幸せをつかむ歌

幸せをつかむ歌(2015年・アメリカ)
原題:Ricki and the Flash
公開日:(米)2015年8月7日 (日)2016年3月5日
配給:(米)Sony Pictures Releasing (日)ソニー・ピクチャーズエンターテインメント
時間:101分

監督:ジョナサン・デミ
製作:マーク・プラット
   ディアブロ・コーディ
   メイソン・ノビック
   ゲイリー・ゴーツマン
製作総指揮:ロン・ボズマン
      アダム・シーゲル
      ローリーン・スカファリア
      ベン・ワイズブレン
脚本:ディアブロ・コーディ
出演:メリル・ストリープ(リッキー)
   ケビン・クライン
   メイミー・ガマー(ジュリー)
   オードラ・マクドナルド
   セバスチャン・スタン
   リック・スプリングフィールドほか
撮影:デクラン・クイン
美術:スチュアート・ワーツェル
編集:ワイアット・スミス
衣装:アン・ロス

鑑賞日:2016年3月7日
場所:シネマイクスピアリ シアター15 D-9


■ ストーリー
ロックスターを夢見て、家庭をも捨てた女性、リッキー(メリル・ストリープ)。
彼女はすでに54歳、小さなライブハウスで彼女のバンド、ザ・フラッシュと共に往年のスターの楽曲をカバーしながら生計を立てていた。
ある日リッキーのもとに別れた夫から、実の娘ジュリー(メイミー・ガマー)が離婚してひどく落ち込んでいるとの連絡を受ける。夫の再婚相手が父親の看病のため不在で、ジェリーの心の支えがない状態だということで、助けを求められる。
20年ぶりに家族のもとを訪れたリッキーは、自殺をも考えるほどに落ち込んでいた娘の姿を目にし、自らの力で娘の気持ちを蘇らせようと覚悟を決める。
リッキーの自由奔放な振る舞いの影響からなのか、娘ジュリーの気持ちも徐々に晴れやかになっていく。昔の家庭を取り戻したかのようなリッキーだったが、実家から出て生活している二人の息子と出会うことで、自分の夢のために失われた絆は確実に存在しているのだということを思い知らされる。そして、夫の再婚相手が家庭に戻ってきて、目の前にある家庭の営みを目のしたとき、自分にはもはや歌以外に何も無くなっていたことを思い知らされる。
そして再びリッキーはライブハウスで歌い続ける。バイトをしながらのバンド活動─、その日暮らしの日々─。どうしようなく落ちぶれた自分に恋心を寄せてくるバンド仲間グレック(リック・スプリングフィールド)─、その思いを拒み続けてきたリッキーだったが、グレックが本気で彼女を支えるという覚悟を知るに至り、遂に彼を受け入れる。
新たな支えを得たリッキーのもとに、息子からの結婚式の招待状が届く。意外なことでこの上ない喜びではあったものの、蓄えも何も無い自分には、そこに参加する術はないと諦めてしまう。しかし、リッキーはもはや一人ではなかったのだ─。

メリル・ストリープと実の娘メイミー・ガマーとの共演が注目。
また、リック・スプリングフィールドの名演技・名演奏も見どころ。


▶ 映画館環境
シネマイクスピアリは劇場数16のシネマコンプレックス。シアター15は座席数164、シネコン内では中規模なサイズ。すべての劇場において、前方のブロックと後方ブロックとに分かれている構成。自分は常に後方ブロックの最前列を選択する。その列であれば、例え端であろうとも、映画の良し悪しを十分楽しめる。D-9はちょうど真ん中の席。
場内非常に空いていた。平日で子供向けでなければ、かなりの確率で空いている映画館、しかも朝割引きと夜割引きポイント無料観賞と観賞者に対して非常に優しい映画館であるため、個人的に贔屓にしている。


▶ 作品レビュー
メリル・ストリープがロックンローラーとして自ら歌うというだけで見る価値を感じる。しかも、リック・スプリングフィールドがパートナーとして演じているのだから、’70年代、'80年代の洋楽を浴び続けてきた者にとっては見ないわけにはいられない映画と言えよう。実際に大女優が小さなライブハウスでギターを弾くシーンから物語は始まる。演奏は率直に拙い。しかし、それ故のリアルさ─本当にあの人が演奏しているんだなという感動、滑稽さ、歌声も微妙だし─それ故、54歳にしてパートをしながらのライブハウス演奏という説得力というかリアリティー。そして、それを補うかのようにリアルミュージシャンであるリック・スプリングフィールドのギター演奏が鳴り響く…。
もうこれだけでこの映画は完結しているようなもので、ひどい言い方をしてしまえば、これからどんなストーリー展開があろうとも、どうでもいいと思ってしまう。
実際に、個人的見解ではあるが、リッキー・アンド・ザ・フラッシュの演奏以外に楽しむべきところはなかったし、特別な主義主張もなかったわけだが、だからといって適当に作られている映画とも思えない。
実の娘と共演までして人を楽しませようとするエンターテイメント魂、実際に瓜二つの顔に笑ってしまうし、似てるんだけど全く親子関係には見えないところにも滑稽さをも覚える。何よりも大女優メリル・ストリープが見た目ほとんど魅力を感じないおばちゃんになり切っているところが恐ろしい。今まで築き上げてきたオーラなど微塵も感じない。これが良いのか悪いのか見る人によって全く違った見解になることだろうが、一人の女性が身を削っている姿は間違いなくそこにはある。
ストーリーに関していえば、特筆すべきものは無く、出演者や設定だけで面白くしている映画だといえるのかもしれない。筋をいま改めて思い返してみると、恐ろしくつまらないものだったという思いが強まっているのだが、その場でそうは思わなかったのは、夢に破れた者、離婚、恋愛、同性愛、人種、そして格差社会といった、いまのアメリカ社会を象徴する物事が盛り込まれていたためだ。数十年前は夢のアメリカと憧憬されていた国は廃れ、あらゆる問題を抱えている国へと変わってしまった─。表現としては半ばとってつけたようなところがあるものの、決して的を外したものではない。ただ、最終的には貴族社会のようなステージでドレスを着た女優が賛美されて終わるといったところには納得しかねるところがある。あそこはライブハウスで家族とともに歌って踊って終わるべきだろうと思うのは、リッキー・アンド・ザ・フラッシュに思い入れを持った者だけが思うことであって、偉大なるアメリカというものを強く思う者にとってしてみれば、それがどんなにつまらないものであったとしても、この映画のあのラストこそが理想なのかもしれない。
ドレスコードにブルース・スプリングスティーンは似合わない。
最後に邦題の酷さについて言及しておかざるを得ない。なぜこれほどまでに原題と違った日本語タイトルになり得たのか理解できなかったのだが、この違和感極まりないラストが醜悪なタイトルを生み出したのだと納得した。それでもどうしてもそれを受け入れることはできない。しかし、ふと思うのはラストの違和感をそのまま映画に反映させようという思惑で、この不自然な日本語タイトルを敢えてつけたのではなかろうかと─、考えすぎだな。


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