影の映像美は、どんなにCGを駆使した映像であれ、スピルバーグの力は失われることはない。

あえて日本語吹き替え版を見たこともよかった。文字で映像がつぶされることもなかったし、目で文字を追う煩わしさもなかったわけで、常に映像に集中できた。
日本語吹き替えで少し不満を感じたのは、ソフィーの声。本田望結による声。年齢的にはばっちりな人選だと思うけれど、その声がちょっと大人っぽくてソフィーの容姿に合っていない印象を受けてしまった。吹き替えもので子供の声を成人がするという意義を大いに感じた、まぁ取りに足りないことかもしれないけれど。
吹き替えで良かったと思ったことがもう一つあって、それはBFGが言葉を言い間違える設定が存分に発揮されるところで、そこから生まれる笑いを素直に堪能できた。
これが、英語を聞いて字幕で「言いまつがい」と表示されてやっと理解できたとしても、鼻で笑う程度かなと勝手な想像をしてしまう。だから、吹き替え結果良し。

映画の評価は、残念ながら、スピルバーグ映画としてはかなり低い。しかし、低評価の理由も何となくわからないでもない。子供向けにしても下品で野蛮で辛辣、大人向けにしても分かりやす過ぎる勧善懲悪、いかに素晴らしい映像であろうとも満足感はかなり薄いものなのかもしれない。下品で野蛮で辛辣な演出など、自分は可笑しくてたまらなかったし、勧善懲悪ながら実はそうでもないと思うと、なんだか言い知れない深みを感じてしまった。それらは皮肉れた見方でしかないのかもしれないけれど、スピルバーグの映画は何気に一筋縄ではいかない、と勝手に思っているからこそ、いろいろと楽しめたのかもしれない。

怒り

怒り(2016年・日本)
公開日:2016年9月17日
配給:東宝
時間:142分

監督:李相日
原作:吉田修一
脚本:李相日
出演:渡辺謙(槙洋平)
   森山未來(田中信吾)
   松山ケンイチ(田代哲也)
   綾野剛(大西直人)
   広瀬すず(小宮山泉)
   ピエール瀧(南条邦久)
   三浦貴大(北見壮介)
   佐久本宝(知念辰哉)
   高畑充(希薫)
   原日出子(藤田貴子)
   池脇千鶴(明日香)
   宮崎あおい(槙愛子)
   妻夫木聡(藤田優馬) ほか
製作:市川南
共同製作:中村理一郎
     弓矢政法
     川村龍夫
     高橋誠
     松田陽三
     吉村治
     吉川英作
     水野道訓
     荒波修
     井戸義郎
エグゼクティブプロデューサー:山内章弘
企画:川村元気
プロデュース:川村元気
プロデューサー:臼井真之介
ラインプロデューサー:鈴木嘉弘
プロダクション統括:佐藤毅
撮影:笠松則通
照明:中村裕樹
録音:白取貢
美術:都築雄二、坂原文子
衣装デザイン:小川久美子
ヘアメイク:豊川京子
編集:今井剛
音楽:坂本龍一
題歌:坂本龍一 feat. 2CELLOS
サウンドエフェクト:北田雅也
スクリプター:杉本友美
キャスティング:田端利江
助監督:竹田正明
音楽プロデューサー:杉田寿宏

鑑賞日:2016年9月21日
場所:TOHOシネマズららぽーと船橋 スクリーン7 C14


■ 物語 STORY (公式HPより)
ある夏暑い日に八王子で夫婦殺人事件が起こった。
窓は閉め切られ、蒸し風呂状態の現場には、『怒』の血文字が残されていた。
犯人は顔を整形し、全国に逃亡を続ける。その行方はいまだ知れず。
事件から一年後。千葉と東京と沖縄に、素性の知れない3人の男が現れた。

千葉───
3か月前に突然家出をした愛子(宮崎あおい)が東京で見つかった。
彼女は歌舞伎町の風俗店で働いていた。
愛子を連れて帰った父・洋平(渡辺謙)は、千葉の漁港で働く。
8年前に妻を亡くしてから、男手一つで娘を育ててきた。
愛子は、2か月前から漁港で働きはじめた田代(松山ケンイチ)に出会った。
東京───
大手通信会社に勤める優馬(妻夫木聡)は、
日中は仕事に忙殺され、夜はクラブで出会う男と一夜限りの関係を続けていた。
彼には末期がんを患う余命わずかな母がいた。
ある日、優馬は新宿で直人(綾野剛)に出会った。
沖縄───
また男と問題を起こした母と、
夜逃げ同然でこの離党に移り住んできた高校生の泉(広瀬すず)。
ある日、無人島でバックパッカーの田中(森山未來)に遭遇した。

