あやつり糸の世界

あやつり糸の世界(1973年・ドイツ)
原題:Welt am Draht
公開日:(西独)1973年10月14日 (日)2016年3月5日
制作:Westdeutscher Rundfunk (WDR)
配給:(日)アイ・ヴィー・シー
時間:212分

監督:ライナー・ベルナー・ファスビンダー
製作:ペーター・メルテスハイマー、アレクサンダー・ベーゼマン
原作:ダニエル・F・ガロイ
脚本:フリッツ・ミューラー=シェルツ
出演:クラウス・レービッチェ(フレッド・シュティラー博士)
   マーシャ・ラベン(エヴァ・フォルマー)
   カール=ハインツ・フォスゲラウ(ヘルベルト・ジスキンス所長)
   アドリアン・ホーフェン(ヘンリー・フォルマー教授)
   バルバラ・バレンティン(グロリア・フロム)
   ギュンター・ランプレヒト(フリッツ・ヴァルファング)
   ボルフガング・シェンク(フランツ・ハーン)
   マルギット・カルステンセン(マヤ・シュミット=ゲントナー)
   ウーリー・ロメル記者(ルップ)
   ヨアヒム・ハンセン(ハンス・エーデルケルン)
   クルト・ラーブ(マーク・ホルム)
   ゴットフリート・ヨーン(アインシュタイン)
   エル・ヘディ・ベン・サレム(ボディーガード1)
   イングリット・カーフェン(編集部秘書ウッシ)
   エディ・コンスタンティーヌ(車中の男)
   クリスティーネ・カウフマン(パーティ客)
   ベルナー・シュレーター(パーティ客)
   マグダレーナ・モンテツマ(パーティ客)
   カトリン・シャーケ(転移室スタッフ)
   ルドルフ・バルデマル・ブレム(病院スタッフ)
   ペーター・カーン(介護人1)
   ソランジュ・プラーデル(マレーネ・ディートリヒ)ほか
撮影:ミヒャエル・バルハウス
美術:クルト・ラープ
衣装:ガブリエレ・ピロン
編集:マリー・アンネ・ゲアハルト
音楽:ゴットフリート・ヒュングスベルク

鑑賞日:2016年3月16日
場所:ユーロスペース スクリーン2


■ ストーリー
サイバネティック未来予測研究所というあやしげな名前の組織を中心に展開するSF映画。
そこではスーパーコンピューター<シミュラクロン1>が開発され、それを用いて現実世界とそっくりなヴァーチャル世界を創り出しており、それにより未来予測を予測しようとしていた。
ある日そのスーパーコンピューター<シミュラクロン1>の開発者のフォルマー教授が謎の死を遂げる。教授は死の直前、同僚のラウゼに重大な秘密を知ったと話していた。そしてその同僚のラウゼも姿を消してしまう。
次に研究所の責任者となったのがフレッド・シュティラー博士だった。彼は教授の死の謎とラウゼの失踪を追求しはじまる。彼がそういう思いに至ったのは、ラウゼが姿を消した瞬間から、ラウゼという存在を知る者は彼しかいないという恐ろしい現実を直面したからだった。
シュティラー博士が何よりも気になったことは、教授が死の直前に知ってしまったという謎のこと。それが何だったのか追い求めているうちに、博士もその重大事を知る。
博士や教授、そしてラウゼが存在していたこの世界は、自分たちよりも上位世界にすむ何者かが創り上げたものだったのだ。

テレビドラマとして16㎜フィルムで製作されているこの作品は、劇場用として35㎜フィルムにされることもなく、長い間、日本において公式の場では劇場未公開であった。デジタルリマスター版が製作されたことをきっかけに、ついに日本での劇場公開が実現した。


▶ 映画館環境
ユーロスペースのスクリーン2は座席数145。
スクリーンサイズがスタンダード(1:1.37)2.9×3.9m、
ヨーロピアン・ビスタ(1:1.66)2.9×4.814m、
アメリカン・ビスタ(1:1.85)2.9×5.365m、
シネマスコープ(1:2.35)2.9×6.815m、
いわゆるミニシアター。
今回はスタンダードサイズでの上映。
半ば映画オタクの集まりといった印象であった。

▶ 作品レビュー
出落ち観が強い作品であり、ストーリー展開だけを追い求めてしまうようだと、この長尺はかなりきついものがある。
マトリックスですでに経験済みの落ちであり、衝撃度も多少弱くなってしまっているとはいえ、ヴァーチャル世界の先駆けとして非常に価値のある作品であることは間違いない。
しかし、そればかりが隠れたSFの名作であると言われている所以ではない。斬新な内容におんぶに抱っこすることなく、まさに手練手管するかのごとく、映像そのもので見ているものを惹きつけようとする。巧みな映像表現こそがこの作品の評価に繋がっていると確信した。
R.W.ファスビンダー監督は40本以上もの作品を残し、37歳で夭折する。俗な言い方をすれば、天才は早くして死ぬのかというところだろうが、この作品を見る限り、天才肌とは違うような印象を受ける。丹念に一コマ一コマ構築しているような職人的要素を感じるのはなぜなのか。
まず16㎜フィルムを使用しているということは、かなりコストパフォーマンスを意識してのことと思うし、映像を見る限りカメラの台数を必要最小限に抑えているように感じる。それを補うかのような創意工夫、鏡面を用いることで1画面の中に複数の表情を収めてみたり、決して作り込まれているようには思えない未来の舞台(セットやロケーションなど)を考え抜かれた構図やカメラワークにより独自の未来観を構築していて、映像の質を落とすことがなく、しかもむしろそういった工夫によってこの作品を洗練させているように感じる。まさに現場で培ってきたもの作品に遺憾なく発揮しているといった印象だ。
そうは言っても、正直長すぎる。200分を超える大作。前半部分でほぼ謎とされるところは解決されてしまう。後半はそれをもとにした新たな展開。言わば前半がプロットの提示であり、後半が物語の提示といったところ。自分の中では、すでに前半部分で完結してしまったような印象で、後半部分は長い長いエピローグかのように感じてしまい、断片的に記憶がない。だからといってこの作品の後半部分が劣っているとは断言できない。劣っていたのは自分の意識でしかない。後半部分だけもう一度見直し、その時点において、この作品がどうなのか─噂に違わぬ名作なのか、ただ単に長いだけの大作でしかないのか、見極めたいと思う。
前半においてはすべてにおいて意識を集中できたわけであり、今の時点では、すべてのポテンシャルを完全に引き出している完璧な作品であると判断できる。
そしてまた、デジタルリマスターという技術面が大きいのかどうか分からないけれど、映像の質や色彩が予想以上に見事であった。確かに現代の技術もその要因たるものであろう。しかし最大の要因は、繰り返しになるが、考え抜かれた構図やカメラワークであるだろうし、さらには照明や小道具大道具、衣装などすべてが融合した結果がこの色褪せない画面を構築しているのだろう。劇中ラストで流れるギター音楽もまた、渋くこの作品を引き立てている。切なく流れるその調べが、作品の中に漂う主題のごとく、劇場内で響き渡る─社会派映像作家としても盛んに名を挙げられるファスビンダー監督ではあるが、このSF劇映画を観賞するだけでもそのように祭り上げられる所以が垣間見える。

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