私に構わないで

私に構わないで(2016年/クロアチア・デンマーク合作)
原題:Ne gledaj mi u pijat
配給:New Europe Film Sales
時間:105分

監督/脚本:ハナ・ユシッチ
出演:ミア・ペトリチェヴィッチ(マリヤナ)
   ニクシャ・ブティエル(ゾラン)
   ズラッコ・ブリッチ(ヴェラ)
   アリヤナ・チュリナ(ラゾ)
   カルラ・ブルビチ(アンジェラ)
撮影監督:ヤナ・プレチャシュ
編集:ヤン・クレムシェ
音楽:フルヴォエ・ニクシッチ
音響デザイナー:ロア・スカル・オルセン
衣装デザイナー:カタリナ・ピリッチ
美術監督:マティルデ・リッダー・ニールセン

鑑賞日:2016年11月1日
場所:TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン9 F-11


■ あらすじ(第29回東京国際映画祭公式プログラムより)
病院に勤務するマリヤナの人生は、望もうが望むまいが、彼女の家族を中心に回っている。強権的な父親、障害を持った兄、無責任な母親。彼らは小さなアパートで重なりあいながら、互いにイライラして暮らしている。そんあとき、父親が倒れ、突如としてマリヤナに家族の長としての責任が押し付けられてしまう。

■ 作品解説(第29回東京国際映画祭公式プログラムより)
本作の舞台となる美しいダルマチア地方はクロアチア有数の観光地であるが、ユシッチ監督はその華やかな光と対比するように、狭く窮屈で雑然とした住まいに暮らす家族に焦点を当てた。自伝的内容ではないものの、登場するキャラクターの多くは監督がよく知る人々をモデルにしている。当初は印象の悪い人物たちに対し、観客が徐々に好意を抱くように導く演出に、監督のキャラクターに対する愛と理解が感じられる。自由になることの難しさ、そして場合によっては、敵であっても身近な存在である家族に囲まれる方が居心地がいいかもしれないというジレンマのリアリティは絶妙である。見事なカリスマ性を発揮する出演のミア・ペトリチェヴィッチが演技初経験ということにも驚かされる。

▶ 映画館環境
第29回東京国際映画祭コンペティション部門上映
TOHOシネマズ六本木ヒルズ、スクリーン9、スクリーンサイズ5.3×12.7m、座席数258
F列は劇場の真ん中付近の列、F-11席はスクリーン向かって中心付近、つまりは劇場の中心付近の席。スクリーンが大きいため、中心でも多少近いと感じた。
平日の午前中の上映にもかかわらず、満席状態。

▶ 作品レビュー
ビジュアル的な美しさというものを排除し、クロースアップや手持ちといった手法を中心に人と人との感情や関係性を描こうとしていたという印象。
正直、人の醜さや嫌らしさに辟易してしまう。それくらい生々しくリアルな人間模様を感じてしまうわけで、家族なんて自分勝手で欲と欲とのぶつかり合いなんだよなー、などと納得させられてしまうところが多い。
男が女を抑え込んでいる状況、男と女の立場が逆転する状況、親と子供の立場が逆転する状況、障害者が家庭内にいる状況、突如として要介護者が生まれる状況、職場で抑圧された状況、ある者との人間関係を他者から批判される状況、周りから要求ばかりされる状況、自暴自棄になってしまう状況、全てを捨ててどこかへ逃避しようとする状況──。ありとあらゆる困難な事柄が提示され、見ている者は何かしらの共通項を見いだすはずだ。リアルに提示されるその状況に、否応なく感情移入してしまうわけで、最終的に、あらゆる困難でも何かしら折り合いをつけて逞しく、あるいはしたたかに生き抜いていている状況というものを見せつけられ、何かしらの問題を抱えている観賞者にしてみれば共感できるところは多いはずだ。
マリヤナ役のミア・ペトリチェヴィッチは、確かに、映画などでの演技は初とは思えないくらいのパフォーマンスを見せている。しかし、それは演技が上手いというわけではなく、作品の中での存在感が非常にナチュラルに感じるからだ。仮に粗探しをするがごとく彼女の演技を観察してみると、不自然な部分を数多く見いだすに違いないが、そういったぎこちなさも作品の世界観に溶け込んでしまっているように思う。そもそも、リアルな世界において人の振る舞いというものはそれほど上手いものではないと思うし──。
現実社会を切り取ったようなリアルな世界観を構築しようという意志を感じるわけで、そういった努力と技術が評価されたためのTIFF最優秀監督賞受賞だと思う。
上映後に主演のペトチェヴィッチと共に若い女性がQ&Aに登場した。それがハナ・ユシッチ監督だということに正直驚いてしまった。まぁその感情には、若さとかジェンダーに対する偏見が大いに含まれているわけだが、それにしても本当に彼女らが中心となってこの擦れた話をつくり上げたとは、驚きだ。
現代社会についての問題提起─と見終わった直後は生ぬるい問題意識などを見いだしたわけだが、作品の背景を知るにつれて、これは現代を生きる若者の叫びとか決意表明なのではなかろうかと思っている。閉塞した世の中を見直したり改善したりしていこうと語りかけているのではなく、その中で私たちは生き抜いていくという主張をこそ強く感じる。
問題提起ということ自体が非現実的なことであり、今ある自分を表現することこそが現実的なことなのだということを見せつけられた思いがする。
映画のキービジュアルで、様々な裸体に囲まれる下着姿の弱々しい女性は、決して潰されてしまうことはない、そう確信できる映画だった。





0 件のコメント:

コメントを投稿