殺人犯を追う警察は、新たな手配写真を公開した。
その顔は、出会った男に似ていた。

いつしか交際を始めた愛子と田代。
二人の幸せを願う洋平であったが、
前歴不詳の田代の過去を信用できず苦悩する。

同居を始め、互いの関係が深くなっていく優馬と直人。
しかし直人の日中の不審な行動に優馬は疑いを抱く。

ある事件をきっかけに心を閉ざした泉と
彼女を救えなかったことに苦悶する同級生の辰哉。
親身に支える田中であったが、無人島で暮らす彼の素性を誰も知らない。

愛した人は、殺人犯だったのか?
それでも、あなたを信じたい。
そう願う私に信じたくない結末が突きつけられる──。

▶ 映画館環境
TOHOシネマズららぽーと船橋スクリーン7
座席数250、スクリーンサイズ6.4×15.2m、大きな劇場
前方2列、後方9列と2ブロックに別れている。C14は後方の最前列、真ん中の席。横に広い劇場であるため、なるべく中寄りの席がよい。個人的には前方に障害がないC列が好みだが、ややスクリーンに近すぎるかもしれない。

▶ 作品レビュー
豪華俳優陣の見事な演技を見ていると、誰だったか─どこでだったか─覚えていないが、映画公開前に非常につらかったと語っていた記憶がぼんやりと頭に浮かんできた。広瀬すずだったかなぁ──確かに、劇中の彼女を凝視できなかった部分もあったし、捉え方も非常に難しいものだった。彼女が被る悲劇をどう捉えるか個人個人違うだろうし、ひどい場合は悦楽すら感じた者もいただろう。とはいえ多くは嫌悪感を持ったと想像する。その感情がタイトル通りに“怒り”だったとしても、その怒りが向かうところもまた、多岐にわたっていたはずだ。そもそもこの作品自体が複数の話が入り乱れて進行していくわけで、この映画について一言で表現することなど自分にはできない。
殺人事件から始まり、風俗、同性愛、暴行など一般的ではないけれども、間違いなくこの世の中に存在する事柄を題材に展開する。どこかで見た風景やニュース映像がコラージュのように紡ぎ合わされ、現代社会というものを再構築することにより、今生きている日本という国がどんなものなのかを見せられた気がする。映像だけ重視して見ると、そういった思いになるわけだが、作品の意図するところは別のところにあるわけで、それを読み解くことで、絡み合う話を一つにすることも可能になるわけだ。
読み解くといっても、まさに“怒り”というものがこの作品のキーであることは明白なこと。その怒りの拠り所を丁寧に拾い出していけば、作品の深みを感じることが可能となる。
殺人事件の現場から始まる故に、半ば犯人捜しや事件解決へと向かった作品として仕立て上げられているけれども、それはあくまで“怒り”を表現するための分かりやすい手段であり、どのような形であれ、何よりもまず“怒り”の感情を明確につかみ取ることができれば、この作品を作り上げた全ての者の本懐だといえるのではなかろうか。

とまぁ、自分こそがまさに様々に飛び交う“怒り”を感じる取ることができたわけで、それ故思うことも様々あった。

ニュース映像のパロディーなどもあり、思わず噴き出してしまったところもある。それらも鑑みて作品全体を眺めてみると、李監督が現代社会に多大なる怒りを感じているのではと思い、またしても出演者が辛かった、監督が怖かった、と語っていた場面がぼんやりと思い起こされる、そしてそれは多分、広瀬すずだったはず、誰でもいいんだけれど…。
もしかしたら監督のその恐怖は、怒りを生み出すための演出だったかもしれないけれども、結果として表現したかったことは間違いなく現代社会への憤りだと感じる。

名実ともに実績がある素晴らしい俳優陣の素晴らしいパフォーマンスにより、作品の趣旨である“怒り”を素直に捉えることもできるし、しかも展開される人間ドラマにも魅了され、純粋にエンターテインメントとして楽しめる。
こんな素晴らしい出演陣なのだから面白くて当たり前、とおんぶに抱っこすることなく、映像作品をしっかりと構築していこうとする意志を感じるわけで、そのしっかりとした絵づくりがあったからこそ大いなる“怒り”を捉えることが可能なのだと思う。

紡ぎ出される物語はマイノリティーの話。確かにそうなのかもしれないけれど、そんな自分はどうなのかと─、街中でみかける多くの人たちはどうなのかと─、あらためてそういう視点を与えられ、そして世の中すべての人々は個々の集合体なのだということを今さらながら思っている。ニュースで流れる事件や日常の小さな出来事は、間違いなく自分たちが生きている現実世界で起こっていることなのだということを想起させてくれる映画だった──“怒り”という感情とは無関係ではあるけれども。

李監督は、世の中には怒りが溢れていると言いたいのか、もっと怒りを感じろと言いたいのか、両方なのか、いずれかでもないのか…。

とにかく、楽しみ方がいろいろとある映画であった。



映画 聲の形

映画 聲の形(2016年・日本)
公開日:2016年9月17日
配給:松竹
時間:129分

監督:山田尚子
原作:大今良時
脚本:吉田玲子
出演:入野自由(石田将也)
   早見沙織(西宮硝子)
   悠木碧(西宮結弦)
   小野賢章(永束友宏)
   金子有希(植野直花)
   石川由依(佐原みよこ)
   潘めぐみ(川井みき)
   豊永利行(真柴智)
   松岡茉優(小学生の石田将也)ほか
キャラクターデザイン:西屋太志
美術監督:篠原睦雄
色彩設計:石田奈央
美設:定秋竹斉一
撮影監督:高尾一也
音響監督:鶴岡陽太
音楽:牛尾憲輔
主題歌:aiko
アニメーション制作:京都アニメーション

