この世界の片隅に(2016年・日本)
公開日:2016年11月12日
配給:東京テアトル
時間:126分
監督:片渕須直
原作:こうの史代
脚本:片渕須直
CV:のん/北條(浦野)すず
細谷佳正/北條周作
尾身美詞/黒村径子
稲葉菜月/黒村晴美
牛山茂/北條円太郎
新谷真弓/北條サン
小野大輔/水原哲
岩井七世/白木リン
潘めぐみ/浦野すみ
小山剛志/浦野十郎
津田真澄/浦野キセノ
京田尚子/森田イト
佐々木望/小林の伯父
塩田朋子/小林の伯母
瀬田ひろ美/知多さん
たちばなことね/刈谷さん
世弥きくよ/堂本さん
澁谷天外 ほか
企画:丸山正雄
プロデューサー:真木太郎
監督補:浦谷千恵
画面構成:浦谷千恵
キャラクターデザイン:松原秀典
作画監督:松原秀典
美術監督:林孝輔
音楽:コトリンゴ
アニメーション制作:MAPPA
鑑賞日:2016年11月16日
場所:TOHOシネマズ市川コットンプラザ スクリーン7 F6
■ 作品について(公式HPより)
すずさんの世界を彩る女優・のん、音楽・コトリンゴ
主人公すずさんを演じるのは女優・のん。片渕監督が「ほかには考えられない」と絶賛したその声でやさしく、柔らかく、すずさんに息を吹き込みました。すずさんを囲むキャラクターには細谷佳正、稲葉菜月、尾身美詞、小野大輔、潘めぐみ、岩井七世、牛山茂、新谷真弓ら実力派が集結。松竹新喜劇の座長・澁谷天外も特別出演しています。
本作の音楽はコトリンゴが担当。ナチュラルで柔らかい歌声と曲想が、すずさんの世界を優しく包みこみます。
監督・片渕須直×原作・こうの史代―信頼しあう2人のタッグ 再び―
監督は片渕須直。第14回文化庁メディア芸術祭優秀賞受賞の前作『マイマイ新子と千年の魔法』(09)は観客の心に響き、異例の断続的ロングラン上映を達成しました。徹底した原作追及、資料探求、現地調査、ヒアリングを積み重ね、すずさんの生きた世界をリアルに活き活きと描き出した本作には紛れもなく今の私たちの毎日に連なる世界があります。
原作はこうの史代。第13回メディア芸術祭マンガ部門優秀賞ほか各メディアのランキングでも第1位を獲得。綿密なリサーチによる膨大な情報と、マンガ表現への挑戦がさりげなく織り込まれており、その創作姿勢と高い完成度から多くのマンガファン・書店員から熱い支持を得ています。NHK『花は咲く』アニメ版でタッグを組んだ2人が再び結集し、新たな感動をお届けします。
「この映画が見たい」の声が生んだ、100年先に伝えたい珠玉のアニメーション
クラウドファンディングで3,374名のサポーターから39,121,920円の制作資金を集めた本作。日本全国からの「この映画が見たい」という声に支えられ完成した『この世界の片隅に』は、長く、深く、多くの人の心に火を灯し続けることでしょう。100年先にも愛され続ける映画が、ここに誕生しました。
■ ものがたり(公式HPより)
18歳のすずさんに、突然縁談がもちあがる。
良いも悪いも決められないまま話は進み、1944(昭和19)年2月、すずさんは呉へとお嫁にやって来る。呉はそのころ日本海軍の一大拠点で、軍港の街として栄え、世界最大の戦艦と謳われた「大和」も呉を母港としていた。
見知らぬ土地で、海軍勤務の文官・北條周作の妻となったすずさんの日々が始まった。
夫の両親は優しく、義姉の径子は厳しく、その娘の晴美はおっとりしてかわいらしい。隣保班の知多さん、刈谷さん、堂本さんも個性的だ。
配給物資がだんだん減っていく中でも、すずさんは工夫を凝らして食卓をにぎわせ、衣服を作り直し、時には好きな絵を描き、毎日のくらしを積み重ねていく。
ある時、道に迷い遊郭に迷い込んだすずさんは、遊女のリンと出会う。
またある時は、重巡洋艦「青葉」の水兵となった小学校の同級生・水原哲が現れ、すずさんも夫の周作も複雑な想いを抱える。
1945(昭和20)年3月。呉は、空を埋め尽くすほどの数の艦載機による空襲にさらされ、すずさんが大切にしていたものが失われていく。それでも毎日は続く。
そして、昭和20年の夏がやってくる――
▶ 映画館環境
TOHOシネマズ市川コットンプラザ スクリーン7
スクリーンサイズ5.3×12.5m 座席数237
比較的大きな劇場
F列は前方が開けていて、図で見る限り最高の席に見えるけれど、前方に邪魔な手すりが設置されてある劇場で少々がっかり。それが無ければF列は最高の座席群。
平日夜遅くの上映。予想外に人が少ないといった印象。
▶ 作品レビュー
水彩画のような独特のアニメーションが意外と良かった。不思議とノスタルジックな雰囲気を作り出すようだ。
町の風景や時代観といったものが絵で自由に構築できるが故のリアルさを感じる。実写では感じることができないリアルな世界を不思議と感じた。
色彩が鮮やかで、それ故に水彩画のように感じることができたのかもしれない。
日記のように展開することで、戦争の恐怖や残酷さを生々しく感じた。日常がどんどん変わって、戦争が日常になってしまう悲しさに、ただただ涙する。
コトリンゴの歌もまた絶妙に溶け合って、感情が高まってしまった。
あくまである時代の日常を描いた作品、それ故に悲しくなってしまう。
当たり前のことだが、時代は過去から確実に繋がっているのだという実感を持った。戦争、原爆投下、それらは決して別世界の虚構なのではなく、この世界で実際にあった事なのだと肌身に染みた。
私的映画鑑賞記録 Private movie recording 私人电影录音 Enregistrement d'un film privé 私人电影录音 La grabación de películas privada 사적 영화 감상 기록 Отдельный записи видео تسجيل الفيلم الخاص
湯を沸かすほどの熱い愛
湯を沸かすほどの熱い愛(2016年・日本)
公開日:2016年10月29日
配給:クロックワークス
時間:125分
監督:中野量太
脚本:中野量太
出演:宮沢りえ(幸野双葉)
杉咲花(幸野安澄)
オダギリジョー(幸野一浩)
松坂桃李(向井拓海)
伊東蒼(片瀬鮎子)
篠原ゆき子(酒巻君江)
駿河太郎(滝本)
エグゼクティブプロデューサー:藤本款、福田一平
プロデューサー:深瀬和美、若林雄介
アソシエイトプロデューサー:柳原雅美
キャスティングディレクター:杉野剛
撮影:池内義浩
照明:谷本幸治
録音:久連石由文
美術:黒川通利
装飾:三ツ松けいこ
音響効果:松浦大樹
ヘアメイク:千葉友子、酒井夢月
衣装:加藤麻乃
編集:高良真秀
音楽:渡邊崇
主題歌:きのこ帝国
助監督:塩崎遵
ポストプロダクションプロデューサー:篠田学
ラインプロデューサー:大熊敏之
鑑賞日:2016年11月16日
場所:TOHOシネマズ流山おおたか森 スクリーン7 L-15
■ Introduction(公式HPより)
死にゆく母の熱い想いと、
想像もつかない驚きのラストに、
涙と生きる力がほとばしる
家族の愛の物語。
宮沢りえ他、
豪華キャストの心を沸かしたオリジナル脚本
“死にゆく母と、残される家族が紡ぎだす愛”という普遍的なテーマを、想像できない展開とラストにより、涙と生きる力がほとばしる、驚きと感動の詰まった物語に昇華させた本作。自身が手がけたオリジナル脚本で商業デビューを飾ったのは、自主制作映画『チチを撮りに』(12)が、ベルリン国際映画祭他、国内外10を超える映画祭で絶賛された、中野量太監督。脚本を読み、「心が沸かされた」と出演を決めたのは、『紙の月』(14)で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞他、2014年の賞レースを総なめにし、名実ともに日本を代表する女優となった宮沢りえ。会う人すべてを包みこむ優しさと強さを持ちながら、人間味溢れる普通の“お母ちゃん"という双葉役を、その演技力と熱量で見事にスクリーンに焼きつけました。気弱で引きこもり寸前の娘・安澄には、今もっとも注目の実力派若手女優・杉咲花。母の死に向かい合い、たくましく成長していく安澄を圧倒的な力で演じ切り、観る者の心を捉えて離しません。そして、頼りないけどなぜか憎めないお父ちゃんを演じるのはオダギリジョー、旅先で知り合った双葉の母性に触れ、人生を見つめ直していく青年・拓海役に松坂桃李他、篠原ゆき子、駿河太郎、オーディションで選ばれた期待の新人子役・伊東蒼が新しい家族の物語を彩ります。
この家族の熱い愛と、大きな秘密を、
ぜひ皆さんも共有してください。
■ Story(公式HPより)
余命2ケ月。
私には、死ぬまでにするべきことがある。
銭湯「 幸(さち)の湯」を営む幸野家。しかし、父が1年前にふらっと出奔し銭湯は休業状態。母・双葉は、持ち前の明るさと強さで、パートをしながら、娘を育てていた。
そんなある日、突然、「余命わずか」という宣告を受ける。その日から彼女は、「絶対にやっておくべきこと」を決め、実行していく。
・家出した夫を連れ帰り家業の銭湯を再開させる
・気が優しすぎる娘を独り立ちさせる
・娘をある人に会わせる
その母の行動は、家族からすべての秘密を取り払うことになり、彼らはぶつかり合いながらもより強い絆で結びついていく。そして家族は、究極の愛を込めて母を葬ることを決意する。
▶ 映画館環境
TOHOシネマズ流山おおたかの森スクリーン1
スクリーンサイズ3.9×9.4m、座席数165、中規模の劇場
L列は最後列
L-15は階段正面、スクリーン向かってやや右寄りの席
迫力とか心地とかは問題ないが、通路にある明かりが気になった
▶ 作品レビュー
ストーリーと俳優の演技が素晴らしくて、出来過ぎ、嘘くさい、綺麗すぎ、と思っていても、何度も泣いてしまいました。奇をてらっているようなエンディングもスゴくカッコいい。とはいえ、全体的には家族愛というものを基調としたスタンダードなドラマでした。そして何度も言いますが、何度も泣きました。
冒頭の宮沢りえ、何だか母親っぽいくない演技だなぁと思ったのも、終わってみれば納得。ついに死に行く人の演技までこなし、演じていない人的役どころを見つけるのも困難と思えるくらいに、あらゆるものを演じている彼女には称賛しかありません。その違和感のある母親像というものも、敢えて狙いで演じていたというのであれば、もはや彼女を批判する術などございません。
分かりやすさ重視、ストーリー重視の絵づくりにも好感がもてました。正直、あらすじなどを見ても全くそそられない映画なんですけれど─(あくまでも個人的見識)。この映画の観賞初期段階においても、合わないんじゃないかという懸念が拭い去れなかったわけですが、最終的にそんな不安は見事なまでに崩された感じです。
清く正しき感動的な映画でした。
公開日:2016年10月29日
配給:クロックワークス
時間:125分
監督:中野量太
脚本:中野量太
出演:宮沢りえ(幸野双葉)
杉咲花(幸野安澄)
オダギリジョー(幸野一浩)
松坂桃李(向井拓海)
伊東蒼(片瀬鮎子)
篠原ゆき子(酒巻君江)
駿河太郎(滝本)
エグゼクティブプロデューサー:藤本款、福田一平
プロデューサー:深瀬和美、若林雄介
アソシエイトプロデューサー:柳原雅美
キャスティングディレクター:杉野剛
撮影:池内義浩
照明:谷本幸治
録音:久連石由文
美術:黒川通利
装飾:三ツ松けいこ
音響効果:松浦大樹
ヘアメイク:千葉友子、酒井夢月
衣装:加藤麻乃
編集:高良真秀
音楽:渡邊崇
主題歌:きのこ帝国
助監督:塩崎遵
ポストプロダクションプロデューサー:篠田学
ラインプロデューサー:大熊敏之
鑑賞日:2016年11月16日
場所:TOHOシネマズ流山おおたか森 スクリーン7 L-15
■ Introduction(公式HPより)
死にゆく母の熱い想いと、
想像もつかない驚きのラストに、
涙と生きる力がほとばしる
家族の愛の物語。
宮沢りえ他、
豪華キャストの心を沸かしたオリジナル脚本
“死にゆく母と、残される家族が紡ぎだす愛”という普遍的なテーマを、想像できない展開とラストにより、涙と生きる力がほとばしる、驚きと感動の詰まった物語に昇華させた本作。自身が手がけたオリジナル脚本で商業デビューを飾ったのは、自主制作映画『チチを撮りに』(12)が、ベルリン国際映画祭他、国内外10を超える映画祭で絶賛された、中野量太監督。脚本を読み、「心が沸かされた」と出演を決めたのは、『紙の月』(14)で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞他、2014年の賞レースを総なめにし、名実ともに日本を代表する女優となった宮沢りえ。会う人すべてを包みこむ優しさと強さを持ちながら、人間味溢れる普通の“お母ちゃん"という双葉役を、その演技力と熱量で見事にスクリーンに焼きつけました。気弱で引きこもり寸前の娘・安澄には、今もっとも注目の実力派若手女優・杉咲花。母の死に向かい合い、たくましく成長していく安澄を圧倒的な力で演じ切り、観る者の心を捉えて離しません。そして、頼りないけどなぜか憎めないお父ちゃんを演じるのはオダギリジョー、旅先で知り合った双葉の母性に触れ、人生を見つめ直していく青年・拓海役に松坂桃李他、篠原ゆき子、駿河太郎、オーディションで選ばれた期待の新人子役・伊東蒼が新しい家族の物語を彩ります。
この家族の熱い愛と、大きな秘密を、
ぜひ皆さんも共有してください。
■ Story(公式HPより)
余命2ケ月。
私には、死ぬまでにするべきことがある。
銭湯「 幸(さち)の湯」を営む幸野家。しかし、父が1年前にふらっと出奔し銭湯は休業状態。母・双葉は、持ち前の明るさと強さで、パートをしながら、娘を育てていた。
そんなある日、突然、「余命わずか」という宣告を受ける。その日から彼女は、「絶対にやっておくべきこと」を決め、実行していく。
・家出した夫を連れ帰り家業の銭湯を再開させる
・気が優しすぎる娘を独り立ちさせる
・娘をある人に会わせる
その母の行動は、家族からすべての秘密を取り払うことになり、彼らはぶつかり合いながらもより強い絆で結びついていく。そして家族は、究極の愛を込めて母を葬ることを決意する。
▶ 映画館環境
TOHOシネマズ流山おおたかの森スクリーン1
スクリーンサイズ3.9×9.4m、座席数165、中規模の劇場
L列は最後列
L-15は階段正面、スクリーン向かってやや右寄りの席
迫力とか心地とかは問題ないが、通路にある明かりが気になった
▶ 作品レビュー
ストーリーと俳優の演技が素晴らしくて、出来過ぎ、嘘くさい、綺麗すぎ、と思っていても、何度も泣いてしまいました。奇をてらっているようなエンディングもスゴくカッコいい。とはいえ、全体的には家族愛というものを基調としたスタンダードなドラマでした。そして何度も言いますが、何度も泣きました。
冒頭の宮沢りえ、何だか母親っぽいくない演技だなぁと思ったのも、終わってみれば納得。ついに死に行く人の演技までこなし、演じていない人的役どころを見つけるのも困難と思えるくらいに、あらゆるものを演じている彼女には称賛しかありません。その違和感のある母親像というものも、敢えて狙いで演じていたというのであれば、もはや彼女を批判する術などございません。
分かりやすさ重視、ストーリー重視の絵づくりにも好感がもてました。正直、あらすじなどを見ても全くそそられない映画なんですけれど─(あくまでも個人的見識)。この映画の観賞初期段階においても、合わないんじゃないかという懸念が拭い去れなかったわけですが、最終的にそんな不安は見事なまでに崩された感じです。
清く正しき感動的な映画でした。
ミュージアム
ミュージアム(2016年・日本)
公開日:2016年11月12日
配給:ワーナー・ブラザース映画
時間:132分
監督:大友啓史
原作:巴亮介
脚本:高橋泉、藤井清美、大友啓史
出演:小栗旬(沢村久志)
尾野真千子(沢村遥)
野村周平(西野純一)
丸山智己(菅原剛)
田畑智子(秋山佳代)
市川実日子(橘幹絵)
伊武雅刀(岡部利夫)
大森南朋(沢村久志の父)
松重豊(関端浩三)
妻夫木聡(カエル男)
五十嵐陽向(沢村将太) ほか
製作:ミラード・エル・オゥクス
大村英治
井上肇
古川公平
下田淳行
牧田英之
荒波修
高橋誠
江守徹
エグゼクティブプロデューサー:小岩井宏悦、青木竹彦
プロデューサー:下田淳行、下枝奨
撮影:山本英夫
Bキャメラ:佐藤有
照明:小野晃
録音:益子宏明
美術:磯見俊裕
セットデザイナー:将多
装飾:渡辺大智
衣装デザイン:澤田石和寛
キャラクターデザイン:澤田石和寛
ヘアメイクデザイン:ShinYa
特殊メイク:百武朋
造形デザイン:百武朋
編集:今井剛
音楽:岩代太郎
主題歌:ONE OK ROCK
VFXスーパーバイザー:小坂一順
スーパーバイジングサウンドエディター:勝俣まさとし
スクリプター:生田透子
助監督:稲葉博文
制作担当:高瀬大樹
制作管理:鈴木嘉弘
ラインプロデューサー:鎌田賢一
鑑賞日:2016年11月15日
場所:TOHOシネマズ新宿 スクリーン9 G-19
■ INTRODUCTION(公式HPより)
これは犯罪か、芸術家。
カエルのマスクを被った謎の男は、雨の日に限って現れる。
自らを「アーティスト」と名乗り、次々と猟奇的な殺人を繰り返していく「カエル男」。彼は、ターゲットを決めると独自の調査能力でじっくりと観察し、相手がいちばんIAYがる方法を見つけ出し、殺人を実行する。
稀代の犯罪者・カエル男を追うのは、捜査一筋、仕事人間の沢村刑事、そして連続殺人の最後のターゲットはその沢村刑事の妻であった。彼は妻と息子をカエル男に奪われ、身も心も追い詰められていく。なぜカエル男は沢村の妻に目をつけたのか。物語が進むにつれて、驚愕の事実が扉を開ける。
原作は、「ヤングマガジン」に発表された巴亮介のサスペンスホラー漫画。連載開始と同時に、その繊細な画、独特な人間心理描写、一度掴んだら離さないスリリングなストーリーが問題作として注目され、実写映画化権の問い合わせが殺到した。
悪魔の芸術家・カエル男と、彼に翻弄される刑事・沢村の緊張感が途切れることのない追跡劇を撮ったのは、「るろうに剣心」シリーズで累計125億円以上の興行収入をたたき出したヒットメーカー大友啓史監督、雨の降る日だけ現れる猟奇的なカエル男の恐怖を、その卓越した美意識で描き出した。また、ビジュアルだけでなく、現代風俗のリアリティを吹き込むことで、誰もが楽しめる、極上のノンストップ・スリラーエンターテインメント作品に仕上がった。
本作の魅力はなんといっても、カエル男だ。実に悪魔的な手口で世間及び主人公を翻弄し追いつめていく。
やっていることが“殺人”という犯罪でありながら、カエル男の殺人は、見せることにこだわり芸術作品としてそれぞれタイトルがついている。そのユニークな手口にいつしか興味を惹かれてしまう。
ドッグフードの刑
母の痛みを知りましょうの刑
均等の愛の刑
ずっと美しくの刑
千本針飲ますの刑
カエルのマスクという人を食ったようなスタイルで、ターゲットの後ろめたい部分を探し出し、ネーミングに取り入れていく様は痛快極まりない。エンターテイナーのようなカエル男に取り憑かれたかのように、食らいついていく主人公・沢村。正義を貫く刑事の仕事一筋に生きてきたはずだった彼が、カエル男によって、自分の中の正しさの価値観を大きく揺るがされてしまう展開はショッキングだ。犯人を追いかけるうちに、主人公もまた、他者を損なっているのではないかという問いを突きつけられる。単純な、正義対悪の図式でなく、自分の中にある後ろめたさ(主人公の場合、妻子を顧みないで生きてきてしまったこと)が次第にあぶり出されていく逆転劇は、殺人の数々を凌駕するほどゾクゾクさせる。
苦悩する主人公・沢村久志を演じるのは小栗旬。「信長狂騒曲」が45億円を超える大ヒットのほか、「ルパン三世」「クローズZERO」など主演映画が軒並みヒットする人気実力を兼ね備えた小栗が、真面目な仕事人間が次第に犯人の狂気に当てられて、内在する狂気を発露させていく難しい芝居を体当たりで演じる。
沢村を挑発するカエル男に扮したのは妻夫木聡。ナイーブな演技に定評があり、2015年、台湾、中国、香港、フランスの合作映画「黒衣の刺客」で海外映画にも進出し、俳優として成長が著しい妻夫木が、トリッキーな犯罪者役で新境地を開いた。ほとんど素顔が出てこないカエルマスクに特殊メイクで、通常の価値観と違った人間の不気味さを鮮やかに演じている。
小栗と妻夫木の心理戦および肉弾戦は腹の底まで響く迫力だ。
ほかに、沢村の妻に尾野真千子、後輩刑事に野村周平、沢村の亡くなった父に大森南朋、沢村の先輩刑事に松重豊ら、演技派俳優たちが集まった。
大切な家族を奪われ、心身ともに追い詰められた男が怒りに震え、人間の本性を剥き出しにして殺人鬼を追う先に見えたものは、絶望なのか?それとも希望なのか?
■ STORY(公式HPより)
雨の日だけに発生する猟奇殺人事件。死体を見せることにこだわる犯人・カエル男は、自分をアーティストと呼び、犯行現場には必ず謎のメモを残す。
連続する事件の関連性を捜査する刑事・沢村(小栗旬)と部下の西野(野村周平)は、次のターゲットが沢村の妻・遥(尾野真千子)であることに気づく。
冷静さを失った沢村は、カエル男の罠にはまり、絶望へと追い込まれていく。謎の“私刑”執行アーティスト・カエル男は一体誰なのか? 真の目的は?
