ザ・メタルイヤーズ

ザ・メタルイヤーズ(1988年・アメリカ)
原題:The Decline of Western Civilization Part II: The Metal Years
公開日:(米)1988年6月17日 (日)1989年3月11日
配給:(米)New Line Cinema (日)ビーズインターナショナル
時間:94分

監督:ペネロープ・スフィーリス
出演:スティーブン・タイラー
   ジョー・ペリー
   アリス・クーパー
   ジーン・シモンズ
   ポール・スタンレー
   オジー・オズボーンほか
製作:ジョナサン・デイトン
   バレリー・ファリス

製作総指揮:ポール・コリクマン
撮影:ジェフ・ジンマーマン
編集:アール・ガファリー

鑑賞日:2016年3月26日
場所:シネマカリテ スクリーン1 A-10


■ プロット
水着の美女に囲まれてロックスターを夢みるODINのメンバー、セックスを自慢するグルーピー、LONDONはステージで爆弾6発を破裂させてロシアの国旗を燃やす。下着姿の女性とともにKISSのポール・スタンレーはメタルの本質を語り、オジーはオレンジジュースをこぼし、MOTÖRHEADのレミーは煌びやかなLAの街を背景に丘に立つ。

『ザ・デクライン』から7年、ペネロープ・スフィーリス監督がふたたびロサンゼルスの音楽シーンを切り取った≪西洋文明の衰退≫ドキュメンタリー第2弾。アメリカのハードコア/パンクの核となったLAの暴発間近な瞬間をとらえた前作の時代からロサンゼルスの音楽シーンは様変わりしていた。 ド派手な衣装と長髪を振り乱し、金と名声、セックスとドラッグを夢見る若者たち。そこには真面目に音楽に打ち込む連中もいれば、パーティーアニマルと化す面々や挫折して消えていく連中もい る。1988年にロサンゼルスでピークを迎えていた、華美な装飾に彩られた、グラムロックの流れも汲むヘヴィ・メタル=LAメタルが本作のテーマである。当事者たちは70年代末から勃発したパンクロックはディスコに落ちぶれ、80年代の真のロックンロールはヘヴィ・メタルであると主張する。

POISONのメンバーは数百万枚のアルバムを売って成功を手にした秘訣を解説、AEROSMITHのスティーヴン・タイラーとジョー・ペリーはドラッグ依存の過去を振り返り、成功を信じてデトロイトからLAに進出してきたバンドSEDUCEは希望に胸を膨らまして、若者たちはヘヴィ・メタルで如何にモテるかを語る。スフィーリス監督はハードコア/パンクとは真逆のイデオロギーのもとに成り立つヘヴィ・メタルシーンを徹底した客観的視点で映像におさめる。公開当時アメリカでは出演ミュージシャンの不満が爆発し物議を醸した。

特にあまりにも有名な映画の1シーンとなったW.A.S.P.のクリス・ホームズのインタビュー。母親を隣に豪邸のプールに浮かびながら、冨と名声を得た後の孤独と悲哀、ドラッグとアルコール依存の悲惨さを泥酔状態で語る。映画完成後はクリスは「観るんじゃねぇぞ!」と周囲に吼えた。本作の特異性は、題材であるヘヴィ・メタルを美化することなく、ときに冷徹な視線で描写することだ。鑑賞後メタルファンは感動と失望の両極端な感情を味わった。

しかし本作は被写体に擦り寄らないスタンスのためか、<音楽ドキュメンタリー>という世界においては最上級の評価を得ており、現代においても数々の媒体でTOPリストの上位に必ずランクイン するという称賛を受けている。製作費は前作の約5倍となる50万ドル。デクラインシリーズで最も 鑑賞された作品である。

※日本語公式HPより


▶ 映画館環境
シネマカリテ・スクリーン1 観客数97 レイトショー リバイバル上映
A-10席は最前列の真ん中付近、多少見上げではあるものの辛くはない。この劇場の最前列の中央付近は狙い目か─。
7、8割の座席が埋まっていただろうか、なかなかの入り。根強いメタル好きが多いということだろう。その多くは80年代後期のメタルブームを知っているといった印象。


▶ 作品レビュー
前作とはうって変わって、有名ミュージシャンが続々と登場、取材の対象も観客というよりもアーティストに向けられている。それは前作の成功で予算が増えたからにほかならないのだろうが、その内容はかなりトーンダウンしている印象があった。
前作においては、音楽が衰退しているかのような印象でありながら、そこに集う若者の思いは純粋であり、社会に対する不平不満がパンクムーブメントを生み出しているという構図を見事に描き出していた。ところが、今回のメタルムーブメントの描き方は、音楽そのものを批判しているようにしか見えない。
確かに、インタビューに答えるアーティストから発せられるのはカネの話が中心で、富や成功のために音楽をやっている姿が露わにされている。成功を手にした彼らに対する憧れや尊敬の念を決して抱くことができないような内容になっている。
まるで音楽で富や栄光をつかむことがいかがわしい事であるかのような表現、成功した彼らの音楽は果たしてそれほど酷いものなのか、成功して煌びやかな世界に漬かっているのはあくまで結果であって、そこまでの過程や努力は全く無視されている。
取材対象者であるアーティストらもカメラの前で正直に答えていない。語られる事柄は絵空事。それらを不快に思ったのかどうかは分からないが、この映画ではメタルを終始批判しているとしか思えないような表現となっている。挿入される楽曲にも全く思い入れを感じることができない。デクラインというタイトルに拘るあまりに無理やり批判的に描いているのか、それともメタルそのものが嫌いなのか、もしくは成功者への嫉妬なのか…。
有名なアーティストとなると、なかなか密着するが難しかったのかもしれない。本音で語り合う関係性を構築できていないので、単に有名人を取材した映像をつなぎ合わせたようなものになっている。それも彼らはふざけてコメントしているとしか思えないわけで、いったい何のために取材しているのかということすら見えてこない。
パンクに比べてヘヴィーメタルというものは、確かにメッセージ性は低いかもしれないけれど、音楽性においてはパンクをも凌ぐと考えられる。それ故に多くの成功もあり、世の中にも受け入れられているのだと思う。何故に音楽そのものに焦点を当てようとしなかったのか、全くもって納得いかない。
思い返してみると、1作目もパンク音楽を題材にしているとはいえ、その焦点はあくまでムーブメントやそこに携わる人々に向けられていて、音楽そのものは二の次であった。そもそも、音楽そのものがお粗末であったわけで、それ故に対象がその取り巻きへとシフトしていったように思う。作者のパンク音楽に対する愛は感じられなくとも、人に対する愛を強く感じたわけで、それが大きな救いとなっていた。
そしてこの2作目といえば、メタルへの愛も感じないし、ましてや対象となっているアーティストへの愛や尊崇の念といったものも皆無である。もはや仕事で映画を作っているとしか思えない作品となっている。
栄光を勝ち取った者を取材するのも悪くはないと思う。有名人が出る映画であれば観客動員にも繋がるだろうし、実際、デクライン三部作で最も観客が多かったというから、戦略的には成功したといえよう。
ただ、作品としては最低だ。せめて、富や栄光を得ようともがくアーティストも取材して、その上でメタルを批判するなりカネの亡者を批判するなりして欲しかった。視点が狭くて多面性がないために、非常に薄っぺらい音楽ドキュメンタリーであると言わざるを得ない。

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