鑑賞日:2016年9月19日
場所:TOHOシネマズららぽーと船橋 スクリーン5 D16


■ イントロダクション(公式HPより)
“退屈すること”を何よりも嫌う少年、石田将也。
ガキ大将だった小学生の彼は、転校生の少女、西宮硝子への無邪気な好奇心を持つ。
彼女が来たことを期に、少年は退屈から解放された日々を手に入れた。
しかし、硝子とのある出来事がきっかけで将也は周囲から孤立してしまう。
やがて五年の時を経て、別々の場所を高校生へと成長したふたり。
“ある出来事”以来、固く心を閉ざしていた将也は硝子の元を訪れる。
これはひとりの少年が、少女を、周りの人たちを、そして自分を受け入れようとする物語──。

▶ 映画館環境
TOHOシネマズららぽーと船橋スクリーン5
座席数315席、スクリーンサイズ7.5×17.7m
前方3列、後方8列、2ブロックに別れた大きな劇場
D列は後方ブロックの最前列でD16は真ん中付近の座席。この劇場はD列が狙い目。横に広がった劇場なので、なるべく中ほどの席がベスト。
レイトショーのため通常料金1300円の割引で観賞。それが一つの要因なのか、ほぼ満席状態。周りは若者中心、カップルが目立った。

▶ 作品レビュー
予想以上に感動してしまった。描画や構図、流れゆく映像の構成、あるいはカメラワークなどにも細かな気配りがなされていて、その絵づくりにまずは感心させられ、そして何よりもストーリーそのものに心を動かされた。
自殺、障害者、いじめ等々、社会的な問題を数多く盛り込んだ作品。それでいて決してそれら社会的問題がメインテーマになることなく、描かれている内容はあくまで青春のなかでもがき苦しむ若者の姿だと感じるだけに、余計にこみ上げるものがあった。
一つ一つの要素はまさに道徳的、しかし、それらが大集合したこの作品は、教育的なアニメーションなどではなく、むしろこの映画を教育の現場で流したとしてもよい結果は生み出さないと思う。むしろ、いじめや偏見というものを助長してしまう危険性すら感じる。あくまでも教育の場として扱ったならばの話。でも、これを個人個人の娯楽として見たならば、それぞれに抱える病んだ気持ちを少なからず和らげ、それによって社会においてもよい影響を与えるような気がする。あくまでも、そんな気がするということでしかないのだが…。
個人的には2時間超の映画はどうしても長く感じてしまうのだが、この映画に関しては長さなど微塵も感じなかった。内容が濃密であったからだろう。しかしそれよりも、展開のテンポの良さと、徐々に感情を高めていくような映像展開が大きな要因だったような気がする。終幕すると、感情が幅広く揺さぶられたためか、かなりの疲労感を感じた。
重々しい内容であり、映画という形式上、最初から終わりまで有無を言わさずにノンストップであるわけで、漫画などのように自由に途中で休憩というわけにはいかない。苦痛や忍耐といったものを与えないための工夫、所々で挿入されるイメージ映像、それらは決して無意味とか無関係なものではなく、あくまで関係するイメージでありながら一つの息抜きとして気を緩めることができるわけで、そのタイミングも絶妙であったように思う。それ故に飽きることなく最後まで見続けることができたのだろう。
息抜きとはいえ、重々しい事柄に関連するものであるわけだから、集中力を余計に持っていかれる分、疲労感も激しいという結果になるのだが──。
至極普通の話。障害者という特別な存在になりそうなキャラクターもあくまで一つのコマに過ぎない。劇的な出来事が起こるわけでもなく、それでも最後まで惹きつけられてしまったというその最たる要因は、繰り返しになってしまうけれども、やはり丁寧に仕上げられた絵づくりにあると思う。
原作は高く評価されているコミックであり、アニメにするにはうってつけ。しかし、その原作に頼り切ることなく、あくまで映像表現の追求というものを感じた。そういった意味では原作とは別の作品が生まれているといえるのかもしれない。
原作を愛する者にとっては、もしかしたら「けしからん!」ということになるのかもしれないが、映画にするというのであれば一つの確立した作品を仕上げてほしいと、個人的には思っている。アニメーションにおける演出というものを強く感じさせる映画であった。映画として素晴らしい作品だと思う。

スーサイド・スクワッド

スーサイド・スクワッド(2016年・アメリカ)
原題:Suicide Squad
公開日:(米)2016年8月5日 (日)2016年9月10日
配給:ワーナー・ブラザース映画
時間:123分

