ヒロシマ、そしてフクシマ

ヒロシマ、そしてフクシマ(2015年/日本・フランス合作)
公開日:2016年3月12日
配給:太秦
時間:80分

監督:マーク・プティジャン
プロデューサー:山本顕一
製作:ドミニク・ベロワール
   マーク・プティジャン
出演:肥田舜太郎、野原千代、三田茂ほか
挿入動画:ロマン・ルノー
撮影:マーク・プティジャン
編集:マーク・プティジャン
音声:百々保之
音楽:リーズ・ノラ
ナレーション:水津聡

鑑賞日:2016年3月16日
場所:ユーロスペース スクリーン2 全席自由


■ プロット
肥田舜太郎医師96歳。1945年8月6日広島、自身も被爆しながら、軍医として被爆者の治療に従事する。以来、広島と長崎の被爆者を治療しながら核兵器廃絶を訴え続ける。肥田先生の活動を追い続けるマーク・プティジャン監督は、福島原発事故をきっかけに、現地に赴き、肥田先生と連絡を取り合いながら放射能汚染の脅威を追及しはじめる。
震災時に福島にいた人や、被災した人の診断を続けている医師らを取材し、広島から福島にいたるまで変わらない隠蔽体質を浮き彫りにする。
肥田先生は、原爆投下時に広島にいなかったはずの人まで被爆することに疑問を感じ続けて、それがようやく内部被曝が原因であることを自らつきとめたのは、かなり時間が経ってからだった。そもそも原爆投下関連のデータを米軍がなかなか見せてくれなかったため遅れたのだ。
同様のことが福島の時も起こり、今でも放射能汚染において不明な部分が多い。
肥田先生は言う、福島原発事故は決して終息などしていないし、まさにこれから起こりうる事なのだと─。それを象徴するような事象をマーク・プティジャン監督が独自の視点で追い求め、福島を含めた日本の未来を憂う。
日本の被爆と被曝をフランス人監督が追ったドキュメンタリー映画。


▶ 映画館環境
ユーロスペースのスクリーン2は座席数145。
スクリーンサイズがスタンダード(1:1.37)2.9×3.9m、
ヨーロピアン・ビスタ(1:1.66)2.9×4.814m、
アメリカン・ビスタ(1:1.85)2.9×5.365m、
シネマスコープ(1:2.35)2.9×6.815m、
いわゆるミニシアター。
どこに座っても問題なく観賞できるので、結構好きな劇場。
平日午後イチの上映、1日1回の上映、しかも3週間限定というためか、かなりの客数。
年齢層はやはり高め。


▶ 作品レビュー
福島第一原発事故後の出来事を中心に、放射能汚染について取材しているこの映画は、社会問題を扱ったドキュメンタリーであることは間違いない。だが、その視点はあくまでマーク・プティジャンという個人のものであり、描かれていることが客観的な事実かどうか分からないところもある。現に網羅されている情報においても、誤っていると感じられた部分もあったので、内容すべてを盲信する危険性も多少感じる。
しかし、もはや言うまでもないことをステレオタイプがごとく垂れ流すようなドキュメンタリーが多い中、細かな真偽はともかく、個人の取材に基づいた事柄を積極的に網羅することにより、テレビなどでたくさんの情報を得てきているにもかかわらず、今まで知り得なかった情報を数多く知り得た。これこそがマスメディアにはないドキュメンタリー映画の醍醐味だと改めて感じた。
そういった意味ではある程度、事前に情報を得ておかなければならないだろう。日ごろニュースなどに接していれば十分だとは思うけれど。
このことはメディアリテラシーという点においても非常に重要なことで、この映画に対してばかりに当てはまるわけでなく、普段あたかも本当にように流されているニュースなどに対しても当てはまるだろう。決してすべてがすべて正しいものではないのだ。ニュースと比較してこの映画の真偽を自分なりに考えると同時に、この映画を見ることによりニュースの真偽や世の中で言われている震災後の現状や放射能汚染の現状といったものを推し量ることができるわけだ。
そしてまた、外国人が見た日本の原発問題、放射能汚染問題というものを知るよい機会である。被爆国でありながら原発事故を起こしているこの愚かしさをどう思っているのか。不思議に思っているに違いないわけで、そうした思いで制作に至っていることは間違いないだろう。
マーク・プティジャン監督が日本でのドキュメンタリー映画を作り出したきっかけは、肥田舜太郎医師の著作物からだという。『広島の消えた日』という本を読み、そしてドキュメンタリー映画『核の傷』(2006年)を完成させる。そういったことから、放射能汚染と闘っている日本人に敬意を持って臨んでいるところを垣間見ることができる。真摯に核と向き合っている日本人がいるのに、どうして、今度は自らの手でそれを引き起こしてしまったのか…そう思ったに違いない(と自分が勝手に想像するだけなのだが、少なくとも当事国に住む自分などは自国の行為に大きな疑問を持ったことは確かなこと)。多くの人が思ったであろう疑問に、プティジャン監督なりの見方でその答えに道筋をつけてくれているように思う。
隠蔽体質というものが繰り返される愚行に大きく関わっていて、そこに目を向けなければ同じことは繰り返されると語っているかのようだ。
ヒロシマですらまだ終わったといえないのに、フクシマを引き起こし、そしてまたそれを終わらせようとしている。 肥田先生の言葉を借りるならば、それはこれからでありまだ起こってもいないのかもしれないのだ。
この映画を見ていっそう強く思うことは、福島をどうすればよいのか分からなくなってしまうということ。故郷に戻りたい人も当然いることだろう、だからといって帰宅困難区域や避難指定区域の早期解除などしてはならないと思ってしまう。ニュースで分かるのは終わらない放射能漏れ。そして映画で分かるのは確実に汚染が進行しているということ。漏れ続けているのだから、当然汚染も拡大していると言わざるを得ないところなのに、テレビなどでは言及は全くない。科学的データや根拠が無いからなのか分からないが、少なくともこの映画を見る限り、フクシマの影響は拡大しているのではと思わざる得ない。日本で暮らす日本人にとって、耳の痛い話ではあるけれど、耳どころか体全体が蝕まれているという話に耳を塞いではならない。少なくとも、こうして当事者ではないフランス人が強く問題提起していることを、率直に受け止めなくてはならないだろう。
そもそも、非当事国の人たちにとっても関係ない話ではない。フクシマの問題は地球規模なのだと自覚しなければならない。どこどこの国が日本の食物の輸入を制限していることに反発するばかりでは、決してフクシマは終息することはない。
もう発生したことであるわけだから、その終息などあり得ないと思う。ただそれをいかに最小限にするか、いかに大きくしないか、繰り返さないためにはどうしたらよいのか、そのことをまず第一に考える必要があるだろう。
この国で生きていく限り、何かしらの覚悟を決めなければならない、自分は今そう確信している。

映画についての具体的言及がかなり少なくなったが、最後に音楽について一言。
ミニマルともいえるその響きに魅せられ、また映画の雰囲気によく合っていたので、非常に印象に残っている。どこかで聴いたことがあるような響き─ミニマルミュージックだから何かに似る確率は高いのかもしれないけれど、強いて挙げるならば、映画『バベル』で流れていたススム・ヨコタの♪Gekkohなどに近かっただろうか─非常に分かりづらい例で恐縮だが、あくまで個人的見解だと思って勘弁願いたい。


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