▶ 映画館環境
TOHOシネマズ新宿スクリーン9TCX(TOHO CINEMAS EXTRA LARGE SCREEN)スクリーンサイズ8.0×19.2m、音響環境ドルビーアトモスという、よく分からないけれどもなんだかすごいんだろうと思われる環境下での上映。
G列は足元が広々としていて個人的に好きな列だが、スクリーンが大きいためやや近すぎるかもしれない。
▶ 作品レビュー
突飛もない話、しかもリアリティーを全く感じなかったので、もどかしい気持ちのまま終幕。そしてまた、いたずらに裁判員制度を絡めた印象もあり、個人的には嫌な話でしかなかった。
犬が人肉を食べることはあり得るのだろうか、自分の見識不足かもしれないけれど、最初のシーンから違和感を感じたし、鮮血に滴る真新しい死体のようなところに夥しい蛆虫が寄ってくるのかどうか…これもまた自分の経験不足で“あり得ん!"と断言できないところではあるけれど、映像の信憑性などはそれほど重要視していないようだった。
嫌、酷、怒、そんな感情の連続だったけれど、なぜか立ち去ることができず、しかも暴力的な表現などには興奮すら覚えてしまった。
それにしても、捜査内容を大衆飲食店においてあれだけ大声で叫べば、容易に録音もされるだろうし、そもそも盗撮とか写真とか雨天とか、つっこみ所が満載で、逆に印象に残ってしまう映画だった。超大画面で見たけれど、そんなデカさで見るほどの絵でもなかったかなとも感じてしまったし──。みんな苦労して作っているんだろうに、と多少の憂いなども感じてみたり…
自分には合わない映画であった。
公開日:2016年11月12日
配給:ワーナー・ブラザース映画
時間:132分
監督:大友啓史
原作:巴亮介
脚本:高橋泉、藤井清美、大友啓史
出演:小栗旬(沢村久志)
尾野真千子(沢村遥)
野村周平(西野純一)
丸山智己(菅原剛)
田畑智子(秋山佳代)
市川実日子(橘幹絵)
伊武雅刀(岡部利夫)
大森南朋(沢村久志の父)
松重豊(関端浩三)
妻夫木聡(カエル男)
五十嵐陽向(沢村将太) ほか
製作:ミラード・エル・オゥクス
大村英治
井上肇
古川公平
下田淳行
牧田英之
荒波修
高橋誠
江守徹
エグゼクティブプロデューサー:小岩井宏悦、青木竹彦
プロデューサー:下田淳行、下枝奨
撮影:山本英夫
Bキャメラ:佐藤有
照明:小野晃
録音:益子宏明
美術:磯見俊裕
セットデザイナー:将多
装飾:渡辺大智
衣装デザイン:澤田石和寛
キャラクターデザイン:澤田石和寛
ヘアメイクデザイン:ShinYa
特殊メイク:百武朋
造形デザイン:百武朋
編集:今井剛
音楽:岩代太郎
主題歌:ONE OK ROCK
VFXスーパーバイザー:小坂一順
スーパーバイジングサウンドエディター:勝俣まさとし
スクリプター:生田透子
助監督:稲葉博文
制作担当:高瀬大樹
制作管理:鈴木嘉弘
ラインプロデューサー:鎌田賢一
鑑賞日:2016年11月15日
場所:TOHOシネマズ新宿 スクリーン9 G-19
■ INTRODUCTION(公式HPより)
これは犯罪か、芸術家。
カエルのマスクを被った謎の男は、雨の日に限って現れる。
自らを「アーティスト」と名乗り、次々と猟奇的な殺人を繰り返していく「カエル男」。彼は、ターゲットを決めると独自の調査能力でじっくりと観察し、相手がいちばんIAYがる方法を見つけ出し、殺人を実行する。
稀代の犯罪者・カエル男を追うのは、捜査一筋、仕事人間の沢村刑事、そして連続殺人の最後のターゲットはその沢村刑事の妻であった。彼は妻と息子をカエル男に奪われ、身も心も追い詰められていく。なぜカエル男は沢村の妻に目をつけたのか。物語が進むにつれて、驚愕の事実が扉を開ける。
原作は、「ヤングマガジン」に発表された巴亮介のサスペンスホラー漫画。連載開始と同時に、その繊細な画、独特な人間心理描写、一度掴んだら離さないスリリングなストーリーが問題作として注目され、実写映画化権の問い合わせが殺到した。
悪魔の芸術家・カエル男と、彼に翻弄される刑事・沢村の緊張感が途切れることのない追跡劇を撮ったのは、「るろうに剣心」シリーズで累計125億円以上の興行収入をたたき出したヒットメーカー大友啓史監督、雨の降る日だけ現れる猟奇的なカエル男の恐怖を、その卓越した美意識で描き出した。また、ビジュアルだけでなく、現代風俗のリアリティを吹き込むことで、誰もが楽しめる、極上のノンストップ・スリラーエンターテインメント作品に仕上がった。
本作の魅力はなんといっても、カエル男だ。実に悪魔的な手口で世間及び主人公を翻弄し追いつめていく。
やっていることが“殺人”という犯罪でありながら、カエル男の殺人は、見せることにこだわり芸術作品としてそれぞれタイトルがついている。そのユニークな手口にいつしか興味を惹かれてしまう。
ドッグフードの刑
母の痛みを知りましょうの刑
均等の愛の刑
ずっと美しくの刑
千本針飲ますの刑
カエルのマスクという人を食ったようなスタイルで、ターゲットの後ろめたい部分を探し出し、ネーミングに取り入れていく様は痛快極まりない。エンターテイナーのようなカエル男に取り憑かれたかのように、食らいついていく主人公・沢村。正義を貫く刑事の仕事一筋に生きてきたはずだった彼が、カエル男によって、自分の中の正しさの価値観を大きく揺るがされてしまう展開はショッキングだ。犯人を追いかけるうちに、主人公もまた、他者を損なっているのではないかという問いを突きつけられる。単純な、正義対悪の図式でなく、自分の中にある後ろめたさ(主人公の場合、妻子を顧みないで生きてきてしまったこと)が次第にあぶり出されていく逆転劇は、殺人の数々を凌駕するほどゾクゾクさせる。
苦悩する主人公・沢村久志を演じるのは小栗旬。「信長狂騒曲」が45億円を超える大ヒットのほか、「ルパン三世」「クローズZERO」など主演映画が軒並みヒットする人気実力を兼ね備えた小栗が、真面目な仕事人間が次第に犯人の狂気に当てられて、内在する狂気を発露させていく難しい芝居を体当たりで演じる。
沢村を挑発するカエル男に扮したのは妻夫木聡。ナイーブな演技に定評があり、2015年、台湾、中国、香港、フランスの合作映画「黒衣の刺客」で海外映画にも進出し、俳優として成長が著しい妻夫木が、トリッキーな犯罪者役で新境地を開いた。ほとんど素顔が出てこないカエルマスクに特殊メイクで、通常の価値観と違った人間の不気味さを鮮やかに演じている。
小栗と妻夫木の心理戦および肉弾戦は腹の底まで響く迫力だ。
ほかに、沢村の妻に尾野真千子、後輩刑事に野村周平、沢村の亡くなった父に大森南朋、沢村の先輩刑事に松重豊ら、演技派俳優たちが集まった。
大切な家族を奪われ、心身ともに追い詰められた男が怒りに震え、人間の本性を剥き出しにして殺人鬼を追う先に見えたものは、絶望なのか?それとも希望なのか?
■ STORY(公式HPより)
雨の日だけに発生する猟奇殺人事件。死体を見せることにこだわる犯人・カエル男は、自分をアーティストと呼び、犯行現場には必ず謎のメモを残す。
連続する事件の関連性を捜査する刑事・沢村(小栗旬)と部下の西野(野村周平)は、次のターゲットが沢村の妻・遥(尾野真千子)であることに気づく。
冷静さを失った沢村は、カエル男の罠にはまり、絶望へと追い込まれていく。謎の“私刑”執行アーティスト・カエル男は一体誰なのか? 真の目的は?
▶ 映画館環境
TOHOシネマズ新宿スクリーン9TCX(TOHO CINEMAS EXTRA LARGE SCREEN)スクリーンサイズ8.0×19.2m、音響環境ドルビーアトモスという、よく分からないけれどもなんだかすごいんだろうと思われる環境下での上映。
G列は足元が広々としていて個人的に好きな列だが、スクリーンが大きいためやや近すぎるかもしれない。
▶ 作品レビュー
突飛もない話、しかもリアリティーを全く感じなかったので、もどかしい気持ちのまま終幕。そしてまた、いたずらに裁判員制度を絡めた印象もあり、個人的には嫌な話でしかなかった。
犬が人肉を食べることはあり得るのだろうか、自分の見識不足かもしれないけれど、最初のシーンから違和感を感じたし、鮮血に滴る真新しい死体のようなところに夥しい蛆虫が寄ってくるのかどうか…これもまた自分の経験不足で“あり得ん!"と断言できないところではあるけれど、映像の信憑性などはそれほど重要視していないようだった。
嫌、酷、怒、そんな感情の連続だったけれど、なぜか立ち去ることができず、しかも暴力的な表現などには興奮すら覚えてしまった。
それにしても、捜査内容を大衆飲食店においてあれだけ大声で叫べば、容易に録音もされるだろうし、そもそも盗撮とか写真とか雨天とか、つっこみ所が満載で、逆に印象に残ってしまう映画だった。超大画面で見たけれど、そんなデカさで見るほどの絵でもなかったかなとも感じてしまったし──。みんな苦労して作っているんだろうに、と多少の憂いなども感じてみたり…
自分には合わない映画であった。
何者
何者(2016年・日本)
公開日:2016年10月15日
配給:東宝
時間:97分
監督:三浦大輔
原作:朝井リョウ
脚本:三浦大輔
出演:佐藤健(拓人)
有村架純(瑞月)
二階堂ふみ(理香)
菅田将暉(光太郎)
岡田将生(隆良)
山田孝之(サワ先輩) ほか
企画:川村元気
製作:市川南
共同製作:畠中達郎
中村理一郎
弓矢政法
市村友一
高橋誠
吉川英作
坂本健
荒波修
エグゼクティブプロデューサー :山内章弘
プロデュース:川村元気
プロデューサー:石黒裕亮
ラインプロデューサー:田口生己
プロダクション統括:佐藤毅
撮影:相馬大輔
照明:佐藤浩太
録音:加藤大和
美術:小島伸介
スタイリスト:伊賀大介
ヘアメイク:梅原さとこ
装飾:石上淳一
スクリプター:田口良子
編集:穗垣順之助
音楽:中田ヤスタカ
VFXスーパーバイザー:小坂一順
音響効果:小島彩
キャスティング:おおずさわこ
助監督:茂木克仁
製作担当:萩原満
鑑賞日:2016年11月15日
場所:TOHOシネマズ新宿 スクリーン12 I-10
■ INTRODUCTION(公式HPより)
超観察エンタメ解禁!
平成生まれの作家・朝井リョウが直木賞を受賞し、大きな話題を呼んだ『何者』(新潮文庫刊)が遂に映画化!映画化もして数々の賞を独占したデビュー作『桐島、部活やめるってよ』で等身大の高校生を描き切った朝井リョウが今回挑んだのは、就職活動を通して自分が「何者」かを
模索する5人の大学生たち。お互いを励まし合いながらも、友情、恋愛、裏切りといった様々な感情が交錯していく彼らの青春の姿に、
読者からは「リアルすぎるw」「就活中に読んだらマジ凹んだ」など様々な声が寄せられました。
映画化にあたり主人公の冷静分析系男子・拓人役には『バクマン。』『世界から猫が消えたなら』と立て続けに主演作が公開して、いま
最も人気と実力を兼ね備えた俳優・佐藤健。拓人のルームメイトで、何も考えていないようで着実に内定に近づいていく天真爛漫系男子・光太郎役に菅田将暉。光太郎の元カノで、拓人がほのかな恋心を抱き続ける地道素直系女子・瑞月役に有村架純。偶然にも拓人の部屋の上に住んでいた意識高い系女子・理香役に二階堂ふみ。理香と同棲中で、就活とは距離を置いている空想クリエイター系男子・隆良役に岡田将生。拓人が所属していた演劇サークルの先輩で5人を冷静に観察している達観先輩系男子・サワ先輩役に山田孝之。
いま最もスケジュールが押さえにくい若手実力派俳優たちが集結して、就活でライバルとなる登場人物たちと同様に演技合戦を繰り広げます。
監督には若くして演劇界で数々の賞を受賞している鬼才・三浦大輔。「ボーイズ・オン・ザ・ラン」「愛の渦」での、人間に深く切り込んでいく演出が本作でも発揮されています。音楽にはPerfume、きゃりーぱみゅぱみゅなどを手掛ける音楽プロデューサー・中田ヤスタカ。
今までのイメージとは一線を画した、キャストの心情の機微に寄り添うメロディーラインが映画全編にわたり緻密に展開されます。
そして主題歌では今話題沸騰中のアーティスト・米津玄師とコラボ!若者たちの葛藤や世代観を射抜く米津玄師による等身大の歌詞と、
中田ヤスタカによるダイナミックなダンストラックが映画を盛り上げます。
果たして彼らは「内定」を取ることができるのか? そして「内定」を取れば「何者」かになれるのか?
まだ誰も見たことのない超観察エンタメここに解禁!
▶ 作品レビュー
小説は面白かったし、俳優も素晴らしいから楽しめるとは思っていた。そしてそれなりに─。
原作を読んで、筋とか設定とか隠されていることとか、そういった重要要素よりも、細かで繊細・微妙な表現が最も好むところだったので、そこら辺の映像表現がどうなるのか楽しみにしていたけど、それらは全部省略されていた印象。
それに代わって、演劇を本編に大きく絡ませたり、ドキュメンタリー風の面接や語りなどが組み合わせたりして、工夫が見られたけれど、統一感に欠けるような印象がしてしまった。
原作に則った作品だったけれど、映像にしてしまうと、意外と退屈なところが目についた。もとがそうなのか、映画がそうなのか、それとも映像化が難しいのか…。
公開日:2016年10月15日
配給:東宝
時間:97分
監督:三浦大輔
原作:朝井リョウ
脚本:三浦大輔
出演:佐藤健(拓人)
有村架純(瑞月)
二階堂ふみ(理香)
菅田将暉(光太郎)
岡田将生(隆良)
山田孝之(サワ先輩) ほか
企画:川村元気
製作:市川南
共同製作:畠中達郎
中村理一郎
弓矢政法
市村友一
高橋誠
吉川英作
坂本健
荒波修
エグゼクティブプロデューサー :山内章弘
プロデュース:川村元気
プロデューサー:石黒裕亮
ラインプロデューサー:田口生己
プロダクション統括:佐藤毅
撮影:相馬大輔
照明:佐藤浩太
録音:加藤大和
美術:小島伸介
スタイリスト:伊賀大介
ヘアメイク:梅原さとこ
装飾:石上淳一
スクリプター:田口良子
編集:穗垣順之助
音楽:中田ヤスタカ
VFXスーパーバイザー:小坂一順
音響効果:小島彩
キャスティング:おおずさわこ
助監督:茂木克仁
製作担当:萩原満
鑑賞日:2016年11月15日
場所:TOHOシネマズ新宿 スクリーン12 I-10
■ INTRODUCTION(公式HPより)
超観察エンタメ解禁!
平成生まれの作家・朝井リョウが直木賞を受賞し、大きな話題を呼んだ『何者』(新潮文庫刊)が遂に映画化!映画化もして数々の賞を独占したデビュー作『桐島、部活やめるってよ』で等身大の高校生を描き切った朝井リョウが今回挑んだのは、就職活動を通して自分が「何者」かを
模索する5人の大学生たち。お互いを励まし合いながらも、友情、恋愛、裏切りといった様々な感情が交錯していく彼らの青春の姿に、
読者からは「リアルすぎるw」「就活中に読んだらマジ凹んだ」など様々な声が寄せられました。
映画化にあたり主人公の冷静分析系男子・拓人役には『バクマン。』『世界から猫が消えたなら』と立て続けに主演作が公開して、いま
最も人気と実力を兼ね備えた俳優・佐藤健。拓人のルームメイトで、何も考えていないようで着実に内定に近づいていく天真爛漫系男子・光太郎役に菅田将暉。光太郎の元カノで、拓人がほのかな恋心を抱き続ける地道素直系女子・瑞月役に有村架純。偶然にも拓人の部屋の上に住んでいた意識高い系女子・理香役に二階堂ふみ。理香と同棲中で、就活とは距離を置いている空想クリエイター系男子・隆良役に岡田将生。拓人が所属していた演劇サークルの先輩で5人を冷静に観察している達観先輩系男子・サワ先輩役に山田孝之。
いま最もスケジュールが押さえにくい若手実力派俳優たちが集結して、就活でライバルとなる登場人物たちと同様に演技合戦を繰り広げます。
監督には若くして演劇界で数々の賞を受賞している鬼才・三浦大輔。「ボーイズ・オン・ザ・ラン」「愛の渦」での、人間に深く切り込んでいく演出が本作でも発揮されています。音楽にはPerfume、きゃりーぱみゅぱみゅなどを手掛ける音楽プロデューサー・中田ヤスタカ。
今までのイメージとは一線を画した、キャストの心情の機微に寄り添うメロディーラインが映画全編にわたり緻密に展開されます。
そして主題歌では今話題沸騰中のアーティスト・米津玄師とコラボ!若者たちの葛藤や世代観を射抜く米津玄師による等身大の歌詞と、
中田ヤスタカによるダイナミックなダンストラックが映画を盛り上げます。
果たして彼らは「内定」を取ることができるのか? そして「内定」を取れば「何者」かになれるのか?
まだ誰も見たことのない超観察エンタメここに解禁!
▶ 作品レビュー
小説は面白かったし、俳優も素晴らしいから楽しめるとは思っていた。そしてそれなりに─。
原作を読んで、筋とか設定とか隠されていることとか、そういった重要要素よりも、細かで繊細・微妙な表現が最も好むところだったので、そこら辺の映像表現がどうなるのか楽しみにしていたけど、それらは全部省略されていた印象。
それに代わって、演劇を本編に大きく絡ませたり、ドキュメンタリー風の面接や語りなどが組み合わせたりして、工夫が見られたけれど、統一感に欠けるような印象がしてしまった。
原作に則った作品だったけれど、映像にしてしまうと、意外と退屈なところが目についた。もとがそうなのか、映画がそうなのか、それとも映像化が難しいのか…。
誰のせいでもない
誰のせいでもない(2015年/ドイツ・カナダ・フランス・スウェーデン・ノルウェー合作)
原題:Every Thing Will Be Fine
公開日:(独)2015年4月2日 (日)2016年11月12日
配給:(独)Warner Bros. (日)トランスフォーマー
時間:118分
監督:ビム・ベンダース
出演:ジェームズ・フランコ(トマス)
シャルロット・ゲンズブール(ケイト)
マリ=ジョゼ・クローズ(アン)
ロバート・ネイラー
パトリック・ボーショー
ピーター・ストーメア
レイチェル・マクアダムス(サラ)
製作:ジャン=ピエロ・リンゲル
製作総指揮:ジェレミー・トーマス
フセイン・アマーシ
アーウィン・M・シュミット
ビンス・ジョリベット
脚本:ビョルン・オラフ・ヨハンセン
撮影:ブノワ・デビエ
美術:エマニュエル・フレシェット
衣装:ソフィー・ルフェーブル
編集:トニ・フロッシュハマー
音楽:アレクサンドル・デプラ
鑑賞日:2016年11月12日
ヒューマントラストシネマ渋谷 シアター2 M-11
■ INTORODUCTION(公式HPより)
すべては雪の日に始まった。
巨匠ヴィム・ヴェンダースが描く 揺れ動く環状のランドスケープ。
誰のせいでもない。
優しく聞こえるその言葉が、もっとも苦しくて、そして切ない。
真っ白な雪に包まれたカナダ、モントリオール郊外。田舎道を走る一台の車。突然、丘からソリが滑り落ちて来る。車はブレーキをきしませて止まる。悲劇は避けられたかに思えたが… … 。誰のせいでもない一つの事故が、一人の男と三人の女の人生を変えてしまう。車を運転していた作家のトマス、その恋人サラ、編集者のアン、そしてソリに乗っていた少年の母ケイト。誰のせいでもない。優しく聞こえるその言葉の奥で、彼らの感情は揺れ動く。誰も責められない。誰も憎めない。苦しくて、切ない感情を抱きながら。これは、彼らの12年にわたる物語である。
巨匠ヴィム・ヴェンダースが映し出す
サスペンスフルな感情のランドスケープ。
監督は、『パリ、テキサス』、『ベルリン・天使の詩』などの名作や『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』、『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』などの大ヒットドキュメンタリーで知られる巨匠ヴィム・ヴェンダース。自らが発見したノルウェーの作家、ビョルン・オラフ・ヨハンセンのオリジナル脚本を得て、罪悪感と赦しというテーマを、時に繊細に、時に大胆に、心の奥をカメラで覗き込むようにして、人間の感情こそがいかにサスペンスフルかを描き出している。揺れ動く感情のランドスケープというべき映像は、まさにヴェンダースが挑戦した新しい映像世界だ。
J・フランコ、C・ゲンズブール、R・マクアダムスら
豪華実力派キャスト。
出演は、映画監督・作家としても活動するジェームズ・フランコ、自然体な中にミステリアスな魅力をかもしだすシャルロット・ゲンズブール、今もっとも注目される女優でナチュラルな輝きを放つレイチェル・マクアダムス、落ち着いた知性の内に秘めた葛藤を表現するマリ=ジョゼ・クローズと豪華な実力派が揃った。また編集者ジョージにはシェークスピア劇からハリウッド大作まで幅広く活躍するピーター・ストーメア、トマスの父にヴェンダース監督の1981年作『ことの次第』に主演したパトリック・ボーショー、ドラマの鍵になる少年クリストファーを子役時代から活躍し、カナダ・アカデミー賞主演男優賞にもノミネート経験がある若手ロバート・ネイラーが演じている。
心の深い奥を語る3Dというヴェンダースのチャレンジ。
今作は3D映画として撮影され、日本での上映には2Dと3Dがある。『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』で驚くべき3D映像を生み出したヴェンダースが、その撮影時のもっとも大きな発見だったと語るポートレート撮影の経験をさらに発展させ、新たな3Dに挑戦している。「『誰のせいでもない』では多くのことがキャラクターの内部で起こり、まさにこの心の深い奥こそ3Dで語るに相応しい」とヴェンダースは語っている。撮影は、ギャスパー・ノエ監督作や『スプリング・ブレイカーズ』といったエッジの効いた映像に定評あるブノワ・デビエ、音楽は現代最高峰の映画音楽作曲家のひとりであるアレクサンドル・デスプラが担当した。
■ STORY
冬の夕暮れ。田舎道を走る一台の車。雪が降り、視界は悪い。
突然、丘からソリが滑り落ちて来る。車はブレーキをきしませて止まる。静寂。
そこには車の前で虚ろに座り込んでいる幼い少年がいた。幸い怪我もないようだ。
ほっとしたトマスは彼を家まで送る。
しかし、母ケイトは息子の姿を見て半狂乱になる……。
運転していたのは、作家のトマス。この悲劇的な事故は、彼の過失によるものではない。
弟にあと少しの注意を払うべきだった小さなクリストファーの責任でも、
そしてまた、もっと早く家に帰るように息子たちに言えたはずのケイトの責任でもない。
事故はトマスの心に大きな傷を残し、そのせいで恋人さらとの関係は壊れてしまう。
トマスにできることは、ただ書き続けることだけ。
しかし、他人の悲しみをも含んだ自らの経験を書く権利が、彼にあるのだろうか?
ようやく書き上げた小説は、トマスに新しい扉を開かせることになった。
月日が流れ、やがてトマスは作家として成功を収め、編集者のアンとその女ミナと新しい生活を始めようとしていた。一方、ケイトやサラもまた、それぞれの人生をゆっくりと歩み始め、すべてはうまく行き始めたように見えていた。そんな中、11年前に5歳だったクリストファーから、トマスのもとへ一通の手紙が届く…。
▶ 映画館環境
ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2は座席数173、スクリーンサイズはビスタサイズ 5.9×3.2m /シネスコ 5.9×2.5m と比較的小規模な劇場。
M列は後ろからの3列目、M−11席は右端の席、スクリーン向かってやや右寄り。
前に行けば行くほど見上げになる、あまり前過ぎない方がいい。
▶ 作品レビュー
自分にはヴェンダースの絵が合っているかもしれない。
突発的な出来事が発端となって物語は始まるけれど、内容はいたってシンプルであり、世の中の一部を切り取ったようなストーリー、だから悪く言えばつまらないのかもしれないけれど、人生なんて何とかなるでしょう、といった楽天的な内容だったと認識した。それを受け入れるかどうか人それぞれ、自分としては映像が非常にしっくりとくるものばかりだったので、それなりのストーリーさえあればこの作品は楽しめたなという印象。
音楽の使い方というか響きも非常に効果的だったように思う。
それほど難解ではなくむしろわかりやすいと思ったし、絵と音楽がシンプルに結びついて、感情が容易に見て取れるように思った。
シャルロット・ゲンズブールも良かったなー、彼女を捉える絵がことごとく素晴らしくて、陳腐な表現になってしまうが、これこそまさにフォトジェニックと思ってしまった。さすがはヴィム・ヴェンダース、と個人的には思った。
絵と色味と空間と音、こだわりの極みを見た。しかしながら、油断すると意識は飛んでしまうこと必至。
ヴェンダースの空間表現を追求した3D映像というものを感じとることができれば、なかなか味わい深い作品だと思うのだけれど──ここまでしっかりとした絵づくりでの3D映像というものは堪能出来ないと思うし、それ故に貴重だし、この路線をもっと追求して究極の映像を残してほしいと勝手に思っているところである。
原題:Every Thing Will Be Fine
公開日:(独)2015年4月2日 (日)2016年11月12日
配給:(独)Warner Bros. (日)トランスフォーマー
時間:118分
監督:ビム・ベンダース
出演:ジェームズ・フランコ(トマス)
シャルロット・ゲンズブール(ケイト)
マリ=ジョゼ・クローズ(アン)
ロバート・ネイラー
パトリック・ボーショー
ピーター・ストーメア
レイチェル・マクアダムス(サラ)
製作:ジャン=ピエロ・リンゲル
製作総指揮:ジェレミー・トーマス
フセイン・アマーシ
アーウィン・M・シュミット
ビンス・ジョリベット
脚本:ビョルン・オラフ・ヨハンセン
撮影:ブノワ・デビエ
美術:エマニュエル・フレシェット
衣装:ソフィー・ルフェーブル
編集:トニ・フロッシュハマー
音楽:アレクサンドル・デプラ
鑑賞日:2016年11月12日
ヒューマントラストシネマ渋谷 シアター2 M-11
■ INTORODUCTION(公式HPより)
すべては雪の日に始まった。
巨匠ヴィム・ヴェンダースが描く 揺れ動く環状のランドスケープ。
誰のせいでもない。
優しく聞こえるその言葉が、もっとも苦しくて、そして切ない。
真っ白な雪に包まれたカナダ、モントリオール郊外。田舎道を走る一台の車。突然、丘からソリが滑り落ちて来る。車はブレーキをきしませて止まる。悲劇は避けられたかに思えたが… … 。誰のせいでもない一つの事故が、一人の男と三人の女の人生を変えてしまう。車を運転していた作家のトマス、その恋人サラ、編集者のアン、そしてソリに乗っていた少年の母ケイト。誰のせいでもない。優しく聞こえるその言葉の奥で、彼らの感情は揺れ動く。誰も責められない。誰も憎めない。苦しくて、切ない感情を抱きながら。これは、彼らの12年にわたる物語である。
巨匠ヴィム・ヴェンダースが映し出す
サスペンスフルな感情のランドスケープ。
監督は、『パリ、テキサス』、『ベルリン・天使の詩』などの名作や『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』、『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』などの大ヒットドキュメンタリーで知られる巨匠ヴィム・ヴェンダース。自らが発見したノルウェーの作家、ビョルン・オラフ・ヨハンセンのオリジナル脚本を得て、罪悪感と赦しというテーマを、時に繊細に、時に大胆に、心の奥をカメラで覗き込むようにして、人間の感情こそがいかにサスペンスフルかを描き出している。揺れ動く感情のランドスケープというべき映像は、まさにヴェンダースが挑戦した新しい映像世界だ。
J・フランコ、C・ゲンズブール、R・マクアダムスら
豪華実力派キャスト。
出演は、映画監督・作家としても活動するジェームズ・フランコ、自然体な中にミステリアスな魅力をかもしだすシャルロット・ゲンズブール、今もっとも注目される女優でナチュラルな輝きを放つレイチェル・マクアダムス、落ち着いた知性の内に秘めた葛藤を表現するマリ=ジョゼ・クローズと豪華な実力派が揃った。また編集者ジョージにはシェークスピア劇からハリウッド大作まで幅広く活躍するピーター・ストーメア、トマスの父にヴェンダース監督の1981年作『ことの次第』に主演したパトリック・ボーショー、ドラマの鍵になる少年クリストファーを子役時代から活躍し、カナダ・アカデミー賞主演男優賞にもノミネート経験がある若手ロバート・ネイラーが演じている。
心の深い奥を語る3Dというヴェンダースのチャレンジ。
今作は3D映画として撮影され、日本での上映には2Dと3Dがある。『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』で驚くべき3D映像を生み出したヴェンダースが、その撮影時のもっとも大きな発見だったと語るポートレート撮影の経験をさらに発展させ、新たな3Dに挑戦している。「『誰のせいでもない』では多くのことがキャラクターの内部で起こり、まさにこの心の深い奥こそ3Dで語るに相応しい」とヴェンダースは語っている。撮影は、ギャスパー・ノエ監督作や『スプリング・ブレイカーズ』といったエッジの効いた映像に定評あるブノワ・デビエ、音楽は現代最高峰の映画音楽作曲家のひとりであるアレクサンドル・デスプラが担当した。
■ STORY
冬の夕暮れ。田舎道を走る一台の車。雪が降り、視界は悪い。
突然、丘からソリが滑り落ちて来る。車はブレーキをきしませて止まる。静寂。
そこには車の前で虚ろに座り込んでいる幼い少年がいた。幸い怪我もないようだ。
ほっとしたトマスは彼を家まで送る。
しかし、母ケイトは息子の姿を見て半狂乱になる……。
運転していたのは、作家のトマス。この悲劇的な事故は、彼の過失によるものではない。
弟にあと少しの注意を払うべきだった小さなクリストファーの責任でも、
そしてまた、もっと早く家に帰るように息子たちに言えたはずのケイトの責任でもない。
事故はトマスの心に大きな傷を残し、そのせいで恋人さらとの関係は壊れてしまう。
トマスにできることは、ただ書き続けることだけ。
しかし、他人の悲しみをも含んだ自らの経験を書く権利が、彼にあるのだろうか?