監督:デビッド・エアー
脚本:デビッド・エアー
出演:ウィル・スミス(フロイド・ロートン/デッドショット)
   ジャレッド・レト(ジョーカー)
   マーゴット・ロビー(ハーリーン・クインゼル/ハーレイ・クイン)
   ジョエル・キナマン(リック・フラッグ)
   ビオラ・デイビス(アマンダ・ウォーラー)
   ジェイ・コートニー(ディガー・ハークネス/キャプテン・ブーメラン)
   ジェイ・ヘルナンデス(チャト・サンタナ/エル・ディアブロ)
   アドウェール・アキノエ=アグバエ(ウェイロン・ジョーンズ/キラークロック)
   アイク・バリンホル(ツグリッグス)
   スコット・イーストウッド(GQ・エドワーズ)
   カーラ・デルビーニュ(ジューン・ムーン/エンチャントレス)
   アダム・ビーチ(クリストファー・ワイス/スリップノット)
   福原かれん(タツ・ヤマシロ/カタナ) ほか
製作:チャールズ・ローベン、リチャード・サックル
製作総指揮:ザック・スナイダー、デボラ・スナイダー、コリン・ウィルソン、ジェフ・ジョンズ
撮影:ロマン・バシャノフ
美術:オリバー・スコール
装:ケイト・ホーリー
編集:ジョン・ギルロイ
音楽:スティーブン・プライス
音楽監修:シーズン・ケント、ゲイブ・ヒルファー
視覚効果監修ジェローム・チェン

鑑賞日:2016年9月13日
場所:TOHOシネマズ新宿 スクリーン10(IMAX3D) F-17


■ ストーリー
スーパーマンの命を絶たれ、世界は新たに悪と戦うヒーローを求めていた。アメリカ政府は急ぎ新たな特殊チームを編成する。通称スーサイド・スクワッド(自殺部隊)──それは凶悪犯罪の受刑者たちから成る、悪党集団だった。
ほどなく、世界の危機につながりかねない現象が発生し、スーサイド・スクワッドの出動命令が発せられる。それは、凶悪犯を獄中から外へ放つことを意味する。しかし彼らは容易に逃亡することができない。なぜならば、彼らの首に取り付けられた超小型爆弾が常に彼らを束縛していたからだ。逃げ出せば爆破され、体から頭が消え去ってしまう。
世界の危機を救うためには、凶悪犯個々の能力が必要だった。彼らをコントロールし悪を取り除く、まさに悪をもって悪を制す──。
果たして、政府の思惑通り、スーサイド・スクワッドは人類を救ってくれるのか!?

「バッドマン」や「スーパーマン」のヒーローと対峙した悪役たちが活躍する。


▶ 映画館環境
TOHOシネマズ新宿のスクリーン10は座席数311のIMAXシアター。個人的に今最も好きな劇場。特にF列は足元が広くて手すりなど障害物もないので、必ずその列の席を取ることにしている。今回もF−17をゲット。ほぼ真ん中の席。F列の8〜26であればどこでも満足いく迫力を堪能できる。
朝イチの上映とあってか、予想よりも観客少なめ。とはいえ6、7割の席は埋まっていたと記憶する。(フォースの覚醒のときは同劇場で午前2時3時の上映にもかかわらず、満員だったことを考えると、少ないか─)

▶ 作品レビュー
オープニングとエンディングの3Dアニメーションが、最もIMAX3Dの恩恵を受ける部分で、それ以外の本編に至っては、巨大スクリーンの3Dで見る価値を見いだせず。そうなると、素直に映画の中にも入ってくことができず、結果あまり面白いとも思えず。
期待値が強かった──と言っても、果たして自分は何を期待していたのか…。DCコミックにも精通しているわけでもなく、特段3Dに対して特別な思い入れもなく…。ただ、3D上映でしかもIMAXシアターでの上映となると、いつも以上に観賞への期待値が上がってしまうわけで、その気持ちを満たしてくれるか否かは、結局は内容に満足するかであるような気がする。というわけで、作品の内容に満足できなかったというのが率直な感想。
この映画に惹かれた最たる要因は、ファッション性──ポスターのビジュアルとか、予告などでのハーレイ・クインの立ち居振る舞いに一目惚れしたようなもの。出だしのオープニングや劇中で流れるポピュラー音楽などを聴くに至り、その期待は決して裏切らないもので、むしろ自分の中で“してやったり!”という気持ちにも一瞬なったもののそれは時期尚早であったわけで、デッドショット(ウィル・スミス)やハーレイ・クイン(マーゴット・ロビー)と主要なキャラクターが登場してくるにしたがい、自分の中の期待値というか満足感というものがどんどん下がっていき、最終的にはただ画面を眺めていたといった感じ。
何故それほど失望してしまったかというと、カラフルであるはずのキャラクターの個性が完全に画面のなかに静かに収まってしまっているという印象を持ってしまったから。色味も姿形も、動きも、すべてにおいてあまりにも均一化されすぎている印象。
ド派手なタイトルバックや、新旧入り乱れて流れるロックやヒップポップの音楽のように、キャラクターもギラギラしてほしかったところなのだが、完全に正義の味方にしか見えなかったところがこの作品の価値を半減させているように思う。
チームということへの拘りなのか、作品の世界観への拘りなのか、あるいはその両方ともなのか、勝手に想像するしかないのだが、個人的にはビジュアルだけで攻めてほしかったと思ってしまう。
個人的には、1980年代のオリジナルサウンドトラックとリンクさせてプロモーションしていた映画のようなものを感じ、とにかく表面的なもので見ているものを魅了してほしいと思っていたわけだが、派手なCGが際立つだけで、勧善懲悪ではないのにまるで勧善懲悪のごとく話が展開していくのみで、行儀よく作品が収まってしまったなあという感想。
乱暴にいってしまうと、Spirit in the skyのようなサイケデリックで危険な世界観を思い描いていたところが、あくまで最近よく目にするアメコミ映画のひとつでしかないといった印象で、恐らくこれから先、雑多な作品群の中にかすんでいくのだろうと予想するのみ。
最後になっても勝手な見解を言ってしまうのだが、本編の彩度をギラつかせるだけでも全く違った作品になったと思うし、むしろそうあってほしかった、せめてそうあってほしかった、と思うところなのだが、それは大きな冒険ということになるのだろう。巨大な資金力からなる映画作品においては、なかなか極端な演出というのは難しいのかもしれない。
とまぁ、なんだか批判的な事柄しか述べてこなかったけれど、音楽含めこの映画を楽しめたことは確かなこと。単に作品に対する期待が大きかっただけのこと。残念ながら、その期待を満たすことはなかったけれど、決して裏切るものでもなかった。
世界的な興収においても成功しているようだし、多くの観客を惹きつけるという大作エンターテインメントの使命は果たしていると言える。
自分のような、偏った、ねじ曲がった願望など無視されて当然なわけで、悪党が逆にヒーローになるといった少し変わった映画ではあるものの、結果的には王道を行く作品でありその役割を十分に果たしていた。映画という娯楽をこれからも盛り上がる上で、必要不可欠な作品だろう。

