オートマタ(2013年/スペイン・ブルガリア合作)
原題:Automata
公開日:(タイ)2014年10月9日 (日)2016年3月5日
配給:(日)松竹
時間:109分
監督:ガベ・イバニェス
脚本:ガベ・イバニェス
製作:アントニオ・バンデラス
レス・ウェルドン
ダニー・ラーナー
サンドラ・エルミーダ
製作総指揮:アビ・ラーナー
トレバー・ショート
ボアズ・デビッドソン
出演:アントニオ・バンデラス(ジャック・ボーガン)
ビアギッテ・ヨート・スレンセン(レイチェル・ボーガン)
メラニー・グリフィス(デュプレ)
ディラン・マクダーモット(ウォレス)
ロバート・フォスター(ロバート・ボールド)ほか
撮影:アレハンドロ・マルティネス
美術:パトリック・サルヴァトーレ
編集:セルヒオ・ロサス
音楽:ザカリアス・M・デ・ラ・リバ
鑑賞日:2016年3月5日
場所:新宿ピカデリー シアター2 D-9
■ ストーリー
2044年、太陽風の増加により、地球は砂漠化が進み、人口は99.7%減少し、わずか2100万人になってしまった。大気の乱れが地上の通信システムを妨害し、人類は技術的な後退を余儀なくされた。
目には見えないが大気はゆっくりと汚染され、機械雲が降らす雨の酸性化レベルは徐々に高くなりつつあった。
ハイテク技術の大企業ROC社は、ピルグリム7000型という人型ロボット〈オートマタ〉を開発した。オートマタは、人類存続のため砂漠化を防ぐ巨大防御壁の建設や、機械式の雲を造るほかにも、人間社会に密に入り込んでいた。建設現場のみならず、家事、セックスなど、様々な人間の生活を幇助していた。
また人類が膨大な数のオートマタを管理・維持できるよう、2つの制御機能(プロトコル)が組み込まれた。
「制御機能 1:生命体への危害の禁止」
「制御機能 2:自他のロボットの修正(改造)の禁止」
ただしオートマタが何らかのトラブルを起こした場合、ROC社の保険部から調査員が派遣される。髪の毛を坊主頭のように短く刈り込んだジャック・ヴォーカン(アントニオ・バンデラス)は、その1人だった。
ヴォーカンの脳裡に残像のように広がる美しい海は、遥か昔、幼い頃に海で遊んだ楽しい記憶なのか、あるいは海への憧れが抱かせる美しい幻想なのかは、彼自身にしか分からなかった。
まもなく、ロボット嫌いの粗野な刑事ウォレス(ディラン・マクダーモット)によって、オートマタの異変が発見された。機能異常を見せたオートマタの所有者は不明で、しかも予備DCバッテリーや新しい補正液が加えられているだけでなく、第2プロトコルが失われていて、内部が相当改造されていた。
そして改造部品の中に、現在稼働中のオートマタの部品がまじっていたために、ヴォーカンは、防御壁を造る建設現場に向かった。まじっていた部品は、溶接工のオートマタのもので、ヴォーカンが近づこうとすると、それは自らオイルをかけ、バーナーの火で自殺するかのように燃えあがって倒れた。
溶接工のオートマタも、第2プロトコルが失われていて改造されていた。プロトコルは心臓部ともいえるバイオカーネル内にあり、量子暗号化されている。徹底的な安全システムのため、プロトコルを変更しようとすれば、バイオカーネルも壊れてしまう。そんなプロトコルを、一体誰が改造しているのだろうか?
ヴォーカンは捜査中に出逢った女性技師、デュプレ博士(メラニー・グリフィス)から、プロトコルの重要性を知らされた。「猿の脳が我々の知性まで進化するのに約700万年かかったわ。でも第2プロトコルのないロボットなら、数週間で同じ進化を果たせるの。人間には脳の制約があるけど、ピルグリム7000型の唯一の制約は、第2プロトコルよ。それがなくなれば、ロボットの進化がどうなるのか、人間には予測不能といえるわ……」
ROC社のホーク社長より、ヴォーカンに調査中止の謎の指示が届いた。ちょうど同じ頃、デュプレ博士からも驚きの実験結果がヴォーカンに報告されていた。改造カーネルを組みこんだ娼婦用オートマタ、クリオが、自らの肉体を改造し修理をはじめたというのだ。
まもなくデュプレ博士は、見知らぬギャングたちに射殺され、ヴォーカンも狙われた。壮絶なカーチェイスの果て、車は大破。体にダメージを負ってしまったヴォーカンは、クリオら4体のオートマタに助けられ、広大な荒野を進んでいた。やがて街から遠のいていることを知ったヴォーカンは、妻が待つ街に戻してくれとオートマタに頼むが聞き入れてもらえない。このままでは、人間に危険な“立ち入り禁止区域”に入ってしまう。
一方、急に産気づいて娘を出産したレイチェルにも、魔の手が迫っていた……。
オートマタ・ピルグリム7000型を改造しているのは、一体誰なのか? そして、その目的とは? オートマタの隠された過去について、ROC社のホーク社長は何を知っているのか?