ようやく書き上げた小説は、トマスに新しい扉を開かせることになった。
月日が流れ、やがてトマスは作家として成功を収め、編集者のアンとその女ミナと新しい生活を始めようとしていた。一方、ケイトやサラもまた、それぞれの人生をゆっくりと歩み始め、すべてはうまく行き始めたように見えていた。そんな中、11年前に5歳だったクリストファーから、トマスのもとへ一通の手紙が届く…。
▶ 映画館環境
ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2は座席数173、スクリーンサイズはビスタサイズ 5.9×3.2m /シネスコ 5.9×2.5m と比較的小規模な劇場。
M列は後ろからの3列目、M−11席は右端の席、スクリーン向かってやや右寄り。
前に行けば行くほど見上げになる、あまり前過ぎない方がいい。
▶ 作品レビュー
自分にはヴェンダースの絵が合っているかもしれない。
突発的な出来事が発端となって物語は始まるけれど、内容はいたってシンプルであり、世の中の一部を切り取ったようなストーリー、だから悪く言えばつまらないのかもしれないけれど、人生なんて何とかなるでしょう、といった楽天的な内容だったと認識した。それを受け入れるかどうか人それぞれ、自分としては映像が非常にしっくりとくるものばかりだったので、それなりのストーリーさえあればこの作品は楽しめたなという印象。
音楽の使い方というか響きも非常に効果的だったように思う。
それほど難解ではなくむしろわかりやすいと思ったし、絵と音楽がシンプルに結びついて、感情が容易に見て取れるように思った。
シャルロット・ゲンズブールも良かったなー、彼女を捉える絵がことごとく素晴らしくて、陳腐な表現になってしまうが、これこそまさにフォトジェニックと思ってしまった。さすがはヴィム・ヴェンダース、と個人的には思った。
絵と色味と空間と音、こだわりの極みを見た。しかしながら、油断すると意識は飛んでしまうこと必至。
ヴェンダースの空間表現を追求した3D映像というものを感じとることができれば、なかなか味わい深い作品だと思うのだけれど──ここまでしっかりとした絵づくりでの3D映像というものは堪能出来ないと思うし、それ故に貴重だし、この路線をもっと追求して究極の映像を残してほしいと勝手に思っているところである。
GANTZ:O
GANTZ:O(2016年・日本)
公開日:2016年10月14日
配給:東宝映像事業部
時間:96分
総監督:さとうけいいち
監督:川村泰
原作:奥浩哉
脚本:黒岩勉
CV:小野大輔(加藤勝)
M・A・O(山咲杏)
郭智博(西丈一郎)
早見沙織(レイカ)
池田秀一(鈴木良一)
ケンドーコバヤシ(岡八郎)
レイザーラモンHG(島木譲二)
レイザーラモンRG(室谷信雄)
津嘉山正種(ぬらりひょん)
小野坂昌也(木村進)
津田健次郎(平参平)
小川輝晃(原哲男)
吉田尚記(アナウンサー)
梶裕貴(玄野計)
音楽:池頼広
主題歌:ドレスコーズ
制作:デジタル・フロンティア
鑑賞日:2016年11月8日
場所:ヒューマントラストシネマ渋谷 シアター1 I−9
■ INTRODUCTION(公式HPより)
GANTZ濃度300%
累計発行部数2,100万部。死んだはずの人間達と謎の星人との壮絶な死闘を描いた奥浩哉による大ヒットコミック「GANTZ」。
その中でも特に人気を誇る「大阪編」がフル3DCGアニメーションで再始動する。
総監督には一世を風靡した『TIGER & BUNNY』の監督さとうけいいちが、監督には日本初フル3DCG超大作『APPLESEED』でCGディレクターを手がけた川村泰が担当。
脚本には『ONE PIECE FILM GOLD』等のアニメだけでなく『ストロベリーナイト』『LIAR GAME』など多くの実写作品で緻密でシリアスな傑作を手がけた黒岩勉が壮絶な戦い、そして個性溢れるキャラクターたちを描く。アニメーション制作は、実写版『GANTZ』シリーズのVFXを担当し実写・アニメーションのジャンルを問わず数々の大ヒット作を生み出すデジタル・フロンティア。
最新技術と充実の制作陣が贈る、
GANTZ濃度300%の衝撃を
スクリーンで体感せよ──。
▶ 映画館環境
ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1は座席数200、スクリーンサイズはビスタサイズ 4.9×2.6m /シネスコ 6.3×2.6m と中規模な劇場。
I列は後ろから二列目。この劇場はI列がベスト。I−9席はスクリーン中央。傾斜が比較的少ない劇場だけに、前列の人の頭がやや邪魔になってしまう。
▶ 作品レビュー
人物の表情はどう贔屓目に見ても違和感を拭い去れない。しかし、全てをCGにした意図や意義は非常に理解できた。
ぬらりひょんをはじめとした星人の描写や、岡八郎が操る巨大ロボットの表現など、ビジュアルだけで魅了する要素が満載であった。
人工物や創造物のCGは素晴らしい出来だと思う。あとは人物と─、全てが完璧に作り込まれていただけに、どうしてもそこに行き着いてしまうのだが、そこの表現もリアリティを持ってしまうと、本当にもっと素晴らしい作品になるのかどうか─理不尽な疑問を抱いてしまったりするけれども、もっとこの人形のような人物表現を上手く見せるよう追求してみても面白いかもと、あくまで他人事として難しい事柄をさらりと夢想してみたりもする。
人物だけを実写にしてCGと合成するという方法もあるだろうし、制作するにあたって間違いなくそういう選択肢も考えたはず。ハリウッド映画のマーベル作品のような人間とCGの融合がむしろ現実味があるように思ってしまう。ただ、個人的にはああいうマーベルのような映画作品には全く魅力を感じないし、今回のフルCGの作品の方がどのマーベル作品よりも面白いと思う。まぁこれはあくまでも個人的な見解だが──。
人物キャラに不満を覚えつつも、唯一、M・A・OさんCVの山咲杏には萠萠であった。あれこそまさに、実写などでは表現できない完璧な萠CGキャラだと思えた。それとは逆に主役の加藤への魅力を全く感じることができなかったわけで、それがフルCG大成功という思いに至らない原因の一つになっている気がする。
筋は間違いなく面白い。それだけに、もっと完璧なものを作れたのではないかなどと、余計な思いが去来する。はっきり言って人物表現は失敗していると思うけれど、目指しているであろうところは何となく賛同できるわけで、この手法でもっとトライし続けてほしい。そして完璧な虚構でもってもっと我々を魅了してほしいものである。
公開日:2016年10月14日
配給:東宝映像事業部
時間:96分
総監督:さとうけいいち
監督:川村泰
原作:奥浩哉
脚本:黒岩勉
CV:小野大輔(加藤勝)
M・A・O(山咲杏)
郭智博(西丈一郎)
早見沙織(レイカ)
池田秀一(鈴木良一)
ケンドーコバヤシ(岡八郎)
レイザーラモンHG(島木譲二)
レイザーラモンRG(室谷信雄)
津嘉山正種(ぬらりひょん)
小野坂昌也(木村進)
津田健次郎(平参平)
小川輝晃(原哲男)
吉田尚記(アナウンサー)
梶裕貴(玄野計)
音楽:池頼広
主題歌:ドレスコーズ
制作:デジタル・フロンティア
鑑賞日:2016年11月8日
場所:ヒューマントラストシネマ渋谷 シアター1 I−9
■ INTRODUCTION(公式HPより)
GANTZ濃度300%
累計発行部数2,100万部。死んだはずの人間達と謎の星人との壮絶な死闘を描いた奥浩哉による大ヒットコミック「GANTZ」。
その中でも特に人気を誇る「大阪編」がフル3DCGアニメーションで再始動する。
総監督には一世を風靡した『TIGER & BUNNY』の監督さとうけいいちが、監督には日本初フル3DCG超大作『APPLESEED』でCGディレクターを手がけた川村泰が担当。
脚本には『ONE PIECE FILM GOLD』等のアニメだけでなく『ストロベリーナイト』『LIAR GAME』など多くの実写作品で緻密でシリアスな傑作を手がけた黒岩勉が壮絶な戦い、そして個性溢れるキャラクターたちを描く。アニメーション制作は、実写版『GANTZ』シリーズのVFXを担当し実写・アニメーションのジャンルを問わず数々の大ヒット作を生み出すデジタル・フロンティア。
最新技術と充実の制作陣が贈る、
GANTZ濃度300%の衝撃を
スクリーンで体感せよ──。
▶ 映画館環境
ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1は座席数200、スクリーンサイズはビスタサイズ 4.9×2.6m /シネスコ 6.3×2.6m と中規模な劇場。
I列は後ろから二列目。この劇場はI列がベスト。I−9席はスクリーン中央。傾斜が比較的少ない劇場だけに、前列の人の頭がやや邪魔になってしまう。
▶ 作品レビュー
人物の表情はどう贔屓目に見ても違和感を拭い去れない。しかし、全てをCGにした意図や意義は非常に理解できた。
ぬらりひょんをはじめとした星人の描写や、岡八郎が操る巨大ロボットの表現など、ビジュアルだけで魅了する要素が満載であった。
人工物や創造物のCGは素晴らしい出来だと思う。あとは人物と─、全てが完璧に作り込まれていただけに、どうしてもそこに行き着いてしまうのだが、そこの表現もリアリティを持ってしまうと、本当にもっと素晴らしい作品になるのかどうか─理不尽な疑問を抱いてしまったりするけれども、もっとこの人形のような人物表現を上手く見せるよう追求してみても面白いかもと、あくまで他人事として難しい事柄をさらりと夢想してみたりもする。
人物だけを実写にしてCGと合成するという方法もあるだろうし、制作するにあたって間違いなくそういう選択肢も考えたはず。ハリウッド映画のマーベル作品のような人間とCGの融合がむしろ現実味があるように思ってしまう。ただ、個人的にはああいうマーベルのような映画作品には全く魅力を感じないし、今回のフルCGの作品の方がどのマーベル作品よりも面白いと思う。まぁこれはあくまでも個人的な見解だが──。
人物キャラに不満を覚えつつも、唯一、M・A・OさんCVの山咲杏には萠萠であった。あれこそまさに、実写などでは表現できない完璧な萠CGキャラだと思えた。それとは逆に主役の加藤への魅力を全く感じることができなかったわけで、それがフルCG大成功という思いに至らない原因の一つになっている気がする。
筋は間違いなく面白い。それだけに、もっと完璧なものを作れたのではないかなどと、余計な思いが去来する。はっきり言って人物表現は失敗していると思うけれど、目指しているであろうところは何となく賛同できるわけで、この手法でもっとトライし続けてほしい。そして完璧な虚構でもってもっと我々を魅了してほしいものである。
ジュリエッタ
ジュリエッタ(2016年・スペイン)
原題:Julieta
公開日:(スペイン)2016年4月8日 (日)2016年11月5日
配給:(日)ブロードメディア・スタジオ
時間:99分
監督:ペドロ・アルモドバル
原作:アリス・マンロー
脚本:ペドロ・アルモドバル
出演:エマ・スアレス(現在のジュリエッタ)
アドリアーナ・ウガルテ(若き日のジュリエッタ)
ダニエル・グラオ(ショアン)
インマ・クエスタ(アバ)
ダリオ・グランディネッティ(ロレンソ)
ミシェル・ジェネール(ベア)
スシ・サンチェス(サラ)
ロッシ・デ・パルマ(マリアン) ほか
製作:アグスティン・アルモドバル
エステル・ガルシア
撮影:ジャン=クロード・ラリュー
美術:アンチョ・ゴメス
衣装:ソニア・グランデ
編集:ホセ・サルセド
音楽:アルベルト・イグレシアス
鑑賞日:2016年11月8日
場所:新宿ピカデリー シアター4 J-8
■ Introduction(公式HPより)
巨匠ペドロ・アルモドバルが本当に描きたかった
運命に翻弄された“母”と“娘”の感動の物語
1980年代に『神経衰弱ぎりぎりの女たち』『アタメ』といったセンセーショナルな快作や異色作を連打したのち、キャリアを重ねるごとに円熟味を増し、世界的な巨匠の地位を揺るぎないものにしたペドロ・アルモドバル。思いがけない運命や偶然に翻弄される登場人物を主人公にして、人生の豊かさや複雑さ、人間の愛おしさや切なさを描かせたら当代随一のストーリーテラーであるこの名監督の最新作『ジュリエッタ』は、深い哀しみに引き裂かれたひと組の母娘の物語だ。アルモドバルが“女性賛歌3部作”と呼ばれる自身の代表作『オール・アバウト・マイ・マザー』『トーク・トゥ・ハー』『ボルベール〈帰郷〉』にも通じるエモーショナルなテーマを追求するとともに、魔術的なまでに深みを湛えた語り口で観る者を“虜”にするヒューマン・ドラマである。
主人公ジュリエッタ役にアルモドバルはふたりの女優を初めて起用。スペインのベテラン女優エマ・スアレスが“現在”のジュリエッタを演じ、NHKで放送されたTVドラマ「情熱のシーラ」で脚光を浴びた新進女優アドリアーナ・ウガルテが“過去”を演じている。監督は「ペネロペ・クルス、カルメン・マウラ、マリサ・パレデス、セシリア・ロスといった私の女神たちと肩を並べる存在になった」とふたりを絶賛。原作はカナダのノーベル賞作家アリス・マンローが2004年に発表した『ジュリエット(Runaway)』。 同一主人公でありながら独立した短篇「チャンス」「すぐに」「沈黙」の3編をアルモドバル自身がひと続きの物語として脚本化した。
■ Story(公式HPより)
居場所も分からない娘に充てた
届くはずのない一通の手紙
母が綴った“本当に娘に伝えたかったこと”とは──
娘は突然、何も言わずに
姿を消してしまった
──過ぎ去った空白の12年間
ジュリエッタは
過去を振り返り
あらためて
姿を消した娘を想う・・・
スペインのマドリードでひとりで暮らしているジュリエッタは、自分を心から愛してくれている恋人ロレンソにも打ち明けていない苦悩を内に秘めていた。ある日、ジュリエッタは偶然再会した知人から「あなたの娘を見かけたわ」と告げられ、めまいを覚えるほどの衝撃を受ける。12年前、ひとり娘のアンティアは理由も語らずに、突然姿を消してしまったのだ。ジュリエッタはそれ以来、娘には一度も会っていない。忘れかけていた娘への想いがよみがえる。ジュリエッタは、心の奥底に封印していた過去と向き合い、今どこにいるのかもわからない娘に宛てた手紙を書き始めるのだった……。
▶ 映画館環境
新宿ピカデリーのスクリーン4は座席数129。スクリーンサイズは不明。箱のサイズに対してスクリーンサイズは大きい。J-8は最後列のスクリーン向かってほぼ真ん中。最後列でもスクリーンは大きく見える。個人的にはJの14か15が狙い目。
平日の夕方の上映。結構な入り。やはり監督のネームバリューは大きい。
▶ 作品レビュー
濃厚な色味と深みのある絵が非常に印象的。
話はアルモドバルらしい数奇な人生もので、飽きることがなかった。
完全に虚構だと感じるし、監督のワールドでしかないと思うものの、完璧なまでにそれを追求していて、大いにその世界観に魅せられてしまった。
現代のジュリエッタを演じているエマ・スアレスは不思議な魅力を放っていて、非常に魅力的。自分にはあのジュリエッタ・マッシーナにしか見えなかったのだが、まさかそのジュリエッタなのか!?と今更ながら思わないでもない。
原題:Julieta
公開日:(スペイン)2016年4月8日 (日)2016年11月5日
配給:(日)ブロードメディア・スタジオ
時間:99分
監督:ペドロ・アルモドバル
原作:アリス・マンロー
脚本:ペドロ・アルモドバル
出演:エマ・スアレス(現在のジュリエッタ)
アドリアーナ・ウガルテ(若き日のジュリエッタ)
ダニエル・グラオ(ショアン)
インマ・クエスタ(アバ)
ダリオ・グランディネッティ(ロレンソ)
ミシェル・ジェネール(ベア)
スシ・サンチェス(サラ)
ロッシ・デ・パルマ(マリアン) ほか
製作:アグスティン・アルモドバル
エステル・ガルシア
撮影:ジャン=クロード・ラリュー
美術:アンチョ・ゴメス
衣装:ソニア・グランデ
編集:ホセ・サルセド
音楽:アルベルト・イグレシアス
鑑賞日:2016年11月8日
場所:新宿ピカデリー シアター4 J-8
■ Introduction(公式HPより)
巨匠ペドロ・アルモドバルが本当に描きたかった
運命に翻弄された“母”と“娘”の感動の物語
1980年代に『神経衰弱ぎりぎりの女たち』『アタメ』といったセンセーショナルな快作や異色作を連打したのち、キャリアを重ねるごとに円熟味を増し、世界的な巨匠の地位を揺るぎないものにしたペドロ・アルモドバル。思いがけない運命や偶然に翻弄される登場人物を主人公にして、人生の豊かさや複雑さ、人間の愛おしさや切なさを描かせたら当代随一のストーリーテラーであるこの名監督の最新作『ジュリエッタ』は、深い哀しみに引き裂かれたひと組の母娘の物語だ。アルモドバルが“女性賛歌3部作”と呼ばれる自身の代表作『オール・アバウト・マイ・マザー』『トーク・トゥ・ハー』『ボルベール〈帰郷〉』にも通じるエモーショナルなテーマを追求するとともに、魔術的なまでに深みを湛えた語り口で観る者を“虜”にするヒューマン・ドラマである。
主人公ジュリエッタ役にアルモドバルはふたりの女優を初めて起用。スペインのベテラン女優エマ・スアレスが“現在”のジュリエッタを演じ、NHKで放送されたTVドラマ「情熱のシーラ」で脚光を浴びた新進女優アドリアーナ・ウガルテが“過去”を演じている。監督は「ペネロペ・クルス、カルメン・マウラ、マリサ・パレデス、セシリア・ロスといった私の女神たちと肩を並べる存在になった」とふたりを絶賛。原作はカナダのノーベル賞作家アリス・マンローが2004年に発表した『ジュリエット(Runaway)』。 同一主人公でありながら独立した短篇「チャンス」「すぐに」「沈黙」の3編をアルモドバル自身がひと続きの物語として脚本化した。
■ Story(公式HPより)
居場所も分からない娘に充てた
届くはずのない一通の手紙
母が綴った“本当に娘に伝えたかったこと”とは──
娘は突然、何も言わずに
姿を消してしまった
──過ぎ去った空白の12年間
ジュリエッタは
過去を振り返り
あらためて
姿を消した娘を想う・・・
スペインのマドリードでひとりで暮らしているジュリエッタは、自分を心から愛してくれている恋人ロレンソにも打ち明けていない苦悩を内に秘めていた。ある日、ジュリエッタは偶然再会した知人から「あなたの娘を見かけたわ」と告げられ、めまいを覚えるほどの衝撃を受ける。12年前、ひとり娘のアンティアは理由も語らずに、突然姿を消してしまったのだ。ジュリエッタはそれ以来、娘には一度も会っていない。忘れかけていた娘への想いがよみがえる。ジュリエッタは、心の奥底に封印していた過去と向き合い、今どこにいるのかもわからない娘に宛てた手紙を書き始めるのだった……。
▶ 映画館環境
新宿ピカデリーのスクリーン4は座席数129。スクリーンサイズは不明。箱のサイズに対してスクリーンサイズは大きい。J-8は最後列のスクリーン向かってほぼ真ん中。最後列でもスクリーンは大きく見える。個人的にはJの14か15が狙い目。
平日の夕方の上映。結構な入り。やはり監督のネームバリューは大きい。
▶ 作品レビュー
濃厚な色味と深みのある絵が非常に印象的。
話はアルモドバルらしい数奇な人生もので、飽きることがなかった。
完全に虚構だと感じるし、監督のワールドでしかないと思うものの、完璧なまでにそれを追求していて、大いにその世界観に魅せられてしまった。
現代のジュリエッタを演じているエマ・スアレスは不思議な魅力を放っていて、非常に魅力的。自分にはあのジュリエッタ・マッシーナにしか見えなかったのだが、まさかそのジュリエッタなのか!?と今更ながら思わないでもない。
フランコフォニア ルーヴルの記憶
フランコフォニア ルーヴルの記憶(2015年/フランス・ドイツ・オランダ合作)
原題:Francofonia
公開日:(仏)2015年11月11日 (日)2016年10月29日
配給:(仏)Sophie Dulac Distribution (日)キノフィルムズ
時間:88分
監督:アレクサンドル・ソクーロフ
出演:ルイ=ド・ドゥ・ランクザン(ジャック・ジョジャール)
ベンヤミン・ウッツェラート(メッテルニヒ伯爵)
バンサン・ネメス(ナポレオン1世)
ジョアンナ・コータルス・アルテ(マリアンヌ)
アレクサンドル・ソクーロフ(アレクサンドル)
製作:ピエール=オリビエ・バルデ
トマス・クフス
エルス・ファンデボルスト
撮影:ブリュノ・デルボネル
編集:アレクセイ・ジャンコウスキー
ハンスヨルク・バイスブリヒ
音楽:ムラート・カバルドコフ
鑑賞日:2016年11月8日
場所:ユーロスペース
■ Introduction(公式HPより)
世界一有名な美術館、ルーヴル美術館。「ルーヴルのないフランスは必要なのか?」と言われるまでの価値を持つこの美術館は、1793年の誕生から、223年に渡り、ヨーロッパを見続けてきた。そして、ルーヴルの眼差しの先には、常に“美”と“戦争”によって作られた時代があった。 そんなルーヴルが見たヨーロッパの一大叙事詩を映像化したのは、ロシアの巨匠アレクサンドル・ソクーロフ。これまでヒトラーを題材にした『モレク神』(99)では第52回カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞、ゲーテの同名小説を映画化した『ファウスト』(11)では第68回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞するなど、高い評価を得てきた。絢爛豪華な映像美で多くの人を魅了した『エルミタージュ幻想』(02)以来の美術館をテーマにした本作では、第二次世界大戦期のドイツによるフランス侵攻時の物語を入り口に、現在と過去を往来して展開していく。ナポレオンや共和国を表す女性像マリアンヌなど時代を象徴する亡霊、息をのむほど美しい数々の美術品、そして美を奪うものと守るもの―。“記憶の迷宮”への旅がはじまる。
■ Story(公式HPより)
第二次世界大戦中の1939年、ルーヴル美術館長のジャック・ジョジャールは、ナチス・ドイツから館内の美術品を守るためにパリ郊外へ密かに運びだすよう指示する。その翌年、ナチス・ドイツの将校ヴォルフ・メッテルニヒが、芸術品の管理のためジョジャールの元を度々訪れるようになる。ふたりは敵同士のため心を開いて語り合うことなかったが、美術品を守る使命で繋がってゆく。
ヒトラーがパリに侵攻する一方、人気のない美術館では、ナポレオン1世が美術品を前に「これも自分が集めてきたものだ」とかつての栄光に浸っている。その傍らには、共和国を表す女性像マリアンヌがいる。争いを繰りかえす人類の歴史の中で、ルーヴル美術館が見てきたものは?そして、ナチス・ドイツのパリ侵攻をどう潜り抜けたのか?