ティエリー・トグルドーの憂鬱

ティエリー・トグルドーの憂鬱(2015年・フランス)
原題:La loi du marche
公開日:(仏)2015年5月19日 (日)2016年8月27日
配給:(仏)Diaphana Films (日)熱帯美術館
時間:93分

監督:ステファヌ・ブリゼ
出演:バンサン・ランドン(ティエリー・トグルドー)
イブ・オリィ(ハローワークカウンセラー)
カリーヌ・ドゥ・ミルベック(ティエリーの妻)
マチュー・シャレール(ティエリーの息子)
グザビエ・マシュー(組合の同僚)
ノエル・マイロ(ダンス教師)
カトリーヌ・サン=ボネ(銀行マネージャー) ほか
製作:クリストフ・ロシニョン、フィリップ・ボエファール
脚本:ステファヌ・ブリゼ、オリビエ・ゴルス
撮影:エリック・デュモン
美術:バレリー・サラジャン
衣装:アン・ダンスフォード、ディアーヌ・デュソー

鑑賞日:2016年9月7日
場所:ヒューマントラストシネマ渋谷 シアター1 I-11


■ ストーリー
ティエリー・トグルドー、51歳。失業中で、共に暮らす妻と障害のある息子を養うため、必死に職を探していた。
ハローワークにも理不尽な対応をされ、面接や履歴書のカウンセリングを受けても一方的に批判されるだけで、全てがうまくいかない。
ようやく、スーパーマーケットの監視員という職を得る。それは客の万引きを防止するとともに、従業員の不正も監視するものだった。
幾度となく万引きする客を捕まえ、そして筋の通らない言い訳をされた。それでも何とか仕事に慣れ、生活にも余裕が持てるようになる。
しばらくたつと、従業員の不正が発覚する。それをめぐり、またもや筋の通らない言い訳や、会社側の理不尽な対応というものに直面する。
そしてその時、ティエリー・トグルドーは──。

▶ 映画館環境
ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1は座席数200、スクリーンサイズはビスタサイズ 4.9×2.6m /シネスコ 6.3×2.6m と中規模な劇場。
I列は後ろから二列目。この劇場はI列がベスト。I−11席はスクリーン中央。傾斜が比較的少ない劇場だけに、やや前方の席が気になるところだが、中央付近であれば後方でも十分に迫力ある映像を堪能できる。
水曜日の男女ともにサービスデーという日であったためか、平日にもかかわらず、非常に観客が多かった。年配中心、まあ内容が内容なだけに納得の客層。

