光りの墓

光りの墓(2015年/タイ・イギリス・フランス・ドイツ・マレーシア合作)
原題:Rak ti Khon Kaen
公開日:(仏)2015年5月18日 (日)2016年3月26日
配給:(日)ムヴィオラ
時間:122分

監督:アピチャッポン・ウィーラセタクン
脚本:アピチャッポン・ウィーラセタクン
出演:ジェンジラー・ポンパット・ワイドナー(ジェン)
   ジャリンパッタラー・ルアンラム(ケン)
   バンロップ・ロームノーイ(イット)ほか
撮影:ディエゴ・ガルシア
美術:エーカラット・ホームラオー
編集:リー・チャータメーティクン

鑑賞日:2016年3月29日
場所:イメージフォーラム シアター2


■ INTRODUCTION
『ブンミおじさんの森』でカンヌ映画祭最高賞パルムドールに輝いたタイの天才アピチャッポン・ウィーラセタクン。ティム・バートンやスコセッシをも魅了する世界最先端の映画監督で、同時に、国際的な美術作家。その待望の最新作『光りの墓』は、映像、サウンド、色彩設計、あらゆる面において、天才の進化を感じさせる大傑作。タイの社会状況を透徹しながら、語り口はあくまでもユーモアと優しさに溢れています。

タイ東北部。かつて学校だった病院。“眠り病”の男たちがベッドで眠っている。病院を訪れた女性ジェンは、面会者のいない“眠り病”の青年の世話を見はじめ、眠る男たちの魂と交信する特殊な力を持つ若い女性ケンと知り合う。そして、病院のある場所が、はるか昔に王様の墓だったと知り、眠り病に関係があると気づく。青年はやがて目を覚ますが……。あなたは眠っていたいですか、それとも目を開きますか?

撮影が行われたのは監督の故郷である、タイ東北部イサーン地方。そこでは今も、空や水や雲にも霊が宿り、人々はスピリチュアルな空気の中で生きている。映画では、その土地の記憶とジェンという一人の女性の愛の記憶が幾層にも重なっていく。そして、驚くほどに深い感動が待つラスト! 天才監督アピチャッポン史上最高の傑作の誕生です。

※日本語公式HPより


▶ 映画館環境
イメージフォーラム・シアター1 座席数108 全席自由席
全席スクリーンを見上げるかたちの劇場のため、あまり前だと見づらい。自分はこの劇場ではなるべく最後列を選択する。それで十分映画的体験を堪能できる。
アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の特集上映を経ての最新作上映だったためか、平日昼間の上映にもかかわらず、観客は非常に多かった。客層もさまざま。


▶ 作品レビュー
作品のキービジュアルに惹かれて楽しみにしていた作品。設定などにも興味を持ったし、対となるような作品「世紀の光」への印象も良かったので、満を持しての観賞。
病院が舞台で、過去と現代あるいは未来といった時空を越えた展開が「世紀の光」と非常によく似ている。一時代の景色のままに物語が進んでいくところが大きく違っていた。それが内容を理解することを難しくしている一因であったように思う。
明らかに舞台が変わったと認識できる場面展開でも、それがどこへ移ったのか、そしてどういった繫がりで突然その場面に移ったのか、説明や分かりやすい記号が少ないために、見ているこちらが混乱してしまう。勝手に想像するに、現実世界と眠りの世界がランダムに入れかわっているように感じたものの、果たしてそれが正しいのかどうか…。また、特に物語の時の流れに関しては、ほとんど掴み取ることができず、ストーリーが進んでいるのか戻っているのかすら分からなかった。もしかしたら、止まった時間の中で話が展開しているのかも知れない、とも判断できる。
フィックスの長回しの映像が多いし、ストーリーもあるようでない、説明的なところもほとんどないし、面白そうな演出がされても内容そのものを理解できていないから笑っていいのかどうかも分からない。
確かに、時空や舞台に全く縛られていない映画であり、自分だけの世界を構築できる映画の可能性を押し広げている作品だといえるけれども、これを面白いかどうかといえば、個人的には面白いと言うことはできない。あくまでも映画や映像のための映画であって、娯楽とか社会的意義とかあまり感じることができない。必ずしも映画には意味や意義など必要だとは思わないけれど、劇場映画である以上、大衆に見せるという意識は必要だと思うわけで、残念ながらこの作品にはそういった意識が薄いように感じてしまう。
もっとタイという国を知らなければならないのだろうか? 確かに、タイに行ったこともないし、タイを知る術というのはテレビやインターネットだけ。そんな無知な自分にはこの作品の真の面白さを理解することはできないということなのだろうか? だとすると、この映画を日本で上映する意味などない気がするのだが…
それにしても、この映画のプロットを改めて読んでみると、どうしてあんなにつまらなかったのか疑問に思ってしまう。率直につまらないと見なした後でも、プロットを読んで、もしかしたら本当は面白いのかも─という気になってくる。
少しだけ勝手な解釈をすると、あまりに短いカットの羅列というものに自分は毒されているような気がする。ビジュアル的な刺激が少ない作品には心が動かされなくなっているのかもしれない。この作品も短いカットの連なりだったらと想像すると、多少面白いかもしれないと思ったりするわけで、まさにその思考こそが自らの劣化を証明しているような気がする。
そうはいっても、はやりこの映画は自分にとっては分かりづらい。もっと説明や記号を盛り込んで欲しい。アピチャッポン・ウィーラセタクン監督は、そういったものを排除したいアーティストだということは何となく理解できるけれども、せめてビジュアル的な記号を象徴的に提示してくれなければ、どんなに見ているこちらの意識を高めたところで作家の見ている夢など理解できるはずもない。

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