▶ 映画館環境
平日の日中の上映で空いていたけれど、予想外に人がいたような気がする。
▶ 作品レビュー
見ている人のために丁寧に分かりやすく仕上げているわけではなく、むしろ見ている側が作家の意図や思考を懸命に考え、寄り添っていって、映画に合わせていかなければならないわけで、漫然と見ていただけでは恐らく寝る。
自分も必死にソクーロフの意志を捉えようと頑張ったが、半分も分かったかどうか全く自信がない。まるで知識人に自分のような凡人が何かを試されて、そして門前払いにあったような気持ちになってしまった。
とはいえ、戦争と美術館の性みたいなものは強く感じた。ルーヴル美術館をテーマに斬新なアプローチが展開され、決して誰にも想像できない視点を提示しているわけで、凄い映画だと認めざるを得ない。飾られているアートの多くは、戦禍をくぐり抜けてきているわけで、美術館というハコが抱えている宿命を見た。それは決して芸術作品が悪いのではなく、それを取り巻く諍いが問題なのだけれど─。
三つの時間軸を行ったり来たりするアイデアは面白いと思ったし、それを交差させながら一つにまとめ上げる力には驚愕するのみ。ただ、如何せん独りよがりなものを感じるし、ソクーロフの心を読み切らなければこの作品は完全に理解できないと思ってしまう。難解という言葉で処理したくはないけど、これを読み解くには知識というものを超越したものがある。
心して鑑賞すべし。
原題:Francofonia
公開日:(仏)2015年11月11日 (日)2016年10月29日
配給:(仏)Sophie Dulac Distribution (日)キノフィルムズ
時間:88分
監督:アレクサンドル・ソクーロフ
出演:ルイ=ド・ドゥ・ランクザン(ジャック・ジョジャール)
ベンヤミン・ウッツェラート(メッテルニヒ伯爵)
バンサン・ネメス(ナポレオン1世)
ジョアンナ・コータルス・アルテ(マリアンヌ)
アレクサンドル・ソクーロフ(アレクサンドル)
製作:ピエール=オリビエ・バルデ
トマス・クフス
エルス・ファンデボルスト
撮影:ブリュノ・デルボネル
編集:アレクセイ・ジャンコウスキー
ハンスヨルク・バイスブリヒ
音楽:ムラート・カバルドコフ
鑑賞日:2016年11月8日
場所:ユーロスペース
■ Introduction(公式HPより)
世界一有名な美術館、ルーヴル美術館。「ルーヴルのないフランスは必要なのか?」と言われるまでの価値を持つこの美術館は、1793年の誕生から、223年に渡り、ヨーロッパを見続けてきた。そして、ルーヴルの眼差しの先には、常に“美”と“戦争”によって作られた時代があった。 そんなルーヴルが見たヨーロッパの一大叙事詩を映像化したのは、ロシアの巨匠アレクサンドル・ソクーロフ。これまでヒトラーを題材にした『モレク神』(99)では第52回カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞、ゲーテの同名小説を映画化した『ファウスト』(11)では第68回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞するなど、高い評価を得てきた。絢爛豪華な映像美で多くの人を魅了した『エルミタージュ幻想』(02)以来の美術館をテーマにした本作では、第二次世界大戦期のドイツによるフランス侵攻時の物語を入り口に、現在と過去を往来して展開していく。ナポレオンや共和国を表す女性像マリアンヌなど時代を象徴する亡霊、息をのむほど美しい数々の美術品、そして美を奪うものと守るもの―。“記憶の迷宮”への旅がはじまる。
■ Story(公式HPより)
第二次世界大戦中の1939年、ルーヴル美術館長のジャック・ジョジャールは、ナチス・ドイツから館内の美術品を守るためにパリ郊外へ密かに運びだすよう指示する。その翌年、ナチス・ドイツの将校ヴォルフ・メッテルニヒが、芸術品の管理のためジョジャールの元を度々訪れるようになる。ふたりは敵同士のため心を開いて語り合うことなかったが、美術品を守る使命で繋がってゆく。
ヒトラーがパリに侵攻する一方、人気のない美術館では、ナポレオン1世が美術品を前に「これも自分が集めてきたものだ」とかつての栄光に浸っている。その傍らには、共和国を表す女性像マリアンヌがいる。争いを繰りかえす人類の歴史の中で、ルーヴル美術館が見てきたものは?そして、ナチス・ドイツのパリ侵攻をどう潜り抜けたのか?
▶ 映画館環境
平日の日中の上映で空いていたけれど、予想外に人がいたような気がする。
▶ 作品レビュー
見ている人のために丁寧に分かりやすく仕上げているわけではなく、むしろ見ている側が作家の意図や思考を懸命に考え、寄り添っていって、映画に合わせていかなければならないわけで、漫然と見ていただけでは恐らく寝る。
自分も必死にソクーロフの意志を捉えようと頑張ったが、半分も分かったかどうか全く自信がない。まるで知識人に自分のような凡人が何かを試されて、そして門前払いにあったような気持ちになってしまった。
とはいえ、戦争と美術館の性みたいなものは強く感じた。ルーヴル美術館をテーマに斬新なアプローチが展開され、決して誰にも想像できない視点を提示しているわけで、凄い映画だと認めざるを得ない。飾られているアートの多くは、戦禍をくぐり抜けてきているわけで、美術館というハコが抱えている宿命を見た。それは決して芸術作品が悪いのではなく、それを取り巻く諍いが問題なのだけれど─。
三つの時間軸を行ったり来たりするアイデアは面白いと思ったし、それを交差させながら一つにまとめ上げる力には驚愕するのみ。ただ、如何せん独りよがりなものを感じるし、ソクーロフの心を読み切らなければこの作品は完全に理解できないと思ってしまう。難解という言葉で処理したくはないけど、これを読み解くには知識というものを超越したものがある。
心して鑑賞すべし。
ハート・オブ・ドッグ 犬が教えてくれた人生の練習
ハート・オブ・ドッグ 犬が教えてくれた人生の練習(2015年・アメリカ)
原題:Heart of a Dog
公開日:(米)2015年9月4日 Telluride Film Festival(日)2016年10月22日
配給:(米)Abramorama (日)テレビマンユニオン
時間:76分
監督:ローリー・アンダーソン
出演:アーチー/ラットテリア
ガット―/ラットテリア
ロラベル/ラットテリア
リトル・ウィル/ボーダーテリア
ニトロ/ジャーマン・シェパード
エッタ/プードル
フン・フン・チン/犬の散歩をする人
ジェニー・マルダー/妻
マット・ヴェガ/夫
アーロ・ウィルナー/少年
カート・グテンブルナー/シェフ
ジュリアン・シュナーベル/画家
ウィリー・フリードマン/アヒルに当たる男
エリザベス・ワイス/犬の調教師
ジェイソン・バーグ/獣医
エブリン・フレダー/おばあさん
ダスティン・ディファ/ゴードン・マッタ・クラーク
ルー・リード/医師
ボブ・カーリー/医師
ゴードン・マッタ・クラーク/本人役
ティナ・ジルアード/本人役
ロザリア・ディーン・ハドソン/赤ちゃん
ルーシー・ハフィッツ/プールの少女
サシャ・グロスマン/看護婦
アレックス・カウフマン/医師
ジェシカ・アイリッシュ/看護婦
エリザベス・ワイマー/看護婦
ポール・デヴィッドソン/農夫
マーガレット・ハフィッツ/農夫の妻
サム・オシュビン/農夫の息子
チャーリー・ハフィッツ/小児病棟の患者
ピエール・リッチーズ/牧師
製作:ダン・ジャンビー、ローリー・アンダーソン
撮影:ローリー・アンダーソン、トシアキ・オザワ、 ジョシュ・ズッカー ・プルーダ
作画:ローリー・アンダーソン
編集:メロディ・ロンドン、キャサリン・ノルフィ
挿入曲: ルー・リード“Turning Time Around”
鑑賞日:2016年11月8日
場所:イメージフォーラム
■ ABOUT THE MOVIE (日本語公式HPより)
ヴェネチア映画祭コンペティション正式出品
NYタイムズが選ぶ2015年ベスト10に選出!
故ルー・リードの妻である音楽家のローリー・アンダーソン監督が贈る
「愛と死」にまつわるシネマ的エッセイ(ドキュメンタリー)
NYのアートシーンで70年代から活躍し続ける音楽家ローリー・アンダーソン。本作は彼女と夫ルー・リードが飼っていた愛犬ロラベルとの日々を通して「愛と死」「アメリカの今」を綴ったシネマ的エッセイ。幼い日の記憶、他愛のないビデオ日記、母への複雑な感情、愛する人との別れや思い出の断片が、過去と現在、現実と空想を超えたコラージュのように、ときにユーモラスに、ときに抒情的に描かれます。
本作は2012年に制作が始まっていたものの、ルー・リードの闘病と死去で中断。その後、彼に捧げる長編映画として完成しました。全編に渡る美しい映像とアンダーソン自身による朗読は、様々な喪失を乗り越えるヒントが見つかる「人生の練習帳」ともいえる本作。私たちが生きる世界は複雑で息苦しくなっているかもしれない。それでも “物語る”ことで私たちは自由であり続ける。そんなメッ セージが込められた全ての生命への “共感(empathy)”の讃歌となっています。
■ LAURIE ANDERSON (日本語公式HPより)
監督・脚本・音楽:ローリー・アンダーソン
L A U R I E A N D E R S O N
1947年イリノイ州 シカゴ生まれ。7歳よりバイオリンを習い、1961 年にシカゴ・ユース・オーケストラに入団。1969年バーナード大学美術史学科卒業。1972年コロンビア大学大学院(彫刻専攻)修士課程修了
70 年代にミニマル・アートやコンセプチュアル・アートの影響を受けた彫刻を制作し、美術雑誌に批評を執筆。72 年、最初のパフォーマンス作品≪カー・ホーン・コンサート≫。以降、映像制作や改造したバイ オリンを使ったパフォーマンスなどを行う。81年、NY のレーベル 110(ワン・テン)から≪オー・スー パーマン≫を発売。
80 年代半ばからは≪ミスター・ハートブレイク≫(1984)≪エンプティ・プレイセ ズ≫(1990)など大規模なパフォーマンスを手掛け、ピーター・ガブリエル、ブライアン・イーノ、ヴィム・ヴェンダースなどとのコラボレーションもはじめる。日本でも2005年に『愛・地球博』でインスタレーションなどを発表し、世界巡回展『時間の記憶』が NTTインターコミュニケーションセンターで開催された。
1992年、ルー・リードとドイツの音楽フェスティバルで出会い、長年パートナーとして暮らした後、 2008年に結婚。しかし 2013 年、ルー・リード死去(享年 71 歳)。2016 年 7 月 30 日、音楽と映画と朗読によるルー・リード追悼イベントを NY のリンカーンセンターで開催する。
ルー・リード(1942−2013)
L O U R E E D
60年代、アンディ・ウォーホルと共に活動した伝説的バンド「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」で活躍。ソロでも多くの名盤を発表し、アメリカ文化に多大な影響を及ぼした音楽家。2013年10月27日死去。享年71歳。今夏7月30日にはNYで大規模な追悼イベントが開催。
▶ 映画館環境
平日の朝上映ということだけあって、非常に空いていた。
▶ 作品レビュー
ドキュメンタリーとか映像ポエムといえるかもしれないが、アートムービーという方が適切かもしれない。ただ、個人的にはあまり好きな表現ではない。というのも、アート○○と冠を付けると一気に退屈なものに思えてしまうから──まぁ個人的な見解でしかないけれど…。
ルー・リードはよく知るところではあるが、特にファンでもないし、彼にまつわる事柄においても特段思い入れもない。自分としては純粋に映像に惹かれて観賞に至った作品。予告などで流される映像が非常に魅力的に感じて、そしてそれを裏切ることがないくらいに見事な映像に魅了されてしまった。
レビューなどを見ると、ルー・リードという名に騙されたという記述も見られるし、事実、作品の中で彼の表現はほんのわずかであり、それほど作品に影響を及ぼすようなものではないので、彼のエッセンスを求めて足を運んだ人にとってみれば不満以外の何ものでもないだろう。映画の宣伝においてもルー・リードという文言を結構使っているから尚更か──。
ルー・リードは部分的な要素であるとしても、彼の死がこの作品に与えた影響は少なくないと思うわけで、そういった意識で作品を観賞すると、ルー・リード目的でもそれほど不満を感じることはないと思うのだが、それでもダメという人はきっと何か確固たる物語を欲しているのだと思うし、アートムービーというと恐らく拒絶反応すら覚えるかもしれない。
この映画をアートムービーと謳っているプロモーションは皆無だが、これは紛れもなくアートムービーであり、ローリー・アンダーソンが創り出すイメージが自由気ままに交錯して行くだけの作品だ。自由で取り留めのないアートムービーという記述自体に拒否反応を起こすのであれば、決して見ない方がいい。恐らく時間の無駄であろう。
人の心の原風景、犬目線でのイメージ風景、ローリー・アンダーソンという人物の思い出、あらゆる映像と、終始ローリー・アンダーソンの声でもって語られるポエムが補完し合いながら展開していく。
観賞後どんな作品だったか具体的に思い出すことができないくらいに、複雑に映像が絡み合っていた。単に美しいだけではなく、味わい深い絵が次々と重ね合っていき、いつの間にか一人のアーティストから紡ぎ出される膨大なイメージに包み込まれていた。
犬の気持ち──幾多の悲しみを乗り越えてたどり着いた境地がそれだったのかもしれない。個人的なことを言うと、むかし母親が犬に生まれ変わりたいというようなことを言っていたことを思い出してしまった。とはいえ、決して感傷的な気持ちになるような映画ではなく、不思議と楽しい作品だったという印象がある。
確かに内容は全体において、いちアーティストの郷愁的なものを強く漂わせているけれども、決して涙を誘うものではないし、むしろ笑みがこぼれてしまうくらい楽しい作品だったという印象。
生を持つものであれば死というものは決して避けられないわけで、それをどう捉え受け止めていくか──ハート・オブ・ドッグ──それがローリー・アンダーソンにとっての人生を乗り越えていくヒントであったのかもしれない。
ビデオドラッグがごとく様々な映像を浴びせられたわけだが、最終的には哲学的な何かを感じさせるに至る、これまでにないアートムービーであった。
原題:Heart of a Dog
公開日:(米)2015年9月4日 Telluride Film Festival(日)2016年10月22日
配給:(米)Abramorama (日)テレビマンユニオン
時間:76分
監督:ローリー・アンダーソン
出演:アーチー/ラットテリア
ガット―/ラットテリア
ロラベル/ラットテリア
リトル・ウィル/ボーダーテリア
ニトロ/ジャーマン・シェパード
エッタ/プードル
フン・フン・チン/犬の散歩をする人
ジェニー・マルダー/妻
マット・ヴェガ/夫
アーロ・ウィルナー/少年
カート・グテンブルナー/シェフ
ジュリアン・シュナーベル/画家
ウィリー・フリードマン/アヒルに当たる男
エリザベス・ワイス/犬の調教師
ジェイソン・バーグ/獣医
エブリン・フレダー/おばあさん
ダスティン・ディファ/ゴードン・マッタ・クラーク
ルー・リード/医師
ボブ・カーリー/医師
ゴードン・マッタ・クラーク/本人役
ティナ・ジルアード/本人役
ロザリア・ディーン・ハドソン/赤ちゃん
ルーシー・ハフィッツ/プールの少女
サシャ・グロスマン/看護婦
アレックス・カウフマン/医師
ジェシカ・アイリッシュ/看護婦
エリザベス・ワイマー/看護婦
ポール・デヴィッドソン/農夫
マーガレット・ハフィッツ/農夫の妻
サム・オシュビン/農夫の息子
チャーリー・ハフィッツ/小児病棟の患者
ピエール・リッチーズ/牧師
製作:ダン・ジャンビー、ローリー・アンダーソン
撮影:ローリー・アンダーソン、トシアキ・オザワ、 ジョシュ・ズッカー ・プルーダ
作画:ローリー・アンダーソン
編集:メロディ・ロンドン、キャサリン・ノルフィ
挿入曲: ルー・リード“Turning Time Around”
鑑賞日:2016年11月8日
場所:イメージフォーラム
■ ABOUT THE MOVIE (日本語公式HPより)
ヴェネチア映画祭コンペティション正式出品
NYタイムズが選ぶ2015年ベスト10に選出!
故ルー・リードの妻である音楽家のローリー・アンダーソン監督が贈る
「愛と死」にまつわるシネマ的エッセイ(ドキュメンタリー)
NYのアートシーンで70年代から活躍し続ける音楽家ローリー・アンダーソン。本作は彼女と夫ルー・リードが飼っていた愛犬ロラベルとの日々を通して「愛と死」「アメリカの今」を綴ったシネマ的エッセイ。幼い日の記憶、他愛のないビデオ日記、母への複雑な感情、愛する人との別れや思い出の断片が、過去と現在、現実と空想を超えたコラージュのように、ときにユーモラスに、ときに抒情的に描かれます。
本作は2012年に制作が始まっていたものの、ルー・リードの闘病と死去で中断。その後、彼に捧げる長編映画として完成しました。全編に渡る美しい映像とアンダーソン自身による朗読は、様々な喪失を乗り越えるヒントが見つかる「人生の練習帳」ともいえる本作。私たちが生きる世界は複雑で息苦しくなっているかもしれない。それでも “物語る”ことで私たちは自由であり続ける。そんなメッ セージが込められた全ての生命への “共感(empathy)”の讃歌となっています。
■ LAURIE ANDERSON (日本語公式HPより)
監督・脚本・音楽:ローリー・アンダーソン
L A U R I E A N D E R S O N
1947年イリノイ州 シカゴ生まれ。7歳よりバイオリンを習い、1961 年にシカゴ・ユース・オーケストラに入団。1969年バーナード大学美術史学科卒業。1972年コロンビア大学大学院(彫刻専攻)修士課程修了
70 年代にミニマル・アートやコンセプチュアル・アートの影響を受けた彫刻を制作し、美術雑誌に批評を執筆。72 年、最初のパフォーマンス作品≪カー・ホーン・コンサート≫。以降、映像制作や改造したバイ オリンを使ったパフォーマンスなどを行う。81年、NY のレーベル 110(ワン・テン)から≪オー・スー パーマン≫を発売。
80 年代半ばからは≪ミスター・ハートブレイク≫(1984)≪エンプティ・プレイセ ズ≫(1990)など大規模なパフォーマンスを手掛け、ピーター・ガブリエル、ブライアン・イーノ、ヴィム・ヴェンダースなどとのコラボレーションもはじめる。日本でも2005年に『愛・地球博』でインスタレーションなどを発表し、世界巡回展『時間の記憶』が NTTインターコミュニケーションセンターで開催された。
1992年、ルー・リードとドイツの音楽フェスティバルで出会い、長年パートナーとして暮らした後、 2008年に結婚。しかし 2013 年、ルー・リード死去(享年 71 歳)。2016 年 7 月 30 日、音楽と映画と朗読によるルー・リード追悼イベントを NY のリンカーンセンターで開催する。
ルー・リード(1942−2013)
L O U R E E D
60年代、アンディ・ウォーホルと共に活動した伝説的バンド「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」で活躍。ソロでも多くの名盤を発表し、アメリカ文化に多大な影響を及ぼした音楽家。2013年10月27日死去。享年71歳。今夏7月30日にはNYで大規模な追悼イベントが開催。
▶ 映画館環境
平日の朝上映ということだけあって、非常に空いていた。
▶ 作品レビュー
ドキュメンタリーとか映像ポエムといえるかもしれないが、アートムービーという方が適切かもしれない。ただ、個人的にはあまり好きな表現ではない。というのも、アート○○と冠を付けると一気に退屈なものに思えてしまうから──まぁ個人的な見解でしかないけれど…。
ルー・リードはよく知るところではあるが、特にファンでもないし、彼にまつわる事柄においても特段思い入れもない。自分としては純粋に映像に惹かれて観賞に至った作品。予告などで流される映像が非常に魅力的に感じて、そしてそれを裏切ることがないくらいに見事な映像に魅了されてしまった。
レビューなどを見ると、ルー・リードという名に騙されたという記述も見られるし、事実、作品の中で彼の表現はほんのわずかであり、それほど作品に影響を及ぼすようなものではないので、彼のエッセンスを求めて足を運んだ人にとってみれば不満以外の何ものでもないだろう。映画の宣伝においてもルー・リードという文言を結構使っているから尚更か──。
ルー・リードは部分的な要素であるとしても、彼の死がこの作品に与えた影響は少なくないと思うわけで、そういった意識で作品を観賞すると、ルー・リード目的でもそれほど不満を感じることはないと思うのだが、それでもダメという人はきっと何か確固たる物語を欲しているのだと思うし、アートムービーというと恐らく拒絶反応すら覚えるかもしれない。
この映画をアートムービーと謳っているプロモーションは皆無だが、これは紛れもなくアートムービーであり、ローリー・アンダーソンが創り出すイメージが自由気ままに交錯して行くだけの作品だ。自由で取り留めのないアートムービーという記述自体に拒否反応を起こすのであれば、決して見ない方がいい。恐らく時間の無駄であろう。
人の心の原風景、犬目線でのイメージ風景、ローリー・アンダーソンという人物の思い出、あらゆる映像と、終始ローリー・アンダーソンの声でもって語られるポエムが補完し合いながら展開していく。
観賞後どんな作品だったか具体的に思い出すことができないくらいに、複雑に映像が絡み合っていた。単に美しいだけではなく、味わい深い絵が次々と重ね合っていき、いつの間にか一人のアーティストから紡ぎ出される膨大なイメージに包み込まれていた。
犬の気持ち──幾多の悲しみを乗り越えてたどり着いた境地がそれだったのかもしれない。個人的なことを言うと、むかし母親が犬に生まれ変わりたいというようなことを言っていたことを思い出してしまった。とはいえ、決して感傷的な気持ちになるような映画ではなく、不思議と楽しい作品だったという印象がある。
確かに内容は全体において、いちアーティストの郷愁的なものを強く漂わせているけれども、決して涙を誘うものではないし、むしろ笑みがこぼれてしまうくらい楽しい作品だったという印象。
生を持つものであれば死というものは決して避けられないわけで、それをどう捉え受け止めていくか──ハート・オブ・ドッグ──それがローリー・アンダーソンにとっての人生を乗り越えていくヒントであったのかもしれない。
ビデオドラッグがごとく様々な映像を浴びせられたわけだが、最終的には哲学的な何かを感じさせるに至る、これまでにないアートムービーであった。
ダイ・ビューティフル
ダイ・ビューティフル(2016年・フィリピン)
原題:Die Beautiful
時間:120分
監督:ジュン・ロブレス・ラナ
原案:ジュン・ロブレス・ラナ
脚本:ロディ・ベラ
出演:パオロ・バレステロス
クリスチャン・バブレス
グラディス・レイエス
ジョエル・トーレ ほか
撮影監督:カルロ・メンドーサ
編集:ベン・トレンティーノ
作曲:リカルド・ゴンサレス
プロダクション・デザイナー:アンヘル・ディエスタ
鑑賞日:2016年11月2日 第29回東京国際映画祭コンペティション部門 ワールドプレミア
場所:TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン9 I-20
■ 作品解説(第29回東京国際映画祭 公式HPより)
美女コンテストで優勝したトランスジェンダーのトリシャが突然死してしまう。彼女の望みは、埋葬前に幾夜も行われる儀式で、毎回違うセレブの装いをまとうこと。友人たちは団結してトリシャの願いを叶えようとする。トリシャが生きた、カラフルでちょっと変わった一生を思い起こしながら。息子として、姉として、母として、友として、恋人として、妻として、そして女王としての人生を。
『ある理髪師の物語』(13)でユージン・ドミンゴにTIFF最優秀女優賞をもたらしたラナ監督新作は、またもや俳優が見事に際立つ作品である。トランスジェンダーのヒロインの笑いと涙に満ちた生涯と、レディ・ガガの姿で逝きたいという彼女の遺言を叶えようとする友人たちの姿を、巧みなフラッシュバックを駆使して感動的に描いてみせる。苦境をはねのける明るさと、生への肯定に満ちた人物像の創造こそが、ラナ監督の真骨頂であるといえる。驚異的な存在感を発揮する主演のパオロ・バレステロスは、フィリピンのバラエティ番組のホスト役などで活躍しており、有名人になりきるインパーソネーター、そしてメークアップ・アーティストとして知られている存在である。
▶ 映画館環境
第29回東京国際映画祭コンペティション部門
TOHOシネマズ六本木ヒルズ、スクリーン9、スクリーンサイズ5.3×12.7m、座席数258