▶ 作品レビュー
まさに、ティエリー・トグルドーの憂鬱が淡々と続く。
クロースアップ中心に構成された映像は、奥行きを失い平面的。それ故の功罪を挙げると──“憂鬱”という感情が非常によく伝わってくるものの、観賞する上では非常に退屈なもの。相当な覚悟、あるいは志といったものが必要となる。かく言う自分も、激しい睡魔と闘い続けた。当たり前のことではあるけれど、憂鬱というものは見ていて楽しいものではない。
社会的な不安や理不尽さというものは、もはやワールドワイドだと実感する。バカ正直に生きていくことは、愚かなことでしかないのだろうか。誠実の象徴として描かれているティエリー・トグルドーの姿を見ていると、この世の中に全く希望を持つことができない。
そう感じざるを得ないところがこの作品の凄さなのだろう。非現実的なハッピーエンドすら皆無であり、最後の最後まで社会の告発を目論んだように感じた。
しかも、いわゆる映画音楽というものは皆無であり、それがさらに退屈観を募らせる。あくまでリアルな目線で、ティエリー・トグルドーという個人を通して巻き起こる小さな出来事が続くだけ。劇的な出来事など何も起こらない。それ故に尚更、見ているこちら側が能動的に映像が語る事柄を捉え、頭の中で必死に思考しながら鑑賞せねばならない映画かもしれない。
普段、我々がテレビや映画を楽しむ際、常に受け身の姿勢で映像を捉える癖がついてしまっている。見る者を離さないよう工夫された映像は魅力的であり、丁寧に作り込まれている映像であればあるほど見ている側の喜怒哀楽が出るというもの。称賛される映像作品は、自然と感情に訴えかけてくるものだ、と多くの人は言うことだろう。
この作品は、こちらが懸命に思考しなければ、映像に対する感情は何も生まれてこない。受動的にただ漫然と画面を眺めているだけでは、単に醜悪な映像が流されているものと判断されるのかもしれない。そうなってしまうと、この作品はつまらないもの、酷いもの、最悪な映画と見なされてしまうわけで、その危険性の方が大きいといえるだろう。
眠りに落ちればまだ幸い、眠ることができなければある種拷問…そんな酷い感情を持たないように、普段から映像に飼い慣らされないような努力をしておきたいところ。洗脳というものを避ける意味でも、賢明な訓練だと思うのだが──。
思考しながら鑑賞することで、この作品が訴えかける何かをつかめるかもしれない。ぜひつかんでほしいところ。かく言う自分も、なかなか的確にすべてをとらえ切れたとは言い難い。非常に難しい映画─。しかし、臆することなくこのような果敢に気むずかしいヨーロッパ映画に立ち向かっていこう、と改めて思っている。

planetarian 〜星の人〜

planetarian 〜星の人〜(2016年)
公開日:2016年9月3日
配給:アスミック・エース
時間:117分

監督:津田尚克
原作:「planetarian ちいさなほしのゆめ」(Key)
脚本:ヤスカワショウゴ、津田尚克
出演:すずきけいこ(ほしのゆめみ)
   小野大輔(星の人/青年時代)
   櫛田泰道(三ヶ島五朗)
   滝知史(館長)
   佐藤利奈(倉橋里美)
   篠塚勝
   福沙奈恵(レビ)
   日笠陽子(ヨブ)
   津田美波(ルツ)
   石上静香(イザヤ)
   桑原由気(エレミヤ)
   竹口安芸子(エズラ)
   大木民夫(星の人) ほか
シリーズディレクター:中山勝一、町谷俊輔
原作協力:Key、ビジュアルアーツ
キャラクター原案:駒都えーじ
キャラクターデザイン:竹知仁美
メカニックデザイン:海老川兼武
プロップデザイン:内田シンヤ
美術設定:泉寛
色彩設計:佐藤裕子
美術監督:竹田悠介、杉山祐子、荒井和浩
3Dディレクター:長澤洋二
撮影監督:渡辺有正、関谷能弘
編集:廣瀬清志
音響監督:津田尚克
音響効果:小山恭正
音楽:折戸伸治、どんまる、竹下智博
主題歌:Lia
アニメーション制作:david production


鑑賞日:2016年9月7日
場所:TOHOシネマズ新宿 Screen6 H7


■ Introduction(公式HPより)

封印都市の忘れられたプラネタリウム。
そこに迷い込んだ男が出会ったロボットの少女、星に導かれた奇跡の物語

世界大戦後の降りやまない雨の世界。細菌兵器の影響で、人々に見捨てられた最も危険な街【封印都市】。
その、デパートのプラネタリウムに、ロボットの少女がいた。彼女の名前は“ほしのゆめみ”。
彼女はプラネタリウムの解説員で、1年間にたった7日間しか稼働することができない壊れかけのロボットだった。
そこで彼女は、30年間いつか誰かが訪れることを信じて、1人誰もいないこの世界で待ち続けた。
そして、30年目の目覚めたその日に、彼女の前に1人の男が現れた。

「おめでとうございますっ!あなたはちょうど、250万人目のお客様です!」

突如現れたロボットに警戒する男・“屑屋”。
貴重物資を回収することを生業とする彼は、【封印都市】に潜入中、
都市を徘徊する戦闘機械(メンシェン・イェーガー)の襲撃にあい、このプラネタリウムに迷い込んだのだった。

「プラネタリウムはいかがでしょう。
 どんな時も決して消えることのない、美しい無窮のきらめき……。
 満天の星々がみなさまをお待ちしています」

大戦の影響で、星すら見えなくなった滅びゆくこの世界で、彼はそこで何を見るのか。
1年で7日間しか稼働できないロボットの少女が、目覚めたまさにその日に訪れた偶然。
そこで起こった奇跡とは──。


■ Story(公式HPー星の人ーより)

男は世界中を旅していた。一つの探し物を求めて──

始まりは、どこかの国が放った遺伝子細菌兵器であった。やがて、その報復として核弾頭が使われ終わりのない世界大戦がはじまった。地上では星すら見えなくなり、雨が降り続く世界へと変わっていった。滅びゆく世界の中、空から降り続ける雨は、気が付けば雪へと変わり人々の暮らしは地下へと移っていった。
かつて貴重物資を回収することを生業とし“屑屋”と名乗っていた男は、若いころあることがきっかけで、多くの人々に星の素晴らしさを伝えるようになり、訪れる集落で星の世界を語り継いでいった。いつしか人々は彼のことを“星の人”と呼び、敬うようになった。そんな彼は、ただ一つの“心残り”を持ちながら、世界を旅していたが、志半ばにして行き倒れてしまう。
一方、地下集落に住むレビ、ヨブ、ルツは外の世界に興味津々。大人たちに隠れて、地下の集落から抜け出て外の世界を探索していた。降り積もる雪の世界の中で興奮冷めやらぬ中、三人は埋もれていた一人の老人を発見する。
彼は、三人に助けられて、無事一命をとりとめた。そして、村の長エズラと話をしていく中で、彼が星の人と分かり歓迎されることになる。