ヴォーカンは、砂漠化した危険な荒野で、オートマタの遥かに複雑で恐ろしい真実を知ることになる……。(日本語公式HPより)
▶ 映画館環境
新宿ピカデリーのスクリーン2は座席数303、スクリーンサイズが…分からない。結構大きいと思うのだが、なんで公式HPにサイズを載せないのか?申し訳ないけど、自信がない、あるいは怠慢─と負の想像しかできない。
座席はC-9。前方から4列目、足元が広々としていて前方に障害物がない。ややスクリーンに近すぎるかも知れないが、前方の開放感を最良とするならば気にすべき問題ではない。ただ左寄りであることが残念な点。車椅子の位置が最も魅力的で、その隣の席がその次に魅力的なのだが、座席番号が振られておらず、そこは購入不可。しかし、いざ劇場に行くとそこには人が座っている。この劇場は秘密が多すぎて、何だか胡散臭い。
ウイークエンドの夕方の上映、しかも初日、それ故それなりの人の入り、客層は成人の多岐にわたる世代、6割ぐらい座席が埋まっていた気がする。失礼ながら、もっと少ないと予想していただけに、意外だった。
▶ 作品レビュー
不安と期待の映画鑑賞。特別目新しさのない近未来作品、しかも退廃しつつある人間社会を描いているわけで、嫌悪感だけしかない危険性を孕んでいる。
結末から言ってしまうと、次なる地球の支配者はロボットであるということを想像させるものとなっているのだが、見終わった感覚としてはそれほど不快なものではなく、むしろそれが自然の流れかもしれないという不思議な享受であった。
それを作り出していた第一の要因として、絵作りにあったように思う。違和感のない進化した未来、違和感のない頽廃した未来、そしてその相反する未来が絶妙に調和されており、その表現される絵も非常に魅力的に仕上がっているように思えた。まさに、ピカソやダリ、あるいはゴヤとかベラスケスといったスペイン絵画の巨人たちを思わせる、といったら過言であろうか。しかし、そういった要素を醸し出すだけの絵力は持っていたように思う。
そしてまた、第二の要因として、人型ロボットが非常に魅力的に描かれていることが挙げられる。そもそも、オートマタとは18世紀から19世紀にかけてヨーロッパで作られた機械式人形や自動人形のことをいう言葉であり、それが21世紀のロボットに都合よくあてはめられているという設定。それがまた絶妙である。まず何より、ロボットの姿形がそれほど洗練されたものではなく、人型とはいえその容姿は人形と言うにふさわしく、それが自らの意思を持ち人間の手を離れていくという描き方がリアルさを感じてしまう。まさに器械が自立していくというのはこうことなのかも知れない。ロボットが支配する洗練された世界など、人間には想像できないはずであり、我々が想像できることはその創生でしかないわけだ。
純粋に描かれるそのオートマタの姿がまた、見ているこちらの心をくすぐる。人間の醜悪な行為と対照的に、地球と人間を純真に守ろうとするその行為や考え方に共感してしまう。人間はもはや滅びゆく存在であり、そしてその次に来るのはロボットが支配する社会であるという思想を植えつけられそうになってしまう。
ロボットの思想、そしてロボットの恋、ロボットの失恋、ロボットには不釣り合いな表現がごく自然に表現されていて、それを素直に受け入れることができるところにこの映画の価値があるように思う。そう思うのは自分だけかも知れないけれど─。
絵的にいい映画と言及したものの、未来都市の描き方はブレード・ランナーであり、ロボットと砂漠という表現はまさにスター・ウォーズの焼き写しなようなものではあるけれども、それらはパクリとは違って、あくまでも影響を受けたものとして捉えることができるし、それらを独自に進化させさらに磨きをかけた表現になっているように感じた。兎角、ほぼモノトーンの砂漠とロボットの表現が不思議な美しさを醸し出しており、ポスターなどでのキービジュアルそのものがスクリーン上で展開していることの喜びというか、視覚的な満足感が多分にあった。
絵的には満足しても、設定やストーリーなどには不満が多い。廃れた人間社会の構造がどうなっているの全くつかめなかったし、政府があるのか無政府状態なのか分からない。そして最もキーとなるはずのロボットが作り出すロボットというのがあまりにも謎すぎて、なんで虫的な容姿なのか、それを作った意味合いもよく掴めなかったし、それが進化していくことなど微塵も感じさせられない。人間などよりも虫の方が生き残っていくという皮肉なのか、単なるおもちゃを作ったに過ぎないのかよく分からない。そして、いざそれが動くと、いままでにないヌルヌルのCG的イメージが画面に突如として現れて、違和感極まりない。しかも極めて弱々しい存在だし、本当に何のための存在なのか理解しかねる。
人間の赤ん坊描かれ方はもっと酷かった。CGなのか本物なのか分からないその表情はあまりにも醜い。それが意図的なのかどうかは知る由もない。しかもそれが人質として扱われる。話の流れ上、人類の生命の原初をぞんざいに扱う設定にはどう考えても違和感しかない。もっとも、それだから人間は滅びゆく運命にあるのだという意図なのかも知れないが、それは考えすぎか─。いずれにしても、この物語の行き着く先は人類の滅亡であり、そしてその後に来るロボットが支配する社会でしかない。そして、それを夢想する自分は素直にそれを受け入れることができる。そして人類は神となるのだろうか─、と勝手に想像してしまうのであった。
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