I列は前方から9列目、劇場やや後方、プレミアシートの真後ろ、I-20席はスクリーン向かって右寄りの席。会場はほぼ満席。
▶ 作品レビュー
自らもLGBTだと公言している監督が、2014年に実際にフィリピンで起こったトランスジェンダー殺害事件に衝撃を受けて制作した作品だという。殺害という事実もさることながら、ネットなどに「トランスジェンダーは殺害されて当然」という趣旨の書き込みが多く見られたことに深い悲しみを覚え、LGBTへの無理解を少しでも払拭できたらという強い思いが込められている。
とはいえ、作品は全体的に華やかで楽しいものであり、非常に感動的。と同時に、LGBTへの偏見や迫害といった要素もしっかりと盛り込まれており、それをはねのけて華々しく散っていくトランスジェンダーの姿が描かれている。まさに、実際にあった殺害事件とは真逆の死を創り出そうという意図も感じる。
正直にいうと、映画のように男性として生まれてきたトランスジェンダーがミスコンに出場してトップを目指すという気持ちなど全く理解できないし、そういった人たちが養子をもうけて本当に大丈夫なのかという偏見すら持っている。
しかし、それは個人的な想像の域を超えないものであり、経験値とか実際のデータといったものなどを全く無視した見識、つまりはLGBTに対する無理解の何ものでもない。
実際に監督自らLGBTとして養子を育てているというし、その経験が作品に反映されていることは間違いない。そういったことからも、この作品には根拠のない偏見を打ち崩すだけの力が秘められているといえよう。
劇中特に印象深いものとして、女性有名人になり切るメイキャップというものが挙げられる。日本でいうと、ちょうど“ざわちん”がメイクで誰かに変身するようなものであり、この映画では棺桶の中のトリシャが衣装やメイクを駆使しアンジーやガガになり切っている。その変身は見事なもので、単に似ているというものを超越した美しさがあり、そこのところの美を少しでも感じとることができれば、LGBTに対する見識は少しでも変わるのではなかろうかと思ったほど。
罵声を浴びせられながら死んでゆくのではなく、セレブリティとして華麗に死にゆくトランスジェンダーにぜひとも喝采を浴びせてほしい。
この印象的なメイク、なんとトリシャ役のパオロ・バレステロスが自ら施したものだというから驚いてしまう。もともと、こういったメイクが得意だったらしく、有名人になり切って死んでいくという設定も、たまたまパオロ・バレステロスがそういった能力を有していたということから映画の中に反映させたという。トリシャという存在をいかに美しく捉えるかということを常に考え、制作手法もそれに沿って変化していったという。それがTIFF2016最優秀主演男優賞という結果に繋がったことは間違いなかろう。
そして何よりもこの作品がTIFF2016観客賞を受賞したという事実。多くの人が美しく華麗に散っていったトランスジェンダーに賞賛を送ったということだ。
コンペティション上映終了後、まだ各賞が発表される前、制作陣と観客のQ&Aセッションが行われ、観客から発せられる絶賛の声に監督が思わず涙ぐんでいたのが強く印象に残っている。そこには映画制作という枠を超えた歓喜があった。
この一本でLGBTへの偏見が完全に払拭されるはずはないけれど、何かしらの変化は期待できる。とはいえ、小難しく考えずに、気軽に見て笑って涙してほしい。作品を見て楽しむことが、LGBTへの理解に繋がっていくはずだ。
原題:Die Beautiful
時間:120分
監督:ジュン・ロブレス・ラナ
原案:ジュン・ロブレス・ラナ
脚本:ロディ・ベラ
出演:パオロ・バレステロス
クリスチャン・バブレス
グラディス・レイエス
ジョエル・トーレ ほか
撮影監督:カルロ・メンドーサ
編集:ベン・トレンティーノ
作曲:リカルド・ゴンサレス
プロダクション・デザイナー:アンヘル・ディエスタ
鑑賞日:2016年11月2日 第29回東京国際映画祭コンペティション部門 ワールドプレミア
場所:TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン9 I-20
■ 作品解説(第29回東京国際映画祭 公式HPより)
美女コンテストで優勝したトランスジェンダーのトリシャが突然死してしまう。彼女の望みは、埋葬前に幾夜も行われる儀式で、毎回違うセレブの装いをまとうこと。友人たちは団結してトリシャの願いを叶えようとする。トリシャが生きた、カラフルでちょっと変わった一生を思い起こしながら。息子として、姉として、母として、友として、恋人として、妻として、そして女王としての人生を。
『ある理髪師の物語』(13)でユージン・ドミンゴにTIFF最優秀女優賞をもたらしたラナ監督新作は、またもや俳優が見事に際立つ作品である。トランスジェンダーのヒロインの笑いと涙に満ちた生涯と、レディ・ガガの姿で逝きたいという彼女の遺言を叶えようとする友人たちの姿を、巧みなフラッシュバックを駆使して感動的に描いてみせる。苦境をはねのける明るさと、生への肯定に満ちた人物像の創造こそが、ラナ監督の真骨頂であるといえる。驚異的な存在感を発揮する主演のパオロ・バレステロスは、フィリピンのバラエティ番組のホスト役などで活躍しており、有名人になりきるインパーソネーター、そしてメークアップ・アーティストとして知られている存在である。
▶ 映画館環境
第29回東京国際映画祭コンペティション部門
TOHOシネマズ六本木ヒルズ、スクリーン9、スクリーンサイズ5.3×12.7m、座席数258
I列は前方から9列目、劇場やや後方、プレミアシートの真後ろ、I-20席はスクリーン向かって右寄りの席。会場はほぼ満席。
▶ 作品レビュー
自らもLGBTだと公言している監督が、2014年に実際にフィリピンで起こったトランスジェンダー殺害事件に衝撃を受けて制作した作品だという。殺害という事実もさることながら、ネットなどに「トランスジェンダーは殺害されて当然」という趣旨の書き込みが多く見られたことに深い悲しみを覚え、LGBTへの無理解を少しでも払拭できたらという強い思いが込められている。
とはいえ、作品は全体的に華やかで楽しいものであり、非常に感動的。と同時に、LGBTへの偏見や迫害といった要素もしっかりと盛り込まれており、それをはねのけて華々しく散っていくトランスジェンダーの姿が描かれている。まさに、実際にあった殺害事件とは真逆の死を創り出そうという意図も感じる。
正直にいうと、映画のように男性として生まれてきたトランスジェンダーがミスコンに出場してトップを目指すという気持ちなど全く理解できないし、そういった人たちが養子をもうけて本当に大丈夫なのかという偏見すら持っている。
しかし、それは個人的な想像の域を超えないものであり、経験値とか実際のデータといったものなどを全く無視した見識、つまりはLGBTに対する無理解の何ものでもない。
実際に監督自らLGBTとして養子を育てているというし、その経験が作品に反映されていることは間違いない。そういったことからも、この作品には根拠のない偏見を打ち崩すだけの力が秘められているといえよう。
劇中特に印象深いものとして、女性有名人になり切るメイキャップというものが挙げられる。日本でいうと、ちょうど“ざわちん”がメイクで誰かに変身するようなものであり、この映画では棺桶の中のトリシャが衣装やメイクを駆使しアンジーやガガになり切っている。その変身は見事なもので、単に似ているというものを超越した美しさがあり、そこのところの美を少しでも感じとることができれば、LGBTに対する見識は少しでも変わるのではなかろうかと思ったほど。
罵声を浴びせられながら死んでゆくのではなく、セレブリティとして華麗に死にゆくトランスジェンダーにぜひとも喝采を浴びせてほしい。
この印象的なメイク、なんとトリシャ役のパオロ・バレステロスが自ら施したものだというから驚いてしまう。もともと、こういったメイクが得意だったらしく、有名人になり切って死んでいくという設定も、たまたまパオロ・バレステロスがそういった能力を有していたということから映画の中に反映させたという。トリシャという存在をいかに美しく捉えるかということを常に考え、制作手法もそれに沿って変化していったという。それがTIFF2016最優秀主演男優賞という結果に繋がったことは間違いなかろう。
そして何よりもこの作品がTIFF2016観客賞を受賞したという事実。多くの人が美しく華麗に散っていったトランスジェンダーに賞賛を送ったということだ。
コンペティション上映終了後、まだ各賞が発表される前、制作陣と観客のQ&Aセッションが行われ、観客から発せられる絶賛の声に監督が思わず涙ぐんでいたのが強く印象に残っている。そこには映画制作という枠を超えた歓喜があった。
この一本でLGBTへの偏見が完全に払拭されるはずはないけれど、何かしらの変化は期待できる。とはいえ、小難しく考えずに、気軽に見て笑って涙してほしい。作品を見て楽しむことが、LGBTへの理解に繋がっていくはずだ。
永い言い訳
永い言い訳(2016年・日本)
公開日:2016年10月14日
配給:アスミック・エース
時間:124分
監督:西川美和
原作:西川美和
脚本:西川美和
出演:本木雅弘/衣笠幸夫(津村啓)
竹原ピストル/大宮陽一
藤田健心/大宮真平
白鳥玉季/大宮灯
堀内敬子/大宮ゆき
池松壮亮/岸本信介
黒木華/福永智尋
山田真歩/鏑木優子
深津絵里/衣笠夏子
松岡依都美/栗田琴江
岩井秀人/桑名弘一郎
康すおん/大下潤之介
戸次重幸/田原尚也
淵上泰史/甲斐くん
ジジ・ぶぅ/増田耕作
小林勝也/山本康三
木村多江/安藤奈緒美(声)
マキタスポーツ/ラジオパーソナリティ(声)
サンキュータツオ/ラジオパーソナリティ(声)
プチ鹿島/ラジオパーソナリティ(声)ほか
製作:川城和実、中江康人、太田哲夫、長澤修一、松井清人、岩村卓
プロデューサー:西川朝子、代情明彦
撮影:山崎裕
照明:山本浩資
録音:白取貢
美術:三ツ松けいこ
編集:宮島竜治
衣装:小林身和子
ヘアメイク:酒井夢月
サウンドエフェクト:北田雅也
挿入歌:手嶌葵「オンブラ・マイ・フ」
キャスティング:田端利江
助監督:久万真路、菊池清嗣
制作担当:白石治
鑑賞日:2016年11月2日
場所:TOHOシネマズ新宿 スクリーン8 I-12
■ ストーリー(公式HPより)
妻を亡くした男と、母を亡くした子供たち。
その不思議な出会いから、
「あたらしい家族」の物語が動き始める。
人気作家の津村啓こと衣笠幸夫(きぬがささちお)は、妻が旅先で不慮の事故に遭い、親友とともに亡くなったと知らせを受ける。その時不倫相手と密会していた幸夫は、世間に対して悲劇の主人公を装うことしかできない。そんなある日、妻の親友の遺族─トラック運転手の夫・陽一とその子供たちに出会った幸夫は、太下思いつきから幼い彼らの世話を買って出る。保育園に通う灯(あかり)と、妹の世話のため中学受験を諦めようとしていた兄の真平。子供を持たない幸夫は、誰かのために生きる幸せを初めて知り、虚しかった毎日が輝き出すのだが…
ひとを愛することの「素晴らしさと歯がゆさ」を描ききった。
観る者すべての感情をかきみだす、かつてないラブストーリー。
「おくりびと」以来7年ぶりに主人公・幸夫を演じるのは、「日本でいちばん長い日」で賞レースを席巻した本木雅弘。イメージを大きく覆し新境地に挑み、歪んだ自意識とコンプレックスに溺れるタレント小説家を人間味たっぷりのチャーミングな人物に見事に昇華させた。陽一にはミュージシャンの竹原ピストルを抜擢、幸夫の妻に深津理絵、さらに、池松壮亮、黒木華、山田真歩など贅沢な共演陣が、緊張感と豊かさをスクリーンに焼き付ける。約1年の撮影期間を経て成長を遂げていく子役たちの予測不能な演技にも魅了される。原作・脚本・監督を手掛けたのは、「ゆれる」「ディア・ドクター」「夢売るふたり」に続くオリジナル脚本を書き下ろし、本作の原作で直木賞候補となった西川美和。自ら集大成と語る通り、卓越したストーリーテリングと強烈な心理描写が研ぎすまされ、かつてない優しさと希望にあふれた、「感動作」となった。観る者は、いつしか物語に深く入り込み、主人公たちとともに悩み、迷い、そしてしたたかな幸福感に涙するだろう。
原作・脚本・監督/西川美和
1974年7月8日広島県出身。早稲田大学第一文学部卒。大学在学中より、映画「ワンダフルライフ」(99/是枝裕和監督)にスタッフとして参加。以後、フリーランスの助監督を経て、2002年「蛇イチゴ」でオリジナル脚本・監督デビュー。第58回毎日映画コンクール・脚本賞ほか数々の国内の映画賞の新人賞を獲得。06年、長編二作目となる「ゆれる」が異例のロングランヒットを記録。第59回カンヌ国際映画祭監督週間に正式に出品された他、第49回ブルーリボン賞他国内主要映画賞も総なめにする。長編第三作目の09年「ディア・ドクター」も、第33回モントリオール世界映画祭コンペティション部門に正式出品され、第83回キネマ旬報ベスト・テン日本映画ベスト・テン第1位、第33回日本アカデミー賞最優秀脚本賞など数多くの賞を受賞。長編四作目の12年「夢を売るふたり」も、第37回トロント国際映画祭スペシャル・プレゼンテーション部門正式出品をはじめとし、国内外で賞賛を受けた。また、映画界での活躍意外に小説・エッセイの執筆も手掛け、「ゆれる」のノベライズで第20回三島由紀夫賞候補、「ディア・ドクター」のアナザー・シトーリーで「きのうの神様」で第141回直木賞候補、「永い言い訳」で第153回直木賞候補・2016年本屋大賞候補となった。その他「その日東京駅五時二十五分発」「映画にまつわるXについて」などがある。一貫してオリジナルストーリーに挑み、常にその創作活動が熱い注目を浴びる映画監督。
▶ 映画館環境
TOHOシネマズ新宿 スクリーン8
座席数90 スクリーンサイズ3.2×7.6m 比較的小規模な箱
I-12は最後列、スクリーン向かって右端の席。
個人的にTOHOシネマズの小箱は最後列が好み。
上映回数が少ないうえに小箱での上映であるためか、非常に混んでいた。
女性客が多かった。
▶ 作品レビュー
この作品に興味を持ったきっかけは、原作でもなく、監督でもなく、竹原ピストルというミュージシャンが出ているからだった。といいつつも、ミュージシャン竹原ピストルの大ファンというわけではない。ある映画で流れる竹原ピストルの音楽とライブ映像を見て、非常に気になる存在になっていてた。
この映画を見て、ミュージシャンなのにいい演技するなぁなどとただただ感心するだけだったのは、単に自分が無知なだけだった。そもそも彼は俳優デビューの方が早かったのだと後々知る。
主演はあくまで本木雅弘であり、終始、衣笠幸夫/津村啓を演じる大スター中心に物語が展開していく。しかし、魅力的に描かれているのはどう見ても、竹原ピストルが演じる大宮陽一であり大宮家の子供たち。そのように仕向けているのは明白に感じるし、大スターをいかにナチュラルに大宮家に溶け込ませるか、そこに注力が注がれていたように思う。
これも映画を見終わった後に知ったことではあるが、この映画は16ミリフィルムで撮影されているといったことが、いかに衣笠幸夫という存在を消し去ろうとしていたかが窺える。
本木雅弘という役者を衣笠幸夫にしようとしていたのではなく、あくまで本木雅弘という個人が他人の子を育てる様を見せようとしていた、個人的にはそう感じた映画だった。
大宮家の中に大スターが入っていく様、まさにそれが重要だったはずで、それ故に竹原ピストルであり本木雅弘だったわけだと、至極納得できた。
話自体は特殊なもので、それでいて非現実的な話でもなく少なからず似たような境遇は現実世界でも有り得ることだろうし、だからこそ創り上げられたリアリティーをより真実味があるようにするためのアイテムとして16ミリはうまく使われていたような気がする。それでいて、画質の粗さとか劣悪感など全く感じなかったし、むしろ16ミリ撮影などとは全く気づかずにこの作品を見ていた。それも、本木雅弘という大きな存在をうまく使っていたからなのかなと、今にして勝手に思っている。
それにしても、西川美和監督がこういった作品を創り上げたのは、男子もしっかり子育てしろよということなのだろうかと、勝手に下衆の勘繰りなどしてしまう。
まあ、そんな雰囲気は微塵もなかったわけで、むしろ母親が夭折してしまった家族のエールみたいなものが滲み出ていた。
個人的には西川美和監督を初体験。小説を書きそれが評価され、そしてそれを自らが映画化してしまうなんて、まるで大谷翔平を見るような印象。
今回の映画だけを見る限り、印象としては、是枝裕和監督の系譜を受け継ぐような作風に見えた。ドキュメンタリータッチという面と子供をナチュラルに捉えているという面において、そう感じた。手法において似ていると思っただけで、内容と絵づくりに関してはまるで違うと思ったわけだけれど─。
結局は大人の都合で子供が振り回される展開になっているけれど、子供も大人を利用しつつ、互いにとって有益なものを手にしていくのではと感じさせてくれるので幸福感を得ることができた。
いきなり人の死というものに晒されてしまう映画だが、それをいかに克服していくかということが重要だなと今さらながらに思い知らされる。この作品のように死という不幸をも新しいきっかけとして、悲しみというものをしっかりと受け入れつつも、新たな幸福を向かい入れることができたらなと願うばかり。何かを失ってさらにまた何かを失うことなく、むしろその代わりに失った何倍もの恩恵を得ることができたらなと、ただただそう願うばかり。そんな気持ちになってしまった映画であった。
公開日:2016年10月14日
配給:アスミック・エース
時間:124分
監督:西川美和
原作:西川美和
脚本:西川美和
出演:本木雅弘/衣笠幸夫(津村啓)
竹原ピストル/大宮陽一
藤田健心/大宮真平
白鳥玉季/大宮灯
堀内敬子/大宮ゆき
池松壮亮/岸本信介
黒木華/福永智尋
山田真歩/鏑木優子
深津絵里/衣笠夏子
松岡依都美/栗田琴江
岩井秀人/桑名弘一郎
康すおん/大下潤之介
戸次重幸/田原尚也
淵上泰史/甲斐くん
ジジ・ぶぅ/増田耕作
小林勝也/山本康三
木村多江/安藤奈緒美(声)
マキタスポーツ/ラジオパーソナリティ(声)
サンキュータツオ/ラジオパーソナリティ(声)
プチ鹿島/ラジオパーソナリティ(声)ほか
製作:川城和実、中江康人、太田哲夫、長澤修一、松井清人、岩村卓
プロデューサー:西川朝子、代情明彦
撮影:山崎裕
照明:山本浩資
録音:白取貢
美術:三ツ松けいこ
編集:宮島竜治
衣装:小林身和子
ヘアメイク:酒井夢月
サウンドエフェクト:北田雅也
挿入歌:手嶌葵「オンブラ・マイ・フ」
キャスティング:田端利江
助監督:久万真路、菊池清嗣
制作担当:白石治
鑑賞日:2016年11月2日
場所:TOHOシネマズ新宿 スクリーン8 I-12
■ ストーリー(公式HPより)
妻を亡くした男と、母を亡くした子供たち。
その不思議な出会いから、
「あたらしい家族」の物語が動き始める。
人気作家の津村啓こと衣笠幸夫(きぬがささちお)は、妻が旅先で不慮の事故に遭い、親友とともに亡くなったと知らせを受ける。その時不倫相手と密会していた幸夫は、世間に対して悲劇の主人公を装うことしかできない。そんなある日、妻の親友の遺族─トラック運転手の夫・陽一とその子供たちに出会った幸夫は、太下思いつきから幼い彼らの世話を買って出る。保育園に通う灯(あかり)と、妹の世話のため中学受験を諦めようとしていた兄の真平。子供を持たない幸夫は、誰かのために生きる幸せを初めて知り、虚しかった毎日が輝き出すのだが…
ひとを愛することの「素晴らしさと歯がゆさ」を描ききった。
観る者すべての感情をかきみだす、かつてないラブストーリー。
「おくりびと」以来7年ぶりに主人公・幸夫を演じるのは、「日本でいちばん長い日」で賞レースを席巻した本木雅弘。イメージを大きく覆し新境地に挑み、歪んだ自意識とコンプレックスに溺れるタレント小説家を人間味たっぷりのチャーミングな人物に見事に昇華させた。陽一にはミュージシャンの竹原ピストルを抜擢、幸夫の妻に深津理絵、さらに、池松壮亮、黒木華、山田真歩など贅沢な共演陣が、緊張感と豊かさをスクリーンに焼き付ける。約1年の撮影期間を経て成長を遂げていく子役たちの予測不能な演技にも魅了される。原作・脚本・監督を手掛けたのは、「ゆれる」「ディア・ドクター」「夢売るふたり」に続くオリジナル脚本を書き下ろし、本作の原作で直木賞候補となった西川美和。自ら集大成と語る通り、卓越したストーリーテリングと強烈な心理描写が研ぎすまされ、かつてない優しさと希望にあふれた、「感動作」となった。観る者は、いつしか物語に深く入り込み、主人公たちとともに悩み、迷い、そしてしたたかな幸福感に涙するだろう。
原作・脚本・監督/西川美和
1974年7月8日広島県出身。早稲田大学第一文学部卒。大学在学中より、映画「ワンダフルライフ」(99/是枝裕和監督)にスタッフとして参加。以後、フリーランスの助監督を経て、2002年「蛇イチゴ」でオリジナル脚本・監督デビュー。第58回毎日映画コンクール・脚本賞ほか数々の国内の映画賞の新人賞を獲得。06年、長編二作目となる「ゆれる」が異例のロングランヒットを記録。第59回カンヌ国際映画祭監督週間に正式に出品された他、第49回ブルーリボン賞他国内主要映画賞も総なめにする。長編第三作目の09年「ディア・ドクター」も、第33回モントリオール世界映画祭コンペティション部門に正式出品され、第83回キネマ旬報ベスト・テン日本映画ベスト・テン第1位、第33回日本アカデミー賞最優秀脚本賞など数多くの賞を受賞。長編四作目の12年「夢を売るふたり」も、第37回トロント国際映画祭スペシャル・プレゼンテーション部門正式出品をはじめとし、国内外で賞賛を受けた。また、映画界での活躍意外に小説・エッセイの執筆も手掛け、「ゆれる」のノベライズで第20回三島由紀夫賞候補、「ディア・ドクター」のアナザー・シトーリーで「きのうの神様」で第141回直木賞候補、「永い言い訳」で第153回直木賞候補・2016年本屋大賞候補となった。その他「その日東京駅五時二十五分発」「映画にまつわるXについて」などがある。一貫してオリジナルストーリーに挑み、常にその創作活動が熱い注目を浴びる映画監督。
▶ 映画館環境
TOHOシネマズ新宿 スクリーン8
座席数90 スクリーンサイズ3.2×7.6m 比較的小規模な箱
I-12は最後列、スクリーン向かって右端の席。
個人的にTOHOシネマズの小箱は最後列が好み。
上映回数が少ないうえに小箱での上映であるためか、非常に混んでいた。
女性客が多かった。
▶ 作品レビュー
この作品に興味を持ったきっかけは、原作でもなく、監督でもなく、竹原ピストルというミュージシャンが出ているからだった。といいつつも、ミュージシャン竹原ピストルの大ファンというわけではない。ある映画で流れる竹原ピストルの音楽とライブ映像を見て、非常に気になる存在になっていてた。
この映画を見て、ミュージシャンなのにいい演技するなぁなどとただただ感心するだけだったのは、単に自分が無知なだけだった。そもそも彼は俳優デビューの方が早かったのだと後々知る。
主演はあくまで本木雅弘であり、終始、衣笠幸夫/津村啓を演じる大スター中心に物語が展開していく。しかし、魅力的に描かれているのはどう見ても、竹原ピストルが演じる大宮陽一であり大宮家の子供たち。そのように仕向けているのは明白に感じるし、大スターをいかにナチュラルに大宮家に溶け込ませるか、そこに注力が注がれていたように思う。
これも映画を見終わった後に知ったことではあるが、この映画は16ミリフィルムで撮影されているといったことが、いかに衣笠幸夫という存在を消し去ろうとしていたかが窺える。
本木雅弘という役者を衣笠幸夫にしようとしていたのではなく、あくまで本木雅弘という個人が他人の子を育てる様を見せようとしていた、個人的にはそう感じた映画だった。
大宮家の中に大スターが入っていく様、まさにそれが重要だったはずで、それ故に竹原ピストルであり本木雅弘だったわけだと、至極納得できた。
話自体は特殊なもので、それでいて非現実的な話でもなく少なからず似たような境遇は現実世界でも有り得ることだろうし、だからこそ創り上げられたリアリティーをより真実味があるようにするためのアイテムとして16ミリはうまく使われていたような気がする。それでいて、画質の粗さとか劣悪感など全く感じなかったし、むしろ16ミリ撮影などとは全く気づかずにこの作品を見ていた。それも、本木雅弘という大きな存在をうまく使っていたからなのかなと、今にして勝手に思っている。
それにしても、西川美和監督がこういった作品を創り上げたのは、男子もしっかり子育てしろよということなのだろうかと、勝手に下衆の勘繰りなどしてしまう。
まあ、そんな雰囲気は微塵もなかったわけで、むしろ母親が夭折してしまった家族のエールみたいなものが滲み出ていた。
個人的には西川美和監督を初体験。小説を書きそれが評価され、そしてそれを自らが映画化してしまうなんて、まるで大谷翔平を見るような印象。