「あなたを歓迎します、星の人」

無邪気に話しかけてくる、レビ、ヨブ、ルツ。三人と話していくうちに、若いころ自身が訪れた【封印都市】のことを思いだしていった。そこは、世界大戦初期の遺伝子細菌兵器の影響で、人々から放棄された街。彼は、まだ見ぬお宝を求めて、探索していた最中、追跡していく戦闘機械(メンシェン・イェーガー)から逃れて、デパートのプラネタリウムに迷い込んだのだった。
そんな彼の前に、一人のロボットの少女が現れた―

「プラネタリウムはいかがでしょう。
どんな時も決して消えることのない、美しい無窮のきらめき……。
満天の星々がみなさまをお待ちしています」

星すら見えなくなった滅びゆく世界で、彼は何を見たのか。

1人の男が生涯を賭して旅する中で、出会ったものとは──。


▶ 映画館環境
TOHOシネマズ新宿 SCREEN6 座席数119 スクリーンサイズ4.6×11.0m
H7は最後列、スクリーン向かってやや左側の席。個人的にはベストな席。
平日の昼上映、比較的空いていたが、予想以上に人がいた。ほぼ男子。若者中心。

▶ 作品レビュー
特筆すべきものを見いだせなかったアニメーション映画。普段から星にもプラネタリウムにも興味を持てないでいる自分のような者にとってしてみれば、内容に感情移入することも難しく、その興味はほぼ絵そのものに向かうわけだが、制作側の思い入れを感じるのはアンドロイドとして登場する、ほしのゆめみ、のみ。その一番際立ったキャラクターにもそれほど魅力を感じることができず、辛く長い時間を堪え忍んだ思い。
何よりも、ストーリーの構成の仕方にも不満を感じた。基本的に過去と現在を行き来しながら展開する話だが、その絡み合いが上手くない。現在、過去、現在、過去、現在、という具合に完全に分割された流れには、すべてにおいて怠惰なものを感じてしまう。過去と現在は完全に分断されており、確固とした関連性があるはずなのに、作品の世界観の中に時間軸の連なりを見いだすことが困難となっている。そう感じてしまうのは、絵そのもののまずさにも由来しているのではなかろうか。例えば、星の人の過去と現在が、どうしても同一人物と見なすことができない描写に、非常に憤りを感じてしまった。足のケガという記号だけで過去と現在をつなげようとしているのが見え見えで、それ故に見ているこちらが拒絶してしまう。この老いぼれはあの刺々しい若僧などではない、といった具合に…。そしてその延長で、金の卵たる子どもらの未来など、全く想像することもできない。未来への小さな希望ということが作品の大きなテーマになっているような気がするものの、その未来を想像させてくれる刺激がない。そして、プラネタリウムに思い入れのない自分にとっては、その子どもらが受け継いで行くものへの希望など全く感じることもできないわけで、文明が廃れた世界観のなかで救いようのないきれい事がただただ展開されているのみとしか映らなかった。
酷い言いぐさかもしれないけれど、あくまで個人的な見解。
映画の上映前に、ちいさなほしのゆめ、と題された小分けされたストーリーがネット配信されていたようだが、自分はそれを見ずに観賞した。もしかしたら、それを見てから劇場版を見たなら、より深くストーリーの背景など感じることができたかもしれないけれど、それにしても劇場版における構成の仕方にはもっと工夫が必要だと思う。結果でどうにかしよう、感動させようとしても、決して泣けない。押しつけがましい感動を与えられたような気がする。ちょうど、子どものころに昔話を聞かされて分かっていても素直に受け入れられない感情といったところだろうか──(分かりづらいかな…)。ただ、最後の最後に、ほしのゆめみをもう一度見たいとは思った。でも、ただそれだけのこと。

ルドルフとイッパイアッテナ

ルドルフとイッパイアッテナ(2016年)
公開日:2016年8月6日
配給:東宝
時間:89分

監督:湯山邦彦、榊原幹典
原作:(作)斉藤洋原作(絵)杉浦範茂
脚本:加藤陽一
出演:井上真央(ルドルフ)
   鈴木亮平(イッパイアッテナ)
   水樹奈々(ミーシャ)
   八嶋智人(ブッチー)
   古田新太(デビル)
   大塚明夫
   寺崎裕香
   佐々木りお