今回の映画だけを見る限り、印象としては、是枝裕和監督の系譜を受け継ぐような作風に見えた。ドキュメンタリータッチという面と子供をナチュラルに捉えているという面において、そう感じた。手法において似ていると思っただけで、内容と絵づくりに関してはまるで違うと思ったわけだけれど─。
結局は大人の都合で子供が振り回される展開になっているけれど、子供も大人を利用しつつ、互いにとって有益なものを手にしていくのではと感じさせてくれるので幸福感を得ることができた。
いきなり人の死というものに晒されてしまう映画だが、それをいかに克服していくかということが重要だなと今さらながらに思い知らされる。この作品のように死という不幸をも新しいきっかけとして、悲しみというものをしっかりと受け入れつつも、新たな幸福を向かい入れることができたらなと願うばかり。何かを失ってさらにまた何かを失うことなく、むしろその代わりに失った何倍もの恩恵を得ることができたらなと、ただただそう願うばかり。そんな気持ちになってしまった映画であった。
ミスター・ノー・プロブレム
ミスター・ノー・プロブレム(2016年・中国)
原題:Mr. No Problem [ 不成问题的问题 ]
公開日:(日)2016年10月29日(第29回東京国際映画祭)
制作会社:Mare Nostrum Productions,Youth Film Studio
時間:144分 モノクロ
監督:メイ・フォン 梅峰
原作:老舎
脚本:メイ・フォン 梅峰
出演:ファン・ウェイ(ディン・ウーユアン)
イン・タオ(ミン・シア)
シー・イーホン(シェン・ユエメイ)
チャン・チャオ(チン・ミャオジャイ)
ワン・ハンバン(ヨウ・ターシン)
ワン・ズートン(トン・イーファン) ほか
エグゼクティブ・プロデューサー:ユイ・ジエンホン
プロデューサー:ホウ・グアンミン、ウー・マンファン
共同プロデューサー:グオ・ヨンハオ、チョウ・キョン
編集:リャオ・チンソン
撮影監督:チュー・ジンジン
鑑賞日:2016年11月2日
場所:TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン9 D-9
■ 作品解説
重慶のシューファー農場は、生産性は高いが利益につながらない。雇われ番頭のディンは、収入を増やすために自称芸術家のチンに空き部屋を貸すことにする。ディンと従業員たちの癒着に不満を抱いた農場所有者は、ディンをクビにしようとするが、便宜を受けているチンが反対する。それでも所有者一家は近代的発想を持つ新しい経営者を雇用することにし、騒ぎは大きくなっていく。
ロウ・イエ監督の脚本家として名高いメイ・フォンは、自らの初監督作として、中国近代文学において魯迅と並び称される作家である老舎が、1943年に発表した短編小説を選んだ。富裕家族と番頭さん、軽薄な若者に、近代的経営者など、個性的な面々が行き交い、軽やかな味わいの作品世界を彩っていく。戦火の気配は遠くに感じるのみであり、一種のパラダイスの中で進行する物語が、来るべき新時代の空気を予見する。作品のトーンとして「リアリズムと印象派の釣り合いを求めた」と監督は語り、様式美を備えた品格あるモノクロ映像として見事に結実している。監督としての確かな力量を証明する堂々たるデビュー作である。
第29回東京国際映画祭
最優秀芸術貢献賞 Award for Best Artistic Conrtribution 受賞
▶ 映画館環境
第29回東京国際映画祭オープニング作品
TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン9
スクリーンサイズ5.3×12.7m、座席数258
D-9は前から4列目、スクリーン向かってやや左寄り、スクリーンが大きいためやや近すぎるかもしれない。迫力は十分だが少々疲れる。
朝早い上映のためか空席が目立った。
▶ 作品レビュー
長いうえに静的なロングショットの多様、しかも白黒、典型的な眠気を誘う芸術映画。だからこその最優秀芸術貢献賞の受賞なのだろうか…申し訳ないけれど、自分にはこの賞の受賞をこんな皮肉としてとしか捉えることができない。
決して作品を卑下しているのではなく、敢えて選択した勇気に対して高尚なレッテル貼るようなことをするのは、どうなのかなーという個人的な愚問、いや疑問を感じたまでのこと。
率直に言うと、自分はこの作品に好感を持てた。その理由は、絵的な芸術性などが優れていたと感じたからではなく、作品の中に漂う人間味を実に見事に表現していると感じたためだ。敢えて色味を消した絵づくりも、人と人との関係性を色濃く描き出すためのもの(と勝手に想像する)─ちょうど小津映画のごとく…ああ、だから芸術貢献賞?(とこれもまた勝手に想像)、引用が多少古くさいが─。
そもそも作風が自体が古くさいく、それは時代の雰囲気を大事にしたからこそと(勝手に)思うわけで、古くさくした意図はそれ以外にないだろう。だからといって芸術性がないなどと言うのではなく、結果として芸術的であったかどうか─個人的にはそういった部分を見出すことができなかっただけのこと。
まあ、どうでもいいことであり、受賞は紛れもなく栄誉なこと。ただ、その賞のためにこの作品が勘違いされないかと危惧するところではある─そんなこと言う立場ではないけれど…。
原作は老舎の短編ということだが、老舎という作家すら知らず。魯迅と並び称される作家と記されていたけれど、魯迅を知れど老舎は知らず。今度読もう。
監督はなぜこの老舎の短編を映画にしようと思ったのか次のように語っていた。
北京出身の老舎が描く作品は北京の事柄が多く、都会を離れた農村のことを書いたものを他に知らない。老舎の作品でも特殊なものであり、それ故に強く惹かれていった──
正確ではないかもしれないが、そういった趣旨のことを言っていた。
何となく、白黒、ロングショットの方向性が見え隠れするコメントのような気がした。シンプルな絵づくり、そして題名「ミスター・ノー・プロブレム」、ただその情報だけがこの作品のすべてのような気がする。牧歌的な世界の中で、小さなユーモアが展開していく、ただそれだけの作品。それだけをもとに観賞すべき作品だと個人的には思う。芸術性がどうのこうのとか、原作は抗日運動に尽力しながら文革の犠牲となった悲劇の大作家・老舎が書いたものとかという知識は、映画を見終わった後に改めて参考にしたり比較検証した方がいいのかもしれない。
逆に、そういった事前の知識が豊富であれば、この作品をアーティスティックな作品だと思えるのかもしれない。そう思えなかったのは単に自分が無知なだけ…
それでも、個人的にはこの映画の本質は芸術性なんかよりも人間の機微を堪能することにあると思う。
いずれにせよ、淡々と動きの少ない映像が長く続くだけに、相当の覚悟がいる映画であることは間違いない。強い意志を持つ意味においても最優秀芸術貢献賞という冠が役に立つかも…って最後まで賞に関しては皮肉れた見方で申し訳ありません。
原題:Mr. No Problem [ 不成问题的问题 ]
公開日:(日)2016年10月29日(第29回東京国際映画祭)
制作会社:Mare Nostrum Productions,Youth Film Studio
時間:144分 モノクロ
監督:メイ・フォン 梅峰
原作:老舎
脚本:メイ・フォン 梅峰
出演:ファン・ウェイ(ディン・ウーユアン)
イン・タオ(ミン・シア)
シー・イーホン(シェン・ユエメイ)
チャン・チャオ(チン・ミャオジャイ)
ワン・ハンバン(ヨウ・ターシン)
ワン・ズートン(トン・イーファン) ほか
エグゼクティブ・プロデューサー:ユイ・ジエンホン
プロデューサー:ホウ・グアンミン、ウー・マンファン
共同プロデューサー:グオ・ヨンハオ、チョウ・キョン
編集:リャオ・チンソン
撮影監督:チュー・ジンジン
鑑賞日:2016年11月2日
場所:TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン9 D-9
■ 作品解説
重慶のシューファー農場は、生産性は高いが利益につながらない。雇われ番頭のディンは、収入を増やすために自称芸術家のチンに空き部屋を貸すことにする。ディンと従業員たちの癒着に不満を抱いた農場所有者は、ディンをクビにしようとするが、便宜を受けているチンが反対する。それでも所有者一家は近代的発想を持つ新しい経営者を雇用することにし、騒ぎは大きくなっていく。
ロウ・イエ監督の脚本家として名高いメイ・フォンは、自らの初監督作として、中国近代文学において魯迅と並び称される作家である老舎が、1943年に発表した短編小説を選んだ。富裕家族と番頭さん、軽薄な若者に、近代的経営者など、個性的な面々が行き交い、軽やかな味わいの作品世界を彩っていく。戦火の気配は遠くに感じるのみであり、一種のパラダイスの中で進行する物語が、来るべき新時代の空気を予見する。作品のトーンとして「リアリズムと印象派の釣り合いを求めた」と監督は語り、様式美を備えた品格あるモノクロ映像として見事に結実している。監督としての確かな力量を証明する堂々たるデビュー作である。
第29回東京国際映画祭
最優秀芸術貢献賞 Award for Best Artistic Conrtribution 受賞
▶ 映画館環境
第29回東京国際映画祭オープニング作品
TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン9
スクリーンサイズ5.3×12.7m、座席数258
D-9は前から4列目、スクリーン向かってやや左寄り、スクリーンが大きいためやや近すぎるかもしれない。迫力は十分だが少々疲れる。
朝早い上映のためか空席が目立った。
▶ 作品レビュー
長いうえに静的なロングショットの多様、しかも白黒、典型的な眠気を誘う芸術映画。だからこその最優秀芸術貢献賞の受賞なのだろうか…申し訳ないけれど、自分にはこの賞の受賞をこんな皮肉としてとしか捉えることができない。
決して作品を卑下しているのではなく、敢えて選択した勇気に対して高尚なレッテル貼るようなことをするのは、どうなのかなーという個人的な愚問、いや疑問を感じたまでのこと。
率直に言うと、自分はこの作品に好感を持てた。その理由は、絵的な芸術性などが優れていたと感じたからではなく、作品の中に漂う人間味を実に見事に表現していると感じたためだ。敢えて色味を消した絵づくりも、人と人との関係性を色濃く描き出すためのもの(と勝手に想像する)─ちょうど小津映画のごとく…ああ、だから芸術貢献賞?(とこれもまた勝手に想像)、引用が多少古くさいが─。
そもそも作風が自体が古くさいく、それは時代の雰囲気を大事にしたからこそと(勝手に)思うわけで、古くさくした意図はそれ以外にないだろう。だからといって芸術性がないなどと言うのではなく、結果として芸術的であったかどうか─個人的にはそういった部分を見出すことができなかっただけのこと。
まあ、どうでもいいことであり、受賞は紛れもなく栄誉なこと。ただ、その賞のためにこの作品が勘違いされないかと危惧するところではある─そんなこと言う立場ではないけれど…。
原作は老舎の短編ということだが、老舎という作家すら知らず。魯迅と並び称される作家と記されていたけれど、魯迅を知れど老舎は知らず。今度読もう。
監督はなぜこの老舎の短編を映画にしようと思ったのか次のように語っていた。
北京出身の老舎が描く作品は北京の事柄が多く、都会を離れた農村のことを書いたものを他に知らない。老舎の作品でも特殊なものであり、それ故に強く惹かれていった──
正確ではないかもしれないが、そういった趣旨のことを言っていた。
何となく、白黒、ロングショットの方向性が見え隠れするコメントのような気がした。シンプルな絵づくり、そして題名「ミスター・ノー・プロブレム」、ただその情報だけがこの作品のすべてのような気がする。牧歌的な世界の中で、小さなユーモアが展開していく、ただそれだけの作品。それだけをもとに観賞すべき作品だと個人的には思う。芸術性がどうのこうのとか、原作は抗日運動に尽力しながら文革の犠牲となった悲劇の大作家・老舎が書いたものとかという知識は、映画を見終わった後に改めて参考にしたり比較検証した方がいいのかもしれない。
逆に、そういった事前の知識が豊富であれば、この作品をアーティスティックな作品だと思えるのかもしれない。そう思えなかったのは単に自分が無知なだけ…
それでも、個人的にはこの映画の本質は芸術性なんかよりも人間の機微を堪能することにあると思う。
いずれにせよ、淡々と動きの少ない映像が長く続くだけに、相当の覚悟がいる映画であることは間違いない。強い意志を持つ意味においても最優秀芸術貢献賞という冠が役に立つかも…って最後まで賞に関しては皮肉れた見方で申し訳ありません。
五日物語-3つの王国と3人の女-
五日物語 3つの王国と3人の女(2015年/イタリア・フランス合作)
原題:Il racconto dei racconti
公開日:(伊)2015年5月14日 (日)2016年11月25日
配給:(伊)01 Distribution (日)東北新社、STAR、CHANNEL MOVIES
時間:133分
監督:マッテオ・ガローネ
原作:ジャンバティスタ・バジーレ『ペンタメローネ(五日物語、Pentamerone)』
脚本:エドゥアルド・アルビナティ、ウーゴ・キーティ、マッテオ・ガローネ、マッシモ・ガウディオソ
出演:サルマ・ハエック(ロングトレリス国の女王)
バンサン・カッセルスト(ロングクリフ国の王)
トビー・ジョーンズ(ハイヒルズ国の王)
シャーリー・ヘンダーソン
ヘイリー・カーミッシェル
ベベ・ケイブ
ステイシー・マーティン
クリスチャン・リース
ジョナ・リース
ギヨーム・ドゥロネ
アルバ・ロルバケル
マッシモ・チェッケリーニ
ジョン・C・ライリー(ロングトレリス国の王) ほか
製作総指揮:アレッシオ・ラッツァレスキ、ピーター・ワトソン、ニッキー・ハッティング、アン・シーアン、シェリル・クラウン
撮影:ピーター・サシツキー
美術:マルコ・フルバト、マッシモ・ポーレット、ジャンパウロ・リフィーノ
衣装:マッシモ・カンティーニ・パッリーニ
編集:マルコ・スポレンティーニ
音楽:アレクサンドル・デプラ
鑑賞日:2016年11月1日 第29回東京国際映画祭 特越上映
場所:TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン9 D-12
■ イントロダクション INTRODUCTION (公式HPより)
カンヌに愛された映像美に世界が騒然!!
★贅沢は実写化!──ヴァラエティ誌
★最も目と耳に贅沢な映画だ!──スクリーン誌
★とてつもなくセクシーだ!──テレグラフ紙
★見事なまでに狂っていて、
綿密に想像された、素晴らしい映像美!──ガーディアン紙
★あなたが今年観た映画の中のどれにも似ていない!──マリ・クレール誌
若さと美貌を熱望し、まだ見ぬ世界に憧れる──
400年の時を経て、
世界最初のおとぎ話が描くのは、
現代と変わることのない女の“性(サガ)”
17世紀初頭にナポリ王国のジャンバティスタ・バレージにより生み出された世界最初のおとぎ話「ペンタメローネ[五日物語]」に描かれたのは、400年の時を経た現代とか割ることのない、残酷までの女の“性(サガ)”
3つの王国が君臨する世界。ある王国では、女王が“母となること”を追い求め、また、ある王国では、老婆が“若さと美貌”を熱望し、そして、もう一つの王国では、王女がまだ見ぬ“大人への世界への憧れ”を抱いていた。
やがて、それぞれの願いは叶えられるが、そこには皮肉な運命の裏切りが待っていた…
カンヌを2度制した鬼才:マッテオ・ガローネによる、
残酷で美しい大人のファンタジー
「シンデレラ」「白雪姫」の原形となる物語を含み、グリム兄弟にも多大な影響を与えた「ペンタメローネ[五日物語]」の物語の数々から選ばれた3つのストーリーを1つのテーマのもと結びつけ、独創的な美的感覚で映像化したのは、「ゴモラ」「リアリティー」で、カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリを2度受賞した鬼才監督:マッテオ・ガローネ。初となる英語での作品に、サルマ・ハエック、ヴァンサン・カッセルなど、誰もが知る国際的なキャストが集結。元画家の感性を十二分に発揮して、ゴヤの版画集や古典ホラー映画からのインスピレーションを得た壮麗な中に不気味さを漂わせる映像と、皮肉に満ちたストーリーが融合した、どんな映画にも似ていない、唯一無二の大人のファンタジーが誕生した!
まだ見ぬイタリアの歴史遺産を網羅した壮麗なロケーション
17世紀イタリアのバロック様式を再現するにあたって、イタリアを横断して歴史遺産ともいえる建物や、おとぎ話の世界そのものの景観での撮影を敢行。
3つの王国の城としてスクリーンにその荘厳な姿を現す、シチリアのドンナフガータ城、アブルッツォ州のロッカスカレーニャ城、世界遺産にも登録されたアンドリアのデルモンテ城の他、幻想的なアルカンタラ渓谷、ソヴァーナの洞窟など、我々の知るイタリアから一歩踏み込んだ、イタリア映画ならではの知る人ぞ知るロケーションも驚きの一つだ。
■ ストーリー STORY (公式HPより)
ハイヒルズ国の夢見る女王
まだ見ぬ大人の世界に憧れを抱きながら、王と共に城で暮らすハイヒルズ国の王女。城の外に出ることを切望する彼女の結婚相手に、王が決めたのは、屈強で醜いオーガ<鬼>だった。華やかな城から連れ出された、過酷な鬼の住処での生活に耐えながら、王女は逃げ出す機会を伺っていた…
ロングトレリス国の不妊の女王
不妊に悩むロングトレリス国の女王は、魔法使いの教え通り、王国の命と引き換えに得た
怪物の心臓を食べて、美しい男の子を出産する。成長した彼は、同じ怪物の心臓のもと生まれた下女の息子と兄弟のような友情に結ばれ、親離れの年頃となっていったが、女王はそれが不満でならなかった…
ストロングクリフ国の二人の老婆
人目を避けて細々と暮らす老婆の姉妹。好色なストロングクリフ国の王に、
その美しい声を見初められた姉は、不思議な力で若さと美貌を取り戻し、妃の座に収まるが、見捨てられた妹も、若さと美貌を熱望していた…
▶ 映画館環境
第29回東京国際映画祭オープニング作品
TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン9
スクリーンサイズ5.3×12.7m、座席数258
D-12は前から4列目、スクリーン向かってほぼ真ん中、スクリーンが大きいためやや近すぎるかもしれない。迫力は十分だが少々疲れる。
ほぼ満席。
デルモンテ城、ロッカスカレーニャ城、ドンナフガータ城という現存するイタリアの古城を舞台に、中世ヨーロッパの妖しい美と飽くなき欲望が渦巻いていく。
原作がシンデレラやグリム童話の原形だというだけあって、非常にグロテスク。決して子供には見せることができない内容。しかしながら、その映像の美しさはハリウッドなどが描き出すお伽噺など凌駕するものであり、絵そのものに限っていえば、間違いなく老若男女を魅了する。でも、内容がグロすぎるので決して子供には見せたくないと思ってしまう。
ここまで徹底して煌びやかに残酷で異様な映画は今まで見たことがない。残酷さ奇怪さが際立っているものは数多くあれども、常に美しさを伴うグロさというものは容易に描けるものではないと思うし、仮に自分が過去の映画を知らなさすぎるだけだとしても、ここまで見事に醜怪を描ききっているものはないと言いきれるほどに魅惑的な映像だ。魅了されるとか嫌悪感を催すとか、そういった感情を超越して、もはや笑うしかない、個人的には終始そういった感情に見舞われた。
目の前に展開される妖しさに、どうしようもなく惹きこまれていき、どんなに残酷な展開であっても、そこに自分の身を置きたいと思ってしまう…まさに、禁断の欲望というべき映画といったところか──。
大きく3つに分類される物語の結末は、全て欲望が招く惨劇になっている。華麗で美しすぎるその映像のためなのか分からないけれども、それを教訓に禁欲的になるとかという感情よりも、むしろどんなに悲惨な結果に陥ろうともその欲望に浸ってしまいたいと思うほどに強欲になってしまった。
この映画はあまりに危険すぎる。見て、否定されて至極当然だと思うのだが、自分の欲に正直になればなるほど魅惑的に感じてしまい、それら欲に溺れてしまう気持ちに賛同しか覚えない。確かに、非常に緻密に丁寧に華麗に見事なまでに美しく仕上げられた映画であり、称賛されるべきものだと思う。しかし、この作品を多くの人が肯定するほどに世界の終わりも近づくのかなと思ってしまったりもする。まぁ、そんなことは有り得ないと思いつつ、もやはこの作品を体験した後ではこの作品が持つ危ない輝きを拭い去ることができないと一抹の不安を感じている。
といいつつも、自分の中にある貪欲をこの作品で全て消化してしまうこともまた可能かなとも思っている。そして清き正しき道を歩んでいけるのかなとも──。まぁそれこそ有り得ないことなのだけれど…。
原題:Il racconto dei racconti
公開日:(伊)2015年5月14日 (日)2016年11月25日
配給:(伊)01 Distribution (日)東北新社、STAR、CHANNEL MOVIES
時間:133分
監督:マッテオ・ガローネ
原作:ジャンバティスタ・バジーレ『ペンタメローネ(五日物語、Pentamerone)』
脚本:エドゥアルド・アルビナティ、ウーゴ・キーティ、マッテオ・ガローネ、マッシモ・ガウディオソ
出演:サルマ・ハエック(ロングトレリス国の女王)
バンサン・カッセルスト(ロングクリフ国の王)
トビー・ジョーンズ(ハイヒルズ国の王)
シャーリー・ヘンダーソン
ヘイリー・カーミッシェル
ベベ・ケイブ
ステイシー・マーティン
クリスチャン・リース
ジョナ・リース
ギヨーム・ドゥロネ
アルバ・ロルバケル
マッシモ・チェッケリーニ
ジョン・C・ライリー(ロングトレリス国の王) ほか
製作総指揮:アレッシオ・ラッツァレスキ、ピーター・ワトソン、ニッキー・ハッティング、アン・シーアン、シェリル・クラウン
撮影:ピーター・サシツキー
美術:マルコ・フルバト、マッシモ・ポーレット、ジャンパウロ・リフィーノ
衣装:マッシモ・カンティーニ・パッリーニ
編集:マルコ・スポレンティーニ
音楽:アレクサンドル・デプラ
鑑賞日:2016年11月1日 第29回東京国際映画祭 特越上映
場所:TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン9 D-12
■ イントロダクション INTRODUCTION (公式HPより)
カンヌに愛された映像美に世界が騒然!!
★贅沢は実写化!──ヴァラエティ誌
★最も目と耳に贅沢な映画だ!──スクリーン誌
★とてつもなくセクシーだ!──テレグラフ紙
★見事なまでに狂っていて、
綿密に想像された、素晴らしい映像美!──ガーディアン紙
★あなたが今年観た映画の中のどれにも似ていない!──マリ・クレール誌
世界最初のおとぎ話「ペンタメローネ[五日物語]」とは?
17世紀初頭、ナポリ王国のジャンパティスタ・バレージが執筆した民話集。51話から成立する話は、全く別の物語のように見えるが、実際には全てが関連付けられて物語が進んでいく仕掛けとなっている。世界最初の民話集で、「白雪姫」「シンデレラ」「長靴をはいた猫」など、後にシャルル・ペローやグリム兄弟によって取り上げられた物語の原形と考えられている。母となることを追い求め、
若さと美貌を熱望し、まだ見ぬ世界に憧れる──
400年の時を経て、
世界最初のおとぎ話が描くのは、
現代と変わることのない女の“性(サガ)”
17世紀初頭にナポリ王国のジャンバティスタ・バレージにより生み出された世界最初のおとぎ話「ペンタメローネ[五日物語]」に描かれたのは、400年の時を経た現代とか割ることのない、残酷までの女の“性(サガ)”
3つの王国が君臨する世界。ある王国では、女王が“母となること”を追い求め、また、ある王国では、老婆が“若さと美貌”を熱望し、そして、もう一つの王国では、王女がまだ見ぬ“大人への世界への憧れ”を抱いていた。
やがて、それぞれの願いは叶えられるが、そこには皮肉な運命の裏切りが待っていた…
カンヌを2度制した鬼才:マッテオ・ガローネによる、
残酷で美しい大人のファンタジー
「シンデレラ」「白雪姫」の原形となる物語を含み、グリム兄弟にも多大な影響を与えた「ペンタメローネ[五日物語]」の物語の数々から選ばれた3つのストーリーを1つのテーマのもと結びつけ、独創的な美的感覚で映像化したのは、「ゴモラ」「リアリティー」で、カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリを2度受賞した鬼才監督:マッテオ・ガローネ。初となる英語での作品に、サルマ・ハエック、ヴァンサン・カッセルなど、誰もが知る国際的なキャストが集結。元画家の感性を十二分に発揮して、ゴヤの版画集や古典ホラー映画からのインスピレーションを得た壮麗な中に不気味さを漂わせる映像と、皮肉に満ちたストーリーが融合した、どんな映画にも似ていない、唯一無二の大人のファンタジーが誕生した!
まだ見ぬイタリアの歴史遺産を網羅した壮麗なロケーション
17世紀イタリアのバロック様式を再現するにあたって、イタリアを横断して歴史遺産ともいえる建物や、おとぎ話の世界そのものの景観での撮影を敢行。
3つの王国の城としてスクリーンにその荘厳な姿を現す、シチリアのドンナフガータ城、アブルッツォ州のロッカスカレーニャ城、世界遺産にも登録されたアンドリアのデルモンテ城の他、幻想的なアルカンタラ渓谷、ソヴァーナの洞窟など、我々の知るイタリアから一歩踏み込んだ、イタリア映画ならではの知る人ぞ知るロケーションも驚きの一つだ。
■ ストーリー STORY (公式HPより)
3つの王国に渦巻く、それぞれの世代の女たちの欲望。
それの果てには、運命の裏切りが待っていた…
3つの王国が君臨する世界。
ある王国では、不妊に悩む女王が“母となること”を追い求め、国王の命と引き換えに美しい男の子を出産した。
また、ある王国では、老婆が熱望する“若さと美貌”を不思議な力で取り戻し、妃の座に収まった。
そして、もう一つの王国では、まだ見ぬ“大人の世界への憧れ”を抱く王女の結婚相手が決められようとしていた。
しかし、3人の女たちの欲望の果てには、皮肉な運命の裏切りが待っていた…。
まだ見ぬ大人の世界に憧れを抱きながら、王と共に城で暮らすハイヒルズ国の王女。城の外に出ることを切望する彼女の結婚相手に、王が決めたのは、屈強で醜いオーガ<鬼>だった。華やかな城から連れ出された、過酷な鬼の住処での生活に耐えながら、王女は逃げ出す機会を伺っていた…
ロングトレリス国の不妊の女王
不妊に悩むロングトレリス国の女王は、魔法使いの教え通り、王国の命と引き換えに得た
怪物の心臓を食べて、美しい男の子を出産する。成長した彼は、同じ怪物の心臓のもと生まれた下女の息子と兄弟のような友情に結ばれ、親離れの年頃となっていったが、女王はそれが不満でならなかった…
ストロングクリフ国の二人の老婆
人目を避けて細々と暮らす老婆の姉妹。好色なストロングクリフ国の王に、
その美しい声を見初められた姉は、不思議な力で若さと美貌を取り戻し、妃の座に収まるが、見捨てられた妹も、若さと美貌を熱望していた…
▶ 映画館環境
第29回東京国際映画祭オープニング作品
TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン9
スクリーンサイズ5.3×12.7m、座席数258
D-12は前から4列目、スクリーン向かってほぼ真ん中、スクリーンが大きいためやや近すぎるかもしれない。迫力は十分だが少々疲れる。
ほぼ満席。
▶ 作品レビュー
まずは、ロケーションと装飾が際立っていると感じた。デルモンテ城、ロッカスカレーニャ城、ドンナフガータ城という現存するイタリアの古城を舞台に、中世ヨーロッパの妖しい美と飽くなき欲望が渦巻いていく。
原作がシンデレラやグリム童話の原形だというだけあって、非常にグロテスク。決して子供には見せることができない内容。しかしながら、その映像の美しさはハリウッドなどが描き出すお伽噺など凌駕するものであり、絵そのものに限っていえば、間違いなく老若男女を魅了する。でも、内容がグロすぎるので決して子供には見せたくないと思ってしまう。
ここまで徹底して煌びやかに残酷で異様な映画は今まで見たことがない。残酷さ奇怪さが際立っているものは数多くあれども、常に美しさを伴うグロさというものは容易に描けるものではないと思うし、仮に自分が過去の映画を知らなさすぎるだけだとしても、ここまで見事に醜怪を描ききっているものはないと言いきれるほどに魅惑的な映像だ。魅了されるとか嫌悪感を催すとか、そういった感情を超越して、もはや笑うしかない、個人的には終始そういった感情に見舞われた。
目の前に展開される妖しさに、どうしようもなく惹きこまれていき、どんなに残酷な展開であっても、そこに自分の身を置きたいと思ってしまう…まさに、禁断の欲望というべき映画といったところか──。
大きく3つに分類される物語の結末は、全て欲望が招く惨劇になっている。華麗で美しすぎるその映像のためなのか分からないけれども、それを教訓に禁欲的になるとかという感情よりも、むしろどんなに悲惨な結果に陥ろうともその欲望に浸ってしまいたいと思うほどに強欲になってしまった。
この映画はあまりに危険すぎる。見て、否定されて至極当然だと思うのだが、自分の欲に正直になればなるほど魅惑的に感じてしまい、それら欲に溺れてしまう気持ちに賛同しか覚えない。確かに、非常に緻密に丁寧に華麗に見事なまでに美しく仕上げられた映画であり、称賛されるべきものだと思う。しかし、この作品を多くの人が肯定するほどに世界の終わりも近づくのかなと思ってしまったりもする。まぁ、そんなことは有り得ないと思いつつ、もやはこの作品を体験した後ではこの作品が持つ危ない輝きを拭い去ることができないと一抹の不安を感じている。
といいつつも、自分の中にある貪欲をこの作品で全て消化してしまうこともまた可能かなとも思っている。そして清き正しき道を歩んでいけるのかなとも──。まぁそれこそ有り得ないことなのだけれど…。
ダゲレオタイプの女
ダゲレオタイプの女(2016年/フランス・ベルギー・日本合作)
原題:La femme de la plaque argentique
公開日:2016年10月15日
配給:ビターズ・エンド
時間:131分
監督:黒沢清
脚本:黒沢清
出演:タハール・ラヒム(ジャン)
コンスタンス・ルソー(マリー)
オリビエ・グルメ(ステファン)
マチュー・アマルリック(ヴァンサン)
マリック・ジディ(トマ)
バレリ・シビラ(ドゥーニーズ)
ジャック・コラール(ルイ)
プロデューサー:吉武美知子、ジェローム・ドプフェール
共同製作:ジャン=イブ・ルーバン、定井勇二、オリビエ・ペール、レミ・ビュラ
脚本コンサルタント:黒沢弘美
撮影:アレクシ・カビルシン
美術:パスカル・コンシニ、セバスティアン・ダノス
衣装:エリザベス・メウ
編集:ベロニク・ランジュ
音楽:グレゴワール・エッツェル
メイキング:熊切和嘉
鑑賞日:2016年11月1日
場所:ヒューマントラストシネマ有楽町 シアター2 D-2
■ Introduction イントロダクション (公式HPより)
数々の国際映画で高い評価を受け続け、
世界中に熱狂的な“キヨシスト”を持つカリスマ、
黒沢清が初めて振り上げたフランス映画。
カンヌ、ヴェネチア、ベルリンといった世界最大映画祭に出品され、ヨーロッパを中心に世界中で高い評価を得ている黒沢清監督。2015年カンヌ国際映画祭ある視点部門で『岸辺の旅』が監督賞を受賞し、本年も『クリーピー 偽りの隣人』がベルリン国際映画祭に出品され、好評を博した。
その黒沢監督がオールフランスロケ、外国人キャスト、全編フランス語のオリジナルストーリーで挑んだ初めての海外進出作品『ダゲレオタイプの女』。監督以外はキャストも含めすべてが現地スタッフの中、撮影は行われた。
主人公のひとりとも思えるほどにこだわり抜いたロケーション、不穏さを漂わせる空気さえ映し込んだような画面……。ホラーでいてヒューマンドラマ、ジャンルも、生死も、国境を越えた、まぎれもない黒沢印の新たな傑作が誕生した。
世界最古の写真撮影方法“ダゲレオタイプ”が引き寄せる愛と死。
愛が命を削り、命が幻影を見せ、愛が悲劇を呼ぶ。
ダゲレオタイプの写真家ステファンのアシスタントに偶然なったジャン。その撮影方法の不思議さに惹かれ、ダゲレオタイプのモデルを務めるステファンの娘マリーに恋心を募らせる。しかし、その撮影は「愛」だけではなく苦痛を伴うものだった……。芸術と愛情を混同したアーティストである写真家のエゴイスティックさ、父を慕いながらも拘束され続ける撮影と家の離れ自らの人生をつかみたいマリーの想い、撮影に魅了されながらもただマリーとともに生きたいジャンの願い、そして、自らの命を絶っていたステファンの妻の幻影……愛が命を削り、愛が幻影を見せ、愛が悲劇を呼ぶ。世界最古の撮影を通して交わされる愛の物語、愛から始まる取り返しのつかない悲劇。これまでにないクラシカルで端正なホラー・ラブロマンスが誕生した。
ヨーロッパを代表する名優たちによる豪華競演。
黒沢世界を構築したグレゴワール・エッツェルの耽美な映画音楽。
主人公を演じるのはジャック・オディアール監督作品『預言者』でセザール賞の主演男優賞と有望若手男優賞をダブル受賞したほか数々の映画賞を受賞、アスガー・ファルハディ、ファティ・アキンなど名匠とのタッグが続く実力派俳優、タハール・ラヒム。ダゲレオタイプに魅かれ、やがて悲劇にのまれる男、ジャンを存在感たっぷりに演じた。ジャンが恋心を抱くヒロインには『女っ気なし』で注目を集めた女優コンスタンス・ルソー。写真家の娘マリーを愛らしく、儚く、そして、魅力的に演じる。そして、ダルデンヌ兄弟作品で知られるオリヴィエ・グルメがダゲレオタイプの写真家ステファンの傲慢さと苦悩を体現し、さらには数々の名作に出演しているマチュー・アマルリックが脇を固めている。フランス映画界のみならず、世界の映画界を支える名優たちが競演し、『ダゲレオタイプの女』の世界を見事に形にした。
映画音楽を担当したのはデブレシャン監督作品で知られるグレゴワール・エッツェル。数々の映画音楽を手掛けてきたエッツェルが本作のためにアビーロードスタジオで映画音楽を収録、唯一無二の黒沢世界を美しく彩っている。
■ Historic ストーリー (公式HPより)
その撮影は永遠の命を与える愛。
パリ郊外、再開発中の街の一角、古い路地に佇む屋敷。
ジャンは、そこに住む気難しそうな中年の写真家ステファンの助手として働きはじめた。
「これこそが本来の写真だ!」等身大の銀板には、ドレスを着て空虚な表情を浮かべるステンファンの娘マリーが写っている。ステファンは娘をモデルに、ダゲレオタイプという170年前の撮影方法を再現していたのだ。露光時間の長い撮影のため、動かぬように、手、腰、頭……と拘束器具で固定されていくマリー。
「今日の露光時間は70分だ!」ステファンの声が響く。
ダゲレオタイプの撮影は生きているものの息遣いさえも銀板に閉じ込めるかのようだ。
この屋敷ではかつてステファンの妻でマリーの母ドゥーニーズもダゲレオタイプのモデルをしていた。ドゥーニーズは今はもうこの世にいない。しかし彼女の姿は銀板に閉じ込められ、永遠を得たのだ。
ダゲレオタイプに魅入られたステファン。そんな芸術家の狂気を受け止めながらも、父から離れて自分自身の人生を手に入れたマリー。そんな彼女に惹かれ、やがて共に生きたいと願うジャン。
ダゲレオタイプの撮影を通して、曖昧になっていく生と死の境界線。
3人のいびつな関係は、やがてある出来事をきっかけに思いもよらぬ方向へと動き出す──。
▶ 映画館環境
ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2
スクリーンサイズ(m):VV 3.5×1.8 /CS 4.0×1.6 座席数:63
D−2は前から4列目、左端の席。小劇場で、どこに座っても大丈夫のような気がした。極論、最前列でも可。4列目以降が段がついて、やはり真ん中付近がベストのような気がした。
▶ 作品レビュー
原題:La femme de la plaque argentique
公開日:2016年10月15日
配給:ビターズ・エンド
時間:131分
監督:黒沢清
脚本:黒沢清
出演:タハール・ラヒム(ジャン)
コンスタンス・ルソー(マリー)
オリビエ・グルメ(ステファン)
マチュー・アマルリック(ヴァンサン)
マリック・ジディ(トマ)
バレリ・シビラ(ドゥーニーズ)
ジャック・コラール(ルイ)
プロデューサー:吉武美知子、ジェローム・ドプフェール
共同製作:ジャン=イブ・ルーバン、定井勇二、オリビエ・ペール、レミ・ビュラ
脚本コンサルタント:黒沢弘美
撮影:アレクシ・カビルシン
美術:パスカル・コンシニ、セバスティアン・ダノス
衣装:エリザベス・メウ
編集:ベロニク・ランジュ
音楽:グレゴワール・エッツェル
メイキング:熊切和嘉
鑑賞日:2016年11月1日
場所:ヒューマントラストシネマ有楽町 シアター2 D-2
■ Introduction イントロダクション (公式HPより)
数々の国際映画で高い評価を受け続け、
世界中に熱狂的な“キヨシスト”を持つカリスマ、
黒沢清が初めて振り上げたフランス映画。
カンヌ、ヴェネチア、ベルリンといった世界最大映画祭に出品され、ヨーロッパを中心に世界中で高い評価を得ている黒沢清監督。2015年カンヌ国際映画祭ある視点部門で『岸辺の旅』が監督賞を受賞し、本年も『クリーピー 偽りの隣人』がベルリン国際映画祭に出品され、好評を博した。
その黒沢監督がオールフランスロケ、外国人キャスト、全編フランス語のオリジナルストーリーで挑んだ初めての海外進出作品『ダゲレオタイプの女』。監督以外はキャストも含めすべてが現地スタッフの中、撮影は行われた。
主人公のひとりとも思えるほどにこだわり抜いたロケーション、不穏さを漂わせる空気さえ映し込んだような画面……。ホラーでいてヒューマンドラマ、ジャンルも、生死も、国境を越えた、まぎれもない黒沢印の新たな傑作が誕生した。
世界最古の写真撮影方法“ダゲレオタイプ”が引き寄せる愛と死。
愛が命を削り、命が幻影を見せ、愛が悲劇を呼ぶ。
ダゲレオタイプの写真家ステファンのアシスタントに偶然なったジャン。その撮影方法の不思議さに惹かれ、ダゲレオタイプのモデルを務めるステファンの娘マリーに恋心を募らせる。しかし、その撮影は「愛」だけではなく苦痛を伴うものだった……。芸術と愛情を混同したアーティストである写真家のエゴイスティックさ、父を慕いながらも拘束され続ける撮影と家の離れ自らの人生をつかみたいマリーの想い、撮影に魅了されながらもただマリーとともに生きたいジャンの願い、そして、自らの命を絶っていたステファンの妻の幻影……愛が命を削り、愛が幻影を見せ、愛が悲劇を呼ぶ。世界最古の撮影を通して交わされる愛の物語、愛から始まる取り返しのつかない悲劇。これまでにないクラシカルで端正なホラー・ラブロマンスが誕生した。
ヨーロッパを代表する名優たちによる豪華競演。
黒沢世界を構築したグレゴワール・エッツェルの耽美な映画音楽。
主人公を演じるのはジャック・オディアール監督作品『預言者』でセザール賞の主演男優賞と有望若手男優賞をダブル受賞したほか数々の映画賞を受賞、アスガー・ファルハディ、ファティ・アキンなど名匠とのタッグが続く実力派俳優、タハール・ラヒム。ダゲレオタイプに魅かれ、やがて悲劇にのまれる男、ジャンを存在感たっぷりに演じた。ジャンが恋心を抱くヒロインには『女っ気なし』で注目を集めた女優コンスタンス・ルソー。写真家の娘マリーを愛らしく、儚く、そして、魅力的に演じる。そして、ダルデンヌ兄弟作品で知られるオリヴィエ・グルメがダゲレオタイプの写真家ステファンの傲慢さと苦悩を体現し、さらには数々の名作に出演しているマチュー・アマルリックが脇を固めている。フランス映画界のみならず、世界の映画界を支える名優たちが競演し、『ダゲレオタイプの女』の世界を見事に形にした。
映画音楽を担当したのはデブレシャン監督作品で知られるグレゴワール・エッツェル。数々の映画音楽を手掛けてきたエッツェルが本作のためにアビーロードスタジオで映画音楽を収録、唯一無二の黒沢世界を美しく彩っている。
■ Historic ストーリー (公式HPより)
その撮影は永遠の命を与える愛。
パリ郊外、再開発中の街の一角、古い路地に佇む屋敷。
ジャンは、そこに住む気難しそうな中年の写真家ステファンの助手として働きはじめた。
「これこそが本来の写真だ!」等身大の銀板には、ドレスを着て空虚な表情を浮かべるステンファンの娘マリーが写っている。ステファンは娘をモデルに、ダゲレオタイプという170年前の撮影方法を再現していたのだ。露光時間の長い撮影のため、動かぬように、手、腰、頭……と拘束器具で固定されていくマリー。
「今日の露光時間は70分だ!」ステファンの声が響く。
ダゲレオタイプの撮影は生きているものの息遣いさえも銀板に閉じ込めるかのようだ。
この屋敷ではかつてステファンの妻でマリーの母ドゥーニーズもダゲレオタイプのモデルをしていた。ドゥーニーズは今はもうこの世にいない。しかし彼女の姿は銀板に閉じ込められ、永遠を得たのだ。
ダゲレオタイプに魅入られたステファン。そんな芸術家の狂気を受け止めながらも、父から離れて自分自身の人生を手に入れたマリー。そんな彼女に惹かれ、やがて共に生きたいと願うジャン。
ダゲレオタイプの撮影を通して、曖昧になっていく生と死の境界線。
3人のいびつな関係は、やがてある出来事をきっかけに思いもよらぬ方向へと動き出す──。
▶ 映画館環境
ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2
スクリーンサイズ(m):VV 3.5×1.8 /CS 4.0×1.6 座席数:63
D−2は前から4列目、左端の席。小劇場で、どこに座っても大丈夫のような気がした。極論、最前列でも可。4列目以降が段がついて、やはり真ん中付近がベストのような気がした。
▶ 作品レビュー
目には見えないけれど何ものかが存在するような恐怖感、あるいは、目に見えているのに何も存在しないような恐怖感、独特の空気感が常に作品を包み込む。
命あるものをストイックなまでに写真の中に静止させようとする行為そのものに恐怖を感じるし、こだわり抜いて完成された人物大の白黒写真はリアルで生々しく、まさしく生あるものが全く動かないという異様な空気感を感じると同時に気持ち悪さを感じてしまう。確かにダゲレオタイプで撮影される巨大な写真は芸術作品と呼ぶに相応しい。仮に、映画の中に出てきたダゲレオタイプの写真を目の前にしたなら、おそらく称賛の気持ちしか生まれないのではないだろうかと想像できる。しかし、物語が進むにつれて、その写真に向けられていた想いが大きく変化していく、称賛から恐怖へと──。
結末の衝撃度からすると考えられないくらいに、内容は非常に静かにゆっくりと流れていくという印象。誰もいない空間、その場所を固定カメラで長回し、まさに静的な映像が多用され、それがこの映画の長さにもつながっている。正直、それら動きが欠如した映像が連続すると退屈感を感じてしまうし、酷い場合は眠気まで催す。しかし、それは激しい映像に毒された自分が悪いのであって、この作品にはそれら数多くの静なる空間が必要不可欠であり、この作品を受け止めるには自らの中で湧き起こってくる怠惰な気持ちを克服しなければならない。
映画の中の違和感には気づきつつも、その違和感を受け止めようとしない主人公ジャンの気持ちが何となく理解できるわけで、夢の中で事を進める愚かなジャンに共感さえしてしまう。非現実的だと思っても自らの欲望と合致するところが多ければ、いつまでもそこに浸ろうとする、現に自分も映画という非現実的な世界に浸り続けているわけで、ジャンが突然現実に引き戻されるその気持ちというものは、まさしく自分が見ていた映画が終わってしまったものと似ているわけだ。もっとも、ジャンが感じた絶望感は自分が感じた悲しい気持ちとは比較にならないくらいに大きいものだったろうけれど…。
舞台が日本でもフランスでも関係なく、映像はまさしく黒沢清監督そのものであると感じた。それを良いとか悪いとか安易には言及できないけれど、確固たるスタイルを確立していると強く感じた。
日本の幽霊とヨーロッパの幽霊を比較すると、歴然とした違いがあるわけで、それを題材にした映画にしても明確な違いを常に感じるものだが、黒沢清映画に関しては黒沢清の空間があり、強いて言うなら黒沢清のお化け屋敷がそこにあるといった印象を持った。
ただ単に怖いだけではない、不思議な暗澹たる危懼とか寒慄といった感覚を覚える幽霊映画は他に見出せない。もっとも、こういった類いの映画はホラー映画とかミステリー映画などと呼ばれているわけだが、敢えて幽霊映画などと言ってしまうのにはそれ相応の理由がある、むしろそういった見方を見出した。
とはいえ、ヨーロッパが舞台になることで映像の華麗さが増したように感じた。いわゆるジャパニーズホラーと呼ばれるものに往々にしてある生々しさはほとんど感じることなく、その代わりというのか、見た目の美しさがその穴を埋めているといった印象。「ダゲレオタイプの女」という華麗な題名が物語っているように、今回の映画は映像そのものの華麗さが際立っていたように思う。故に今まで以上に乾いた印象を持ったし、同時に戦慄というものがやや薄れているという気がした。だからこそ、黒沢映画の特徴がより際立っているように思うし、こういった華麗で暗澹たる危懼・寒慄といったものが監督が目指していたものでは? と勝手に感じている。
命あるものをストイックなまでに写真の中に静止させようとする行為そのものに恐怖を感じるし、こだわり抜いて完成された人物大の白黒写真はリアルで生々しく、まさしく生あるものが全く動かないという異様な空気感を感じると同時に気持ち悪さを感じてしまう。確かにダゲレオタイプで撮影される巨大な写真は芸術作品と呼ぶに相応しい。仮に、映画の中に出てきたダゲレオタイプの写真を目の前にしたなら、おそらく称賛の気持ちしか生まれないのではないだろうかと想像できる。しかし、物語が進むにつれて、その写真に向けられていた想いが大きく変化していく、称賛から恐怖へと──。
結末の衝撃度からすると考えられないくらいに、内容は非常に静かにゆっくりと流れていくという印象。誰もいない空間、その場所を固定カメラで長回し、まさに静的な映像が多用され、それがこの映画の長さにもつながっている。正直、それら動きが欠如した映像が連続すると退屈感を感じてしまうし、酷い場合は眠気まで催す。しかし、それは激しい映像に毒された自分が悪いのであって、この作品にはそれら数多くの静なる空間が必要不可欠であり、この作品を受け止めるには自らの中で湧き起こってくる怠惰な気持ちを克服しなければならない。
映画の中の違和感には気づきつつも、その違和感を受け止めようとしない主人公ジャンの気持ちが何となく理解できるわけで、夢の中で事を進める愚かなジャンに共感さえしてしまう。非現実的だと思っても自らの欲望と合致するところが多ければ、いつまでもそこに浸ろうとする、現に自分も映画という非現実的な世界に浸り続けているわけで、ジャンが突然現実に引き戻されるその気持ちというものは、まさしく自分が見ていた映画が終わってしまったものと似ているわけだ。もっとも、ジャンが感じた絶望感は自分が感じた悲しい気持ちとは比較にならないくらいに大きいものだったろうけれど…。
舞台が日本でもフランスでも関係なく、映像はまさしく黒沢清監督そのものであると感じた。それを良いとか悪いとか安易には言及できないけれど、確固たるスタイルを確立していると強く感じた。
日本の幽霊とヨーロッパの幽霊を比較すると、歴然とした違いがあるわけで、それを題材にした映画にしても明確な違いを常に感じるものだが、黒沢清映画に関しては黒沢清の空間があり、強いて言うなら黒沢清のお化け屋敷がそこにあるといった印象を持った。
ただ単に怖いだけではない、不思議な暗澹たる危懼とか寒慄といった感覚を覚える幽霊映画は他に見出せない。もっとも、こういった類いの映画はホラー映画とかミステリー映画などと呼ばれているわけだが、敢えて幽霊映画などと言ってしまうのにはそれ相応の理由がある、むしろそういった見方を見出した。
とはいえ、ヨーロッパが舞台になることで映像の華麗さが増したように感じた。いわゆるジャパニーズホラーと呼ばれるものに往々にしてある生々しさはほとんど感じることなく、その代わりというのか、見た目の美しさがその穴を埋めているといった印象。「ダゲレオタイプの女」という華麗な題名が物語っているように、今回の映画は映像そのものの華麗さが際立っていたように思う。故に今まで以上に乾いた印象を持ったし、同時に戦慄というものがやや薄れているという気がした。だからこそ、黒沢映画の特徴がより際立っているように思うし、こういった華麗で暗澹たる危懼・寒慄といったものが監督が目指していたものでは? と勝手に感じている。
アズミ・ハルコは行方不明
アズミ・ハルコは行方不明(2016年・日本)
公開日:2016年12月3日
配給:ファントム・フィルム
時間:100分
監督:松居大悟
原作:山内マリコ
脚本:瀬戸山美咲
出演:蒼井優(安曇春子)
高畑充希(木南愛菜)
太賀富樫(ユキオ)
葉山奨之(三橋学)
石崎ひゅーい(曽我雄二)
菊池亜希子(今井えり)
山田真歩(吉澤ひろ子)
落合モトキ(川本)
芹那(杉崎ひとみ)
花影香音(少女ギャング団リーダー)
柳憂怜(津川ジロー)
国広富之(社長)
加瀬亮(警官・沢井)
エグゼクティブプロデューサー:大田憲男、藤本款、伊藤久美子、小西啓介、本田晋一郎
プロデューサー:枝見洋子
共同プロデューサー:平野宏治、深瀬和美
撮影:塩谷大樹
照明:西田まさちお
録音:矢野正人、加来昭彦
美術:高橋達也
装飾:鈴木伸弥
スタイリスト:纐纈春樹
衣装:星野恵理
ヘアメイク:末武美穂
編集:小原聡子
音楽:環ROY
主題歌:チャットモンチー
劇中アニメーション:ひらのりょう
助監督:畑井雄介
制作担当:丸山陽介
鑑賞日:2016年11月1日
場所:TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン9 I-17
■ INTRODUCTION(公式HPより)