   毒蝮三太夫(ダンプトラックの運転手)ほか
製作:中山良夫、市川南、鈴木伸育、峠義孝、沢桂一、薮下維也、中村美香
ゼネラルプロデューサー:奥田誠治
エグゼクティブプロデューサー:門屋大輔
企画:岩佐直樹
プロデュース:岩佐直樹
プロデューサー:坂美佐子、伊藤卓哉、星野恵
アニメーションプロデューサー:小林雅士
プロダクションマネージャー:富永賢太郎
CGスーパーバイザー:森泉仁智
アートディレクター:丸山竜郎
キャラクターデザイン:阿波パトリック
音響監督:三間雅文
主題歌:back number
制作プロダクション:Sprite Animation Studios、OLM、OLM Digital

鑑賞日:2016年9月7日
場所:TOHOシネマズ新宿 スクリーン12 I10


■ ストーリー
黒猫のルドルフは、日々、家でのお留守番ばかり。いつの日か飼い主と共に外出したいと願っていた。そんなある日、窓のすき間から外へ出ることに成功したルドルフは、必死に外出した飼い主を追う。しかし、運悪く見知らぬトラックの荷台に乗り込んでしまい、しかも気を失ってしまう。気が付くと、目の前には知らない大きな街が広がっていた。ルドルフは一地方から東京へと迷い込んでしまった。
突然、野良猫となってしまったルドルフ。行く当てもなく彷徨い続けていると、体の大きな先輩野良猫イッパイアッテナと出会い、2匹は行動を共にするようになる。
ルドルフは何とかしてもとの場所に戻ろうとする。そしてイッパイアッテナはその手助けをするため、あらゆることをルドルフに教えていく。そのうちにイッパイアッテナの意外な過去も知る。徐々に2匹の絆は深まっていくのだった。
他にも仲間が増えていく。みんなルドルフが帰ることができるように、協力してくれた。そしてついに、ルドルフがどこから来たのか、そして、そこへ帰る方法を見つけ出す。それは仲間との別れ、イッパイアッテナとの別れを意味していた。
ルドルフは旅立つ。そしてその旅立ちをきっかけに、イッパイアッテナと仲間たちの運命も大きく変わっていくのだった。

1987年刊行の名作児童文学「ルドルフとイッパイアッテナ」をフル3DCGアニメーションで映画化したもの。


▶ 映画館環境
TOHOシネマズ新宿 SCREEN12 座席数75 スクリーンサイズ2.8×6.6m
比較的小さな劇場。前方の3列ぐらいを避ければ、どの席でも大丈夫だと思う。
I10は最後列、スクリーン向かってやや右寄り、上りの階段正面の席。足元の自由は確保できるが、人の行き交いが多少気になるところが難点。もっとも、朝イチで見たこの回では、観賞者が自分を含め2人しかいなかったので、最高の開放感で作品を堪能できた。


▶ 作品レビュー
思ったよりも、CGが素晴らしかった。正直、プロモーションなどでの静止画を見るかぎりにおいては(ハリウッドなどと比べると)拙いCGなのだろうと思っていたわけで、ある意味日本のCGの駄目さ加減を確認するために見にいったようなもの。それが見事に、いい意味で裏切られた感じ。
おそらく、(個人的には史上最高だと思っている)ズートピアなどのCGとじっくり比較すると確実にこの和製フル3Dアニメーションは負けているとは思うけれども、それを全く感じさせないのは、カメラワークと光りなどの演出につきると思う。
ローアングルで普段見慣れない映像のダイナミズムに魅せられて、光りの明暗でうまい具合に質感をつくり出し、暗がりの場面が多い作品でも明確な暗さを感じさせながら暗さの中の描写もしっかりとしていて、この作品の絵作りにおける勝利を感じた。
とはいっても、話は単純。そして、子供向け。それ故に、余計なことを考えずに、一生懸命に作り上げられた絵を堪能できるとも言える。
原作はあくまで児童文学であり、内容も道徳的。野良猫の習性とか、動物の活動におけるリアリティーというものは半ば二の次であり、嘘っぽいところは盛りだくさん。そこを善とするか否かは個人差はあるだろうが、内容の細かいところにリアリティーを求めてしまうと、原作における趣旨がねじ曲げられるような気がする(─原作は読んでいないけれども、何となく原作は尊重しているんだろうなぁとは感じる作品)。
悪く言ってしまえば、子供だましであり、表面的な作品。流血だの、猫に対する接し方だの、現実世界で切り離せないリアルな面がたくさん削ぎ落とされているとこは否めない。しかし、(繰り返しになるかもしれないけれど)童話をアニメ化したものであって、きれい事だけをうまい具合に綴っているわけで、決して社会における問題を伝えようとする作品などではないという前提で見なければ、物足りないんだろうなあ、とは思う。何も子供向けだからといって単純で分かりやすければいいというものでもないけれど、こういう清き正しき単純明快な素晴らしいアニメーションも存在してもいいはず。
個人的には、この映画の趣旨は、ストーリーを凝るのではなく、あくまでもリアルなCGの表現を追求したものだと理解する。そしてそれは見事に成功していると思うのだが、そうなるとやはり大人も含めた多くの人が見る作品になるわけで、必然的にちょっとした物足りなさというものを言われてしまっているような気がする。
やはり比較対象はハリウッド映画の3D映画になってしまうわけで、そうなると、どうしても内容的に見劣りする。そんな批判されるべき作品じゃないんだけど…