突如、街中に拡散される、女の顔のグラフィティ・アート。
無差別で男たちをボコる、女子高生集団。
OL安曇春子(28)の失踪をきっかけに交差する、ふたつのいたずら。
この失踪事件の背景と行く末を、“アラサー、ハタチ、女子高生”の三世代の女の子たちの生き方を浮き彫りにしつつ描いた山内マリコの同名小説を原作に、『アフロ田中』(12)、『ワンダフルワールドエンド』(14)などの松居大悟監督が映画化。そのポップで刺激的な作風が、国内外で高い評価を得る30歳の若き才能は、今作でもスパークしている。アニメーションやプロジェクションマッピングなどを取り入れためくるめく映像世界はもちろんのこと、いくつかの異なる時間軸をテンポよく交錯させつつ、笑いと毒、スリルと愛に満ちた、これまでにない青春ストーリーを綴り上げている。
■ STORY(公式HPより)
SIDE:春子
とある地方都市に住む27歳の安曇春子(蒼井優)。独身で恋人もいない春子は、実家で両親と祖母と一緒に暮らしている。老齢の祖母を介護する母のストレスが充満する実家は決して居心地のいいものではなく、会社に行けば社長と専務に「女は若いうちに結婚するべきだ」とセクハラ三昧の言葉を浴びせられる日々。春子はふと自分の年齢を実感する。まだ27歳ではなく、もう27歳。若くはないということに…。
SIDE:愛菜
20歳の愛菜(高畑充希)はとある地方都市の成人式の会場で、大学進学のため名古屋に行った中学時代の同級生のユキオと、なんとくなく会って遊んだり、なんとなくセックスする間柄になっていく。ある日、ユキオの誕生日プレゼントを買いにレンタルビデオ店に行ったふたりは、そこでバイトをしていた同級生の学(葉山奨之)と再会し…。
SIDE:春子
ある日の仕事帰り、運転する春子の車の目の前を制服姿の女子高生たちが駆け抜けていく。興味を覚えた春子は後を追って公園へ。するとそこには、誰かに暴行されて倒れている男の姿が。それは、少し前に再会したばかりの同級生の曽我(石崎ひゅーい)だった!曽我を送り届けたその夜、ふたりは互いの虚しさを埋め合うように体を重ね、付き合うという言葉はないまま、食事をしたり、買い物に行ったりする仲になっていた。
久しぶりに心浮き立つ春子とは裏腹に、しばらくして曽我からの連絡が途絶えるように。そして、コンビニでバイトをする噂好きの同級性から衝撃の事実を聞かされ…。
SIDE:キルロイ
ユキオと学はグラフィティアーティストのドキュメンタリー映画を観て、映画に登場する覆面アーティストのバンクシーに憧れ、グラフィティ・アートを始める。チーム名は、アメリカに実在する有名な落書きからとって“キルロイ”と決定。キルロイは“28歳・安曇春子の行方不明を探す張り紙”をモチーフに、春子の顔とMISSINGという文字を合わせてグラフィティ・アートにし、街中に拡散していく。自分そっちのけで楽しむふたりに愛菜は怒り心頭。強引に割って入り、アズミ・ハルコのグラフィティ・アートを一緒に広めていくのだった。一方その頃、〈少女ギャング団〉による男性のみを襲う暴行事件が巷を騒がせていた。インターネット上ではその事件と、アズミ・ハルコのグラフィティ・アートの関連が噂され…。
▶ 映画館環境
第29回東京国際映画祭コンペティション部門上映
TOHOシネマズ六本木ヒルズ、スクリーン9、スクリーンサイズ5.3×12.7m、座席数258
I列は前方から9列目、劇場やや後方、プレミアシートの真後ろ、I-17席はスクリーン向かってやや右寄り・ほぼ真ん中の席。非常に見やすいポジションであった。
会場はほぼ満席。
▶ 作品レビュー
女性目線のガールズムービー、という趣旨のことを上映後のQ&Aで松居大悟監督と枝見洋子プロデューサーが主張していた。女性のための映画らしい。とはいえ、男性が見ても楽しむことができると思ったし、映像が色彩豊かで煌びやかに感じたので制作者側が主張するようなところも大いに理解できた。
だが、自分は、この映画を素直に女性目線の映画だとは思えない。あくまで、男性の立場から見た女性目線といったような違和感を感じて、それが故に男尊女卑といったところを強調されているようにも感じてしまった。単に女性が主役であったり、女性と男性の力関係が逆転しただけでは、女性目線・女性主体の女性のための映画とはいえないような気がする。そういった面でこの映画は特段女性のための映画とも感じなかったし、女性を持ち上げたり励ましたりするようなところも感じなかった。あくまで20代30代の若者を描いた作品としか思えなかった。たまたま女性が主役の作品だから女性がメインなっただけの映画─、至極当たり前のことでありわざわざ記すことでもないけれど、制作陣が殊更に女性を強調したことの個人的な反応としての記録──。
内容は、異なる時間軸や異なるコミュニティーが複雑に絡み合い、単純なストーリーテリングというものではない。核となる関連性を帯びた物語がいくつかあって、それがコラージュを成している。複雑な構成とはいえ、決して難解な作品ではなく、分かりやすい若者の発露を存分に感じることができるし、敢えて時間や空間をバラバラに組み合わせることによりカラフルな作品になっているような印象を持つ。
映像の楽しさや面白さは非常に感じたものの、個人的に、感情移入ができないまま終幕を迎えてしまった。というのも、映画で中心的に扱われているテーマや立場が自分とは真逆のような気がして、終始一歩引いた目線で作品を眺めていたからだ。それ故に、監督が主張するような女性のための映画には思えなかったのかもしれない。そう言えば終幕後のQ&Aでは、女性の観客から共感した旨の感想も出ていた。何かしら共通項を見いだせないと作品が持っている本当のパワーを受け止めきれないのかもしれない。
個人的な感想としては、松居大悟監督の前作「私たちのハアハア」の方が大きく心動かされたし、作品のパワーを非常に感じた。あの作品はテーマもストーリーも分かりやすかったからかもしれないが…。
唐突に監督の前作などを持ち出してしまったけれど、あの作品の女子高生たちが成長した姿を今回の作品の中に見てしまったわけで、カメラが自由に動き回る撮影手法なども非常に似通っていたこともあって、何度か前作の面影が頭をよぎった。あの作品からのグレードアップした(俳優、映像、構成などの質が上がった)印象が強いし、間違いなくクオリティーは高いとは思うものの、個人的には、失われてしまった何かを感じてしまった。
原作の小説は未読。監督と俳優陣のネームバリューで観賞に至った映画なので、正直原作は読まなくても─などと怠惰な気持ちでいたわけだけれども、きっと女性目線・女性主体・女性のための作品になっているであろう小説が、映画を見終わった後で湧き起こったもやもや感のせいで、気になって仕方がない──という余談で終了。
公開日:2016年12月3日
配給:ファントム・フィルム
時間:100分
監督:松居大悟
原作:山内マリコ
脚本:瀬戸山美咲
出演:蒼井優(安曇春子)
高畑充希(木南愛菜)
太賀富樫(ユキオ)
葉山奨之(三橋学)
石崎ひゅーい(曽我雄二)
菊池亜希子(今井えり)
山田真歩(吉澤ひろ子)
落合モトキ(川本)
芹那(杉崎ひとみ)
花影香音(少女ギャング団リーダー)
柳憂怜(津川ジロー)
国広富之(社長)
加瀬亮(警官・沢井)
エグゼクティブプロデューサー:大田憲男、藤本款、伊藤久美子、小西啓介、本田晋一郎
プロデューサー:枝見洋子
共同プロデューサー:平野宏治、深瀬和美
撮影:塩谷大樹
照明:西田まさちお
録音:矢野正人、加来昭彦
美術:高橋達也
装飾:鈴木伸弥
スタイリスト:纐纈春樹
衣装:星野恵理
ヘアメイク:末武美穂
編集:小原聡子
音楽:環ROY
主題歌:チャットモンチー
劇中アニメーション:ひらのりょう
助監督:畑井雄介
制作担当:丸山陽介
鑑賞日:2016年11月1日
場所:TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン9 I-17
■ INTRODUCTION(公式HPより)
突如、街中に拡散される、女の顔のグラフィティ・アート。
無差別で男たちをボコる、女子高生集団。
OL安曇春子(28)の失踪をきっかけに交差する、ふたつのいたずら。
この失踪事件の背景と行く末を、“アラサー、ハタチ、女子高生”の三世代の女の子たちの生き方を浮き彫りにしつつ描いた山内マリコの同名小説を原作に、『アフロ田中』(12)、『ワンダフルワールドエンド』(14)などの松居大悟監督が映画化。そのポップで刺激的な作風が、国内外で高い評価を得る30歳の若き才能は、今作でもスパークしている。アニメーションやプロジェクションマッピングなどを取り入れためくるめく映像世界はもちろんのこと、いくつかの異なる時間軸をテンポよく交錯させつつ、笑いと毒、スリルと愛に満ちた、これまでにない青春ストーリーを綴り上げている。
■ STORY(公式HPより)
SIDE:春子
とある地方都市に住む27歳の安曇春子(蒼井優)。独身で恋人もいない春子は、実家で両親と祖母と一緒に暮らしている。老齢の祖母を介護する母のストレスが充満する実家は決して居心地のいいものではなく、会社に行けば社長と専務に「女は若いうちに結婚するべきだ」とセクハラ三昧の言葉を浴びせられる日々。春子はふと自分の年齢を実感する。まだ27歳ではなく、もう27歳。若くはないということに…。
SIDE:愛菜
20歳の愛菜(高畑充希)はとある地方都市の成人式の会場で、大学進学のため名古屋に行った中学時代の同級生のユキオと、なんとくなく会って遊んだり、なんとなくセックスする間柄になっていく。ある日、ユキオの誕生日プレゼントを買いにレンタルビデオ店に行ったふたりは、そこでバイトをしていた同級生の学(葉山奨之)と再会し…。
SIDE:春子
ある日の仕事帰り、運転する春子の車の目の前を制服姿の女子高生たちが駆け抜けていく。興味を覚えた春子は後を追って公園へ。するとそこには、誰かに暴行されて倒れている男の姿が。それは、少し前に再会したばかりの同級生の曽我(石崎ひゅーい)だった!曽我を送り届けたその夜、ふたりは互いの虚しさを埋め合うように体を重ね、付き合うという言葉はないまま、食事をしたり、買い物に行ったりする仲になっていた。
久しぶりに心浮き立つ春子とは裏腹に、しばらくして曽我からの連絡が途絶えるように。そして、コンビニでバイトをする噂好きの同級性から衝撃の事実を聞かされ…。
SIDE:キルロイ
ユキオと学はグラフィティアーティストのドキュメンタリー映画を観て、映画に登場する覆面アーティストのバンクシーに憧れ、グラフィティ・アートを始める。チーム名は、アメリカに実在する有名な落書きからとって“キルロイ”と決定。キルロイは“28歳・安曇春子の行方不明を探す張り紙”をモチーフに、春子の顔とMISSINGという文字を合わせてグラフィティ・アートにし、街中に拡散していく。自分そっちのけで楽しむふたりに愛菜は怒り心頭。強引に割って入り、アズミ・ハルコのグラフィティ・アートを一緒に広めていくのだった。一方その頃、〈少女ギャング団〉による男性のみを襲う暴行事件が巷を騒がせていた。インターネット上ではその事件と、アズミ・ハルコのグラフィティ・アートの関連が噂され…。
▶ 映画館環境
第29回東京国際映画祭コンペティション部門上映
TOHOシネマズ六本木ヒルズ、スクリーン9、スクリーンサイズ5.3×12.7m、座席数258
I列は前方から9列目、劇場やや後方、プレミアシートの真後ろ、I-17席はスクリーン向かってやや右寄り・ほぼ真ん中の席。非常に見やすいポジションであった。
会場はほぼ満席。
▶ 作品レビュー
女性目線のガールズムービー、という趣旨のことを上映後のQ&Aで松居大悟監督と枝見洋子プロデューサーが主張していた。女性のための映画らしい。とはいえ、男性が見ても楽しむことができると思ったし、映像が色彩豊かで煌びやかに感じたので制作者側が主張するようなところも大いに理解できた。
だが、自分は、この映画を素直に女性目線の映画だとは思えない。あくまで、男性の立場から見た女性目線といったような違和感を感じて、それが故に男尊女卑といったところを強調されているようにも感じてしまった。単に女性が主役であったり、女性と男性の力関係が逆転しただけでは、女性目線・女性主体の女性のための映画とはいえないような気がする。そういった面でこの映画は特段女性のための映画とも感じなかったし、女性を持ち上げたり励ましたりするようなところも感じなかった。あくまで20代30代の若者を描いた作品としか思えなかった。たまたま女性が主役の作品だから女性がメインなっただけの映画─、至極当たり前のことでありわざわざ記すことでもないけれど、制作陣が殊更に女性を強調したことの個人的な反応としての記録──。
内容は、異なる時間軸や異なるコミュニティーが複雑に絡み合い、単純なストーリーテリングというものではない。核となる関連性を帯びた物語がいくつかあって、それがコラージュを成している。複雑な構成とはいえ、決して難解な作品ではなく、分かりやすい若者の発露を存分に感じることができるし、敢えて時間や空間をバラバラに組み合わせることによりカラフルな作品になっているような印象を持つ。
映像の楽しさや面白さは非常に感じたものの、個人的に、感情移入ができないまま終幕を迎えてしまった。というのも、映画で中心的に扱われているテーマや立場が自分とは真逆のような気がして、終始一歩引いた目線で作品を眺めていたからだ。それ故に、監督が主張するような女性のための映画には思えなかったのかもしれない。そう言えば終幕後のQ&Aでは、女性の観客から共感した旨の感想も出ていた。何かしら共通項を見いだせないと作品が持っている本当のパワーを受け止めきれないのかもしれない。
個人的な感想としては、松居大悟監督の前作「私たちのハアハア」の方が大きく心動かされたし、作品のパワーを非常に感じた。あの作品はテーマもストーリーも分かりやすかったからかもしれないが…。
唐突に監督の前作などを持ち出してしまったけれど、あの作品の女子高生たちが成長した姿を今回の作品の中に見てしまったわけで、カメラが自由に動き回る撮影手法なども非常に似通っていたこともあって、何度か前作の面影が頭をよぎった。あの作品からのグレードアップした(俳優、映像、構成などの質が上がった)印象が強いし、間違いなくクオリティーは高いとは思うものの、個人的には、失われてしまった何かを感じてしまった。
原作の小説は未読。監督と俳優陣のネームバリューで観賞に至った映画なので、正直原作は読まなくても─などと怠惰な気持ちでいたわけだけれども、きっと女性目線・女性主体・女性のための作品になっているであろう小説が、映画を見終わった後で湧き起こったもやもや感のせいで、気になって仕方がない──という余談で終了。
私に構わないで
私に構わないで(2016年/クロアチア・デンマーク合作)
原題:Ne gledaj mi u pijat
配給:New Europe Film Sales
時間:105分
監督/脚本:ハナ・ユシッチ
出演:ミア・ペトリチェヴィッチ(マリヤナ)
ニクシャ・ブティエル(ゾラン)
ズラッコ・ブリッチ(ヴェラ)
アリヤナ・チュリナ(ラゾ)
カルラ・ブルビチ(アンジェラ)
撮影監督:ヤナ・プレチャシュ
編集:ヤン・クレムシェ
音楽:フルヴォエ・ニクシッチ
音響デザイナー:ロア・スカル・オルセン
衣装デザイナー:カタリナ・ピリッチ
美術監督:マティルデ・リッダー・ニールセン
鑑賞日:2016年11月1日
場所:TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン9 F-11
■ あらすじ(第29回東京国際映画祭公式プログラムより)
病院に勤務するマリヤナの人生は、望もうが望むまいが、彼女の家族を中心に回っている。強権的な父親、障害を持った兄、無責任な母親。彼らは小さなアパートで重なりあいながら、互いにイライラして暮らしている。そんあとき、父親が倒れ、突如としてマリヤナに家族の長としての責任が押し付けられてしまう。
■ 作品解説(第29回東京国際映画祭公式プログラムより)
本作の舞台となる美しいダルマチア地方はクロアチア有数の観光地であるが、ユシッチ監督はその華やかな光と対比するように、狭く窮屈で雑然とした住まいに暮らす家族に焦点を当てた。自伝的内容ではないものの、登場するキャラクターの多くは監督がよく知る人々をモデルにしている。当初は印象の悪い人物たちに対し、観客が徐々に好意を抱くように導く演出に、監督のキャラクターに対する愛と理解が感じられる。自由になることの難しさ、そして場合によっては、敵であっても身近な存在である家族に囲まれる方が居心地がいいかもしれないというジレンマのリアリティは絶妙である。見事なカリスマ性を発揮する出演のミア・ペトリチェヴィッチが演技初経験ということにも驚かされる。
▶ 映画館環境
第29回東京国際映画祭コンペティション部門上映
TOHOシネマズ六本木ヒルズ、スクリーン9、スクリーンサイズ5.3×12.7m、座席数258
F列は劇場の真ん中付近の列、F-11席はスクリーン向かって中心付近、つまりは劇場の中心付近の席。スクリーンが大きいため、中心でも多少近いと感じた。
平日の午前中の上映にもかかわらず、満席状態。
▶ 作品レビュー
原題:Ne gledaj mi u pijat
配給:New Europe Film Sales
時間:105分
監督/脚本:ハナ・ユシッチ
出演:ミア・ペトリチェヴィッチ(マリヤナ)
ニクシャ・ブティエル(ゾラン)
ズラッコ・ブリッチ(ヴェラ)
アリヤナ・チュリナ(ラゾ)
カルラ・ブルビチ(アンジェラ)
撮影監督:ヤナ・プレチャシュ
編集:ヤン・クレムシェ
音楽:フルヴォエ・ニクシッチ
音響デザイナー:ロア・スカル・オルセン
衣装デザイナー:カタリナ・ピリッチ
美術監督:マティルデ・リッダー・ニールセン
鑑賞日:2016年11月1日
場所:TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン9 F-11
■ あらすじ(第29回東京国際映画祭公式プログラムより)
病院に勤務するマリヤナの人生は、望もうが望むまいが、彼女の家族を中心に回っている。強権的な父親、障害を持った兄、無責任な母親。彼らは小さなアパートで重なりあいながら、互いにイライラして暮らしている。そんあとき、父親が倒れ、突如としてマリヤナに家族の長としての責任が押し付けられてしまう。
■ 作品解説(第29回東京国際映画祭公式プログラムより)
本作の舞台となる美しいダルマチア地方はクロアチア有数の観光地であるが、ユシッチ監督はその華やかな光と対比するように、狭く窮屈で雑然とした住まいに暮らす家族に焦点を当てた。自伝的内容ではないものの、登場するキャラクターの多くは監督がよく知る人々をモデルにしている。当初は印象の悪い人物たちに対し、観客が徐々に好意を抱くように導く演出に、監督のキャラクターに対する愛と理解が感じられる。自由になることの難しさ、そして場合によっては、敵であっても身近な存在である家族に囲まれる方が居心地がいいかもしれないというジレンマのリアリティは絶妙である。見事なカリスマ性を発揮する出演のミア・ペトリチェヴィッチが演技初経験ということにも驚かされる。
▶ 映画館環境
第29回東京国際映画祭コンペティション部門上映
TOHOシネマズ六本木ヒルズ、スクリーン9、スクリーンサイズ5.3×12.7m、座席数258
F列は劇場の真ん中付近の列、F-11席はスクリーン向かって中心付近、つまりは劇場の中心付近の席。スクリーンが大きいため、中心でも多少近いと感じた。
平日の午前中の上映にもかかわらず、満席状態。
▶ 作品レビュー
ビジュアル的な美しさというものを排除し、クロースアップや手持ちといった手法を中心に人と人との感情や関係性を描こうとしていたという印象。
正直、人の醜さや嫌らしさに辟易してしまう。それくらい生々しくリアルな人間模様を感じてしまうわけで、家族なんて自分勝手で欲と欲とのぶつかり合いなんだよなー、などと納得させられてしまうところが多い。
男が女を抑え込んでいる状況、男と女の立場が逆転する状況、親と子供の立場が逆転する状況、障害者が家庭内にいる状況、突如として要介護者が生まれる状況、職場で抑圧された状況、ある者との人間関係を他者から批判される状況、周りから要求ばかりされる状況、自暴自棄になってしまう状況、全てを捨ててどこかへ逃避しようとする状況──。ありとあらゆる困難な事柄が提示され、見ている者は何かしらの共通項を見いだすはずだ。リアルに提示されるその状況に、否応なく感情移入してしまうわけで、最終的に、あらゆる困難でも何かしら折り合いをつけて逞しく、あるいはしたたかに生き抜いていている状況というものを見せつけられ、何かしらの問題を抱えている観賞者にしてみれば共感できるところは多いはずだ。
マリヤナ役のミア・ペトリチェヴィッチは、確かに、映画などでの演技は初とは思えないくらいのパフォーマンスを見せている。しかし、それは演技が上手いというわけではなく、作品の中での存在感が非常にナチュラルに感じるからだ。仮に粗探しをするがごとく彼女の演技を観察してみると、不自然な部分を数多く見いだすに違いないが、そういったぎこちなさも作品の世界観に溶け込んでしまっているように思う。そもそも、リアルな世界において人の振る舞いというものはそれほど上手いものではないと思うし──。
現実社会を切り取ったようなリアルな世界観を構築しようという意志を感じるわけで、そういった努力と技術が評価されたためのTIFF最優秀監督賞受賞だと思う。
上映後に主演のペトチェヴィッチと共に若い女性がQ&Aに登場した。それがハナ・ユシッチ監督だということに正直驚いてしまった。まぁその感情には、若さとかジェンダーに対する偏見が大いに含まれているわけだが、それにしても本当に彼女らが中心となってこの擦れた話をつくり上げたとは、驚きだ。
現代社会についての問題提起─と見終わった直後は生ぬるい問題意識などを見いだしたわけだが、作品の背景を知るにつれて、これは現代を生きる若者の叫びとか決意表明なのではなかろうかと思っている。閉塞した世の中を見直したり改善したりしていこうと語りかけているのではなく、その中で私たちは生き抜いていくという主張をこそ強く感じる。
問題提起ということ自体が非現実的なことであり、今ある自分を表現することこそが現実的なことなのだということを見せつけられた思いがする。
映画のキービジュアルで、様々な裸体に囲まれる下着姿の弱々しい女性は、決して潰されてしまうことはない、そう確信できる映画だった。
正直、人の醜さや嫌らしさに辟易してしまう。それくらい生々しくリアルな人間模様を感じてしまうわけで、家族なんて自分勝手で欲と欲とのぶつかり合いなんだよなー、などと納得させられてしまうところが多い。
男が女を抑え込んでいる状況、男と女の立場が逆転する状況、親と子供の立場が逆転する状況、障害者が家庭内にいる状況、突如として要介護者が生まれる状況、職場で抑圧された状況、ある者との人間関係を他者から批判される状況、周りから要求ばかりされる状況、自暴自棄になってしまう状況、全てを捨ててどこかへ逃避しようとする状況──。ありとあらゆる困難な事柄が提示され、見ている者は何かしらの共通項を見いだすはずだ。リアルに提示されるその状況に、否応なく感情移入してしまうわけで、最終的に、あらゆる困難でも何かしら折り合いをつけて逞しく、あるいはしたたかに生き抜いていている状況というものを見せつけられ、何かしらの問題を抱えている観賞者にしてみれば共感できるところは多いはずだ。
マリヤナ役のミア・ペトリチェヴィッチは、確かに、映画などでの演技は初とは思えないくらいのパフォーマンスを見せている。しかし、それは演技が上手いというわけではなく、作品の中での存在感が非常にナチュラルに感じるからだ。仮に粗探しをするがごとく彼女の演技を観察してみると、不自然な部分を数多く見いだすに違いないが、そういったぎこちなさも作品の世界観に溶け込んでしまっているように思う。そもそも、リアルな世界において人の振る舞いというものはそれほど上手いものではないと思うし──。
現実社会を切り取ったようなリアルな世界観を構築しようという意志を感じるわけで、そういった努力と技術が評価されたためのTIFF最優秀監督賞受賞だと思う。
上映後に主演のペトチェヴィッチと共に若い女性がQ&Aに登場した。それがハナ・ユシッチ監督だということに正直驚いてしまった。まぁその感情には、若さとかジェンダーに対する偏見が大いに含まれているわけだが、それにしても本当に彼女らが中心となってこの擦れた話をつくり上げたとは、驚きだ。
現代社会についての問題提起─と見終わった直後は生ぬるい問題意識などを見いだしたわけだが、作品の背景を知るにつれて、これは現代を生きる若者の叫びとか決意表明なのではなかろうかと思っている。閉塞した世の中を見直したり改善したりしていこうと語りかけているのではなく、その中で私たちは生き抜いていくという主張をこそ強く感じる。
問題提起ということ自体が非現実的なことであり、今ある自分を表現することこそが現実的なことなのだということを見せつけられた思いがする。
映画のキービジュアルで、様々な裸体に囲まれる下着姿の弱々しい女性は、決して潰されてしまうことはない、そう確信できる映画だった。
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